第15話 新しい仲間


十五の一、 自治体レンタルラボ共通会議室にて


 一通り、中小企業基盤整備機構の久保からの今回のグラントの説明が終わる。


「お前たちばっかりに関わってるわけにもいかないからな。こうやって会って話せるのは週に一回、一時間以内ってのが俺の職場の無料相談のルールだ。で、その首都圏生命科学系のグラントの締め切りまでの間は、今日が最後。他に聞いとくことは?」

 飯島が研究内容ではない会社の経営内容などを書く欄について、いくつか質問をしている。久保がそれについて一つずつ答えている。俺はそれが一段落するのをまって尋ねる。

「……あんた、さっき『金になる仕事を受けながら』って話したよな。このグラントでは創業者支援融資の返済には使えないってことだよな?」

「そりゃそうだ。あくまで研究費として振り込まれるんだから、借金の金利なんて払えるわけないだろ。

 それに企業向けのグラントは――この間の自治体のやつは違ったかもしれないが、だいたい清算払い、つまり事業開始時に振り込まれるわけじゃなくて、事業終了後に請求書を送ってそこから振り込むってのが一般的だ。会社の口座に振り込まれるのが年度末なんだから、毎月の金利分なんて払えないわな」

 久保は当然だろという顔で即答する。そこからまたいくつかやりとりをした後で、中小企業基盤整備機構に帰る久保をレンタルラボの入口まで見送る。



「……崎村、聞いたか? つまり、この研究費を獲得しても全員が研究だけをするわけにはいかないんだぞ……そこはわかってるよな?」

「ああ。研究費を使って研究するチームと、コンサルや受託試験をして”日銭を稼ぐ”ためのチームに分ける…しかないか……」

 崎村は苦い顔をしながら応える。コンサルティングや受託試験は、崎村にとって出来れば避けたいと思っていた事業だけに、気が重いのがわかる。

「三人しかいないのに、チーム分けか。せめて戸部か長谷川のどっちかだけでも居てくれればなぁ」

 飯島が眼鏡のズレを直しながら、続けて「どっかの誰かが先走ったせいでなぁ」と嫌味につぶやく。こいつ、結構根に持つタイプだったのか。ポスドクの同僚だったときからつい最近までは、ただの委員長タイプだと思っていたが。

「だから、そこは悪かったよ。俺だって何でもかんでも完璧にできるわけじゃないんだからさ……」

 崎村がぶつぶつと言いながら、ぼりぼりと頭を掻いて白いフケが盛大に舞う。こいつは――まぁ、昔からこういうやつだったな、と思い出して吹き出す。それに釣られて崎村と飯島も口角を上げる。

「日銭稼ぎは崎村には無理だろ。客先でぼりぼりフケ撒き散らしてもらっても困るしな。俺がやる。だから研究の方は崎村と飯島とで進めてくれ」

 崎村と飯島が頷く。


「よしッ! やることは決まったわけだし、今日は景気づけに飲みに行こうぜ!! お前たちが行きつけのなんだっけ……あじさい? そこに連れて行ってくれよ」


 飯島が精いっぱいの空元気でそういうと、俺と崎村は「キャラじゃない」「無理すんなよ」と言う。飯島が真っ赤になって眼鏡の位置を直すのを見て、俺達はようやく声を上げて笑った。



十五の二、 新しい仲間



 『誠に勝手ながら、店主体調不良のためしばらくの間お休みします』


 そう書かれた紙が貼られている。四隅を留めている透明なテープはまだ新しく、ここ一日、二日で張られたのだろう。

 レンタルラボ近くのJRの駅前にある、区画整理に取り残された狭い路地に居酒屋が数件軒を連ねるだけの本当に短い飲み屋街。その横丁の一番奥にある店――居酒屋『あじさい』。俺と崎村がこのレンタルラボに来るようになってから、行きつけの店にしていた店である。


「ママさん、具合悪かったのか……」

 ぼんやりとその貼り紙を見ながらつぶやく。ちっとも気づかなかったのと、あのD社本社プレゼンの前に験を担いで食べさせてもらったとんかつのことを思い出して、いたたまれずに長めに息を吐く。

