【さ読】はじめてのお部屋訪問-3

「んーっ、おいしー」


 読子さんはほの赤い頬をして、嬉しそうにカクテルの缶を揺すっている。

 ぼくの肩に頭を乗せて、特に音楽をかけてるわけでも、テレビがついているでもない部屋の中で、しあわせそうにニコニコしている。


「ほんとはねー?」ふだんよりすこしゆったりしたテンポで、読子さんが言う。「思わせぶりにしたいわけじゃなくて、せっかくだから、さっくんとはもっと素直に仲良くしたいなって、思ってるの」


「うん……ぼくも、そう思うよ」


 ほんのすこし恥ずかしく思いながら、ぼくは素直な気持ちを口に出した。

きっとカクテルに後押しされているんだろうけど、今日の読子さんは普段よりウェットな雰囲気だった。


「ふふ」


 読子さんはカクテルの缶を置くと、脚を崩して座っているぼくの前に移動してきて、ぼくに背中を預けてきた。

 読子さんの後頭部のあたりが、ぼくの鼻先にやってくる。シャンプーの香りがした。

 読子さんの右手が、行き場に迷っているぼくの右手をとる。


「はぁ……」


 読子さんはほうっと息をついた。


「すこし、お酒回ってる?」


「まだ、だいじょうぶだよー」


 そう言って左右に頭を振る読子さん。髪がふわふわ揺れてる。ちょっとだけろれつが怪しい気がした。

 そのとき、読子さんの動きがぴたりと止まる。


「さっくん、あのね……?」読子はぼくに背を向けたままで、あらたまった声をだす。「話したいことがあって」


「うん……どうしたの?」


 ぼくは少しだけ緊張した。


「あのね……この前、小説を読んで評価してもらいたいってお願いされたの。その小説を書いたのは、男の人なんだ。わたしの友達の女の人から、わたしのことを紹介されたんだって。その女の人はわたしにさっくんが居ることは知ってる人だから、あとから大丈夫か心配して連絡もくれたんだけど。……もしその人の小説を読んだら、きっとその人と会って話したりすることもあるだろうから、さっくん、嫌かなって」


「ん……」


 ぼくはすこし声を漏らした。

 ぼくの頭のなかにいくつかの感情が生まれて、ぼくはそれを整理する。

 左手に持っていたカクテルの缶を置いて、そっと、両手を読子さんの腰に回した。


「大丈夫。会って、ぼくにしてくれたみたいに、小説の指南をしてあげてよ」


「いいの?」


「うん。心配がゼロかって訊かれたら、そんなことないけど……ぼくのことを気にして小説を読むことをやめてしまうのは、きっと違うよね。小説とまっすぐ向き合ってる読子さんのほうが、ぼくには自然だと思う。それに……」


 ぼくはそこで、その先を言おうかほんの少し、迷った。


「それに?」


 読子さんに訊かれて、ぼくは意を決する。

 ここでちゃんと言えないと、読子さんの彼氏失格だ。


「ぼくのほうが面白い小説を書く。誰かと会うことを嫌がるくらいなら、ぼくやぼくの小説がもっと魅力的になる努力をしないと、だめだと思うから」


 言い切って、すこし恥ずかしくなり、伴う責任へのプレッシャーを感じた。

 読子さんはぼくに背を向けたまま、深く呼吸しているのか、ゆっくりと両肩が上がって、それから同じ速度でゆっくりと下がった。目の前のテーブルに置いた缶を取って、それに口をつけて、また缶を置いて、ゆっくりと呼吸して。

 それから、ぼくのほうを向く。

 おおきな二つの目がぼくを見つめてる。

 頬は上気して、艶めいていた。

 読子さんはうれしそうな顔で、ぼくの胸に顔をうずめた。


「ありがと、さっくん」


 静かな声がして、ぼくは返事の代わりに、読子さんの髪をそっと撫ぜた。


「すこし、酔いが回ってきちゃった……お酒の力を借りちゃったけど、ちゃんと話せてよかった」


「うん、話してくれてありがとう」


 ぼくが言うと、読子さんはそっと目を伏せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る