第13話 プレゼン 一時間前


 D社本社でのプレゼンが終わって三日後、土日を挟んでプレゼン後の初出勤になったその日、俺はいつも通りにレンタルラボの自分のロッカーに荷物を置き、デスクに座る。崎村が一人だけ出勤していて――というか、こいつは本当にアパートに帰っているのか疑問なのだが――他のメンバーはまだ出勤していない。8時50分を過ぎていたし、少なくとも飯島か戸部、長谷川あたりは来ていてもいい時間だったが、(今日はT産業技術センターかT大学の動物実験施設に直で行ってるのか)とそれほど気にも留めず、自分のパソコンの電源を入れる。

「……はたやん、煙草、持ってない?」

 しばらくして、崎村が声をかけてくる。

「ああ、あるけど……しかし懐かしい呼び方だな、それ」

 崎村はははと笑う。俺は椅子にかけた上着の内ポケットから、黄色のドッドで7と描かれた煙草の箱を取り出すと、100円ライターと一緒に崎村に渡す。

「ほら……あれ? でもお前、煙草やめてたんじゃないか?」

 ちょっと吸いたくなってな、と言うと崎村は煙草を受け取って、1階の喫煙室に移動しようとする。

「そう言えば、今日は皆遅いな」

 俺は何気なくさっき思っていたことを口に出す。崎村は「ああ…」とだけ返事をすると、自分のデスクの上の何かの紙の束を手にする。

「……せっかくだから、喫煙室、一緒にいかないか?」

「うん? まぁ構わないけど」

 崎村はさっきの紙の束と、さらに自分のデスクの引き出しから取り出したいくつかのプリントアウトした紙、それと煙草を持って移動する。俺も崎村に続く。

 この自治体のレンタルラボにはコーヒーショップライフテクノロジーズ以外にも、工業用機器メーカーが1社、主にソフトウェアの開発を行う小規模ベンチャーが2社、それに他の大学の教員が立ち上げた大学発ベンチャーが2社入居していて、主に一階部分は共用の会議室や自治体から管理を委託されている財団の事務室などの一般エリアと、工作機器が設置してある工場エリアとなっている。

 喫煙室は一階の事務エリアと工場エリアの連絡通路の隅に小さな個室が三つ並ぶように配置してあり、中には煙を吸う大型の空気清浄器のような機器が置いてある。

 俺達はその一つの個室に入ると、まずは持っていた煙草に火を点ける。

「……で、どうしたんだ、急に」

 ふーと煙を吐いて、崎村にそう尋ねる。

「えっと、”みんなが遅い”ってことだっけ?」

 久しぶりの煙草でゴホゴホと咳こみながら崎村が続ける。



「皆はもう来ない。



 何を言ってるんだ、と俺が声を出す前に、崎村はA4の紙を四枚渡してくる。そこには『退職届』と書かれていて、その下に定形の文章が数行並んだあとに、手書きで名前が書かれている。

「諸住、佐藤、戸部……長谷川……そんな……」

「……飯島のはまだ来ていないけど、おそらく」

 崎村がそう続ける。

「一体何でだ!? D社のプレゼンも終わったばかりだってのに!」

 俺がそう言うと、崎村は険しい顔をしてもう一つの紙の束をよこす。

「はたやん、D社でのプレゼンのとき、向こうの人間にだけ配られていた資料があったのに気づいたか? ……それがこれだ」

 表紙には何も書かれておらず、右の隅に『資料1 関係者外秘』と書かれている。崎村の顔を見ると、何も言わず頷く。



 俺はその表紙を一枚めくる。


 そこに書かれている文字に思考が止まる――言葉が出せない、いや心臓をグッと掴まれたような感覚さえする。息が上手く吸えない。

「そ……そんな……何だ……これ……表紙の図まで……」

 俺がやっと声を絞り出すと、それを聞いた崎村は煙草の先で伸びていた灰を落とし、一旦目を閉じてから、自分に言い聞かせるように言う。

「……また、俺達は”負けた”んだ」



 そこには『自動非侵襲細胞活性連続測定機器開発の共同研究開発のご提案』というタイトルの下に、『国立大学法人T大学大学院工学研究科バイオエンジニアリング専攻・教授・竹ノ内直樹』と書かれていた。




十三、 プレゼン 一時間前 



D社本社大会議室1、コーヒーショップライフテクノロジーズ社プレゼンの一時間前。



「――以上が私たちの研究室が、御社に提案する内容です。この提案プランの最大の強みは、『無菌的で、かつ細胞に非侵襲』という点で、いくつもの細胞活性の測定を連続で行った後で、対象の細胞を培養や生体移植などに利用できます。再生医療の研究が活発になってきていますので、この開発機器はインパクト大きいでしょう。

 そして、この開発を進める上で御社の精密機器制御に関する知識やノウハウは必須です。一方でT。お互いの持っているものを合わせれば、きっと素晴らしいものが出来るはずです。是非、一緒に開発しましょう」

