第10話 プレゼン 前編
レンタルラボ近くの居酒屋『あじさい』に、俺と崎村で来ていた。
「あれ? 何か良いことでもあった?」
若い店員が俺と崎村を見て嬉しそうにそう言う。どうしてそう思うんだと聞くと、「この間よりサキムラ君の飲み方がおとなしいから」と言われ、崎村がぼりぼりと頭を掻く。
「この間話してた大きな仕事が、取れるかどうかの山場なんだよ」
と、生ビールに口をつけながら話す。へええと感心している。
「それじゃぁ、”ママ”のとんかつ食べないと」
「とんかつ? そんなのメニューにあったっけ?」
しばらく通っているうちにどんなメニューがあるくらいは把握しているつもりでいたのだが、とんかつがあるとは知らなかった。その言葉を聞いて、孫娘とは似つかない不愛想な女将がこちらをジロリとみる。
「……二人分でいいんだろ? 待ってな」
そう言うと準備を始める。
俺と崎村はそれをぼんやりと見ながら、手元のグラスを空け、「次はどうする?」という質問に少しの間悩む。
「そうだな、浦霞にするよ」
崎村がああ、俺もそれでと続く。若い方の店員がてきぱきと新しいグラスを用意して、酒を注いでいく。
「……それで?」
この
「聞いたことないかもしれないけど、D社って会社に”俺達の研究を一緒にしませんか”、って提案をしてるんだ。そこから先は話せないけど」
当たり障りのない返答をする。そうすると、とんかつを揚げている女将がこちらをまたジロリと見て話す。
「へぇ、良いところ掴んだじゃないか。あんな大きな会社。アンタたち、商売下手そうな顔してたけどねぇ」
「え、D社知ってるんですか? 一般向けの製品作ってないのに」
少し意外だったので、素直にそう尋ねる。
「ああ、工場向けの機械とか作ってるんだろ? 知ってるも何も、アンタたちの居るあの建物のあった場所は、元はD社の工場があったんだよ」
「そうなんですか、知らなかった…」
崎村が驚いて呟く。
「昔、もう名前も覚えちゃいないけど、アンタたちみたいな若い二人組のD社の社員が良くこの店にも来てたよ。安い酒をちびちびケチ臭い呑み方しながら、あーでもない、こーでもないってぐちぐちと夜遅くまで話してたっけねぇ」
思い出したように豪快に笑う。その間に揚がったとんかつを俺達の前にドンッと素っ気なく置く。その勢いで盛り付けてあったキャベツの千切りが幾切れか宙を舞う。
「……まだ向かいの仁科さんとこもやってたし、この辺にも活気があってねぇ。この店にも色んな客が来てたけど、そうだね、とびっきり変な二人組だったよ」
女将は「アンタたちみたいな」と続けて、孫娘と一緒になって笑っている。
「その頃からこの辺の会社で働いてる営業の連中は、大事な仕事があるときはうちでとんかつを喰って行ったんだ。験担ぎって言えばそれまでだけど、無いよりはマシだろ」
そうぶっきらぼうにいう女将の言葉に、俺も崎村も頬を緩めて、テーブルの皿に箸を動かす。こうやって、しばらく働きづめだった分の疲れを酒と一緒に流し込んだ。
十、 プレゼン 前編
「――いやぁ、ね。面白いでしょ?」
辻井が各研究開発事業部の全体会議である『研究開発会議』でコーヒーショップライフテクノロジーズの件を一通り説明した後で、そう付け加える。
「……辻井君、こんな事案をいちいちこの場で議論するのはどうなのかね?」
執行役員でもある別の事業部の部長がため息交じりに嫌味を言う。
「そうですね、私もそう思ったんですけど、何分、金額少し張るのと、それに彼らベンチャーですし、僕らが決裁判子の”スタンプラリー”している間に潰れてしまうかもしれないでしょ? だったら、皆さんで彼らのプレゼンを聞いてそこで判断してしまうかと」
にやりと辻井がわらうと、会議室に笑い声が起こる。
「しかし辻井さん、この資料見ると彼らはこの春にポスドクをやめたばかりとありますが、そんな企業に任せて大丈夫なんですか? ……もし何かあったらどうするんです?」
と、また別の事業部長が含みのある言い方をする。辻井は(面倒臭いやつらだ)と内心思いながらも、努めて冷静に応える。
「ええ、その心配はあるでしょうね。しかし、新事業開拓にリスクはつきものです。大野部長は先だってのP社の売却で、まさにそのことをわれわれにそれを示して下さいましたしね」
辻井は数年前に数億で買収しながら、大した業績を上げることもないまま、半年前に売却したイスラエルのバイオベンチャーの例を挙げる。その担当者が先ほど辻井に嫌味を言った大野で、見る見るうちに大野の顔が赤くなっていく。
「年間六千万ですし、もし上手くいかないようなら見切ってしまえばいいだけの話です。契約前であれ、契約後であれ。われわれは彼らに資本金をつぎ込む気はないのですから――」
辻井が両手を広げてそう言う。
「それは、久保君のようにかね」
一番年配の男が辻井を鋭い目で睨みつけながら言う。会議室に一瞬緊張が走る。
「……そう、とらえていただいても構いませんよ」
辻井も同じく男の方をじっと凝視しながら答える。しばらく気まずい沈黙が流れた後で、最初に辻井に言葉をかけた執行役員がふーっと息を吐いて口を開く。
「では、この件は辻井君に任せる。そっちで、その…なんだ、コーヒーなんとかいう会社のプレゼンを聞く機会をアレンジしてくれ。できる限り出るようにする。
じゃぁ次の議題に――」
そこから一時間ほどして、辻井が会議を終えて居室に戻ると、電話を待たせてあることを告げられる。
「私に電話? どこから?」
辻井は電話を受けた女性社員にそう尋ね返すと、女性社員は手元のメモを見ながら答える。
「……えっと、T大学の竹ノ内教授からです」
(続く)
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