4-20 茶番


 その日は朝から厚い雲が空を覆い隠していた。


 昨日のことが尾を引いているのか、それともこの曇り空のせいか定かではないが、学校へ向かう優佳の足取りも、心なしか重く感じられた。


 昨日は大変だった。

 いや、大変というどころの騒ぎじゃなかった。


 映子と町に買い出しへ行った帰りに、おおよそ不良と呼んで差し障りにない人たちに取り囲まれてしまった。


 暴漢に襲われた時にどうすればいいか、本やネットで調べたことがあった。

 だけど実際にその現場に居合わせた時、優佳はなにもできなかった。


 大声を上げれば相手も怖気づいて逃げ出すだとか、相手に抱きつかれた時、手を掴まれた時の護身術なんかも、土壇場ではなんの役にも立たなかった。

 せめて年上の役目として、映子を背中に隠すことくらいはできた。だけど映子もあんなに震えた、臆病な背中ではさぞ安心できなかっただろうな、と思う。


 それでも……いまはこうして何事もなく登校できていることに感謝したい。


 男達に囲まれた優佳たちは、その後あっけなく解放されることになる。

 ……あとからやってきた人たちの助けによって。


 その集団は不良、とは少し異なる人たちだった。

 優佳たちを開放した手段は結局のところ荒っぽい手段で追い払ったに過ぎないが、彼らが持つ雰囲気は悪、とは異なるものだった。


 なんと表現したらいいものやら、ボランティアとでもいうのだろうか。

 命令されたわけでもなく、利益を求めるわけでもなく『そうするのが当たり前』だから助けてくれた、と優佳は感じている。


 名前やら、誰に言われたのか問うたが、結局みんながみんな笑ってはぐらかしてそのまま去ってしまった。それまでは確信が持てなかったが、家でレイカからことの次第を聞いて事実となった。


 レイカからはだいぶ強引に聞き出したが、照れ臭ったのか、正面からお礼を受け取ってはくれなかった。


 だから今朝のごはんを少し豪華にした。

 優佳はそうやって少しずつ、レイカに感謝を伝えている。


 いまのレイカには感謝を伝えても両手で受け取ってはもらえない。

 レイカにはレイカの思うところがあって、優佳や諭史と距離を置かれている。


 ただそれでも優佳は感謝していることを伝えたい。

 だから優佳は一方的に好意を雨のように降らせ続けるしかない。


 毎日、毎日、雨を降らせ続けて相手がうんざりするくらい、諦めるくらいに好意を振らせ続ければ、それを受け入れるしかない、と思うはずだ。


 両親は相変わらずの出張中で、いまも家族はレイカだけだ。

 そのレイカと家の中でも話ができないのは悲しい。


 けれども無理矢理にレイカを話し合いのテーブルにつかせるのは難しい。

 だからこうやって雨を降らせ続けて、いつかはレイカがそれを受け入れるまで待つ。


 それが優佳が考え出した、妹との付き合い方だった。


 結局のところ家族なんだ。

 焦りすぎる必要はない、どこまで行っても優佳とレイカは家族で、それはどうしようもないのだから。



 ――それと昨日のこと、優佳にとってもう一つの事柄の方が大きく占めていた。


 昨夜、それは諭史の部屋に行った時の出来事だった。


 生徒会長と言えど、年頃の女の子。

 頭の中を占めてしまうことが、そちらに傾倒するのは仕方ないことだ。


 優佳は昨夜のことを思い出すたび、照れくささと不安の綯い交ぜで振り回されていた。あのぶきっちょが自分から抱き寄せてくれて、身を案じてくれたのかと思うと、言葉にできないほどの嬉しい気持ちが沸き上がる。


