第10話
ペダのところで軽い食事を済ませたクローセルは、ノルシリータに連絡を取るために無線機を借りにリエルと共に村へと向っていた。
「ここも、夏祭りをやってるんだってな」
緑溢れるこの緩やかな丘陵地帯は、もともと島の中心にある山だったらしい。大結晶を失い墜落したセキセイ島はこの山を残し、その大半は海中へと沈んだとされている。
目に映る景色は穏やかで、とてもそんな過去をもっているようには見えないが。
「そうらしいですね……賑やかな音楽が聞こえてきます。
……あぁ、この曲」
先を急ぐクローセルから少しばかり遅れて歩いていたリエルは、眼下にある村を見下ろして呟いた。
小さな村の広場には、祭りのためのやぐらが立てられていて、緩やかな音楽はそこから流れているようだ。
「繻子の砂は風に乗り、瑠璃の種はかの懐かしき地に眠り。
何れ来る貴方を懐かしきこの場所へと誘うでしょう。
わたしは遥かな海の袂で貴方を迎え、共にあるこの時を永遠に祈る」
「なんだ、知ってるのか?」
かすかに聞こえてくる音楽に合わせてく口ずさんだリエルは、少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「……黒の旅団につかまる前は、ロニオン王国にいたんです。
この歌は、楽団でよく歌っていたものなんですよ。懐かしいな……」
微笑み、そして少しばかり寂しげな表情になって頷く。
「なあ……リエル」
「はい?」
すこし送れて歩いてくるリエルの歩調に合わせて、クローセルは彼女の隣に並ぶ。
「そのペンダント……それはきっと、両親が君に残してくれたものなんだろうな」
「――はい、おそらくは」
視線を合わさず言葉だけを交わす彼等の間を、甘い風が流れる。
「私、孤児なんです。
ソエート王国とロニオン王国の国境の街道に捨てられていたのを楽団に拾われて……今まで育ててくれました。
このペンダントは拾われた時は既に首にかけられていて、団長さんは両親を探す手がかりだろうと……言っていました」
言葉がつまるリエルに、クローセルは足を止めてその表情を伺う。
「でも、ヴァラクタに……」
綺麗で深い色合いの琥珀の眼から、真珠のような大粒の涙が溢れる。声が震えているのは、感情が高ぶっているからなのだろう。
「楽団も、故郷も……みんな無くなってしまったんですね」
ロニオン王国領を巡業していた楽団は、立ち寄った町でヴァラクタの襲撃を受けた。命からがらリエルはなんとか生き延びたものの、黒の旅団に浚われてしまったのだ。
「俺も、孤児なんだよ」
「え?」
顔を上げるリエルに、口元を僅かに持ち上げて微笑む。
「親も兄弟も故郷も分からない。
気がついたら俺も道端にいて、レイナンとつるんでいろいろな悪さもしたな。雪がたくさん降るところでさ、あんまりにも寒いからって、勝手に孤児院に潜り込んでたりしてたな」
今となっては懐かしいと、そう……照れくさそうに頭を掻いて、続ける。
「ノルシリータに入ったのは十年前……六歳の時だった。
自分の船がどうしても欲しくてさ」
「船が?」
「ああ、いくら天外孤独だからって何も無い所から生まれはしない。俺は……この広い世界を巡って、何処かにあるはずの故郷を……見つけてやるって、そう思っているんだ」
澄んだ青い瞳に悠然と流れる雲の姿が映りこむ。若く……まだ幼いといってもいい少年だが、そのまなざしは強い意思に満ちていて、知らずに惹きこまれてしまう。
「それは多分、俺自身を知ることなんだ。だからさ……」
クローセルは細いリエルの肩を掴み、その体を引き寄せて言った。
「俺が船をもったらさ、リエル。……一緒に君の故郷にも行こう。
そこに望むものは無くても、怖くても。これから自分らしく生きるためには、必要なことなんだ」
「クローセル」
「ま、まあ」
リエルのまつげの長さに心臓を跳ね上げながら、掴んだ肩をパッと離して熱を感じる頬をそらす。
「その前に、ちゃんと操舵できるようにならなきゃ駄目だし――ヴァラクタもこのまま放っておいちゃ駄目だ。
あんなこと、絶対に許しちゃいけない。奴らにどんな理由があったって、俺は許せないんだよ」
「……許してもうらおうなんて思っていないさ」
「――っ!」
投げつけられる声に、クローセルは身構えて素早く周囲に視線を向ける。
