5-11 だからこそ


 僕の過ちの原因、その罪状を読み上げた。


「お前が優佳さんに協力できなかったのは、李さんを許せなかったからだ。

レイカ君を支えなければという強迫的な思い込み、それも母親を許せなかったからだ――それで説明がつく」


「……」


「だから、纏場。お前は嫌でも……いや、絶対に李さんを許すべきだ」


 レイカの、母親を許す?

 ……果たしてそんなことができるのだろうか。


 僕の人生の半分以上は縁藤一家と過ごし、レイカは守らなければいけないと思って生きてきた。

 それはレイカからの拒絶もあって、距離は置いたこともあるが、李は縁藤一家に仇なす存在だと思い込んできたし、僕の生き方や考え方にも繋がっている。


 そんな人を僕が許すことなんて出来るのだろうか。

 そもそも李を許して、いまさらなにが変わる?


 先輩の言を真に受けるのであれば、僕の生き方は李を許さないことで成り立っているも同然だ。


 僕は自分の人生に後悔があるか、やり直したいことはあるか、と自問する。


 ……ない。


 すべて納得して生きてきた。自分で決めて、起きたことに納得できている。

 だからこれから経験するであろう、幼馴染たちとの別れだって。


 きっといつの日にか笑い話になる日が来るだろう。だって五年前の、あの時を乗り越えて僕は生きている。


 だから僕は……



 その時、手がきつく握りしめられる。


「トッシ~駄目だよ……アンタ頑張ってんじゃん、いつも我慢ばっかしてるじゃん、なのに自分から一人になろうとするなんて絶対ダメ」


 まだ俯いたままの華暖は、涙声をあげて抗議するかのように手を握りしめる。


「それにトッシ~はどこまで行っても一人なんかじゃない! 一人になろうったって、アタシが地獄の果てまでも追いかけるから!」


 顔を上げ、真っ赤にした目で僕を睨み付ける。


「それにアタシのことフッといてさ、誰とも付き合わないなんてナメてんのぉ?アタシよりいい女と付き合うって理由じゃないと、ゼッタイ納得なんてしないんだからっ」


 華暖はそう言うと、また伏せってしまう。


「……纏場、私もこのままだとあなたに幻滅しそう」


 それまでずっと黙っていたエーコが口を挟む。


「あなたは人に優しすぎるのよ、それがいいところでもあり、悪いところ。そんなあなたが誰かを許せないだなんて、そんなこと有り得ない」


「それは……エーコの買い被りだよ」


「私があなたなんかを買い被るわけないでしょ、調子に乗らないで。だって、あなた、私と酷い別れ方してるのに、あなたは一言も私を責めなくて……」


 エーコは通路に立ち上がり、僕に体ごと向ける。


「纏場、ごめんなさいっ!」


 そう言って、頭を下げる。


「五年前、あなたと最後に生徒会で話した日、私の思い上がりでひどいことを言った。それをずっと謝りたいと思ってた」


 初めて聞く、エーコの低く重い声。


「結局いままで、なあなあにしてきた。それもあなたが何事もなかったように、普通に接してくれたからっ!」


 五年前、エーコが怒った時よりも通る声。五年間溜めた後悔を、すべて吐き出すかのように。


「私はいまでも纏場に言ったことを後悔してる! そして謝りもせず、あなたの好意でなあなあにしようとした、私を許して欲しい……」


 初めて聞く、エーコのぐずついた声。

 いつでも無感情……いや無感情を装っている、決して見せてこなかった感情。


 僕は生徒会室のことを思い出していた。普段の仮面を剥がして、初めて見たエーコの笑顔。

 その優越感に浸った、僕とエーコが友達になったあの日のことを。


「なに……言ってるんだよ。あの時は秘密の交換をするって話だったんだ。だからエーコに秘密を明かさせておいて、僕が話さなかったことに怒るのは当然で……」


 エーコは顔を上げ、僕の顔を呆然と見つめた。

 なにか今まで気付けなかったことに、気付いたように。


「はは、私って大馬鹿だ。だってようやく纏場があの時なにを隠していたか、わかっちゃったんだから……」


 あの時、隠していたこと。それは……


「纏場、私を馬鹿にしてるんでしょ……あなたがいい人ぶることで、私を最低な人間だって気づかせたいんでしょ?」


 エーコはもう周りをはばからず泣いていた。


「どこまでお人好しなのよ! あの時、あなたの秘密なんて言えなかったに決まってるでしょ!? なんで逆ギレしなかったのよっ!」


 その時、抱えていた秘密。エーコが僕から聞き出そうとしていた悩み。

 それは、盗難の罪を押し付けられていたこと……


「どうして、あなたはそうやって人を甘やかすの? だったら自分も少しは甘やかしなさいよ……」


「……ごめん」


「あんたが謝ってたら世話無いわ、バカ……」


 エーコはそういって涙声に、少しだけ笑う。


「――許してやれ」


 そう言ったのは先輩だった。


「映子、諭史を許してやるんだ」


「「え……」」


 僕が許される……?


