第14話
手足が……いや、体が重い。まるで何かに縛り付けられているように身動きがままならないさまに、リエルはただ震えるしかなかった。
「おのれ……東海の空賊ども。諦めの悪い奴らよ」
呪詛のような唸り声が広い空間に響く。
部屋を満たす光はさらに強さを増し、かつては人であったものが己の運命を悲しむように甲高い振動音を共鳴させている。
「……クローセル」
まるで自分のものではなくなってしまったかの様な腕を必死に持ち上げ、ペンダントを握り締める。
恐ろしい……緩慢な速さで変化してゆく、己の体が。
「助けて……クローセル」
狂気にまみれた牙を向く男、全てを滅ぼせる力を持った船……そして、眼下に広がる生きた屍の乱立が世界を滅ぼそうとしている。
「我らが新しい秩序であると、東の愚かな空賊どもに思い知らせてくれる」
呟かれるエルモアの声を、リエルはただ聞いていることしか出来ない。
◆◇◆◇
奥歯を噛み締め、前を見据え続けるクローセルの焦りを煽るように鐘が鳴り響く。
『目標まであと五百! 総員、戦闘準備に入れ!』
甲板に響くジャスティの声とともに、空賊たちの動きが一気に慌しくなる。
「ほら、クローセル。持ち場にもどれ」
「レイ、俺も連れて行ってくれよ。このまま見ているなんて、出来ないぜ!」
ノルシリータの空賊でも、下っ端であるクローセルに船はなく、こういった大規模の戦いではナグルファルから出ることは許されていない。
「気持ちは分からないでもないが……規則だ。見習いを戦場に出すことができるか」
血気盛んに吠えたてるクローセルは、レイナンに掴みかかる。
「俺には、行かなきゃならない理由があるんだよ!」
「だがな……ん? どうした、何かあったのか?」
必死に訴えてくるクローセルを引き剥がし、レイナンはその視線から逃げるように通信機の前で神妙な顔を突き合わせている仲間達の下へ走る。
「くそっ……!」
「心配しているんだ、君をな。これは、危険な戦いだ」
「わかってる。 覚悟が無きゃ、こんな所にいるものか」
血が滲むほど唇を噛み締めるクローセルの足元……つまり船が揺れる。不穏なその動きは外部ではなく、内部から来るもののようだ。
「帆船格納庫に銃をもった男だと?」
艦橋と連絡を取り合う彼等の言葉にはっと顔を上げ、クローセルはもっとよく聞き取ろうと耳をそばだてる。
「船を奪われた? たった一人になにやってんだよ、下は!」
「……ツァリス、か。姿が見えないと思っていれば」
やれやれと肩をすくめるジュテルニの隣で、クローセルはほくそ笑んで両手をぎゅっと握り締めた。
「隔壁が開く? よし……」
二度目の揺れ。それは足をとられるような強いものではなく、小型船を収納している格納庫が開け放たれるものだった。
内部からナグルファルを破壊されてはたまらない。小型船一隻を失うくらいで静かになるならくれてやる。そういう判断だろう。
「こら、クローセル! お前!」
「悪いな、レイナン!」
唐突の侵入者に与えられたのは、レイナンの飛行帆船だった。小さな水晶板に映し出される映像に顔を青くさせている兄貴分に手を振って、クローセルは船首へと向かって走る。
「東海の空賊っていうのは、一度決めたら最後までやりとおすのが鉄則……だったろ?」
「この……馬鹿野郎!」
力の限りに走り、驚いている同胞達の間をすり抜けて、空に向って突き出している斜しょうの上に立つ。
海風が頬を撫で、三角帆が風を受けて広がる。
「ツァリス!」
クローセルは叫び、勢いよく飛び出してくる小型船の甲板へと目掛けて……飛んだ。
いちかばちか。失敗すれば、海に落ちてすべてが終わる危険な賭け。
「お前!」
「俺も、奴らに用があるのさ」
転がり込んできたクローセルを振り返ったツァリスは呆れるように嘆息して、操舵席から離れる。
「変われ」
ぼそりと呟くその声は掠れている。よくよく見れば顔色もかなり悪い……が、クローセルは何も言わずに頷き舵を取った。
「どうやら……道はお前の仲間がつくってくれるようだな」
