第8話 第三案


八の一、 第三案


 T大学から帰ってきた翌日、俺達はレンタルラボに全員が集まり、崎村の話を聞いた。崎村自身はなるべく感情を表に出さないようにしていたが、俺以外の――いや、俺も含めて全員が、竹ノ内の行動に憤慨し、奥歯を噛みしめ拳を握っている。

「……というわけだ。D社との話は保留…おそらくはほとんど見込みのない状態になってしまった。すまん」

 昨日の泥酔が嘘のようにしっかりとした口調と、いつも以上に整った身なりで、おそらく自宅に帰った後に皆への説明を何度も練習していたのだろう。最後の言葉と同時に崎村が頭を下げる。

 誰も口を開かない。

 個々人が考えていることなんて正確にはわからないが、それが俺と似たようなものであるなら、俺達を自分の都合で解雇したうえに妨害までしてくる竹ノ内への怒りと、コーヒーショップライフテクノロジーズ初めての大きな失敗についての失望――そして、何よりも俺達の先々への不安がそうさせていた。


「俺達には”二つの道”がある」


 十分ほどの沈黙のあとで、崎村から口を開く。

「一つは、D社との契約を諦め、金額はだいぶ少額になるが設備が乏しい俺達にもできるような受託試験とコンサルタントの仕事を多く受注する。実際、中小企業基盤整備機構からの紹介で、まだ契約の段まではきていないがいくつか候補はある。

 もう一つは、D社の辻井が言っていた『再提案』に望みをかけ、T大学側に再度交渉を行う。竹ノ内が考えを改めるとは考えにくいが――」

「D社への再提案は難しいんじゃないか? 竹ノ内が感情的になって俺達の妨害をしているなら、交渉を進めてもまた土壇場で無かったことにするのが目に見えてる」

 戸部が語気を強めて言う。

「……そ、そうだな」

 それに崎村は弱々しく応える。

「俺はD社の案件よりも、新規開拓の方がいいと思う」

 今度は諸住もろずみが口を開くと、佐藤もそれに同調する。

「そうだな。T大学との共同研究契約は”まだ活きている”んだし、T大学との契約の範囲で使える設備を使って出来る範囲の仕事をする、っていうのがいいように思える」

「僕らの現状だと、同時に進行するだけの余裕はない。それは崎村も同じ意見のようだし、ここは確実な案件をいくつか獲得して、まずは収入を安定させるべきでは?」

 そういう戸部と、どうやら長谷川もD社との契約を諦めるという意見のようだった。そこまで意見が出ると、あとは各自が思い思いに話し始め、当初の議題であった『どちらの仕事を進めるか』ではなく、『どのような受託試験なら現状でも受けれるか』の方に話が進んでいる。俺と崎村、そして飯島だけが黙ってそれを聞いていた。



「皆の意見はわかった。やはりここはD社の件は――」

「待てよ」

 俺は崎村が話を総括しようとするのを遮る。全員が俺の方を見ている。

「畠中……」

 崎村は明らかに昨日のことを引きずっていて、その瞳に力がない。


 まったく、らしくない。


「お前たち、どうしてここに居るのか忘れてるんじゃないか?」

 昨日、あの辻井に言われた『感情』を表に出してそう言う。

「俺達はあの寒空の下でと思ったんじゃなかったのか?」

 全員が真剣な顔で数か月前のことを思い出している。


「受託試験やコンサルが悪いと言っているわけじゃない。でも、それをいくつ重ねれば、俺達は自分たちの研究ができるようになるんだ?

 確かに喰っていくために金がいる。そのためには、確実な少額の売り上げが要るのも当然だ。でも、それは創業者支援の制度融資や自治体のグラントで当面はなんとか引き延ばしたはずだ。

 ――思い出せよ。俺達には何が無くて、代わりに何を持っていて、そして、何がしたかったのかを」


 全員が俺の言葉に困惑しているなか、飯島が手を上げる。


「ちょっと、いいかな? 少し前の話なんだけど、B信金の……ほら、中学の同級生がいるって話してただろ? アイツから連絡があってさ、この自治体の公設試験所を紹介してもらえることになってるんだ」

 戸部が「それが?」と続きを促す。

「公設試ってさ、結構色々な測定機器とか製作機器持ってるんだよ。俺達が使いたいバイオ系の……例えば、アミノ酸の自動分析装置なんかもあったりする。それを同じ自治体にある企業なら格安で使えるんだけど、何か使えないかなぁ、と」

 飯島がおずおずと言った後で、俺は崎村の目を見てもう一度口を開く。


「もうわかるだろ、崎村。第三案は――――」




八の二、 一週間後、D社中央研究所


「部長、コーヒーショップライフテクノロジーズ社の再提案が来ました」

 辻井の居室に課長の立川が書類を持って訪れていた。安藤も同席している。

「コーヒーショップライフテクノロジーズ? ……ああ、彼らか」

 辻井は気にしている様子もなく書類を受け取る。

「しかし、あの程度の予算額であれば立川君の判断に任せていると思っていたんだけど?」

 辻井は立川の顔を見る。

「い、いえ、それが……内容を見ていただければ……」

 ふーと息を吐くと、仕方なしに手元の書類をめくる。表紙をめくった二枚目で、ハッとして次々にページをめくる。すべての提案内容を読み、最後の見積もりの内訳と提案内容のそれぞれの該当箇所をページを戻しながら確認していく。


「……フッ…ハハハハハッ」

 突然大声で笑いだした辻井に、立川と安藤が何事かと焦っている。

「六千万! 想定額の倍で、しかも期間を三年!!」

 辻井が笑いながらそういうと、立川は恐る恐る「それではこの件はなかったことに……」と尋ねる。

「立川君や安藤君は、この中身、見たのかな?」

 一応はと、二人が答える。

「それで金額が想定範囲に合わないから、僕のところに持ってきたわけか。君たちは正しく、企業の人間だね。一方、コイツらは……」

 と、また吹き出す。



「”大馬鹿者”だ。しかも、とびっきりの。僕らに『研究に必要な機器買うから金くれ』と言ってくるとはね」



 もう一度、立川が「それでは、この件は」と言うのを遮って辻井が続ける。


「いや、会議にかけよう。彼らの決死のプレゼンを聞いてみようじゃないか」




(続く)

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