「おまえ、ヴァラクタのベルデ!」
ゴーグルこそつけてはいないが、見間違えるわけは無い。レイクアッドで戦った異能有石者、金色の髪と青い瞳を持ったヴァラクタの空賊……ベルデだった。
「貴様らまで、ここにいるなんてさ!」
「……きゃ!」
一歩前に出て、ベルデは鋭利な水の礫を放つ。
「このっ! 危ない、リエルっ!」
容赦なく襲い掛かる無数の刃に舌打ちをして、クローセルはリエルを草地へ押し倒してやり過ごす。……が、それで息をつくにはまだ早い。
地面に伏せたままの彼等へと、既に第二陣が押し寄せてきているのだ。
「やられてたまるかよっ!」
短剣と鞘をそれぞれの手に持ち、気合と共に襲い掛かる鋭い礫をなぎ払う。絶対に突破されるわけにはゆかない、後ろにはリエルがいるのだ。
「やめて!」
草むらに蹲ったまま、リエルは高い声を上げるが、それでベルデが怯むわけも無い――が。
不意に、空を切るベルデの動きが止まる。
「くそ……水が」
「……今度はこっちの番ってやつだな」
ぜいぜいと肩で息を吐きながらもゆっくりと立ち上がり、クローセルは苦い表情をみせるベルデに挑戦的な笑みを突きつけた。気持ちの上でも、力の上でも負けてやる気はない。
媒体である水が尽きたのならば、刃と刃をぶつける肉弾戦しかないだろう。形勢をこちらの有利なものにもってゆくチャンスだ。
「悪いが、容赦はしないぜ。聞いておきたいことがたくさんあるんだ」
ヴァラクタの副長であるファンゼンに付き従っている彼女からは、聞きたいことが山ほどある。
何故大結晶を奪うのか、何故リエルを追うのか……そして、彼等は何を望んでいるのか。
クローセルは鞘をベルトに挟んで、短剣を構える。それにあわせて、ベルデの方もナイフをその手に握った。
「お前達なんかに、話す事なんてないよ」
「いい覚悟だよ。だけどな、俺だって空賊なんだぜ」
「そうはとても見えないけどね……!」
息を呑むような強い風が、にらみ合う彼等の体に吹きつける。
踝をくすぐる草は、悲鳴を上げるようにけたたましい音をたてて不穏に揺れた。
「……っ! なに?」
急に襲い掛かる、視界がゆがむほどの眩暈。血の気が引くようなその恐怖感にかずれた声を上げたリエルは、何かに誘われるように視線を空へと向けた。
肌を振るわせる振動が足音となって、訪れるものを知らせている。
「ヴィーグリーズ?」
それが何であるのか、いち早く気付いたベルデの声は困惑に揺れていた。
「なんだって、こんなところに!」
困惑しているのはベルデだけではない。クローセルもまた、現れるとは思ってもみなかった不穏な影に悲鳴に近い声を上げる。
そして――その声に応えるように、小さな島が震えた。
砲撃だ。
「ちくしょう、何でお前達はこんなことをするんだよっ!」
耳をつんざく爆音、不穏に立ち昇る黒煙。
足元をすくい上げるような振動に、クローセルはたまらずに声を張り上げて怒鳴った。
小さな村を多い尽くすほどの巨体から放たれる砲弾は容赦なく大地を抉り、人々の生活の痕跡を崩してゆく。レイクアッドの時よりも攻撃の手は緩いが、それでも怒りに震えずにはいられない。
「……村が!」
草地に座り込んだまま、リエルは火の手の上がり始める村を見て呆然と呟く。その光景は、彼女の故郷とも呼べる楽団を一つの街と一緒に滅ぼしたものと、まったくといっていいほどに同じだった。
「こんな、こんなこと……」
手始めにと放たれた砲撃からくる衝撃波が繊細な白い花弁をなぎ払い、無情にも大空へと吹き飛ばす。
「分かるものか……あんた達になんか、分かるものか!」
白い花弁が散る青空に、ヴィーグリーズから放たれた小型船が無数の黒い点となって広がってゆく。
「この世界は、私たち有石者を拒絶している。だから私たちは……エルモア様はこの世界を壊し、全てを作り変え、私達を新世界へ導いてくれるんだっ!」
「貴女は……それでいいんですか?」
「……なんだと?」
リエルの琥珀の目と、ベルデの青い瞳とが交差し。硝煙に侵された風が彼女らの髪を乱暴に撫でる。
「ここは、貴方の故郷じゃないんですか?」
「な、何だって?」
ふらりとよろめきながら立ち上がったリエルは、涙の滲む琥珀の瞳をベルデへと向けた。
「ペダさんの家で、貴方の……小さかった頃の写真を見ました。
とても幸せそうな、家族の写真を……!」
