第11話

 アンティーク。

 それは眼を奪われるような豪奢な装飾を施されているというわけではないが、それでも注意を引く、年月を重ねたモノ特有の重厚な雰囲気があった。

 古式銃。

 異能有石者が世界を支配していたといわれる最終王時代の遺物の一つで、現在作られている銃とは比べ物にもならない強大な力を持っているといわれている。

 ジュテルニは、どこか懐かしそうな……そして苦い表情で、寝台の側に置かれている机の上に置いてあるそれを見下ろし、そのついでにと持ち主であるツァリスへと向けた。

 片腕の男。

 発見された時から既に意識は無く、必要な処置をしたとはいえ安心していいという状態でもない。むしろ生きているほうが恐ろしいと思えるほどだ。

「キミは……この銃で誰を撃ち殺すつもりなのか」

「……っ」

 ガタガタと戸口を激しく揺さぶる風に引き起こされるように、長いまつげが僅かに振るえた。

「目が覚めたか?」

「……」

 何度か大きく震えた後に開かれた瞳は、鼈甲のような深い琥珀。

「……た」

「? 何だ、何を言っている?」

 かけられていたシーツを剥ぎ取り、上体を起こしたツァリスはかすれた声で再度呟く。

「……奴らだ。やつらが、ここに来る」

 血の気の無い表情ではあるが、琥珀のその瞳だけは力強く前をみすえていた。


 ◆◇◆◇


「それは、本当にお前が望んでいるものなのか?」

 クローセルは力説するベルデにゆっくりと歩み寄ってゆく。

「……何だと?」

 短剣は手に持ったまま、しかし、構えようとはせず。

 間合いに入るかはいらないかのぎりぎりのところで立ち止まったクローセルは、その青い隻眼でベルデを見据える。

「たくさんの人を殺し、虐げ。

苦しみや、憎しみを生み出して作られる世界は……今とどう違う?」

 島じゅうに漂っていた結晶花の甘い匂いは煙にまかれ、豊かな緑はその殆どを赤く染めていた。炭へと転じた花びらが、火の粉を引き連れて空へと登ってゆく。

「違うさ、そこは楽園だ!

 閉じ込められることもなければ、蔑まれることもない。捨てられる事だってない、私たち異能者の王国だ!