 諭史も、同じ気持ちでいてくれたんだ、ってそう思わせてくれた。


 けど諭史はその後、優佳の気持ちに応えなかった。

 そのことが気になってろくに寝付けなかった、日が回った後でも真意を訪ねに行きたくて仕方なかった。


 体調が悪いって言うのは本当なのだろうか。

 気持ちが受け入れられないことを告げるのが嫌で、返事を先延ばしにされたんじゃないのか。


 でも諭史はわたしのことを本当に心配してくれていた。

 いや、心配されたからって自分が思い上がってるだけで、友達・家族と思っている人が無事だったら抱きしめたくもなるんじゃないか。


 でもそんなのって酷くはないか、気持ちに応えるつもりは無いのに抱きしめるってのは許されることなのか。

 ……ああ、いまのは嫌な考えだ、心配させてしまったのに自分本位な考えをしてしまった。


 ――と、優佳は昨夜からそのグルグルに嵌りこんでいるのであった。



「会長、おはようございます」


「……うん、おはよ」


 ぼうっとしていたところを後輩の二年生(確か二年C組の学級委員長)に話しかけられて我に返る。気が付いたら校門前にまで差し掛かっていた。


「会長、昨日の事件ってどうなったんですか?」


「あれは結局、先生たちが話しても帰らなかったから警察呼んじゃったみたい。これでまた変な噂が広がっちゃうわね……」


 優佳は昨日、諭史に説明されたことを反芻する。


 事件、それは表向きには他校の生徒が校門前で騒ぎを起こしていたこと。

 原因は不明、になっている。


 だが実際はそのグループの一角が生徒会予算を狙って、生徒会を襲ったことだと諭史には聞かされていた。

 校門前の騒ぎはフェイクであり、生徒会室でのことから目を離すために行われたことだ、と。


 だがそれは一般の生徒が知らされていることではない。

 先生方も結局、生徒会室での騒ぎを把握できなかったようだし、主犯の兄が弟の暴走を止めるために、連れ帰っていった……と聞いている。


 その主犯の名前は優佳の耳にも入るくらいの人間ではあった。


 牛木――。


 諭史と同じクラスにいる人間で、それ自体は特に問題児と知れ渡っているわけではない。だがその兄、牛木巌の弟として有名だった。


 過去に夕霞中の生徒だった時も大きな暴力事件を起こしており、この町内ではガラの良くない連中を束ねる存在として有名だった。


 ……正直、昨日のことがない限り、レイカもそのグループに属しているんじゃないかと思っていた。

 余談だが、昨日のトラブルのお陰でレイカがそうではないことを知り、優佳としては安心してレイカの好きにさせようと思える一つの材料になっていた。


「そうですかぁ、なんか最近悪いことばかりが続きますね」


「そうだね。でもそんなこと言ってもなにも始まらないし、なにかあったらわたしも解決しようと頑張ってみる。だからみんなは文化祭の用意、頑張って?」


「はい! なんか暗くなること言っちゃってすみません。会長の言う通りですよね、必ずCクラスの企画を成功させて見せますから!」


「うん、その意気よ」


 Cクラスの学級委員はそういうと軽く頭を下げ、目の前にいるクラスメートに声をかけに小走りで去っていった。


 気持ちのいい女の子だな、と優佳は嬉しくなる。

 みんなが楽しく振る舞える学校を作ることが、自分の目指していたことだったので、こういう姿を見ると笑みが零れる。


 もちろん優佳の手によってそれが全て作られたものではないことは重々承知している。だが、こういう姿を見るとますます頑張らなくちゃ、という気持ちが湧いてくるのであった。


 そんなことを考えて自分の気持ちが少し上向いたことを確認し、今日のこれからのことに気持ちを寄せた時、目の前を走り抜ける男子生徒の言葉を拾ってしまった。


「おい聞いたかよ、ついに纏場のヤツ、自首したんだって」


「マジかよ、あいつ生徒会だろ?」


 優佳にはなにを言っているかよくわからなかった。

 だが、気が付いた時には走っている男子生徒の腕を掴み、足を止めさせていた。


「――いまの話、なに?」


 呼び止められた生徒達はそれが生徒会長だと認めると、気まずそうに目を合わせ、こう口にした。


「……えっと、纏場が生徒会費を盗んだって。いや、噂なんですけど、それを纏場が認めたって」


「そんなことするわけないでしょう」


 ぴしゃりと言い放つと二人は少し怯えた表情になり、優佳は自分が冷静になれていないことに気付く。


「……ごめんなさい、その話って根拠はあるの?」


「ぼ、僕らも話に聞いただけなんで、でも纏場はいま職員室に謝りに行ってるって」


 その言葉を聞き終わらない内に優佳は走り出していた。


 ――いったい、なにが起きているの?


