第9話 公設試


九、 公設試


 あのT大学産学連携プラザでの出来事から二日後、俺と崎村、飯島は「公設試を紹介したい」というB信金の伊藤と待ち合わせをしていた。正直それがどういうところなのかわからなかったが、D社への再提案にあたって、少しでも足しになる情報を仕入れたいというのが目的であった。

 予定の時間より少し早く、レンタルラボ施設内の貸し会議室のドアを叩く音がする。

「ああ、今日はお時間いただいてどうも、B信金の伊藤です」

 と、訪れた同世代の男は、上下をビジネススーツで固め、短く整えた髪に装飾の少ない黒縁の眼鏡とビジネスバックという、そのままテレビドラマに出てきそうな銀行員という感じの男であった。そして、その横にはそれとは逆に作業着の上着にスラックスの、言い方は悪いが『役所の人間』といった感じの40代くらいの男が立っている。

「それで、こちらがT産業技術センター技術支援課、課長の中務なかつかささんです」

 伊藤はそう紹介すると、今度は「コーヒーショップライフテクノロジーズさんです」と俺達を中務に紹介していく。

「それじゃぁ、早速」

 と、中務がリーフレットをいくつか取り出し、説明を始める。



「皆さんは”公設試”って、知ってますか?」



 今回の件で初めて知った俺や崎村が首を横に振ると、中務が苦笑する。

「まぁそうですね。実際は公設試験研究機関と言って、元々は鉱工業分野の民間企業のために作られた受託試験のための機関で、多くは――うちもそうですけど、自治体が運営しています。水産試験場とか、畜産試験場という名前だと馴染みありますかね」

 ああ、と相槌を打つ。国内の学会で時々『農業試験場』とか『水産試験場』という名前の組織の人にあったことがあった。


「……少し前に、インターネットやテレビのCMで、いくつかの民間企業がクリエイター向けに実験スペースと機材を提供します――と話題になったの覚えてませんか?」


 確かに聞いたことはある。


「実はああいう『民間企業や個人事業主に向けに、実験スペースや、機材、試作の請負サービスを提供する』という取り組みを、公設試はすでに1980年代あたりから行っていて、しかも格安で行っているんですよ」

 中務はそういうとリーフレットのページをめくり、機器一覧を見せる。俺達はそれを食い入るように見つめ、その一覧の中の機器名に驚く。



「……すごい、共焦点レーザー顕微鏡コンフォーカルとか電子顕微鏡、それにCT(コンピュータ断層撮影機)、凍結切片作製装置クライオスタットもある。こんな高額機器があるなんて、全く知らなかった……」


 飯島が思わずそう漏らすと、中務はまた苦笑する。飯島が慌てて取り繕う。


「まぁ、公設試側の宣伝方法にも問題があるんでしょうね。昔から使っていただいてる企業さんたちは別として、巷では知名度はそれほど高くないのが現状です。

 かくいう僕も皆さんたちと同じく、大学院を修了する少し前までは知らなかったくらいですから」

 中務の言葉にB信金の伊藤が続ける。

「飯島が起業したって聞いたときに、そう言えば中務さんがボヤいてたなぁと思いだして。それで今回は引き合わせようと思った、ってところです」

 中務はありがとうと穏やかに伊藤にお礼を言っている。


「皆さんの起業までの経緯も、少しだけ伊藤さんに聞いていてね。

 ……僕もこの近くの私大の大学院で学位を取得して、就職にはだいぶ苦労した方でしたからね。お節介かもしれないけど、何か協力できないかなぁとは思っていたんですよ。ましてや、皆さんの場合、高額機器なんかの初期投資が必須なライフサイエンス分野でしょ? きっと困ってるんじゃないか、と伊藤さんを焚きつけて」

 それを聞いた飯島が、伊藤に向けて中学生の時のあだ名らしき呼び方で、お礼を言っている。

「もちろん、無料ってわけではないので、機器利用の前にはそれなりに手続きが必要です。その辺はメールで詰めていきましょう。名刺のメールアドレスに書式などお送りします。

 それと、当所は小さいですが実験台やクリーンベンチ、安全キャビネットのある実験室があります。こちらは有料機器の――例えばさっき言っていた共焦点レーザー顕微鏡なんかの利用者であれば無料で使うことが出来ます。こちらも合わせてお使い下さい」

 俺と崎村は顔を見合わせる。わざわざ竹ノ内に共同研究費を突っ込んでまで使えるようにした実験スペースと同等のことが、たった数百円から数千円の機器利用の附帯サービスとして利用できるなんて、今からでも竹ノ内への寄付金を引き上げたいくらいだ。


「……とは言っても、皆さんのご期待通りのものかどうかは、やはり実際見てみないとわからないとは思います。一度、当所に来て現場を見て下さい。

 その上で、もし当所で足りないものがあれば、他県の公設試へもご紹介できますので『どんな機械が使いたい』というのを教えていただければ」


 中務の最後の言葉を聞いて、俺達はまた顔を見合わせ、崎村が尋ねる。

「……他県の公設試に紹介する、というのは?」

「ああ、公設試同士は自治体を超えて、勉強会などで一緒になることがよくあるんです。

 例えば、当所の別部署である畜産試験場は、各自治体の畜産試験場の担当者たちと集まって年に数回研究会をしていますし、研修で別の自治体の畜産試験場に行ったりもします。

 そういう場で培った人脈や、そもそも公設試同士がお互いにリンクを貼っていたりしていますから、ここにないものでも――もちろんどこにも無いようなものはどうしようもありませんが、ある程度の範囲ではご紹介できるでしょう」

 飯島が急いで手帳に書き込む。その後でいくつか質問をやりとりし、「それでは今日はこれで」という中務をレンタルラボの玄関まで見送る。

 最後にB信金の伊藤に飯島が尋ねる。

「さくちゃん、ホントにありがとう。 …でも、何でここまでしてくれるんだ?」

「そりゃぁ、お前のところに創業者支援融資って。すぐ潰れてもらってもうちも困るし、何とか上手くいくように人の引き合わせはするよ」

 飯島の質問に一瞬、きょとんとした顔を見せて、笑いながら伊藤が答える。



 中務の説明や伊藤の言葉に、俺は――いや、崎村も含めて俺達は、あまりにも研究室の外のことを知らなかったのだと痛感する。まさか大学や民間企業の研究所の他に、あんな機器類が置いてある場所があるは思いもしなかった。

 しかも、それが安価に使えるということも。

 竹ノ内から、大学から追い出されて勝手に『もう研究はできない』と思い込んでいた。でも実際は、俺達でも利用できるシステムはすでに用意されていた。それを探すこともなく、勝手に行き詰っていた数日前の俺達が馬鹿々々しくなってくる。どうやら、崎村もそうらしい。こちらを見て、にやりと笑っている。



「……やること決まったな。全国の公設試調べまくって、D社への提案に使えそうな機器を探そう。そうやって、『本当に足りないもの』をあぶりだす。

 そして、本当に足りない機器をD社の金で買い、それを使ってD社の新規参入事業への価値を提供しながら、俺達は俺達の研究を続ける――今度こそ、を提案する」


 そういう崎村の目は、何日か前のことが嘘のように力に満ち溢れていた。




(続く)

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