 今のこの冷たい世界とは違う」

「ちがわねぇよ」

 ベルデの細身が翻ると同時に、クローセルも短剣を動かして襲い掛かる刃を受け止める。

「お前達は……お前達は知らなければいけない!」

 渦巻く悲鳴に声を消されまいと、ベルデは喉が痛みを覚えるほどの大声でクローセルの言葉を突っぱねる。

「淘汰される側の私たちの痛みと、苦しみ。悠々とこの世界を生きているお前達は、知らなければならない!」

「だから、滅ぼすのか……傷つけるのか?」

 ぶつかり合う刃ごとベルデを跳ね除け、射すくめるように睨みつける。

「そして同じ方法で、世界を造るっていうのか?」

 興奮し、眦を吊り上げるベルデへとクローセルは一歩み寄る。

 その手に短剣こそ握ってはいるものの、構えることは無く。それは戦闘体勢のベルデにしてみれば、格好の標的であった。

 しかし、彼女は動かなかった。いや……動けなかったのか。

「そんな世界に、何の意味がある? それはお前が嫌うこの世界と、変わらないじゃないか!」

「何を……何をそんな、わかったことを言うなよ!」

 距離を詰めてくるクローセルに臆するように、ベルデは一歩後退する。

 クローセルはそれを追い詰めるようにさらに彼女へ近付き、リエルから貰ったスカーフを外した。

「その目……」

 色の無い、奇妙な右目が動揺するベルデを映す。

「俺は異能有石者じゃない。

 でも、この目のおかげで扱いは一緒だ」

 こことは違う、冷たい風が吹く街で凍えながら生きた日々は、確かに地獄だった。

 蔑まされ、ときにはその存在そのモノを無視した人々に怒りが無いといえば嘘になる。憎しみを訴える彼女の気持ちは、理解できた……だが。

「与えられる痛みや悲しみは……すべてがその人のものであって、お前の感じているものじゃない。

こんな方法じゃ、誰もお前の声を聞くことなんて出来ないし、お前の悲しみなんて理解されないんだ」

 クローセルは噛み締めるように言って、スカーフで再び右目を隠した。

 怒りは怒りを……憎しみは憎しみを。

 ぶつけられる感情は同じでも、根源とするものは違うのだ。思いがすれ違えば、訴えたところで意味は成さない。

「……満たされはしない。分かっているんだろう?」

 それはただ、虚しい駄々でしかないのだ。

「――ごちゃごちゃと煩い子供です」

「……! お前は」

「ファンゼンさま!」

 二人乗りの小型船に乗って飛来したのは、ファンゼンだった。

「生きていてよかったです、ベルデ。探せなくてすみませんでしたね」

 舵を片手に、ファンゼンはベルデへとロープを下ろした。

「行くな! 俺の話を聞け」

「黙りなさい」

 ロープに手をかけるベルデに飛びかかろうとするクローセルへと、爆薬が投げつけられる。「クローセル、危ない!」

 リエルの声は巻き上がる噴煙に虚しくかき消され、ベルデは船上に登り……クローセルは

 地面へと伏した。

「くそ……」

 直撃は避け、吹き飛ばされても受身を取れたので問題は無い。駆け寄ってくるリエルを制止するように素早く立ち上がり、ファンゼンを振り仰ぐ。

「クローセル……確かそう名乗っていましたね。良いですか、よく聞きなさい。

この終息した社会では、破壊でしか新たな秩序は生まれないのです。

 あの方は、この世界に既に絶望している……」

 望むように在ることを許されない。生きるということすらままならない。

 力があってもそれは無限でも最強でもない。数によって簡単に滅ぼされてしまう、意外にも脆い異能有石者と区分される彼等の存在。

「黙れよ……絶望だと? 諦めているの間違いじゃないのか!」

「……それは、どうでしょうね」

 ファンゼンは微笑む。

――虚ろな笑みだった。

「さあ、話しはもう良いでしょう。

 キミには用はありません、必要なのはそこで震えているお嬢さんのみです」

 操縦席にベルデが座り、船の縁に足をかけて身を乗り出してくるファンゼンの両手には爆薬が握られている。

「貴方がこちらに来てくれれば、わたし達もすぐに立ち去りますよ。ここは既に、わたし達の欲しいものは何も無いですからね」

 何も無い……そう、結晶のない島などに彼等は用など無いのだ。

「そこの彼が静かになる前に、決めなさい」

「……私」

 上空に飛ぶファンゼンを見上げ、リエルは奥歯を噛み締める。

 恐怖との葛藤に迷う彼女に追い討ちをかけるように、ファンゼンは言った。

「もう……これ以上、貴方のために人が死んで逝くのは嫌でしょう?」

「――えっ!」

「どう言うことだ?

