第2話 意外な提案



 あの寒空のコーヒーショップでの一件から二か月――


 俺達はあの日崎村が言っていた、自治体が運営をしているレンタルラボの一角に集まっていた。まだ会社で使うモノは何も揃っておらず、大学のゴミ捨て場から拾ってきた粗末な事務机が二つ、安物のデスクトップパソコンが二つ。それに一般的な実験台の代わりに、それよりもはるかに安い一般用の作業台を三つならべて、実験用のスペースをかろうじて確保している。


 会社の登記にはレンタルラボからは少し離れているものの同じT自治体にある飯島の実家の住所を使ったため、実質、このレンタルラボが、俺達、コーヒーショップライフテクノロジーズの本拠地になっていた。


「ほら、これで全員分の府省共通研究開発管理システム(eRad)番号がついただろ」

 崎村がパソコンを操作しながら、相変わらずぼさぼさな髪をかき上げながら言う。

「本当だ。こんな簡単につけられるのものなのか……」

「機関登録さえ出来てしまえば、個人番号の発行なんて事務所だけでできる。まぁ、こんなものは”ただの”番号だよ。でも、今の俺たちには大事な番号だ」

 崎村の言葉にその場にいた6人が頷く。ポスドクだった頃は、所属研究室の主宰者(Principal investigator, PI)である竹ノ内教授の方針で、俺達が持つことはできなかった『研究費申請に応募するための個人番号』である。全員が感動するのも無理はなかった。

「それで、どのグラントに出すんだ?」

 戸部が崎村に尋ねる。崎村は少し考え込む素振りを見せる。

「……このままだとレンタルラボだって、そう長く借りれないぞ。どうするんだ?」 俺が続けて崎村を促す。崎村は得意そうに笑顔を見せる。


「まずはこの自治体が持ってるグラントに出す」


「自治体のグラント?そんなのあるのか!?」

 少なくとも俺は聞いたこともない。

「ああ。金額の大小はあるけど、ほとんどの自治体は自身が運営に参加する財団を使って、4~5月にベンチャー系のグラントを公募する。

 例えば、Y市ならY市企業経営支援財団だし、M市ならM市新産業創造センター、地方の自治体にもたいていある。それにこのレンタルラボみたいなインキュベーション施設の運営もその財団が担ってる。あとは創業者向けの要件を満たせば支給してくれる少額の補助金なんてのも、ここが取り仕切ってる場合が多い」

「しかし300万とかそこらか……これじゃぁ……」

 崎村がパソコンに表示させたこの自治体のベンチャー支援グラントの画面を見て、心配性の飯島がため息をつく。

 それに反応して、崎村はニヤッと口角を上げる。


「これは”きっかけ作り”だよ。額の問題じゃない」


「どういうことだ?」

 飯島がもう一度尋ねる。

「自治体とか事業会社、銀行系の投資会社ってのはいわゆる”堅い”ところなんだよ。だから、俺達に『金を払ってもいい』と思わせるような、わかりやすい成果がいるってことだ」

 崎村は右手の指をくるくる空中で回しながら俺達に向かってそう言う。

「とはいえ、この自治体の創業支援グラントだって通るかどうかわからないだろ?」

 俺は――おそらく俺以外の5人も思っていたであろう言葉を吐き出す。少し勢いが余って、唾が飛ぶ。

「畠中、何で俺たちが最初にお金をかけて、自治体の運営するレンタルラボ借りたと思ってるんだよ」

「えっ?」

 俺が上ずった声で返すと、崎村はまたニヤリとして続ける。

「公募要項には書いてないけどな、そういう加点要素あるんだよ」



「…………お前、そこまで考えてたのか?」


 俺が目の前のぼさぼさな髪をしたパッと見では冴えない感じのひょろひょろとした男に向かってそう言うと、残りの5人も口々に「それは俺も思った。お前、いつからこんなこと考えてたんだ?」など、似たようなことを次々に言い出す。


「まぁ色々とな。あの教授がって、薄々感じてたんでな。それはいつか教えてやるよ。 ……ところで、飯島と佐藤はグラントの準備と並行して、この辺にある地元の信用金庫に行ってきてくれないか?」

「えっ? なんで急に」

 名指しされた飯島と佐藤が揃って聞き返す。

「そこでこの紙に書かれてるように喋ってきて欲しいんだ。佐藤はラボの近くのA信金。そして飯島はコーヒーショップライフテクノロジーズの本社登記がしてあるお前の実家の近くのB信金」

「ああ、そこか。中学校の同級生がいるはずだわ」と飯島が返事をして、崎村の手書きのメモを受け取る。

「……うん? 本当にこれでいいのか? 目的がわからないんだが……」

 皆気になってそのメモを覗き込む。そこには自分たちの作ったコーヒーショップライフテクノロジーズの簡単な紹介と、全員が大学院で研究してきたことを元に新しい機械、サービスを研究開発すると書かれている。


「もちろん金を借りるためさ。でも、”今すぐ”じゃない。準備が整うまで、じっくり引き延ばす」


 全員がそれだけじゃぁわからないといった顔で崎村を見る。崎村はぼりぼりといつもの癖で頭を掻き、その拍子に白いフケが舞う。

「……信金は『創業者支援制度融資』という公的な制度を使って、からな。しかも自治体が審査に関わって補助も付く場合が多いし、信金にとってはリスクも小さい。

 ところが信金は地方銀行とか都市銀行とは違って、信用金庫法によってそれぞれのテリトリーが決まっていて、その狭い営業範囲のなかで有望な投資先を探さないといけないって、わりと”縛り”のきつい無理ゲーを強いられてるんだよ。

 …………で、さっきの紙に書いてあるキーワードは、信金の担当者から見れば、旨そうな餌に見えるってわけだ」


「でも、わざわざ二つの信金に行く理由は? 僕はこの辺のことわからないんだけど」

 崎村の答えを聞いた佐藤が切り返す。佐藤は中部地方の大学からポスドクとしてT大学にやってきた男で、この辺りに土地勘はない。その状態でそんな頼みごとをされれば、不安にもなるのもわかる。

「それは確率を上げるためだよ。相手は”人”だからな。乗ってこない場合の保険をかけたいってこと。 ……まぁ、保険は後でもう少しかけるつもりだけどな」

 崎村はぶつぶつと特徴的な低い声で話す。



「それと、畠中。これを持って、T大学の産学連携課に行ってくれ」

「T大? 産学連携課!? な、何を!?」

 俺は意外な指示に思わず、大声で聞き返す。すると、崎村はまたあの意地の悪そうな笑いを浮かべて、口を開く。




「俺たちを追い出したあのクソ教授のラボに寄付金を入れて、共同研究を申し込む」




(続く)

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