 空は一層黒いに覆われ、いまにも泣き出してしまいそうであった。


---


 職員室の前には数人の生徒と、行く手を阻む体育教師の姿がそこにあった。

 普段は明るいこの廊下も、外の暗さと相まってジメジメした薄暗い雰囲気を醸し出している。


「先生~纏場が盗んだって本当だったんですか?」


「ってことはあいつ、あんな顔して俺らを騙してたってことか?」


「サトシ君がそんなことするはずないですよね?」


「俺が保証するっ、断じてサトシ氏はそのようなことをする人間じゃないと!」


「ほらほらお前ら、いまはどちらにしても立ち入り禁止だ。早く教室に戻って授業準備に入れ、予鈴もなるぞー」


 体育教師はそう投げやりに返事をして、事態の収拾にあたっている。

 そこに駆けてきた優佳は同じように職員室に入れて欲しい、と懇願する。


「いや、縁藤。いまは誰であっても立ち入り禁止なんだ。お前、生徒会長だろう?ここにいる連中にも言ってやってくれ」


「……て」


 優佳が俯きながら何事か呟く。


「ん?」


 声が小さく聞き取れなかった体育教師は、怪訝そうな顔で優佳に復唱してくれと促す。


「いいから……そこを開けて」


「え?」


 今度は自分の聞き間違えか、と思い聞き直す。


「そこを開けろって言ってるの!」


 優佳の大声が朝の喧騒を切り裂く。

 窓ガラスは震え、ウレタン樹脂の廊下は音を遠くまで反響させる。


 その場にいた全員が凍り付いたように動けなくなり、優佳はその横を通り過ぎていく。


 我に返った体育教師が再度呼び止めたが、首を返した優佳の視線を受け止めるなり、言葉を失ってその姿を眺めることしかできなかった。



 ――優佳が職員室の扉を開けると、教頭の机の前で頭を下げた副会長と諭史の姿があった。

 真っ白な頭の教頭がそれを受けて渋い顔をし、横に腕を組んで彫像のように立ち尽くしているのは角刈りの教育指導。


 それと不安そうに見守る、生徒会顧問の姿があった。

 扉を開けると近くの席にいる女の英語教師が「縁藤さん、下がって」と扉の外へと押し出そうとする。


 優佳はその手をはたくように跳ね除け、頭を下げる二人の元へと近づいていく。


「二人とも、これはどういうこと」


 もう教師陣はそれを止めようとはしなかった。


「僕が、生徒会予算を盗みました。けど事の大きさに気付いて、返しに来たところです。……会長、裏切ってしまい申し訳御座いません」


「サトシがそんなことをしないのはわかってる」


 諭史は”会長”へ謝罪をしたが、優佳は取り合わず”諭史”に言葉を返す。

 傍から見ると話の内容は噛み合っていないが、そこに立つ生徒会の三人の間では全て、意味の通った会話だった。


「会長、俺から説明します」


 諭史を背に庇い、優佳の前に立つ二階堂。

 優佳はその構図に違和感を覚えながらも、目でその先を促す。


「纏場は金庫から生徒会の予算を盗み、それを自宅に持ち去りました。しかし金庫のロックナンバーを把握しているのは、会計の纏場と顧問の先生だけです。二人には事情聴取が入り、顧問の先生は金庫からお金が無くなったその晩、校長と教頭との会食に参加していたためアリバイがある。すなわち疑われるのは纏場一人だけとなりました」