「映子と諭史の話は、俺にはわからない。でも映子は諭史に怒って、諭史も悪いと思ったんだろ? それを先に許すべきだ」


「先輩、違うの。これは私が勘違いしていたのが悪かったの、だから……」


「でも諭史には悩みを話せなかった罪悪感が残っているのだろう? だったら映子が諭史に怒ったことを謝る前に、映子は諭史を認めて、許さなければいけない」


 エーコは、目を見開いてあっけに取られている。


 僕が許される……?

 エーコを悩みを打ち明けられるほどの仲だと認めてやれなかった、僕が……?



『なにかの助けになれるかもしれないから……話して』


『……本当に、ごめん』


『……なんで?』


『これは話せないんだ、本当に。エーコがそう言ってくれたことは嬉しい、でも――』


『……纏場にとって、私ってその程度なんだ』


『そういうのじゃ、ないよ』


『私は、纏場にだったらなんでも相談出来る。

だって私、あなたと……友達になれたと思ってたから』


『それは……僕だってそうだ! エーコとは友達のつもりだ!』


『でも纏場はなにも言ってくれないじゃない!!』


『人になにか相談したり弱みを見せるのは恥ずかしいわ、

でも私は纏場になら話せる、自分を見せてもいいって思える!』


『僕が言えないのは、恥ずかしいからじゃない!ちゃんと理由が――』


『私がこれだけ言っても、なにも言わないのね』


『……ごめん』


『……なにそれ、謝ることしか出来ないの?本当にハッキリしない男!』



 エーコとの会話が、甦る……


「そう、だった……私、優佳さんと話して自分が悪いってわかった。

だから謝りたかった……纏場に許して欲しかった。でも、違う。その前にやらなきゃいけないこと、あったんだ……」


 エーコは涙に濡れた瞳を隠そうとせず、僕に言う。


「纏場……悩みを打ち明けないこと、あんなに謝ってたのに、それを認めてあげられなかった」


 胸が熱い――息が苦しい。


「でも私はあなたが話せない理由を理解した。

……ううん、理由を知らなくても、それを追求しないのが本当の友達だった。だから纏場……あなたは悪くない、話せなかった纏場のこと……許します」


 僕の目から、涙が溢れた。

 そうだ、僕だって許されたかった。


 話せないことを受け入れて欲しかった。

 エーコに「仕方ないな」って流して欲しかった。


 謝っても聞いてもらえなかった、そして話せなかったことに罪悪感も感じた。


 さっき僕は言った。映子が怒って当然だったって。


 真っ赤な嘘だ、僕だって怒った。

 勝手に秘密を打ち明けて、話を進めるエーコをバカだと思った。


 でも僕は同時に思っていたんだ。

 秘密を打ち明けないことは、確かに友達とは言えないなって。


 そうして友達を失ったことを当然だと思った。


 けど、それは五年の時を経て……許された。

 僕は、友達を失って、いなかった。


「エーコ……ありがとう。わかってくれて、ありがとう……」


「バカ……わかんなかったのよ。私がバカすぎて、あなたもバカで、だから……」


「許してくれて、ありがとう」


「いいって、言ってるでしょぉっ……?」


 僕とエーコはお互い顔を俯かせて、五年の後悔を涙にして流し続ける。

 それはいま出し切らないと、後にも先にも吐き出せないものだったから。


「それで……自分は許されておいて、私を許してはくれないのかしら」


「ここまで言って、わざわざ言い直す必要、あるのかな」


「あるから、言ってるんでしょっ!」


「……これからもよろしく頼む、エーコ」


「あり、がとうっ!」


 そう言ってエーコは……抱きついて来た。


「え、ええっ!?」


「ありがとうっ、ありがとう……うわぁぁぁ……」


 そう言ってエーコは、僕に縋りついて大声で泣き出した。


「おい、エーコ!? 分かったから! 恥ずかしいからちょっとやめてくれ!」


「嫌よ、こうしないとまた逃げだしそうだから」


「逃げたりしないよ、大体……」


「ウソ。転校したくせに」


「……」


 隣にいる華暖に手を掴まれ、通路側にいるエーコに抱きつかれ、僕は身動きが取れない。


「さてと、それじゃ二人とも諭史を押さえておいてくれよ?」


 そう言って傑が僕の真正面に座り直す。



「諭史、李さんを許してやれ」


「……でも」


 そんなこと、できるのだろうか。

 生まれてこの方、ずっと目の敵にしてきた、李のことを。


