第4話
「クローセル!」
今にも泣きだしてしまいそうな張りつめた高い声が、痺れる意識を辛うじて戦場につなぎとめてくれる。だが、それだけではどうにもならない。
「異能有石者……お前も!」
とてつもない強い衝撃で宙に投げ飛ばされた身体は、まともな受身も取れないままに、惨めに転がる。
「くそっ!」
落下の痛みよりも、焼けるような喉の痛みにクローセルは苦悶の声を上げた。
「やめてください!」
「……おやおや、姫君のご登場ということですか」
人の波を押しのけて、悶えるクローセルの元へと駆け寄ったリエルは、歩み寄るファンゼンを留めようと両手を広げて立ちはだかる。
「駄目だ、逃げろ……リエル」
衝撃に痺れて上手く力がはいらない手で舗装をかきむしりながら、クローセルは逃げるようにリエルを促すものの、気丈な彼女は首を振って拒絶した。
「ふふふ……これはこれは、何故ここに貴方がいるのですか?」
「どう言う、ことですか」
脅える彼女の胸中をあおるようゆっくりと歩み寄りながら、ファンゼンは右手の剣を鞘に収め、誘うようにその手を差し伸べた。
「こちらから、迎えをやりましたでしょう?」
「――仲間?」
腕を突っ張り、上体を起こしたクローセルはせめてもの抵抗だと、隻眼の瞳に目いっぱいの怒りをこめてファンゼンを睨む。
「ふふふ……睨むならどうぞ、蔑むならそうしなさい。わたし達は忌み嫌われ……恐れられ、淘汰されてきた異形の化け物。
しかし、それももうすぐ変わるのです。勝者と敗者、弱者と強者……その全てがあの方の手によって作り直される。
そのためには、ね。どうしても貴女が必要なんですよ。今度こそ、大人しく我々の元へおいでなさい」
「今度こそ? 私を……何故?」
微笑と狂気。静かで諭すような声音は、怒鳴られるよりもずっと恐ろしい。
「あなた一人のために、何百という人間が死ぬのは嫌でしょう?」
伸ばされる腕に囚われまいと、一歩下がるリエルは救いを求めるようにペンダントを握った。
「――ちくしょう、動け、動けよ俺!」
焼けた喉がひりひりと痛み、口の中に苦い鉄の味が広がる。クローセルは舌を噛むような勢いでうめき、緩慢な四肢に活を入れる。
「さあ、行きましょう。あの方が貴方を待っています。それに、貴方の――」
「……ファンゼン!」
「!」
ファンゼンの腕がリエルを捕まえる、まさにその直前。感情の全てを怒りに押し殺した男の咆哮が、すべての視線を上空に向けた。
立ち昇る黒煙に煙る空。
警備隊と空賊とが入り乱れている戦場を鮮やかに駆け抜けてくる黒塗りの小型船から、黒いマントの男が飛び降りた。
「貴様!」
「――ここで朽ちろ、悪魔っ!」
あっと叫ぶ暇もなく、鼓膜をつんざく轟音がこの場にある全てのものを凍りつかせる。男が羽織っている重たげな黒いマントから突き出ている左手には、掌ぐらいの筒……銃と呼ばれる武器が握られている。
「銃だと! リエル!」
「きゃっ!」
鼓膜を突き破ってしまいそうな銃声に、クローセルは痛みを訴える体を無視して勢いよく立ち上がると、すぐさま呆然と立ちすくむリエルを抱き寄せ、降り注ぐ鋼鉄の雨からあわてて逃れる。
「あきらめの悪いニンゲンですね」
硬い舗装にめり込むほどの威力を持った銃弾が頬を掠め、ファンゼンの白い頬に血が滲む。
「消えるのは、貴様の方です」
ファンゼンは滑る血を頬に撫で付けるように拭った手を懐へと差し込み、クローセルを吹き飛ばした爆薬を取り出すと、発砲しながら落下してくる男へと投げつけた。
「粉々に砕けなさい。朽ちるだけの貴方には、生きる価値もなければ死ぬ価値もない」
異能有石者の証でもある硬質的なファンゼンの瞳が赤く燃え、爆薬は男と銃弾を巻き込んで炸裂する。
「なんて威力だよ!」
「クローセル……」
「逃げるのは癪に障るけど……ここはそうするしか」
爆ぜる風によろめくリエルを支え、クローセルは逃げ道を見出すために視線を動かす。
「待ちなさい、逃がしませんよ!
……それと、しつこい人は大嫌いなんですがね」
「好かれようとは思ってないさ」
火薬の臭いの混じる粉塵が風にざっと流され、銃を構えた隻腕の男がブーツの踵を打ち鳴らして現れる。
黒い髪。踝まである黒のロングコートと表情の全てを隠すサングラス。そして、抑揚の少ない声音と相まって、男の放つ気迫は熱でなく冷気を感じる。
「なんなんだ……あいつは?」
にじみ出るような殺気を向けられているわけでもないのに、クローセルは肌があわ立つのを感じた。
「何故、あの娘を狙う?」
銃口……そして、おそらくは視線もファンゼンへと向けたまま、男は言った。
「銃使い……貴方のお仲間は、ツァリスと言っていましたかね」
ファンゼンは少しも動じた様子もなく、逆に、挑戦的な視線と一振りの長剣で対抗する。
「名を呼ぶな、虫唾が走る」
少しずつ間合いを詰めてゆくファンゼンを牽制すべく、ガチリと激鉄が持ち上げられる音が響いた。
(……リエル)
対峙しあう二人の間に漂う空気は緊迫しており、互いのほかに気を配れない状況に陥っている。クローセルは両者を刺激しないようにと、できうる限りの小声でリエルに耳打ちをした。
(思いっきり、走れるか?)
逃げるのならば、これほどのチャンスはない。
(……はい。わたし、こう見えても足には自信があります)
クローセルの思うところを察したのか、リエルはこくりと力強く頷いた。
「よし」
それにクローセルも頷き、肩を抱いていた腕を放して彼女の暖かい手を握る。
「行くぞ!」
「――! まちなさいと言って……」
「逃がさん! オレは、今日こそお前達をたおす!」
均衡を崩す掛け声にファンゼンは慌てて振り返るが、ここぞとばかりに引き金を引くツァリスによって足止めされる。いくら彼が異能有石者であったとしても、音速で飛び込んでくる鉛玉をまともにくらってはたまらない。
「ベルデ、あの二人を追いなさい!」
鞘に収めていた剣を右手に握り、二つの剣をつかって巧みに弾丸を避けながら、ファンゼンは自分が乗ってきた船へと声をかける。
「しかし!」
二人乗りの小型船の操舵席に座る小さな人影……この荒れ狂った戦場には非常に不釣合いな少女は、ゴーグルをつけていても察することができる不安げな表情を浮かべた。
「わたしなら大丈夫。あの娘、必ず捕らえるのですよ!」
「はい……了解しました」
ベルデは名残惜しそうな視線をファンゼンに向けつつ、敬礼を残すと、すぐさま前方を走る二人へと顔を向けた。
年頃の少女らしい細腕が幾つものレバーを正確に操作し、船の能力を目覚めさせる。
「どうか、ご無事で……ファンゼンさま!」
声と共に、飛行帆船は廃棄光と呼ばれる輝く銀色の塵を撒き散らして浮き上がり、船底にぶら下がっている帆がたなびく。
「行くよ、サリーシャ」
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