第5話
人で溢れ……混乱しているとはいえ、さほど時間を置かずに発進したとあってか、飛行帆船サリーシャは、手をつないで全力疾走するクローセルとリエルに難なく追いついてしまう。
「……くそ! 飛行帆船かよっ!」
「どう、しましょう……クローセル」
足には自信があると言うだけあってリエルは良くついてきているが、そろそろ限界だろう。広い道をただ走るならまだ余裕もあるだろうが、上空からの砲撃で通りには瓦礫が散乱している上に、逃げ惑う人々を避けていては、息を削られるのも仕方がない。
「くそっ」
絶体絶命。そう言ってもいい状況に、クローセルはたまらずにうめいた。いくら考えても飛行帆船より早く走る方法はなく、路地に入って撒こうとしてもその路地に入ることすらままならないのだ。
「逃げても無駄だってことはわかっているんだろう。大人しく捕まれ!」
「そういうわけには、いかねぇだろ」
阻むものの無い空を疾駆する船から降り注ぐ高い声に毒ついて、クローセル達は広場へと入る。おそらくここでは市が開かれていたのだろう……広場に転がる果物を踏みつけ、彼等はただひたすらに走る。
「素直に従えば……殺しはしないさ!」
「そんなこと、信じられるかよ!」
頭の上で二つに結んだ金色の髪を激しくなびかせて速度を上げると、行く手をさえぎるように回り込み、後尾甲板についている砲台を向けた。
「これ以上は、進めません」
「最後まで……いや、最後の時にだって絶対に諦めちゃ駄目だぜ、リエル」
小型艇の乱入のせいか人々はさらに恐慌状態となり、混乱した広場を抜けるには少女が立ちはだかる路地を通ってゆくしか方法はない。
「上手く逃げてくれよ」
「えっ」
どうしてと、問うよりも先に。クローセルは繋いでいたリエルの手を乱暴に振りほどき、小型船へと向かって力の限り走ってゆく。
「とまれ、止まらないか!」
「打つ覚悟がないなら、そんなもの使うなよ!」
向けられる銃口に引きつった笑みをつきつけたクローセルは、夏の甘みの強い果物がつまった木箱の山を駆け上り、小型船へ向って跳躍した。
「――なっ!」
「すごい」
少女の躊躇いを見透かしたクローセルの大胆な行動に、リエルは逃げることも忘れて見つめる。
「悪いけど、この船は頂戴するぜ」
すたっと身軽に甲板に降り立ったクローセルに、少女……ヴァラクタの空賊ベルデもまた、ナイフを片手に操舵席から離れ、身構える。
「……ふん。こそ泥だとはね」
小振りのナイフは持ち主に似て華奢だが、油断なく構えるその姿は驚くほど様になっている。舐めてかかれば痛い目にあうだろう。
「言ってくれるじゃねぇか。俺は、ノルシリータの空賊クローセルだ!」
短剣を逆手に持ち、姿勢を低く落としたクローセルはゆっくりと重心を前に傾け……勢い良く甲板を蹴り上げ、ベルデへと飛び掛る。
「女だからって、子供だからって……私をなめるなよ! 私はヴァラクタのベルデ!」
互いに名乗りあい、両者は挨拶代わりにと鋼鉄の刃を叩きつけあう。
「……っつ!」
耳障りの悪い高音が鼓膜をつんざき、競り負けたナイフが宙を飛んだ。純粋な力比べでは、クローセルに分があるのは当然だろう。
悔しそうにいためた手首をさするベルデに、クローセルは僅かに距離を取って立ち、攻撃を退けた短剣の切っ先を突きつける。
「俺の勝ちって奴だ。大人しく言うことを聞くのはそっちの……」
「――まだ、終わってないよ」
唯一隠されてない唇を噛んだベルデは苦々しく呟いて、腰に巻きつけているベルトに縫い付けている瓶へと手を伸ばす。
「まさか、お前も!」
それを見て、クローセルは全身に鳥肌が立つのを感じた。本能が、頭で考えるよりも先に危機を察していた。
「くそっ、異能有石者だっていうのかよ!」
瓶の口まで満たされた透明の液体に浸した彼女の小さな爪が、青く変色してゆく。
彼女もまた、異能有石者であるようだ。
「くらえ!」
細い指をぬらすその液体は、何の変哲もない水だ。しかし、彼女の肉体に宿る力に感化された液体はその飛沫を幾つもの鋭い刃と転じ、クローセルへと襲い掛かる。
「――っ!」
全てを防ぐことは不可能だ。せめて致命傷を負わないようにと肌に走る裂傷を無視して剣を振り、体を捻って避けるしかない。
「クローセル……あっ」
逃げろと言われたものの、苦戦を強いられているクローセルを見ていては心配で動くことも出来ず、人ごみの中で立ち尽くしていたリエルは遠くから聞こえてくる振動音に顔を上げた。
「あの船は!」
逃げ舞うどう人々を吹き飛ばす勢いで、黒塗りのあの小型船が広場へと飛び込んでくるのだ。
「……乗れ、奴が……くる」
地上すれすれに降りてきた船から縄梯子を下ろし、 舵を握る黒尽くめの男……ツァリスは、苦渋の滲む声でリエルを促す。
「はやくしろ!」
路地の向こうから悲鳴と爆発音が響く。ファンゼンだろう。
「でも……あっ!」
躊躇うリエルの腕を、船から身を乗り出してきたツァリスの左腕が掴み上げ、そのままの強い力で一気に船へと引き上げる。
「……待って!