――くそ、新手か!」

 空に居座るヴィーグリーズを中心に、展開する無数の小型船からこちらへと近付いてくる船影を見つけて、クローセルは焦った。

 対人なら勝機も見いだせるが、流石に飛行帆船……それも複数となると話は別だ。

「さて、どうしますか?」

 その焦りを見抜いて、ファンゼンは悠然と微笑む。

「――伏せろ、小僧!」

「――!」

 響く男の――声。

 何故だと問うよりも先に、感覚が捕らえる威圧感にクローセルはリエルを抱えて草地の上に伏せた。

「ベルデ!」

「――っつ!」

 白色の光線が空気を焦がしながら飛翔し、大空へと突き抜けてゆく。ベルデの操る船は間一髪撃墜を免れたものの、後続隊はまともに喰らい、白煙を上げて海原へと落ちていく。

「――乗るんじゃっ!」

「ペダさん?」

「助かる!」

 現れたのは、動力馬車に乗ったペダたちだ。クローセルは荷台から手を伸ばされるジュテルニの手をとり素早く乗り込むと、すぐにリエルも引き上げる。

「どうして?」

「襲われたんですよ、奴らにね」

「――馬車を早く出せ。止まっていては狙われる!」

 カツンと荷台に転がり落ちる薬莢の音が緊迫を促す。

「ツァリス? お前、大丈夫なのかよ」

「分かっておる、今すぐに……」

 操縦席から身を乗り出し怒鳴るペダは、動転したその表情を強張らせた。

「あれは」

「……」

 二人の戸惑いに揺れる視線が交差する。

「出せ! オレはまだ死ぬわけにはゆかん」

 片手でありながら器用に次弾を装填しているのは、血の気の無い顔にサングラスをかけたツァリスだった。

 先ほどの光線も彼が持つ銃から放たれたものだ。

「――っ」

 乱暴な言葉だが、確かに彼の言うとおり止まっていては格好の的だ。ペダは言葉を飲み込んで馬車を走らせる。

「逃がしませんよ! ベルデ」

 呪詛のようなファンゼンの声が響き、小型船は宙を大きく旋回して逃げる馬車を追う。

「……どうなっているんだ、これは……一体!」

「ペダさん」

 暴れるハンドルを握り締め、ぎしぎしとしなる車体を制しているペダは乾いた声で呟く。恐れるべき相手、憎むべき存在が呼んだ懐かしい名前。

「これでは、村へ降りるしかなさそうだ」

 船を撃墜し空へと消えた光線が引き寄せたのか、大空で待機していた船の一画が動き出した。ツァリスの銃がいくら強力であったとしても、そのすべてを一人で落とすのは弾数の乏しい古式銃では無理だ。

「このまま行くしかねぇよ、先生。それに――」

 村を仕切る木で組まれた門へと向かって、猛スピードで走る馬車から振り落とされまいと踏ん張り、追い立ててくるファンゼンとベルデを睨んでクローセルは言った。

「この島にやってくるのは奴らだけじゃない、俺はそう思うんだ」

 上空で待機しているヴィーグリーズの回りには、今もなお別の部隊が展開している。

 人々に恐れられる荒くれものとは思えないその整然とした様子は、何かを警戒しているようにも思えた。

「何が来るというんだ?」

「空賊ってのは、あきらめの悪いニンゲンの集まりなんだよ!」

 弾を装填した銃を構え、迫り来る船へと突きつけるツァリスに、クローセルは半ば怒鳴りながら言った。

 東海の空賊は略奪よりも財宝探しや交易を主としているとはいえ、空賊であることには変わりはなく。己の縄張りを言いようにあらされて黙っているような者は一人としていないだろう。

「――きゃあっ!」

「くそ!」

 砂煙を上げて回転する車輪のすぐ側に鉛玉が落ち、荷台が大きくかしぐ。

「当てないように気をつなさい! 傷がついたら台無しですよ!」

 後から追従してくる部下に、ファンゼンは怒鳴り声と爆薬を投げ込む。

「ちっ、手間のかかる!」

 横転をなんとか免れた動力馬車のすぐ側を、爆薬によってバランスを失った船が煙を上げて飛んでゆく。

(傷……台無しだと……?)