 二階堂は淡々とそう説明する。


「何度か纏場は事情聴取を受け続けましたが、彼は無実だと言い続けました。でも昨日纏場から相談をされたんです、本当は自分がやったのだが今更白状できないって」


「ウソを言わないで」


 優佳は真っ向から、その”事実”を否定する。

 そして違う切り口で、その茶番にヒビを入れる。


「いまの金庫のナンバーは右81・左77・右3・左21で合ってる?」


 優佳の発言に、二階堂は動揺を悟られないよう、顧問の顔を窺った。


「……ああ、合ってるよ。どこでそれを?」


「去年のナンバーと同じだもの、わたしも知ってた。これでわたしも容疑者の一人になっちゃったわね」


 優佳はそう言い、諭史の顔を窺い見る。


 その顔色を見て、諭史が犯人ではないと確信を得る。

 諭史が犯人にしては、落ち着きが過ぎている。


 まるで最初からこうなることが分かっていたとでも言うかのように。


「そして、そのナンバーはわたしが顧問の先生に教しえてもらったわけじゃない。一昨年の生徒会資料に、当時の会計が忘れないようにって堂々と書いてあるの」


 それを聞いて顧問が顔を真っ青にする。

 ――所詮、中学生の危機管理能力なんてそんなものだった。


 余談ではあるが、そういった暗号管理されるものは定期的に変更を迫られるものだ。だが、その役割は現代社会において機能を失ってしまったと言っていい。


 機密情報の多い会社では暗号管理されるものが大変多く、鍵の開けるパスワードを同じにすることさえ許されない。


 しかし、個人の覚えて置ける量には限界があるので、当然メモを取って覚えるようになる。そしてそのメモ帳は複数に分けられることも無く、一冊のメモ帳に纏められる。


 当然このメモ帳が盗まれたりすれば、持ち主のパスワードは筒抜けとなる。


 そしてリスクはそれだけではない。

 何年もその会社に勤めていると感覚がもっとマヒしてくる。


 するとメモすることさえ辞めてパスワードの書いた付箋を、自分のパソコン周りにベタベタとを張り付けていくのだ。


 もはや本人にとってそのパスワードは機密情報のアクセス権ではなくなり、廊下に放置されたままの邪魔な段ボール箱くらいの感覚でしか無くなってしまうのだ。


 なんとなく日常的に邪魔をしてくる不思議なモノ。

 考えれば簡単に分かるのに、深く考えることも無く楽な方向に流れていく。


 そうした慣れが往々にして大きな事件へと発展していくのだ……



「これでここ数年で生徒会に関わった人、全員が容疑者になるわね。いえ、資料室に置いてある資料なんて誰でも読むことができるんだもの、この学校にいる人が全員容疑者になる」