ナグルファルの側面からせり出してくる砲門を睨み、ツァリスは隻腕にもった銃に視線を落とす。
「残り……二発か……」
同じ結晶砲でも、あの巨大な戦艦を外部から沈められるほどの火力は無い。となれば、内部から攻め落とすしか他に方法はないだろう。
それは、対するヴィーグリーズも承知していることだった。
「やつら、やる気満々だな」
青い空が空虚に広がる視界に、黒い船影が浮かび上がる。
追ってきた東海の空賊と対峙するように船首を向け、砲門を突き出し静止している。光の加減でうっすらと目視できる光の幕は、障壁だろう。
「砲撃と同時に全速力で突っ込め」
ツァリスは振り落とされないよう操舵席に背中を付け、両足に力を入れる。
「障壁を破壊し切れなかったとしても、周りにいる雑魚さえ片付けられればいい」
「……わかった」
潮をはらんだ風は蠢く。何かを予見するように肌はあわ立ち、その次の瞬間、太陽よりも強い純白の光線が空を走った。
ナグルファルの結晶砲だ。
「行け!」
レバーを操作し、搭載されている結晶を最大限まで活性化させる。
「ああ! やってやるさ!」
長い尾を引く流星のような光線に追従するように、小型船も廃棄光を巻き上げて駆けた。
大空に花開くのは、光線によって破壊された幾つもの船の残骸。轟音を立ててそれは散開し、煙を上げて海原へと飲み込まれてゆく。
「――駄目か!」
光線は周囲に展開する小型船を蹂躙するも、ヴィーグリーズの張る障壁までは破壊し切れなかったようだ。船自体の能力が上がっているのだろう。
「どうするんだよ、このままじゃ激突か流れ弾に当たって墜落だぜ!」
船は一隻ではない。
先制をきったナグルファルに続いて、他の空賊船もそれぞれの主砲を放つ。いくら強力な障壁であろうと、限界は必ずある。破られるのは時間の問題と言ったところだろうが、それを待っていてはこっちが撃墜されてしまうだろう。
「道は俺があける。滑り込め」
「……え?」
ツァリスは理由を尋ねるクローセルの視線には答えず、銃口を前方へと向けた。彼の言葉を理解した瞬間、鼓膜が痺れるような音と衝撃が小さな船を揺らす。
古式銃から放たれた一撃は滑らかとも言える表面に波紋をはしらせると、僅かではあるが強固だと思えた障壁に亀裂を生じさせた。
「やるじゃねぇか! ツァリス」
船はそれを突き抜けて、巨大な船の腕へと廃棄光を大量に吹き上げて突っ込む。
「ヴィーグリーズ」
空の青を黒く反射する滑らかな壁面は現行船と酷似しているが、広い甲板に幾つも突き立つマストはやはり古代船のそれだった。突入時の速度を保ったまま、ぶれる舵を握り締めているクローセルは目の前に鎮座するそれに、ただ呆然と声を上げるばかりだった。
「これを落とすには、船体を粉々に吹き飛ばすか、結晶堂を破壊するしか方法は無い」
ごつっ……と重たげに銃を落として大きく、あえぐように息をついたツァリスはヴィーグリーズが内に抱えている丸い球体へと視線を向ける。
「お前が探しているリエル、は……おそらく結晶堂にいるだろう。 だが結晶堂はこの船の、唯一の弱点。それゆえに、守りは強固だ。お前の船の結晶砲を最大出力で直撃させたとしても、稼働中は障壁機能が働いていて破壊するのは難しいだろう。
内部から侵入するにしても、稼働中はパスコードが無ければ内部に入ることはできない」
「リエルが、結晶堂に? なんで、そんなことが分かる?」
「……急げ、残された時間は少ない」
「んなこと言ったって、あの中に入れないんじゃ……」
「考えがある」
侵入者を感知して、待機していた小型船が舳先をこちらへと向ける。レイナンの船は戦闘用でそれなりに武装もされてはいるが、まともに戦うには多勢に無勢だった。
「残り一発。隔壁を破壊するには十分だ。突入する」
「わかったよ、全速力で――つっこむんだろっ!」
ツァリスは再度ヴィーグリーズへと銃口を向けて古式銃の引き金を引き、クローセルは舵を握り締め……吼えた。
「このおぉぉぉっ!」
