4-19 僕が決めたことだから
「痛ってて……」
家に帰ってきた僕は堪らずベッドに倒れ込む。
ワイシャツのボタンを外し、インナーを巻くって脇腹を眺めると、そこには真っ黒な青痣ができていた。
一岳に蹴りをもらった箇所だ。
連れに投げ飛ばされた時に打ち付けた背中もズキズキと痛む。後ろは確認できないが、おそらく結構な痣になっているだろう。
背中が痛むので今日は仰向けに寝れないだろうなあ……風呂もどうしよ、今日はこのまま寝ちゃってもいいか。
――激動の一日だった。
二階堂からのカミングアウト、豹変した一岳、それと一岳のお兄さんと話した、明日からのこと。これらすべてが今日一日で起きたとはとても思えなかった。
お兄さんとの話が終わり、二階堂と解散して家に着いたのがつい先ほど。もう午後十一時だった。
制服姿だったので補導されないか心配だったが、なんとか無事家まで到着した。
でも今日あったことを考えれば、補導なんて大したことないなって思うと、なんか可笑しくなってくる。
……でも、今日はまだ終わりじゃない。
だって今日の一件に巻き込まれてしまった、もう一人にまだ顔を合わせていないのだから。
狙いすましたように、家のチャイムが鳴る。
隣に悟られないようドアを閉める音は小さくしたのだが。
僕はチャイムを無視した。
だって誰が訪ねてきたか、なんて考えるまでもない。
そして当たり前のようにもう一度、呼び鈴が鳴る。
いまは出たくない、出られない、出てはいけない。
ピン、ピン、ピン、ピンポーン!
それから呼び鈴の連打が始まった。生徒会長の癖に夜分の訪問が失礼だって知らないのだろうか。
……でも逃げられるわけがない、優佳は合鍵だって持っている。
僕は痛む体を持ち上げ、玄関の方に向かう。
憂鬱……だけど優佳に会えると思うと、いてもたってもいられない気持ちになってしまう。
けれど僕が到着するのを待たずに、ガチャリと外側からドアが開けられた。
「サトシ、いるんでしょ?」
そしてお姉ちゃん権限で強引に扉を開ける、夕霞中の生徒会長がそこにいた。
「もう、サトシ!? いるなら開けてよ!」
いつもと様子の変わらない、元気なその姿。
「サトシ!? 聞いてるの? 今日いったいなにがあったのか、ちゃんと説明してくれないと」
優佳がすべて言い終わる前に、抱きしめていた。
だから……顔を会わせたくなかったんだ。
せめて明日の朝までは。
「……よかった」
小さな優佳の体を抱きしめる。
一番気掛かりだったこと、心配していた存在が無事だと分かり、自然と声が震えてしまう。
話には聞いていた、優佳もエーコも無事だって。
でも、目にするまで不安は拭えなかった。
優佳は一瞬体をこわばらせたが、すぐ力を抜いて僕に体重を預けてくれた。
あの時、一岳が優佳を拉致していると聞いた時、頭が、心が、爆発するように熱くなり、気が付いたら頬を殴りつけていた。
この小さな幼馴染の笑顔が、声が、姿が、他の人の手に触られることが溜まらなく嫌だと思った。そしてどうしようもなく、湧き上がってくる、その気持ちが持つ意味に……気づいてしまった。
「本当に、無事でよかった」
「うん」
優佳は優しく背中に手を回す。
「心配した」
「うん。ごめんね? でも、わたしも心配したんだからね?」
「……ごめん」
優佳もおそらくレイカから聞いているだろう。
今日、生徒会室であったことを。
「サトシ、最近いっぱい変わっちゃってる。あんまり遠くに行ったら……寂しい」
一瞬、優佳にすべて知られてしまったのか、と思ったが流石にそれは違うと思い直す。いくらなんでも、それを知るにはまだ早い。
「優佳は、ケガない?」
優佳の両肩に手を置き、真正面から聞く。
「うん、大丈夫」
優佳は少し顎を落とし、見上げるようにして応えた。
「……サトシは、どこケガしたの」
「脇腹と、背中を少し」
「見せて」
「嫌だ」
「嫌、じゃないでしょ? ……これだけ心配させて」
「それはお互いさまだろ?」
「心配なの、ひどくないケガなら見て安心したいの。ひどいケガなら手当させて欲しいの。わたし、サトシにそれくらいする権利、あるよね?」
優佳は抗議するように僕との関係を引き合いに出し、自分にはその権利があると言って、聞かない。
「……脇腹と、背中」
優佳は恥じらいもなく僕のインナーを捲り、青痣を見つけると、不意に涙をぽろぽろと零し始めた。
「バカ! ……もうっ、もーっ!」
優佳が怒り、僕の胸に頭を寄せてくる。