 優佳はそう言って、ここにいる全員の顔を眺める。

 それは全生徒を代表する、生徒会長の姿ではなかった。


 ここにいるのは一人の生徒、いや個人的な理由で守らなければいけない人を、死に物狂いで守ろうとする一人の女だった。


「会長、なにを言ってるんですか?」


 そう言って諭史が優佳の目を見据える。


「僕が自分で盗んだって、言ってるんですよ?」


 だが、その守りたい対象は女の味方にはならなかった。

 優佳は諭史がそう発言する意味が分からず、諭史を睨み付ける。


 諭史は真っ向から優佳の視線を受け止めた。

 優佳の視線は、諭史に抱く怒りを込めた視線だった。


 だが諭史の目に潜む、微かな違和感に気付く。

 そして目の奥にあるものを見つけようと、神経を張り巡らせた。


 優佳は瞳の奥に在る、諭史の真意を微かに感じ取る。


 優佳は、愕然とした。


 認めたくない。


 優佳の感じ取ったことが間違いではなければ――ますます彼女は折れるわけにはいかない。



 諭史は目の色が変わった優佳に、期待した。

 真意を少しでも優佳に伝わって欲しいという願いを込めて。


 諭史はこの場で声に出して、真意を伝えることはできないのだから。


 それをすればすべて台無しになってしまう。


 だから諭史は優佳に視線で答えるしかない。


 目で言って、目で聞かせて、目で納得してもらうしかない。


 ……目で、あきらめてもらうしかない。


「わたしは、絶対にそんなの認めない……」


 諭史の意図に気付いた優佳は、そう口にするしかなかった。


「そんなこと言われても、僕にはそう答えることしかできない」


 だから正確に優佳が読み取ったのであれば、あとは受け入れてもらうしかない。


「いやよ、そんなの、絶対にイヤ!」


 優佳は耐えきれずにそう叫ぶ。


「そんなことしても、サトシにとってなんにもならないじゃない……」


「ああ、本当に僕はバカなことをしたと、思ってるよ」


「そういうこと言ってるんじゃぁ、ないでしょぉ……?」


 諭史がそれを曲げるつもりがないってことを知って、自分が説得しても受け入れてもらえないことに気が付いてしまう。


 自分が諭史を守り切れないと、悟ってしまう。


「二階堂、君……あなたも、なの……?」


 優佳の視線を受けて、二階堂は視線を逸らす。

 この視線を真正面から受け止めたら、二階堂は耐えられず全て吐いてしまいそうだった。


 二階堂は鉄仮面でなければならなかった。

 淡々と決められたことを喋り、そこには感情の動かす余地は存在しない。


 それは昨日ですべて清算したのだから。


 ここで罪悪感に耐えられず全て喋ってしまうことが、なによりも諭史に対して不義理なことになると分かっていたから。


「……はい、そうですよ、会長。俺は、諭史が、現金を持ってきたところまで見ました」


 二階堂は込み上げる嘔吐感を必死に噛み殺し、堂々と”真実”を告げる。


「ウソつくなって言ってるでしょう!? これ以上ウソをつくと、本当に殺すわよ!!」


 生徒会長の「殺す」という単語に職員室は一気に静まり返る。

 普段、温厚な雰囲気を纏った生徒会長はそこにはいない。


「サトシ! なんで罪を被ろうとするの?」


「しっかり謝らないと自分の罪悪感から逃げられないって、そう思ったからだよ」


「そんなことは聞いてないっ!」


 優佳が場所を弁えず大声で諭史を怒鳴りつける。


「いい加減にしてよぉ、なんでわたしに相談してくれないの? 昨日話す時間はあんなにあったじゃない!? なんでこんな訳の分からないことをするの、誰に脅されているの!?」


 その時、顧問が一歩前に出て優佳の肩に手を掛ける。


「縁藤君、ここは職員室だ。少しは、」


「文化祭予算、百七十一万六千円!それを管理できないようなゴミは黙ってなさいよ!」


 優佳は腕を大きく後ろに回し、大振りに顧問の手を払いのける。


「縁藤、貴様! いい加減にしろ!」


 それまで黙っていた教育指導が優佳に声をかけるが、教頭が腕を横に伸ばし、発言を止めさせる。


「縁藤君」


 そこで初めて教頭が言葉を挟む。


「なぜ君は、そこまで纏場君を庇うのですか?」


「そんなことも、分からないの?」


 これまでの態度とは一転し、俯いて掠れた声を絞り出す。


「生徒を守ることが仕事だから、信じているから、ですよ……先生方は、違いましたか?」


 皮肉った視線を、注目する教師陣に挑発するように返していく。


「ましてやサトシだけは……絶対に有り得ないって、わかってるから」


 優佳は諭史を恨めしい視線で見据える、その瞳はもう涙でぐしゃぐしゃになっていた。


 ……なんでわたしがこんなに必死になっているのに、諭史は自分を守ろうとしないの? わたしが同じようなことをしようとしたら、諭史は同じことをするでしょう……?


 自惚れなんかじゃない、絶対にそうだと言い切れる。

 それが言い切れないようでは、諭史の横に胸を張って立とうと思うはずも無かった。


「こんなんじゃ、きっと他の誰にも伝わらないだろうし、わかってもらえないかもしれない。でも、人を信じるってそういうことじゃないんですか?」


 優佳はここにいる全員にそう問いかける。


「そこにいるだけで、信じてあげることができないなんて、あなたたち本当に可哀想」


 その言葉に、思い当たることがある教師もあれば、全く意に介さない教師もそこにいた。毎年卒業する生徒を見守り、別れの辛さを軽くするため、生徒自身をしっかり見つめて来なくなった者。


 最初から仕事だと割り切ってしまい、子供の世話係だとしか思わない者。

 優佳の言うようにいまも全力で生徒に親身になりつつも、入れ込み過ぎてしまうことに胸を張って言えないだけの者。


 色々な教師がいた。


 ……だがこの場ではもうどうしようもなかった。

 それはどの教師が悪いとかそういう問題の話でもない。


 罪の自白をすら嘘だと思えるような、濃密な人間関係を作るなんてよっぽどでなければ出来はしない。


 それこそ家族のような全面的に味方できる存在でなければ不可能だ。

 そういった意味では優佳の主張は的を射ていない場違いな主張だった。


 強いて言うなればそこで味方をしてもらえるような強い関係を築いて来なかった、諭史に問題があるとすら言えた。


 だが、諭史にしてみればそれでよかったのだ。

 今ここで必要なのは諭史の自白を、ありのまま受け入れてくれる教師の方が都合が良かったのだから。

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