 すれ違いざまに呟かれた言葉。その真意を探るより先に馬車は村の門をくぐった。

「そんな……酷い……」

 喉を焼くような熱気。

 炎に撒かれ燃え上がる結晶花の花弁たち。

 ささやかな日々の喜びを分かち合っていた人々は、理不尽すぎる暴力の応酬に悲鳴を上げながら逃げ惑っている。

「同じじゃ、十年前の……あの時と」

 小さな家屋が建ち並ぶ通りを進みながら、ペダは震える声でそう呟く。いま現在、目にうつるその景色のすべては、十年前を髣髴とさせる。

 燃え盛る炎と、空の青とのコントラスト。笑い声と悲鳴、それら全てを見下ろす巨大な飛行帆船ヴィーグリーズ。

「……あれは! あの男は!」

 焼けただれ、時の流れに朽ちた赤い屋根の聖堂。その前にある広場に、季節違いな重たげな臙脂色の外套を羽織った一人の男が立っている。

 その姿に、ペダは肺腑が凍りつく恐怖を感じた。

 しかし、速度のつきすぎた馬車はすぐには止まることなどできない。

「ぶつかる?」

 猛進する馬車に気付きながらも退こうとはしないその男に、クローセルは冷や汗をこめかみに流す……が。

「……愚かものどもめぇ!」

 猛々しい声に目に見えぬ力を乗せて男は……吼えた。

 自然のものとは明らかに違う……他者の意思をはらんだ流れを見せた風。それは、緑の一族と呼ばれる異能有石者の持つ能力だ。

「……!」

 息を呑む……いや、空気その物を押し流すほどの突風に馬車の車輪が浮き上がり、乗っていた面々を振り落として横転する。

 上下が交差する視界。あっと驚いた頃には既に身体は地表にあり、言葉にならない痛みに襲われた体が萎縮する。

「手間をかけさせてくれる」

 地を這うような低音の声と靴底が砂を噛む音に、クローセルは手をついて立ち上がり視線をそちらへと向ける。

「――リエルっ! くそ、どうするつもりだよ、お前等ぁ!」

 大柄の体をさらに大きく見せる重厚な外套がゆらりとたなびかせ、男が一人そこに立っていた。そして、その手の中には、意識の無いリエルの姿があったのだ。

「……エルモア!」

 よろり……と上体を起こしたツァリスの苛立った声が、その男の存在を定義する。

「久方ぶりだな……貴様の執念は認めてやらんでもないが、あまり賢いともいえん」

「……黙れ! くっ!」

 ガチリと撃鉄の上がる音が響、銃口が向けられる。

 しかし、引き金が動く寸前、彼等の後を追ってきたベルデの操る船が巻き起こした突風によって吹き飛ばされてしまう。

「エルモア様、お乗りください。奴らが追いついてきました」

「分かっている」

 言葉と共にエルモアの周囲の空気が動き、その体を一気に船の上へと持ち上げた。

「……ベルデ、お前はベルデ・ウエンリルじゃろう! 何故だ、何故そんなところにいるんじゃ。その男は、お前の両親を殺したんじゃぞ」

 打ち付けた体を起こすことも出来ず、上昇する船を見送るばかりのペダに、ベルデはゴーグルごしの視線で見下ろした。

 感情を押し殺すように硬く結ばれた口元は何の言葉も発さない。……拒絶、いや……迷いなのか。

「わたしを殺したのは、お前達だ……それは変わらない」

「待つんじゃ、ベルデ!」

 言葉だけを残し、小型船は空へと舞い上がってゆく。それに追いすがるようにツァリスは銃を構えるものの……短い舌打ちをこぼして、その腕はすぐに下ろされてしまった。

「ここに、船は無いのかよ! 奴らを追えるような船が!」

 苛立った声を張り上げ、クローセルは上空で待機していたヴィーグリーズへと消えてゆく船に吼える。地上に降りた空賊は、あまりにも無力すぎた。

 だが……

「あれは――?」

 横転した馬車の荷台に寄りかかりながら立ち上がったジュテルニは、東の空に見える無数の影に声を上げる。それとほぼ同時に、待機していたヴァラクタの手勢が動き出した。

 熱された風が起こす陽炎に揺られる東の空に、無数の船影が現れたからだ。

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