 竹ノ内はそう締めくくると、芝居がかったように両手を広げる。大会議室のD社側の人間から拍手が起こると、竹ノ内は笑顔を浮かべ頭を下げる。

「それでは何か質問は」

 と辻井が言うと、すぐにいくつか手が上がる。

 質問はマイクロデバイスの設計方法やその制御に関する技術的なもので、元々マイクロ加工が専門の竹ノ内がそれにスラスラと答えていく。

 次の質問の手が上がる。

「資料の中程にあった蛍光試薬を使う測定の部分ですが、この技術自体はカナダのS社という民間企業のものということでした。そうすると、先生はどのようにしてこの会社の特許をお使いになるのでしょうか?」

 竹ノ内は狼狽える様子もなく応える。

「これに関しては、クロスライセンス(お互いの持つ特許技術を相互に使用可能にするための契約)を提案します。T大学で取得している別タイプのマイクロデバイスをS社に提供し、S社から蛍光測定のノウハウを導入する。

 こういうのは、がやるよりも、アカデミアからの打診の方が乗ってくる確率は高いですからね」

 竹ノ内がにやりと笑う。それを辻井は少しも表情を崩さず冷静に見ている。


 コーヒーショップライフテクノロジーズからの再提案書が届き、それを研究開発本部の会議にかけた直後、竹ノ内から「私たちと共同研究を行いませんか」と連絡があり、後日、提案書が届いた。

 その届いた提案書を見た瞬間、辻井は自分の目を疑う。

 コーヒーショップライフテクノロジーズの提案書とまったく同じ提案内容で、しかも見積もり金額は一千万安い年間五千万――コーヒーショップライフテクノロジーズの内部の人間が情報を提供していることは明らかだった。

(崎村君、どうやら君はとんでもない”化け物”を敵に回したみたいだぞ)

 そう思ったもの、竹ノ内の提案を無視するわけにもいかず、コーヒーショップライフテクノロジーズの提案と竹ノ内の提案の両方を、研究開発会議の場で競わせるコンペティションの形にすることにした。


「……しかし、”両者”がほぼ同じ内容とはね」

 研究開発本部長の足立がつぶやく。それを聞いた竹ノ内はふっと息を吐き出し、答える。

「両者、というのが何を指しているのかはわかりませんが、私の研究室を辞めた人間が同じような開発を行っていることは知っています。まぁ高額な投資の要る分野ですし、彼らがどこまで出来るのかはわかりませんけどね」

 辻井は「ありがとうございました」と竹ノ内のプレゼンを切り上げる。竹ノ内が大会議室から退出したのを見届け、参加者に辻井が告げる。

「それでは五分間の休憩をはさんで、次はコーヒーショップライフテクノロジーズ社のプレゼンになります。資料2の方を準備して下さい」




十三の一、 プレゼン三日後、T大学竹ノ内研究室


「おかえりなさい、佐藤君、諸住君」

 竹ノ内研究室の助教である中村がニタァと口角を上げ、ビジネススーツの二人を研究室の大部屋に迎える。ディスカッションテーブルの椅子に腰を下ろしてしばらくすると、竹ノ内が現れ、立ち上がり頭を下げる。

「おお、佐藤君、諸住君。久しぶりだね」

 竹ノ内はもう一度席に座るようにうながすと、自分も二人の対面に座る。研究室の秘書が全員分のコーヒーを運んでくる。

「ずっと君たち二人を雇えなくなったことは残念に思っていたからね、今回、D社から予算をもらえたので、雇いなおすことにした……というわけだ」

 諸住が「ありがとうございます」というと、佐藤は「あの…」と何かを気にしたように口籠る。

「うん? 戸部君や長谷川君、飯島君のことは気にしなくていいよ。さっきD社の辻井部長から連絡があってね、彼らはD社で雇用するそうだから」

 佐藤と諸住は「そうなんですか」とほっとしたような顔をする。

「まぁ、畠中君と……崎村に関しては辻井部長からの”誘い”もなかったようだし、あのままなのだろうけどね。アカデミアの研究者としても、企業の人間としても需要がないと証明された訳だ。自業自得だね」

 竹ノ内はそう吐き捨てると自分のカップを取り、コーヒーを啜る。佐藤と諸住はばつの悪そうな顔をして、同じようにコーヒーを口にする。


「D社でのプレゼンでは君たちが提供してくれたパワーポイントのスライドが非常に役に立った。そこで君たちには、このD社との共同研究のチームリーダーとして働いてもらおうと思ってね。

 D社との正式契約はこれからだが、すでに足立研究開発本部長からも『採用』の連絡も受けている。それで、D社から年間5千万来る予定になっているし、産学連携プラザの持っているスペースを借りて、そこで君たちは自由に実験をしてもらっていい。詳しいことは中村君に聞いてくれ」

 そう言うと、じゃぁと竹ノ内は自分の教授室に戻る。佐藤と諸住のなかで、さっきまで確かにあった後ろめたさを、『自分で自由に実験ができる』という興奮が上書きしていく。


 中村はそれを見て、もう一度口角を上げ笑うのだった。




(続く)

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