第4話 共同研究と反撃


一、 T大学産学連携プラザ会議室にて



「さぁ、教授のお出ましだぞ」



 崎村が俺にしか聞こえないような小声でそう言いながら、T大学産学連携プラザの会議室に入る。T大学側から産学連携課の担当者が二名、俺達が解雇された竹ノ内研究室から、助教と教授の二人が、すでに着席している。


「…………畠中君に、崎村か。どうした、私に復讐にでもしに来たか」

 竹ノ内教授がこちらを一瞥すると、吐き捨てるようにいう。

「まさか。今回は共同研究をお受けいただいたことへのお礼の挨拶ですよ。そちらの産学連携課の方とは細かい契約書の詰めもありますし。あ、これつまらない物ですが」

 崎村は飄々とかわすと、持っていた紙袋を産学連携課の担当者に渡す。

「最近郊外の方に移りましてね。ここよりも空気はいいんですが、何もないのがちょっと難点だったんですけど、ラボの近くにいい珈琲屋見つけまして」

 渡した紙袋はあの全国チェーン店の紙袋で、ここに来る途中に買ったギフト用の折詰めだった。崎村は完全に竹ノ内を揶揄からかう目的でそう言っていて、実際、竹ノ内の眉間に皺が寄る。

「寄付金に紐でもつける気か」

 しばらくの沈黙の後で竹ノ内がそういうと、崎村はまさに歯牙にもかけないという感じで返す。

「ご冗談を。まったく自由に使ってもらって構いませんよ。弊社の目的はあくまで先生との共同研究ですので」

「……崎村、貴様の思惑通りには動かんぞ」

 竹ノ内は崎村を睨み、ドスの効いた声で念を押す。

「それで構いませんよ。我々は先生の実験のお手伝いをしたい、ということだけですから」

 両腕を広げて崎村が大仰に答えると、竹ノ内は無言で席を立ち、そのまま会議室から出ていく。お付きの助教もその後を追う。

 崎村は特に気にすることもなく、そのままオロオロする産学連携課の職員に、「契約の件ですが」と事務的な詰めの作業の打ち合わせを促す。



 書面の細かいところの打ち合わせを終え、角・丸の社印を押すために持ち帰える二部の契約書案をカバンの中に入れて、俺達も会議室を後にする。


 玄関まであと数メートルというところで、女性の声で呼び止められる。


「崎村君、畠中君」


 振り返ると、竹ノ内と同席していた白いブラウスと黒のスカート姿の若い助教が立っている。黒縁の眼鏡で腕を胸の前で組み、いかにも”お堅い”と言った印象を受ける。

「やぁ、中村。どうかされましたか?」

 崎村が『先生』のところを強調していうと、露骨に嫌そうな顔をして中村と呼ばれた竹ノ内研究室の助教が切り返す。

「あなたが何を考えてるのか知らないけど…………そんなに私に助教選で負けたのが悔しかったのかしら? それとも選考に異議でもあるわけ?」

 俺と崎村、それに目の前にいる中村は、竹ノ内研で同じく学生として学び、前の竹ノ内研究室の助教が栄転したのを受けて行われた大学教員採用試験を三人とも受け、そして中村が選考された。いわば、かつての同級生で、そして勝者と……敗者、ということになる。


「まさか。俺達に比べて、”やよい”の方が業績が上なのは誰が見ても明らかだし、俺は公平な助教選だったと思ってるよ。さっきもそう言ったけど、俺達は純粋に竹ノ内先生と共同研究がしたいってだけだ」

「その呼び方、やめて!」

 と、中村は吐き捨てると、フンッといった感じで踵を返し、その場を立ち去る。崎村がやれやれといった感じで髪の毛を掻くと、スーツの上着に白いふけが溜まる。




「…………良かったのかよ、あれで」

 産学連携プラザの玄関を出て、今度は春日門に向かう途中で崎村に尋ねる。

「いいんだよ。あれで。んだ」

「ん?? むしろ金を失ったと思うんだが」

 崎村の意外な返答に思わず上ずった声で切り返す。


「安いもんさ。一つは『共同研究員』の資格。これで俺達は前のようにこの大学の共通機器を使える。俺達には受託試験や研究開発をするにしても、機材がないからな。大学にある高額設備を使うための資格に払った金だと思えば安いもんだよ」


 俺が「ああ、なるほど!」と声を上げると、崎村はやや口角を上げ、続ける。


「そして、もう一つは『T大学との共同研究』という実績。お役所と事業会社、それに銀行なんかは、これに莫迦みたいに弱い。

 ……これで自治体が出してる研究費グラントの公募申請書に書くことが増えただろ?」


 俺がハッと驚いて崎村の方を見ると、崎村は「早くラボに帰って、申請書を書いてる戸部や長谷川、諸住もろずみに伝えてやろう」とにやりと笑い、最寄駅までの歩くスピードを上げる。

 あの時、あのコーヒーショップからの帰りに見たよりも沿道が随分と色づいてきていて、もうじきに春になるのだと思わせた。





二、 一か月後、コーヒーショップライフテクノロジーズにて



「飯島。みんなをラボに集めてくれ」


 自治体が運営しているレンタルラボの集合ポストからいくつかの封書を手にした崎村が言う。俺達が借りているレンタルラボには、工業用機器メーカーが1社、主にソフトウェアの開発を行う小規模ベンチャーが2社、それに他の大学の教員が立ち上げた大学発ベンチャーが2社入居していて、郵便物などは三階のラボではなく、一階の集合ポストに届くようになっている。

 すぐに飯島が実験スペースにいる諸住と、戸部、そして俺に声をかけ、T大学の共通機器施設に実験用のマウス飼育室利用の相談に行っている長谷川と佐藤の携帯に電話をする。


 二時間ほどで、全員が本社として使っているラボに集まる。全員が「何事だろう」と崎村の言葉を待っている。


「諸君。

 俺達が竹ノ内研を全員同時に解雇されてから数カ月。

 俺達は今、企業研究員として府省共通研究開発管理システムの番号を手に入れ、

 そしてT大学の共同研究員として大学の高額機器を使う権利も獲得した。

 

 では、次は何をするべきか――」


 崎村はいつもよりも身振りを大きく芝居がかったように話す。



「諸君、いよいよ反撃の時間だ」



「おお!」

「ようやくあの教授に!」

 などの声が上がる。それを崎村は軽く手を上げて制する。

「いやいや、勘違いしてはいけない。俺達が成すべきことは反撃であって、復讐ではない。あくまでも俺達は俺達自身の成功を見せつけて、”世間に”反撃するんだ」


 崎村は6人全員の顔を見回して、にやりと笑うと紙切れを一枚取り出す。



「――そして、これがその最初の刃となる自治体グラントの『一次審査合格通知』だ」




(続く)

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