第3話『持久戦』
アルバイトから愛しの我が家へ帰ってくると、ビー玉がお茶を飲みながらくつろいでいた。
…………。
何を言っているのだろうか、私は。
今日もバイトで疲れ果てている。秋山先輩にも叱られたし、心身ともにクタクタだ。しかし自分でも何を言っているのか理解出来ないほどに衰弱しているなんて。
気を張り詰めすぎたのかもしれない。今日は早く寝ようかな……私は敷布団を出そうと押し入れに手をかける。
…………。
視線を感じる。ちゃぶ台に転がっているビー玉の方から。
やっぱ気のせいじゃないよ、あれ。
こう見えても、私は地球の生き物に関してはかなり調べている。地球の子供達にひけらかせば「歩く動物図鑑」と讃えられる自信があるくらいには、得意分野だと言える。
いや、自分の努力を讃えてる場合じゃない、何あのビー玉……絶対この星の生物じゃないよね。いや、異星人の私が言えた義理じゃないけど。
というか、どこから熱視線出してるんだろう、アイツ。
「はぁ、ニッポンって感じですねー」
謎のビー玉は煎餅を食べ始めた。私が今度の休みの時に食べようと思っていたのに……。
というか、アイツ歯があるの?
見ている限りでは、ビー玉が煎餅の一部を取り込んでいるようにしか見えない。咀嚼音だけは聞こえるから、ビー玉の中に無数の歯が仕込まれているのか……。
いけない、これは気持ちが悪い想像だった。背筋がゾッとする、今日夢に出てきたらどうしよう。
「ふぅ、でもこれ以上食べるのは身体に良くないですな。アイスを平らげた後に煎餅は流石に食べ過ぎですね。腹八分目と」
煎餅を食べかけで放置するな!
というか貴様、私が楽しみに取っておいた三色のアイス、全部食べちゃったのか? まさか、三色全部食べ尽くしたのか!
思いっきり怒鳴り散らしてやりたい。物凄く問い詰めたい。いや、むしろ一思いに叩き割ってやりたい。
けど、ここは我慢だ。恐らく、相手はこちらに意識を向けさせようと躍起になっている。というか、私から話しかけさせようとしている。
これで私がアイツに関わってしまったらいけない。意識を向けた瞬間、思考回路を乗っ取られるとか、そういう洗脳術をかけられてしまう恐れがある。
何より、なんか構ってしまった瞬間、負けてしまう気がする。
「ちょっと食べ過ぎたみたいです、腹筋でもしましょうかね」
そう言いながら、ビー玉はコロコロと転がり始めた。
まずどこに腹筋があるのかという疑問もそうだけど、そもそもあれが腹筋運動なの?
全く見たことがない知的生命体なので、何もかもが計りかねる。
ただ一つだけ言えるのは、コイツが物凄く性格が悪いということだ。人の癇に障ることを的確に行ってくる、ある意味嫌がらせの才能があるのかもしれない。
「あ、痙った。ふ、腹筋痙った」
ビー玉が痙攣するという異常な光景に一瞬興味を惹かれそうになるが、すぐに雑念を振り払う。
見てはいけない、凝視してしまったが最後、確実に相手のペースだ。
意識していないということを相手に見せ付けるため、私は意味もなくたいして物が入っていない押入れの整頓をする。
いっそこのまま押入れで寝てしまおうか。いや、寝ている隙にアイツに何をされるかわからないし、迂闊に眠るわけにもいかない。
でも明日だって学校あるし、バイトもある。このまま無意味に徹夜するわけにもいかないし。
まったく、どうしてくれようかあのビー玉。これで明日寝坊したら本当にかち割ってやるぞ。
「ああ、腹筋してたらもうこんな時間ですか。そろそろ帰りましょう」
そう言うとビー玉は、念力か何かで窓の鍵を開ける。冷たい空気が部屋の中を吹き抜けていく。
え、本当に帰るの? じゃあここに何しに来たの?
いや、ここで声をかけたら私の負けだ。アイツが家から出て行くまでは、断固無視。
「とうっ」
ビー玉が窓から飛んだ。うちは二階にあるけど、アイツ、空も飛べるのか。
じゃあ腹筋は何のために存在するんだとかいう疑問はさておき、ひとまず相手は根負けしたのか、我が家から去っていった。
結局うちの食べ物を物色して無断で飲食していっただけの無法者だったけど、本当に一体何が目的だったんだろう。
……いかん、それを考えようとすると眠れなくなってしまいそうだ。こういうところまで奴の計算内だったのではないだろうか。
腹が立つことこのうえないけど、一応アパートに何か仕掛けられていないか、あとで調べておかなくちゃな。
「あぎっ」
呻き声とともに何かが割れる音がして、私は反射的に窓から顔を出す。
道路上には、粉々になったビー玉が、月明かりに照らされていた。
「飛べないのかよ!」
ビー玉は何も答えないまま、その欠片は突風に吹き飛ばされて、どこかへいってしまった。
翌日、「夜中に騒ぐな」と大家さんにすごい叱られた……。
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