第12話 プレゼン 後編


十二、 プレゼン 後編



「われわれが現在開発中のマイクロデバイスの中の流路を通ると、様々な形や大きさの細胞がふるいわけされ、その一つ一つが観測点となる場所を通過するように設計されています。仕組みとしてはマイクロチップ型のセルソーターと同様ともいえますが――――」


 崎村のプレゼンはよどみなく続いている。こちらの技術説明が終わるまでそれほど答えにきゅうするような質問は出なかった。D社の人間は崎村の説明が一通り終わると、俺達が辻井に渡した方とは別の資料を見ながら、俺達の作った資料を見直したりしている。

 しばらく間をおいてから、「質問があるのですが」と手があがる。


「……これだけの実験や器具開発を行う計画なのに、その、失礼かもしれませんが、御社の設備では不十分なところもあるのではないですか?」

 D社側の人間はまだ誰とも名刺交換していないため、名前はわからない。辻井や足立、それに立川ではないことだけはわかる。崎村が演台の上のグラスに入った水を少し口に含んで答える。


「はい、私どもの現有設備だけでこれらの実験ができるとは思っていません。それについては、T産業技術センター様と連携しながら実施する予定です。

 詳しくは、お渡ししました資料の巻末の表をご覧ください。必要となる機器等について、『T産業技術センターに設置されているもの』と、今回のプランで必要となり、『御社に購入していただきたいもの』にわけて、実際の実験のどの段階で必要になるのかをまとめてあります」

 崎村の答えを聞いて、会場が少しざわつく。一、二分おいて、「その件について」とさっき冒頭で話をした足立が手を上げる。


「私たちもいくつもの共同開発をしてきていますが、正直なところ、こういうケースは珍しいので質問させて下さい。一緒に共同研究あるいは共同開発しましょうというときに、弊社に費用を負担してくださいというのはよくわかるのですが、『今持っていない機械を買いますので』ということを最初に提案されるのは、御社のキャパシティが不足している……ということにも繋がりませんかね?」


 話し方からしておそらく足立は嫌味のつもりではなくて、ただ単純にどういうことなのか説明してほしいといった様子のようだ。しかし、その周りではこちらを見てにやにやしているD社の社員も複数いる。俺達だって最初から潤沢な資本金や大型グラントがあればこんなことは提案していない、そう思いながら奥歯を噛みしめる。


「確かにそうかもしれません。しかし、事業に必要な、あるいは後から必要になった機器を事業開始後に揃えるということ自体は一般的に行われていることですから、今回はその点よりも事業の内容でご判断いただければと思っています」

 崎村がそうかわそうとすると、次の手が上がる。

「巻末の資料を見ると、購入する主なものはマイクロデバイスを作製する精密3Dプリンターなどとありますが、これは先ほど言っていたT産業技術センターにはないのですか?

 ……私の感覚だと、公設試はバイオ系のものよりもこういう製造技術系の機器の方が充実していると思うのですが」

 崎村がD社本社ここに来る前に言っていた通りになっている。D社は俺達の提案内容の技術的なところよりも、むしろ費用や実現可能性の方に集中していて、のが俺にもわかる。

 崎村がマイクロデバイス部分を担当している佐藤と諸住もろずみの方を見る。佐藤と諸住はうつむいていて、返事が出てくるような気配はない。


 ――まずい。

 前の自治体のグラント二次審査とはまったく逆だ。明らかに俺達が雰囲気に飲まれてしまっている。


「……この事業案において、コアとなるマイクロデバイス部分については、使用する細胞種や培養条件で最適条件が変わってくる可能性があります。ですから、この部分に関しては、ユニバーサルに使えるものが開発されるまでの間、微調節を繰り返す必要があります。そこで、あえてT産業技術センターに設置してあるものではなく、購入という判断にしました」

 何とか崎村が応えるが、おそらくそれは最善解ではない。D社の人間たちは眉間に皺を寄せ、手元の資料に何かを書き込んでいる。また別の人間が手を挙げる。


「先ほど細胞の活性を測るための一つとして、蛍光試薬を使うと言われていましたが、手元の資料にはその技術自体はカナダのS社という会社が販売している機器に近い、とあります。であれば、この事業自体が”御社の強み”というところからはかけ離れているのではないですか?」


 言われるだろうと想定していた質問だった。

 俺達の提案では、細胞の活性の一部を測るために、外部からマイクロデバイス内に蛍光試薬を導入し、蛍光試薬自体が持っている毒性が細胞に影響を与えるまでの短い間に、その蛍光試薬の作用で細胞が産出した代謝物依存的に発した蛍光強度を測定し、その後、速やかに測定していた細胞をそのエリアから次のエリアに移して、蛍光試薬を細胞から取り除く――という部分がある。

 端的に言えば、外部から加えるある種の蛍光試薬を、細胞の持っている代謝産物の指示薬(インジケーター)として使用して、細胞そのものの代謝の状態を推測するというものだ。

