第6話 「さぁ、役に立ってもらおうじゃないか」
六の一、 コーヒーショップライフテクノロジーズにて
いつものように誰よりも早く出社していた崎村がごそごそと郵便物の束を確認している。ポスドクのときよりもだいぶ早く出勤するようになっていた俺達もすぐに――つい最近ようやく人数分が揃った――自分のデスクについてパソコンの電源を入れる。俺たちのデスクの”島”から離れた場所のある崎村のデスクから「おおっ」と声が上がる。
「みんな、ちょっと来てくれ……ほら、これ!!」
開封された角形二号の封筒の上に置かれたA4の紙切れを指さして崎村がそういうと、俺も含めた全員でのぞき込む。
「おわっ!? 本当に受かったのか!!」
最初に飯島がそう声を上げる。
「本当に受かるとは……俺たち……やったんだな……」
長谷川が詰まったような声で言うと、次々に歓声が上がる。俺は声も出ないまま、その数行の文字と、中段に『採択』と書かれたA4の紙をじっと見ていた。
崎村と長谷川は日本学術振興機構の特別研究員に受かっていたが、俺は――おそらくその他のメンバーも――ポスドクを解雇されるまで、こういうグラントには一度も受かったことがなかった。そのためか、心が震えて言葉がなかなか出せないでいた。
それも少し落ち着いたところで、崎村が口を開く。
「これでようやく次の段階に移れるな。
飯島と佐藤の二人は、別々にこの採択通知書のコピーを持ってA信金とB信金に行ってほしい。それで『制度融資を受けたい』と話して、最後に行った方とは別の信金の名前を出して来てくれ…………後はこっちでする」
「……また何か考えてるのか?」
飯島がすかさず尋ねる。
「いやぁ、何も。ただ二行の信金の話を聞いて、”なるべく条件のいいところから金を借りたい”だけだよ。
……まぁ、ただ偶然にも二行の担当者はそれぞれが戸部のプレゼンを聞いていて、T大学との共同研究も知っていて、そしてお互い別の信金が話をしに来ているということを知っている、けどな」
崎村はにやりと口角を上げる。
「実際にはベンチャー向けの制度融資が受けられるかどうかは別として、これで少しの間の俺達の給料の目途はたったってわけだ」
「で、次はどうするんだ?」
自分のデスクに戻って信金に行く準備を始めた飯島と佐藤の代わりに、今度は戸部が崎村に問いかける。
「いくら最初のグラント(公的研究費)が取れたからって、このままじゃジリ貧だからな。次は大型の、少なくとも一千万以上のグラントと、あとは事業会社との提携を狙う。
”種まき”も第一段階は終わったからな。それに、府省共通研究開発管理システムだって番号を全員に振っただけで使わないのは
「しかし、グラントといったって今の俺達が何に出せばいいのかわかるのか?」
戸部が続けて尋ねる。
「……そういうのは実は国が
加えてこの機関は、ただデータベースだけ提供しているわけじゃなくて、アポイント取って相談に行けば、色々教えてくれる。で、こっちももちろん無料」
にやりとまた崎村が笑う。
「しかも、この公的機関の専門的な相談員は事業会社のOBだったり、中には出向で来ている現役の社員とかもいたりする。”つながり”を持っているに越したことはない。自分たちが持っている伝手で色々な会社を紹介してくれる……まぁあくまでも『らしい』だけどな。
でも専門的な相談員もベンチャー企業を全部を網羅して支援するなんて無理だし、俺達が彼らのお眼鏡にかなう必要はある」
それは大丈夫なのか、と長谷川が聞き返す。
「さっきも言ったけど、彼らは忙しいからな。数あるベンチャー企業の中からある程度範囲を絞ってコンタクトを取ってくるんだよ――例えば、『自治体のグラント取っている会社』とかな」
「あっ」
と戸部と長谷川が声を合わせて驚く。
「そういう意味で、ちゃんと”きっかけ”は”きっかけ”として働いてくれるということさ……というわけで戸部と長谷川のコンビで中小企業基盤整備機構に行ってきてくれないか?」
そして、またしても崎村の読み通りに中小企業基盤機構からの支援として、俺達があまり馴染みのない事業会社を紹介され、その都度、戸部と長谷川、そして俺か崎村が出向き、ほぼ毎日、どこかでプレゼンをしているという状況が続いた。
六の二、 「さぁ、役に立ってもらおうじゃないか」
「崎村、ちょっと見てくれ」
俺は自分のデスクに座り、パソコンに届いた電子メールを見ながら、崎村を呼ぶ。すぐに駆け付けた崎村に「これ」と画面を指さす。
「……やったな、畠中。念願の事業会社からの仕事じゃないか!」
崎村の顔が明るくなる。それにつられて周りのメンバーが集まって、同じく画面を確認する。そこには中小基盤整備機構の仲介であったD社から、俺達の開発している組織や細胞の非侵襲連続測定技術について、自社の新事業への応用を目指してアライアンスを組みたいという内容と、初年度はF/S(フィージビリティスタディ)ということで年間二千万から検討できないか、という内容が書かれている。自治体グラントの採択通知をもらったあの時のように、画面をのぞき込んだメンバーからは、一様に歓喜の声が上がる。
「……でも、こんな実験内容とてもじゃないけど、このレンタルラボでは出来ないぞ? どうするんだ?」
それにあえて水を差すように、俺が口を開く。
「そういうときのために、なけなしの金をあの教授に突っ込んだんだろ」
崎村は意に介せずすっと答える。
「しかし、あんな金額でこれだけの実験器具使うって…………」
さすがに気が引ける、と続ける。
「いやいや、『あの金額だけ』なんて考えてないよ」
「え!?」
意外な言葉に少し声が上擦る。
「今回の件を受託として処理せずに、うちの会社とこのD社、そしてT大学の三者の共同研究にする。うちの取り分は減るけど、元手をほとんどかけずに金と実績が手に入るし、
崎村は少しも調子を変えることなくそう答えると、視線は画面から外さないまま左手に持っていたコーヒーのカップに口をつける。
「ちょっと待ってくれ。でもそれだったら、この会社がT大学と直接やり取りするんじゃないか?」
「いや、ない」
崎村が即答する。
「え!? それは、何でだ?」
あまりの即答に面食らいながらも、俺もすぐに尋ね返す。
「D社のように図体のデカい会社にとって、国立大学との契約というのは思ってる以上に面倒な手続きなんだよ。契約だけじゃない、進捗の管理なんかも含めて、意外と大学ってのは厄介なもんなんだよ。
だから彼らから見たら名の通った研究者との”とりなし”をしてくれるようなベンチャー企業の存在は大きくて、必ず利用してくる。
それに竹ノ内にしてみれば、大企業の金は魅力的でも、今は俺達がごっそりといなくなってマンパワーが絶対的に足りない。だから、俺達コーヒーショップライフテクノロジーズの提案は、アイツにとっても実はかなり”おいしい”話なんだ」
そこまで言うと、崎村は飲みかけのコーヒーカップを俺のデスクに置き、パソコンを操作する。
「さぁ、役に立ってもらおうじゃないか――――俺達を追い出したあの教授に」
(続く)
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