背後から放たれる銃弾を蛇行してかわしながら、穿たれた穴へと後先考えずに突っ込む。船の腹が擦れ、火花が散り。大きな衝撃に体が投げ飛ばされる。
「――っ!」
ふわりと総毛立つような浮遊感と回転する視界。無機質な床に叩きつけられないようにと体を丸めて受身を取り、固い床の上を転がってゆく。
随分と派手な侵入になってしまったが、結果がよければ全ては問題ない。
「ついて来い」
痛めた箇所をさすりながら立ち上がるクローセルを急かすように、ツァリスは古式銃を無造作に投げ捨てた。
「どうするんだよ、これ」
「銃ならもう一丁もっている。古式銃と違って現行銃は威力は低いが、どのみち弾がなければそんなものはただの飾りでしかない」
外壁を破壊せれたヴィーグリーズは、痛みを訴えるように警報をかき鳴らし、警告灯をちらつかせる。
それらを気に留めることも無く、ツァリスは靴音を響かせる。
「おい、待てよ」
迷いの無いその行動。彼はこの船の内部構造を知っているのだろうか。
疑問を口にする暇も無く、足早に進んでゆくツァリスを慌てて追いかける。はぐれたらたまったものではない。
「……ん?」
走り出そうと踏み込んだつま先に、硬いものが当たる。艦内を赤く染める警告灯とちらちらと反射している、何かの破片。
「――結晶? なんで、こんなところに?」
足元の揺れは徐々に酷くなってきている。頑強な障壁が突破されるのも、時間の問題といったところだろう。もうすぐ、全面対決がはじまる。
「……リエル」
彼女は必ずここにいる。呼びかける声は届くはずも無いが、それでもクローセルは彼女の名前を呼んだ。
「必ず、君の元に行く」
決意を瞳に宿らせ、突き当りを足早に左へ折れたツァリスを追いかける。
「なんだ……この光?」
狭く長い通路。
その先から漏れ出てくる輝きは、結晶が放つ色の一つ、薄緑色をした透明感のある光だった。
「ツァリス?」
慌しい足音が上下左右から響く中、神経を必要以上に尖らせながら輝きに誘われるように通路を進み、部屋に入る。
「これは!」
「艦内を廻る結晶水のパイプラインだ」
「……っ! お、驚かせるなよ」
狭い部屋に足を踏み入れたとたんに投げつけられる声に、クローセルはびくりと飛び上がる。
「この、三つのうちの一つが結晶堂へと直接通じているはずだ」
「三つのうちの一つ? 運任せかよ。
……って、だからなんでお前はそんなことを知ってるんだよ?」
「それは、このヴィーグリーズの研究者の一人……ですからね」
肌が粟立つような、凍てついた声。
「――研究者だった。昔の話だ……ファンゼン」
部屋の入り口で剣を片手に突っ立つファンゼンは、口元を歪めるだけの笑みで振り返った彼等を迎える。
「派手に入り込んだねずみがいると知って探しに来たら……やはり、貴方達ですか」
「ファンゼン! リエルをどこにやった!」
つまらなさそうに肩をすくめてみせるファンゼンにクローセルは床を蹴り上げ、右手にもった短剣を振りかぶり跳びかかってゆく。
「君もしつこいですね」
しかし、怒りに任せたその一閃は攻撃というにはあまりにも乱暴すぎて、簡単に受け止められてしまう。
「諦めが悪いのが、空賊ってものなんだよ!」
ぶつかり合う鋼がしなり、両者は互いに後方に跳んで距離を取る。
「人間だろうが異能者だろうが関係なく、お前達は殺した。子供も、女も老人も……戦うことの出来ない人も、仲間さえもだ!
お前達は……いや、エルモアは一体何を考えている? リエルを……どうするつもりだ!」
「見たとおり、感じたとおりですよ。
その必死な様子をみると……彼女がどんな存在であるか、知ったようですね」
ファンゼンは無表情のまま、一歩クローセルへと踏み込む。
「あの方が望む世界は、全ての破壊から生まれる。私はそのための駒の一つでしかなく、あのお嬢さんはそのための糧の一つでしかないのです」
「糧だと? ふざけるなよ! たくさん、たくさん死んだんだぞ!」
クローセルは声を張り上げて吠え、ツァリスは古式銃を無言で構えた。
「だからなんだというのです?