クローセルっ!」
リエルを船に乗せたツァリスは有無を言わせず、そのまま船の高度を上げてゆく。
「――? リエル! くそっ、あいつ」
「まて、お前……!」
船に乗せられたリエルを見上げ、クローセルは短く舌打ちをした。なぜ彼女が狙われるのか、クローセルに想像のつくようなものではないが、このまま見過すわけにはいかない。
ベルデの追求を振り切って船尾へと走ったクローセルは、砲撃によって切れたワイヤーロープに手を伸ばす。
「待ちやがれっ! リエルをどうする気だ」
飛び込んだ勢いを利用して、上昇を始める船へと跳躍する……が。
「……わっ、ああああっ」
僅かに距離が足りなかった。縁に捕まろうと伸ばした手すら空を切る。
「クローセル!」
「……のっ!」
しかし、間一髪。風にあおられた縄梯子が指先に引っ掛かった。ずんっと付け根から腕が抜けてしまいそうな衝撃に鈍い悲鳴を上げつつ、必死になってしがみ付く。
「よかった……クローセル」
縄梯子をよじ登り、甲板へとあがったクローセルはほっと息をつくリエルに微笑みかけ、すぐに短剣を手に身構える。
「ちっ……余計な、モノまで」
苦々しい声が操舵席から突きつけられる。
「悪かったな。嫌なら、今すぐ下ろしてくれたって良いんだぜ」
「出来るならそうする……が」
ちら、と。サングラス越しに睨まれる。
「小僧、操舵は出来るか?」
その視線の先はクローセルではなく、その後から追いかけてくる一隻の小型船に向けられている。
「小僧じゃない。俺は、ノルシリータの空賊クローセルだ。……操舵は、できる。一応は」
威勢の良い口調とは裏腹に頼りない語尾に、ツァリスはため息と共に首を振る。……が、それでも任せることにはしたようだ。ひどく緩慢な動作で操舵席から立ち上がった。
「かわれ」
「え? うわっ!」
言われるまま、クローセルは慌てて空いた席に飛び込み舵を握る。作りはごく一般的な小型船と同じようだ。改造しているのか所々見慣れない機器もあるが、とりあえず飛ぶくらいならなんとかなるだろう。
「……町が」
ぶれた船体を立て直し、上空から見下ろした町の無残な光景にクローセルは勿論、リエルも言葉を失っていた。
あちこちから立ち昇る黒煙、ちらつく火花。鮮やかに飾られた町は見るも無残に蹂躙されている。
「ちくしょう!」
憎々しげに唇を噛み、クローセルは船の速度を上げる。追尾してくるベルデの船の銃口が、こちらを狙っているからだ。
「構わずに飛べ、後ろの船は俺が落とす」
振り落とされまいと姿勢を低くしたツァリスは舵を取るクローセルにそういい残し、船尾に取り付けている砲台へと向う。
「……怪我をしているのではないですか?」
「何かに捕まっていろ、振り落とされる」
「でも」
近寄ろうとするリエルを視線で押し留め、ツァリスは半ば倒れこむように砲台へと寄りかかった。
「お前――」
「はい?」
「いや、いい。なんでもない」
訝しがるリエルの追求を逃れるように、ツァリスは追撃してくる船体へとめり込む予定の弾を装填する。がしゃんと重たい機械音が船体を軽く揺さぶった。
「おまえ、撃つ気なのか!」
火の手の上がる町を飛びこえ、眼下には青い海が広がる。
「下手な腕だ。このままでは、追いつかれる」
「わ、悪かったな! 下手で! つーか、相手は女の子だぞ」
「だから、なんだ? 相手は……異能有石者だ」
「そんなこと……っ!」
耳をつんざくような破裂音とともに船体が揺れる。
「撃ってきやがった?」
「ちっ……!」
黒い船体に屑を残した砲弾は白い波が立つ海原へと飲まれてゆく。直撃は避けたものの、舵の役割を担う後尾の航行布に損傷を与えたのか、上手く船を制御できない。
「この……」
近付いてくる飛行帆船特有の振動音に、クローセルは重い舵を握り締め唇を噛んだ。
だが。
「――きさまらっ!」
耳に残る甲高い悲鳴は、あの少女のものだ。放たれた弾丸に応戦するよう、ツァリスが放った弾は見事に船底で揺れる航行布を薙ぎ、後方の船を制御不能に追い込んだのだ。
「……っ」
見るからに失速してゆく船に、クローセルは苦い表情をつくる。しかし、海へと向って落ちてゆく船の行方を伺う余裕は彼等にもない。
激しい振動が足元を揺るがしたのだ。
「たいした腕だ……」
苦々しく呟いたのはツァリスだった。自分がそうしたのと同じように、抉り取られた航行布の端々が空へと舞い上がるのを目で追い、うめく。
「だめだ、落ちる……!」
制御できなくなり、好き勝手に暴れる舵を押さえ込むが、自然の法則にはとてもじゃないが敵わない。もはや意味の無い舵を放り捨て、クローセルは声も出せないでいるリエルへと駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
「クローセル……!」
すっかり脅えきってしまった弱々しい声に、あえて笑顔を向ける。
「約束しただろ、助けるって」
眼下に迫る海原に、クローセルは奥歯を噛み締めてすぐに訪れるだろう衝撃に奥歯を噛みしめた。
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