【さ読】はじめてのお部屋訪問-2

 届いたのは、一枚に四つの異なる組み合わせのトッピングが乗ったクリスピー生地のピザだった。作業で疲れ切っていたわたしとさっくんは、ぺろりとピザを平らげる。

 それから二人で他愛のない雑談をしたり、さっくんの部屋の本棚の小説について語り合ったりして、時間を過ごした。

 ふっと話題が途切れたとき、わたしはちらっと、スマートフォンで時間を確認する。

 時刻は夜の七時半。いつのまにか、窓の外は真っ暗になっていた。楽しい時間はあっという間にすぎていってしまう。

 でも――と、わたしは思う。

 たくさんさっくんの小説を読んで、一緒にごはんを食べて、おしゃべりをして、楽しかった。けれど、今日はまだ、一度もさっくんに触れてない。触れられてない。

 さっくんは、そのことをどう考えているんだろう。

 わたしから、思わせぶりな言葉を使って、さっくんを誘ってみる? それはそれで、ちょっと、戸惑わせてしまうかな。

 二人の距離が縮んだら縮んだで、その距離をどうやって取り扱ったらいいのかわからなくて、わたしはちょっと困っていた。

 


「……どうしたの?」


 さっくんが尋ねる。わたしはすこし、暗い表情をしていたのかもしれない。


「ううん、なんでもないよ」


 笑顔を作ってさっくんにこたえる。

わたしが立ち上がると、さっくんは不思議そうにわたしを見ていた。


「ね、さっくん。買ってきた飲み物、出すね」


「あ、そういえば」


 わたしは冷蔵庫を開けて、缶のカクテルをふたつ取ってくると、テーブルに置いた。


「……お酒?」さっくんが少し驚いたように言った。「だいじょうぶなの?」


 さっくんが心配そうにしているのは、たぶん、前に一緒に行ったバーでわたしが酔いつぶれてしまったときのことを思い出しているから。

 わたしはお酒にすごく弱くて、ほとんど量をのむことができない。以前は自分の許容量を超えてしまって、さっくんに迷惑をかけてしまったこともあった。


「ちょっとだけなら、だいじょうぶだよ、それにね、たくさんは飲めないけど、甘いお酒は好きなの」


 言いながら、わたしは缶のプルタブを起こす。プシュ、と小気味いい音がした。


「さっくんも苦手じゃなかったら、どうぞ。そっちもちょっとだけ呑んでみたいけど」


「うん、じゃ、いただきます」


 そう言って、さっくんも缶を開けた。

 わたしはさっくんが缶を開けたのをみてから、意を決してさっくんに向かって微笑んで、わたしの左となりの床をぽんぽん、と叩く。

 ここに座って、というジェスチャーのつもり。

 さっくんはそれをみて、ちょっとはにかんだあと、クッションを持って移動してきて、わたしのとなりに座ってくれた。

 うれしさとともにさっくんと乾杯をして、さっそくカクテルを一口。オレンジとカシス、鼻を通るちょっとすっぱいような香り。甘くて冷たい。

 お酒は人のあいだの潤滑剤。さっくんと盃を交わして、いまからはさっくんとの距離をもっと詰めよう。


「ん、これ……」


さっくんがカクテルを飲みながら、不思議そうな声をあげる。


「どうかした?」


「いや……ううん、なんでもない。飲む?」


 さっくんはわたしに自分のカクテルを寄越す。わたしはそれを受け取って一口。ライチの強い味が拡がった。


「うん、これもおいしいね」


 言いながらさっくんに缶を返し、自分の心に言い聞かせる。呑みすぎちゃだめ。意識はちゃんと保って、さっくんとの時間を大事にしないと。


「そういえば、さっくんはお酒、好きなの?」


「まだあまり強いのは苦手だけど……カクテルくらいなら、好きかな。パッチテストなんかだと、特に弱くはないみたいだね」


「いいなぁ……わたしなんて真っ赤になっちゃうの。すぐに倒れちゃうってことはないけど、節度を保って飲みなさいって、健康診断で言われちゃった」


「体質だからね。しょうがないよ」


 さっくんはやさしく微笑む。わたしはむー、と唸って、カクテルをもうひと口。

 ほんのすこし口の中が慣れてきて、すこし酔いが回ってきたように思った。

 わたしは一度缶をテーブルに置いて、それからさっくんの肩に頭をもたれかける。

 ほら、アルコールの力を借りれば、わたしにだってこういうこと、できるんだ。


「ふう……」


 わたしの口から湿った息が漏れた。

 さっくんは少ししてから缶を置いて、右手でそっとわたしの頬に手を添えた。

 わたしは目を閉じて、右の頬に触れる愛おしいぬくもりに意識を集中する。

 なにかを話す必要もなくて。

 なにかをする必要もない。

 ただとなりに座っているだけであることが許されている、幸せな時間が流れた。

 わたしはさっくんの着ているポロシャツの、鎖骨あたりに鼻先をこすりつける。

 部屋を漂っているのよりもずっと強いさっくんの匂いが、直接頭を刺激する。酔ってしまいそうなくらい、いまのわたしには刺激が強かった。

 それでも――アルコールで酔っぱらってしまうのはもったいないけれど、この刺激で酔っぱらってしまうなら、それは嬉しいことだと、思う。

 わたしは、わたしが甘えるのを受け入れてくれてるさっくんに感謝をしながら、この甘美な時間にすべてを委ねていた。

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