 しばらくして、このままここに居てもしょうがないと帰ろうとすると、聞きなれた声がする。

「あれ!? ハタナカ君にサキムラ君? …あっ、二人にはまだ連絡してなかったか……」

愛理あいりちゃん?」

 あじさいの店主の孫娘が買い物袋を下げて立っている。

「……ばぁちゃん、ここんところずっと身体悪くってサ。今までも無理しながら続けてたんだけど、去年あたりから特に……ね。で、昨日ついに営業中に倒れちゃって、救急車で運ばれてそのまま入院。 ……ごめんね、わざわざ来てくれたのに」

 俺は「いや、それはいいけど…」とだけ答える。


「……とんかつ、また食べたかったな」

 崎村がぼそっとつぶやく。

「とんかつ? ああ、この間の。そういえば、あの後はどうだったの?」

 目を伏せ気味に首を左右に振る。今度は愛理の方が「あ…」と言葉に詰まる。

「……とりあえず、店に入ってよ。わたしもここで晩御飯作って食べようと思って材料買ってきてから――ね?」

 そう言って愛理が鍵を開け、店に入るようにうながす。俺達三人はどういう顔をしていいのかわからないまま、カウンターの席に座る。


 それから愛理が調理をしている間、出されたビールを時々口にしながら、D社本社でのプレゼンのこと、それが失敗したこと――そして、それが自分たちの前にいたT大学の教授が原因だったことを話す。もちろん、提案内容や俺達以外のD社側の人間については省いて、当たり障りのないようにしている。

 そのため、ところどころ歯抜けのようになっているのだが、愛理はそれをふんふんと相槌を打ったり、怒ったり、落ち込んだりしてくれている。目立って美人とは言えないかもしれないが、人懐っこい印象を与える顔で、話し方もどこか知性がのぞく――正直、こんな場末の居酒屋にいるのが不思議なくらいだと思うと、それが自分の意識とは離れて、勝手に口から出ていく。


「愛理ちゃんは、もっと街中の店で働こうとは思わなかったのか?」


 飯島から「失礼だぞ」と注意される。

「うーーん……子供のころからここに出入りしてたからね。何というか落ち着くというか、自然と」

「昼間の仕事は?」

「今は何も……一応、大学出た後でしばらく会社員もしてたんだけどね」

 そう苦笑いでかわすと、俺達の前のテーブルに出来上がった料理を置く。細かく切ったキャベツの上に、あの時と同じ”とんかつ”が乗っている。


「まだ、ばぁちゃん……じゃなかった、”ママ”のようにはいかないかもしれないけど、今度は勝ってね」


 そう言うと愛理は弱々しく笑う。おそらく昨日、今日と大変だったはずだ。疲れが顔に滲んでいる。飯島がその健気さに反応して少しうるうるとしている。俺はまったく違う観点でそれを見ていた。


「……なぁ、その会社員してた時ってのは何をしてたんだ?」

「え? 小さな実験器具代理店の営業に居たけど……」

(俺達の話に何となくついて来れてたのはそのせいか)

「畠中、一体何を?」

 飯島がまた俺に注意しようとするのを、遮って続ける。



「俺達の会社に――コーヒーショップライフテクノロジーズで働かないか?」



 崎村と飯島が「何言ってるんだ」と驚いている。愛理もびっくりして声が出ない。

「俺達はこれからコンサルや受託試験で、少なくとも創業者支援融資を返していく算段をつけていかないといけない。

 なのに、俺達は大学院を出て、そのままポスドクになって、営業経験が一人もない……そりゃぁ歴戦の猛者のような営業マン雇えれば別だが、俺達にはそんな金も知名度もない。だから――」

 そこまで言ったところで、愛理が声を出して笑う。

「あははは! ハタナカ君、それだと”私が”まるで安っぽいみたいに聞こえちゃうじゃない」

 俺が「あっ」と間の抜けた声を上げると、愛理はさらに笑う。

「……うん、でも君たちとなら、楽しく働けそう。それに、ばぁちゃんのこともこの店のこともあるし、出来れば近場で働こうと思ってたし。

 そんなに営業能力なんてないと思うけど――お金も知名度もなくて、誰も来てくれないようなベンチャー企業にはちょうどいいかもね」

 さっきの意趣返しとばかりに舌を出す。



三好みよし――三好愛理。これからも、よろしくね」


 そう言うと、俺達一人一人と握手をする。



 寒空の下で起業を決意したあの時から時間が経って、去ってしまった者もいる。でも俺達は、俺達を簡単に見捨てた社会に反撃するために、何より生き残るために、やれることを”全部”やるしかない。そのために、俺達が持っていない知識や技術、経験を持っている仲間を集めることにした。




(続く)

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