同情しろとでも言うのですか、この私に悲しめと? 残念ですが、そんな感情はこの世に生れ落ちた時に無くしてしまいましたよ……あの、光もささない灰色の坑道の中にいれば、誰もが狂うでしょう」
声を立てて、嗤い。ファンゼンはファスナーを下ろして首元を外気にさらした。
「母は鉱山で強制労働を強いられていた異能有石者の女。……父は、その女を弄んだニンゲンの監督の内の誰か。
わたしは生まれながらに、首輪をはめられた虜囚でした」
表情は凍てついてはいるが、その両目は感情の高ぶりに、まるで炎のように揺らめいていた。
「あそこは、異能有石者に与えられる世界の縮図と言えるべき所でしょう。
罪は無く、ただ能力があるというだけで体に爆弾を埋め込まれ、穴蔵で死ぬことを運命づけられ、私たちは生きてきたのです。
そんな世の中はおかしすぎると、あの方は言いました。何故自分はここにいるのかと」
「お前達が犯した罪は、許されて良いはずが無い。 俺は、忘れない。十六年前のあの日を……」
ファンゼンの視線がクローセルからツァリスへと移る。それにあわせて、銃の激鉄が歯を擦り合わせた。
「全てを失ったあの時を」
「そんなに寂しいのなら、今からでも同胞と一緒に結晶水の中に沈めて差し上げますよ。あのお嬢さんと仲良く……ね」
「それはどういうことだよ? ――っ!」
目を焼くような光は、ファンゼンが投げつけた爆薬によるものだった。閃光弾の類だろうか、にクローセルは腕で顔を庇い後へ飛び退く。
「これ以上、貴様らに多くの命を弄ばせはしない!」
ツァリスは一歩も引くことなく、サングラスの奥に隠された両目でファンゼンを睨み――引き金を引いた。
無数の銃声が、怒声となって空気を揺るがす。
しかし、光の向こうにいるファンゼンは倒れなかった。狙いが定まっていないのだ。
「貴方はもう限界だ」
「――ツァリス!」
眩んだ視界にふらつきながら、クローセルは嫌な予感に思いきり床を蹴り上げた。銃を握るツァリスに向って、ファンゼンが右手に持った剣を突きつけている。
――間に合わない。
「ぁあっ!」
――キィ……ン――
鈴のような甲高くも済んだ音色が波のようにざあっと広がり、その胸に剣を突きたてられたツァリスは背中から床へとくずれ落ちた。
ばらばらと、彼の体から剥がれ落ちるそれは血ではなく……無数の結晶片。
「発症してから十六年……結晶化がそこまで進行しておいて、命があるとは素晴らしい。しかし、ここまで損傷が激しいと飾りにすらなりませんね!」
「……ツァリス、お前」
呆然と、クローセルは倒れたまま動けないでいるツァリスを見つめた。翼のように広がるコート、上下する胸に突き刺さった剣から流れ出る血は床に零れ落ちる寸前に凝結し……結晶化して転がり落ちてゆく。
「貴様っ」
紫色の唇から吐き出される泡の混じった血と苦しげな呼吸。クローセルは眦を吊り上げて薄ら寒い笑みを浮かべるファンゼンへ飛び掛った。
「――ファンゼンさま!」
「くそっ!」
飛び込んできたのはベルデだ。鋭い水の礫をファンゼンの間に放たれ、突進を阻止される。
「どうして追ってきたのです。小型船で待機しているようにと言ったでしょう?」
両手を広げて自分の前に立ちはだかるベルデに、ファンゼンは少しばかり不満げな言葉を投げる。
「他に……行くところが無いんです。私には」
青い瞳を見開いて、ベルデは両手の爪を青く変化させる。
「あなたのところ以外に、私の居場所はありません」
彼女は異能有石者だ。しかし、元々が人間だということで、ヴァラクタの中でさえ孤立しがちだった彼女の側にはファンゼンしかいなかったのだ。
理解者……と呼べるほどに言葉を交し合ったわけでもないが、両親と過ごすよりも長い時間を共有しあえば、おのずと絆と呼べるものも生まれるのだろう。
「そこを退いてくれ、ベルデ!」
「嫌だ!」
「こいつ等のしていること、わかっているんだろう? 必要なものしか受け入れられない、そんな世界には誰の居場所もない」
「それでも!」
「お前を待っていてくれるものは、たくさん……この世界にあるんだよ! 俺はそれを知っている。おまえも、きっとそれを感じることができる!」
「いらない、そんなもの! 異能有石者の世界だっていらないんだ。私は、ただ私を認めてくれる人がいれば、それで――」
「ベルデ! ――っ!」
視界の隅。
何かが閃いたのに気付いたのと同時に、銃声が響いた。
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