第3話

 祭りの見物人でごった返している通りを、後をついて走るリエルのために道を作りながら進んでゆく。

「もう少し、がんばれよ!」

「は、はい」

 はぐれないようにとしっかりと手を握り、息の上がっているリエルに合わせるように多少歩調を遅くする。

 中央広場へ続く路地に入ったとたんに人の数が倍以上に増え、中型の飛行帆船が通れるぐらいの道幅はとても窮屈で息苦しい。

「ここまでくれば、大丈夫だろう」

 彼等は路地の端に出来た僅かな空間に滑り込み、上がった息をゆっくりと整える。吐き出す息も吸い込む風のどちらもが熱く、胸を焦がすようだ。

「……これは」

 リエルは熱気にあてられた頬を赤く染めつつ、あたりに鳴り響く高らかな鐘の音に顔を上げた。絵の具を塗りつけたような幻想的な青い空の中、甘い香りを放つ花弁がふわふわと舞い降りてくる。

「結晶下しの儀が始まったんだ」

 クローセルはそうリエルに言って、空を指差す。

「わぁ……」

 背の高い建物がそれぞれの高さを競うように乱立しているために、箱庭のように区切られた空を旋回する幾つもの小型船が、地上へと様々な色の花を投下している。

 それは夏の熱気に解かされることの無い結晶となって、ひらひらと虚空に遊びながら地上へと降りてゆき、人々の吐息を熱いものへとかえてゆく。。

「ここ……レイクアッドは毎年夏季祭って言う夏祭りをやっているんだけど、今年は一味違っていてさ、大陸を浮かしている大結晶をお披露目するんだ」

「綺麗……こんな綺麗なものがあるなんて。

助けてくれてありがとうございます、クローセルさん。でも、あの人は……」

 言葉を濁すリエルは、不安げに来た道を振り返る。

「……さん、なんて付けなくて良いよ。俺はクローセル、それだけでいいさ。

 レイナンのことも、心配しなくて大丈夫だから」

 走らず、ゆっくりと歩き出したクローセルは、首を傾げるリエルに言う。

「君……リエルだって見ただろう? あの力は――」

 ……といいかけて、歓声とは違う不穏な響きを感じさせる音にクローセルは反射的に背後を振り返った。

「どうしたんですか、一体?」

 その顔が強張っているのを見、リエルも嫌な予感を感じて振り返る。

 ……そこには。

「な、何なんだ、あの船」

 視線の先、輝く太陽の光をさえぎるように巨大な……ただひたすらに巨大な塊が浮かんでいる。

「あれは、あれは……ヴァラクタ!」

「ヴァラクタ?」

 細い両肩を震わせ、巨大な船影を凝視するその横顔は、青白く強張っている。

 船……というよりも戦艦といったほうがしっくりくるような、物々しいその飛行帆船は、幾つものマストが甲板から突き出ているのからして古代船であるようだが、その形は今までに見たことの無いものだった。

 古代船では結晶堂と呼ばれている、船の動力である白色結晶と結晶水が溜められている動力室だろう大きな球体を挟むようにして二隻の船が並び、太陽の熱さえ凍りつかせてしまいそうな無機質な装甲を持つ船はそんな奇妙な姿をしていた。

 だが、驚くべきところはそこではない。

 船の側面に取り付けられている小型の機関銃の銃口が、大地の上でぼんやりとそれを見上げる人々に向けられているのだ。

「こんなところで撃つ気かよ!」

「そんな! そんなことをしたら……」

 歩くのもままならないほどに混雑している中で、あんなものを打ち込まれてはたまったものではない。突然現れた恐怖に混乱している人々は既に恐慌状態であり、とにかく遠くへ逃げようと我先に、人を掻き分け……そして踏み越えて逃げ惑う。

「くそっ!」

 その混濁した流れに浚われてしまわないようにと、クローセルは震えているリエルを引き寄せて肩を抱く。

「……やつら、空賊か!」

 銃口を下に向けたまま遥か上空で停止した船から、無数の小型船が飛び出してゆく。白兵戦を仕掛けるための、速度を重視した小型船だ。

「くそ、シューヴィッツ達はなにをやっているんだよ」

 頭上に展開する黒い影は、まるで農作物にたかる羽虫のような動きで一斉に地上へ襲い掛かかってゆく。

 それを阻止しようとレイクアッドの警備隊の船も大空へと舞い上がるが、空賊たちは追撃を振り切って町を蹂躙してゆく。

「はははははははっ、無様! まさに無様ですね!」

「……なんだ?」

 とにかくこの場から遠ざかろうと逃げ道を算段していたクローセルは、響く男の声に足を止めた。地面すれすれで停止している小型船の側に、随分と派手な容姿をした背の高い男が立っている。

 黒いレザーで細身――といっても貧弱なものではなく無駄の無い細さだ――の体を包み、蹂躙される風になびく長い金髪は、赤や青、緑と様々な色のメッシュが入っている。この混乱した中で悠々と笑っているのだから、その男は空賊……ヴァラクタの人間であることは間違いないだろう。