「その李さんへの恨みは諭史から生まれたものじゃない。言ってしまえば縁藤の親父さんから、受け継いでしまった恨みだ」


「……」


「この際、流されるんだ諭史。俺たちはお前の味方だ。どうしたらいいかわからないなら。俺に……俺たちに任せてみないか?」


「けれど、僕は二人のことを……」


「そのことはいま忘れろ。俺たち、映子やカグラ君は、信じられないか?」


「……信じ、られます」


「幸せには、なりたいか?」


「……ぃ」


「もう一度、口に出して言え!」


「……なりたい。僕だって、幸せに、なりたいっ!」


 ずっと張りつめていた感情を言葉にした。

 一人になろうと決めた時から、ずっと苦しかった。


 自分を正当化しようとする心と、言い訳を口にしようとする心が入り混じり、なにも結論を出せないまま、時間だけが過ぎて行って。

 時間が経つごとに罪悪感だけが重みを増していき、なにも決められない僕は、洗面器に不安を吐き出すのが精いっぱいだった。


「諭史、お前が李さんを許さなかったのは、レイカ君を守ろうという崇高な心からだ、それはとても立派だ」


 先輩の真面目に話す顔が、涙に霞んで見える。


「けれど人は色々な思いを抱えて生きている。そして許さないという気持ちは、誰のためになるものでは無い。自分を苦しめて、相手も不幸にするだけだ」


 華暖が僕の背中をさすってくれていた。

 こんなにも最低で救いようのない男の側に、まだ人が残っている事が不思議だった。


「だから、諭史。許してやれよ、理屈じゃないんだ」


「けどっ! 僕には、どうしたらいいか……レイカを捨てた奴なんかを、どうして許したらいいか!」


「どうしたら、とかじゃない、言葉だけでもいいから許してみるんだ。それこそ許せなくてもいい。ただ無視するのだけは絶対ダメだ」


「出来ないっ! 僕には! それにずっと恨んで生きてきたんだ! いまさら言葉だけで許しても、心から許すなんて出来ない!」


「諭史なら……出来るさ」


 そう口にする先輩の声は震えていた。

 前髪で隠れた顔を伏せ、拳を握りしめている。


「お前は……許したじゃないか。俺がしたことを、許した。嫉妬に狂って自分を見失い、お前を陥れようとしたこの醜い男のことをっ!」


 こんな情けない僕を説得するために、あの先輩が感情的になっていた。


「俺がどれだけ自分の行いを恥じたか、きっとお前にはわからない。それまでの俺はずっとプライドだけを守って生きてきた、それを壊して立ち直らせたのはお前なんだぞ!」


 先輩が夕暮れの生徒会室で、俯きながらすべてを吐露した日のこと。

 それまで尊大にしていた男が、自分の悪事を告白し、背中を小さくしたあの日。


「だから……あまり幻滅させてくれるなよ? お前に赦され、救われて、ここまで来ることが出来た。俺に影響を与えることが出来るなんて、光栄に思え!」


 先輩の目にさえ、涙が浮かんでいた。


「お前はな?俺に尊敬される数少ない人間なんだ。そんな人間が自重で潰れるなんて、そんなくだらない真似で人生を不意にするなど許せん!」


 興奮した先輩は立ち上がり、瞳を揺らして声高に叫ぶ。


「貴様はっ、幸せになる人間だ、纏場諭史! 人ひとり許せないはずがないだろ! 勝手に不幸になるな! どうやっても幸せになれないんだったら……俺が幸せにしてやるっ!!」


 ……


 ……


 ……?


 先ほどまで縋りついていた華暖とエーコも、目を点にして、いきり立つ先輩のことを見上げていた。


 ……俺が、幸せにしてやる……?


 二階堂 傑 参戦……?


「あの……お客様、申し訳ございませんが……」


 申し訳なさそうに、ウェイトレスの声がかかる。

 僕達はその声で自分たちの周囲の状況をようやく理解した。


 店内のお客様がたは僕たちに大層注目していらっしゃり、食事を止めて写メを取り出す人もいれば、もらい泣きする人までいた。

 仕事帰りのサラリーマンが足を止め、夕霞中の制服を着た女子達も目を光り輝かせて、あれこれと想像を膨らませているようだった。


 二階堂も周りの注目を集めていたことに気付き……


「……ああ、気が利かなくて済まなかった。みそラーメンを追加でひとつ、もちろんホットで」


「出 て 行 っ て も ら え ま す か ! ?」


 僕たちは顔を真っ赤にしながら俯いて、全てを台無しにしつつ、その場を後にするのだった……

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