対峙する小柄な少女の背にある、破壊されてゆく村と島の光景。痛ましいその瞬間をリエルは睨みつける。
「だから、だからなんだって言うのさ!」
リエルの問いに対するその言葉は、肯定だった。
「故郷だからって、それがどうした!」
大きな瞳を吊り上げ、手に持った鋭利なナイフを握り締めてベルデは叫ぶ。
「十年前、私は死んだ。
……死ぬはずだった。両親のその手で」
「な、何でだよ」
間合いの向こうにいるベルデの告白に、クローセルは表情を強張らせた。
「異能有石者だからさ……後天性の、ね」
皮肉げに笑ってみせる彼女の表情は、怒りに強張っている。
「言っただろう? 世界は異能有石者を拒んでいると。
そう……あんたが言ったとおり、幸せだった時間も確かにあった。本当に短い時間ではあったけれどね」
異能有石者には、大きく分けて二つのケースがある。
一つは生まれながらに力を有しているもの。そしてもう一つは、彼女のように成長の過程で突然、力に目覚めてしまうものだ。
どちらも差別され、忌み嫌われることには代わりは無いが、後者の場合は一瞬にして世界が逆転することになる。
「でも。そんな時間すら霞んでしまうほどに、わたしは全てを憎んでいる」
「どうしてですか! こんな酷いものを見て、貴方は平気なんですか?」
訴えるリエルに、ベルデは嗤う。何も知らない愚か者めと……
「両親……いや、奴らは、わたしという存在を閉じ込めて殺そうとしたんだ」
ナイフを構えたまま、視線を背後にある村……その中にある赤い屋根の家へと視線を向けた。
「泣いても叫んでも、誰も助けてはくれなかった。
十年前のあの日も……わたしは地下室で怯えながら死を待つことしが出来なかったんだよ。
その恐怖と絶望は、お前なんかにわかるものか」
ベルデが語るのは恐怖。
庇護されるはずだった者に裏切られた、憎しみ。
泣いているようにも見えるその瞳に、リエルは呆然とするしかなかった。
この世界における異能有石者の実情を、彼女はよく知らない。楽団という閉鎖的でもある中で守り育てられたのだから仕方ないと言えなくも無いが、身を持ってその差別を感じたことはなかったのだ。
「そんなわたしを助けてくれたのは、この村の誰でもない。
セキセイ島を沈めたヴァラクタ……ファンゼン様だけ」
かすかに聞こえてきた、祭りの賑やかな音楽は既にどこにもなく。爆音と悲鳴と苦い風が小さな島に蔓延している。
「この世界は、冷たい」
空の青と地上の燃え盛る赤。
毒々しいコントラストを背後に背負い、彼女は言った。
「だから、わたしたちは……わたし達の望む世界を造る。
エルモア様はその世界を、くださる」
◇◆◇◆
人々はその振動をときに歌と呼び、恐れた。
なぜならそれは、畏怖の象徴でもある飛行帆船が遥か遠くから空を割り……荒波を裂いて現れる予兆であったからだ。
「流転を繰り返してきたこの世界の歴史の手綱を、ヴァラクタが――我が取る時が来たのだ!」
青白い光と液体と歌と呼ばれる振動に震える結晶堂の中に、野太い男の声が響く。
ヴィーグリーズの中心部、円形のその聖櫃に渡された鉄橋の中央で、エルモアは狂気の混じる声で吼える。
「支配者気取りの劣等種どもの時代は、我の手で終わらせてくれる! 有石者は元来より頂点に立つべき種、決して排他される存在ではないのだ……」
「目的のモノの所在はこの島に。十年前、我らが最初に落とした島にあります」
長い髪を鉄橋に広げて跪くファンゼンは、足元にある結晶水の海から放たれる光に照らし出される猛者の後ろ姿を見上げ、言った。
「全ては貴方の意志のままに」
牢獄から開放され十六年の日々がすぎても、エルモアの背にある怒りと憎悪と狂気は褪せることなく今も彼の目の前に存在していた。その、強すぎる感情にあてられてしまいそうなほど、鮮やかに……艶やかに。
「さあ、行きましょう。懐かしいあの場所へ」
ゆらりと立ち上がったファンゼンは、エルモアを導くように歩き始めた。
付き従うことを覚悟してからずっと、滅ぼした人や町に興味も無ければ遺恨も感じたことはなかったが、今から足を踏み入れるその場所だけは彼の空虚な記憶に僅かな足跡が残っている。
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