「これが、カルカスト大陸一の港町ですか? あきれたものですね」

 カツカツと、ブーツの踵を舗装面に穿ちながら歩き始めた男は、腰に下げていた二振りの片手剣を抜き放ち、逃げ遅れた青年をその口調とは相反する乱暴な素振りでなぎ払う。

「弱い、そして脆い。ならば、滅びるのは当然の摂理。

ですよね?」

「――ぎゃあっ!」

 罪悪の無い無情の一撃は恐ろしいほど的確に青年の肉を抉る。……が、それは致命傷ではない。それが故意に狙ったことなのか、それとも偶然なのかは定かではないが、耳に残る悲痛な悲鳴を上げながら、青年は男の進路上にぐったりと倒れこむ。

「もっと綺麗に泣いてわたしを楽しませてくださいよ。貴方という存在は、それぐらいの価値しかないのですから」

 ぞっとするような美しい容姿に、肺が凍るような狂気から来る笑みを浮かべた男は、自分の身に一体何が起きたのか理解できないでいる青年へとにじり寄る。

「ひ……」

 か細い悲鳴。だが、青年の側にはその窮地を救えるものは誰一人としていない。

「リエル、ごめん。一人で逃げてくれ」

「……クローセル?」

 いてもたってもいられなくなったクローセルはリエルにそう言い残すと、そうするのが当然だというように、血糊で汚れた剣を振り上げる男へと突進していった。

「させるかよ!」

「――誰です?」

 男と青年の間に割って入ったクローセルは、頭上から振り落ちてくる剣を短剣の腹で受けとめ、そのまま全身のばねを使って男の剣を弾き飛ばす。

「早く、逃げろ!」

 ちらりと背後の青年を見やり、少々乱暴にそういうと、クローセルはすぐに視線を男へと向けた。

「おやおや、正義の味方のご登場ですか?」

「――悪いかよ?」

 人をくったような軽い口調に笑われて、クローセルは短剣を構えた。気の抜けた声だが、肌に感じる威圧感は只者ではないことを教えている。

「お前ら、一体なんなんだよっ!」

 少しでも気を抜けばとたんに膝が折れてしまいそうな、高圧的な威圧感から逃れようと声を張り上げる。その、必死な様子を……男は面白そうに笑った。

 若さから来るその必死な思いを踏み潰すのは、何よりも面白い。クローセルの動きに合わせて二つの剣を構え、ずるりと足を引き摺って距離を詰めてくる。

「わたしですか? 知りたいのなら教えて差し上げましょう。

南海の空賊ヴァラクタの副長ファンゼン。よろしく……と言いたいところですが、すぐにお別れしなくてはいけなんて悲しいですねぇ」

 ファンゼンと名乗ったその男は、両手に持った剣の刀身を擦り合わせて楽しげに微笑んだ。その様子はまるでこれから遊びに出向く子供のようであり、追い詰められている側としては腹が立つことこの上ない態度だった。

「俺は猿でも、小僧でもない! 東海の空賊、ノルシリータのクローセルだ!」

 胸中の怒りの全てを吐き出すように名乗り、ファンゼンへと飛び掛る。

「威勢がいいだけあって、それなりに出来ますね」

「なっ!」

 振り下ろした短剣を寸前で受け止められたうえ、その細い腕からは想像できない力強さでクローセルは短剣ごと弾き飛ばされてしまう。

「……ちくしょう!」

 ぐるりと一回転する視界をとめるために靴底を滑らせながら着地したクローセルは、短剣を取り落としてしまいそうな腕の痺れに舌打ちする。

「クローセル!」

「来るな、リエル! 俺のことはいいから、逃げろ」

 逃げ惑う人々に押し流されながらも、しゃがみ込んでいるクローセルへ駆け寄ろうと、リエルはその細い腕を必死になって伸ばす。

「健気ですねぇ、稚拙であるがゆえに美しい。あぁ……やはり、散らすのは美しいものの方が面白い。他者を踏みつけ、我先に逃げようと必死な雑魚よりも、ずっと……ね」

「……このっ」

 恍惚の笑みを浮かべるファンゼンに寒いものを感じながら、クローセルは痺れを押して短剣を握り、立ち上がる。

「お前の相手は俺だぜっ!」

「だめ、逃げてください!」

 リエルの静止の声を振り切り、ファンゼンの間合いの内へと走りこんだクローセルは、躊躇なく短剣を振りかぶる。

「お嬢さんの言うとおりですよ」

「なに?」

 ファンゼンはクローセルの短剣に自身の剣を絡めて動きを封じると、腰に下げたポーチから手の平に乗る位の黒い紙が巻かれた筒を取り出し、放り投げる。

「……なっ!」

 本能がいち早く悟る危機感。相対する琥珀の瞳に、燃えるような真紅の輝きがちらつくのを見て、クローセルが息を呑んだその瞬間――視界が無色にはじけ飛んだ。

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