 しかし、この蛍光試薬を入れ、単位時間あたりの蛍光強度の変化をみるという方法自体は、確かにS社の特許があり、またその製品もすでに販売されている。


「確かにおっしゃる通りです。ですので、彼らとは早期に接触しクロスライセンスを行い、こちらのマイクロデバイスを用いた測定系を提供する代わりに、彼らの蛍光測定系のライセンスを受け、相互にお互いの特許を活用できるような協力体制を築くつもりです」


 その崎村の返答に、D社の研究開発本部長である足立がすぐさま食いつく。


「それはやや希望的観測すぎませんか? クロスライセンスというのは提案する側の特許やノウハウが、相手側にとって十分に魅力的じゃなければ、まず成立しない。それを設立したばかりの――大学で行った業績についてのバックアップもないあなた方が実現するには難しいと思うのですが。 ……須藤君、どうかね?」


 今度は、指名を受けた須藤という女性が立ち上がって答える。


「私はD社法務部で研究開発に関する知財や契約などの手続きについて仕事をしている、須藤といいます。先ほどの足立の指摘に関しては、私も同意見です。

 S社の当該機器の販売実績を調べたところ、アジアだけですでに年間10億円を超えています。御社の提供する特許やノウハウ、アイデアだけでは、クロスライセンスに持ち込むのは不可能でしょう。通常のライセンスイン(対価を払って特許を使用すること)を想定するのが良いかと思います」


 崎村は言葉が出ないままでいる。その様子を見て、辻井が口を開く。


「……特許使用料だけを払ってすむのであれば、それほど大きな問題ではないでしょう。崎村さん、費用の話はこれくらいにして、そろそろ本題の『わが社との共同でこの事業を行う理由』について、教えてもらえますか?」


 崎村は辻井の言葉でようやく金縛りが解けたかのように「あっ! は、はい」と言葉を吐きだすと、慌てて何枚かのスライドを飛ばして、目的のスライドを表示する。


「われわれの事業プランの特長は、これまでの細胞の状態測定装置の多くが、測定に使用した細胞そのものは次の目的に使用できないというものであるのに対し、『無菌的で、かつ細胞に非侵襲で、しかも連続した測定をいくつも実施することが可能』であるというものです。この最大の特長を実現するためには、高度な制御機構が必要になってきます。

 そこで、生産技術を長年研究してきた御社の技術を最大限活用することで、われわれの想定している機器の開発を行い、御社の新規事業分野への進出を成功させたいと思っています」


 そう言い終わると、しばらくしてD社側から拍手が起こる。それに応えて崎村が「ありがとうございます」と頭を下げる。

 それまで(なぜD社側の人間は俺達の資料よりも、もう一部のおそらく俺達の素性を調べたものの方をまじまじと見ていたのか)という点や、(技術的な質問が少なすぎる)といった奇妙な違和感を感じていた俺も、ようやく終わったんだと安堵する。



 その後、冒頭に言われていたように名刺を各々が交換して、俺達は指示された通りのルートでD社を後にしようとする。少し歩いてエレベーターの前まで来ると、D社本社大会議室1にはいなかった女性社員が声をかけてくる。

「崎村様、辻井が少しお話があるということですので、よろしいですか?」

 それを受けて、崎村が「先に降りていてくれ」と言うので、俺たちは先に一階の待機スペースで崎村を待つことにする。


 10分ほどして崎村が戻ると、特に変わった様子もなく「じゃぁ、帰ろうか」とうながし、俺達はD社本社を後にした。




十二の二、 D社本社大会議室1にて


 コーヒーショップライフテクノロジーズ社の人間が――崎村も含めて――去った後、D社の人間たちはそのまま大会議室1に残り、契約についての話をしていた。


「……決まり、だな」

 議論が一段落したところで、足立がテーブルに肘を置き、両方の手のひらを組みながら言う。

「しかし、辻井君。君も大変な案件ばかり持ってくるもんだね」

 足立が辻井に向けてため息まじりに嫌味をいうと、ははははと辻井が笑いながら答える。

「本部長、われわれの目的はあくまでも新事業参入の成功ですよ。そのためには、少々奇抜でも飛びぬけた提案であれば、皆さんに紹介します」

 そうかね、と足立が素っ気なく言う。

「……さて、皆さん、だいぶ長い時間ありがとう。辻井君の提案通り、”彼ら”にこの事業を任せるのに賛成の方は拍手を」

 会場から拍手が上がる。どうやら全員が手を叩いているようだ。

「では、辻井君、手続きを進めて下さい。必要であれば須藤君と話を詰めるように。それじゃぁ、ご苦労様」

 足立が解散の合図を出すと、各々が席を立ち大会議室1を後にしていく。辻井は部下である立川に「片付けはいいから、先に戻っていてくれ」と退出するようにうながす。辻井は会議室に誰もいなくなったのを確認すると、携帯電話で誰かと話を始める。いつも通りその口調は淡々としている。

「……ああ、こんなことお前にしか頼めないからな。よろしく頼む」

 そう最後に言うと、携帯電話の通話を切り、そのまま上着のポケットにしまう。テーブルに置いてあったコーヒーショップライフテクノロジーズの提案資料と、もう一つの紙の資料を取ると、辻井も大会議室1を後にする。




 ――――それから三日後、プレゼンの結果が崎村のメールアドレスに届けられた。




(続く)

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