「バカ! バカっ!」
僕の胸に頭を押し付け、ワイシャツ越しに腕を掴んで悔しさを滲ませる。
「……ごめん、優佳」
「なにに謝ってるのよ、もうっ……」
優佳の頭に手を回し、落ち着くまでしばらくそうしていた。
---
「痛ててっ! 優佳、もっと優しく……」
「なに言ってるの!? 消毒に優しくもなにもないでしょ!」
優佳は勝手知ったる纏場家の薬箱から、消毒やら絆創膏やらを持ち出して僕の手当をしてくれた。
僕の上半身を裸に引ん剝いて、ベッドに腰かける僕の横に堂々と座り混み、なんの恥じらいもなくベタベタと絆創膏や湿布を張り付けていく様は、さながら本当の姉のようだった。
優佳はあれからずっとプンスコ怒っていた。
過ぎたことだからどうしようもないのと、それをなだめる方法も思いつかないので、優佳のさせたいようにさせていた。
……いやそれは僕の言い訳だ。
さっき咄嗟に抱きしめてしまったので、正面から素直に感謝するのが恥ずかしかっただけ。
優佳には改めて生徒会室であったことを伝えた。
二階堂の名誉のこともあるので本当の理由は伏せ、生徒会予算を狙った一岳の強請りであると伝えた。
いつもの優佳ならこの話のおかしい点に気付くだろうけど、それよりは平穏が帰ってきたいまを大事にしたいためか、深く追求したりはしてこなかった。
逆に優佳からの話も聞いた。
一岳からは拉致したという話で聞いていたが、実際は優佳とエーコが連中に絡まれた直後に、すぐレイカのグループが守ってくれたらしい。
だからなにも心配することなんてなかった、とは言われたけど、それでも額面通りには受け取れない。余計な心配をさせないようにするためなら、優佳は平気でウソをつくだろう。
それを問い詰めると「本当になにもなかったの! ……でも、少しだけ怖かった」と教えてくれた。これ以上は思い出させたくなかったので、それが聞けただけでも良しとする。
その後、エーコはひどく怯えてしまったようで、優佳が家まで送ってやったあと、購入した消耗品を生徒会室に届けに戻ったそうだ。
学校には警察が来ており、先生に聞くと他校の集団が校門前で騒ぎを起こしていたことを聞いた。その時点で自分に遭ったことと、その事実が無関係ではないと悟った優佳は生徒会室に急行した。
その生徒会室は無人ではあったが、異様な空気感があったという。
明らかにさっきまで人がいたという濃密な気配、それと形だけは取り繕っていても、机や椅子の配置の誤差。
毎日通っている人間だけが感じ取ることの出来る、小さくも大きい変化。
そしてそれは先ほどの優佳の身に起きていた”非日常”の雰囲気と同じものであった。
生徒会の面々とは顔を合わすことが出来ず、悶々とした気持ちを抱えたまま帰宅し、僕の不在を合鍵で確認した。
レイカが家に戻ってきて、普段は最低限の会話になってしまうものの、今日ばかりは譲らないと詰め寄り、レイカもおおよそのことは優佳に伝え、事実把握ができたという風であった。
……優佳と生徒会室で顔を合わせなかったのは幸いだった。
そうでなければ”今後のこと”についての話し合いは、成立するはずはなかったんだから。
「やっぱり、あれってレイカの友達だったのね」
「ああ、そうみたいだ。あんなに沢山助けてくれる人がいるなんて驚きだよね」
そしていま話題の中心にいるのはレイカだった。
半年ほど前から、僕たちとから離れていった生意気な妹。
「いい友達、作ったのね。わたし少し勘違いしてたかも」
「僕もだ。レイカにとってはいい友達、それは間違いない。……もう僕たちの知ってた頃のレイカとは、別人だ」
「実は、そうでもないのよ?」
「どういうこと?」
「レイカに一通り事情を聴いた後、わたしお礼を言ったの。そしたら顔を真っ赤にして『……当然のことをしたまで』だって! 照れちゃってて、わたし笑っちゃった」
「想像できるなぁ」
優佳も僕も、口の端に笑みを隠せず、笑い合ってレイカの姿を想像する。
「そしてレイカ言うんだ、サトシはケガしたって、見に行ってあげなって。ブアイソを演じてても、きっと気になってしょうがないんだよ。捻くれ者の、わたしの妹は」
「ははっ、そりゃレイカには感謝しないとな……」
「やっぱりレイカはレイカだよ、わたしの妹。正面から褒めてあげたりするといつも照れちゃう可愛いコ」
「うん」
知ってる。でなければ僕は、そうしなかったと思う。
……レイカにも自分の行く道を、正しく進み続けて欲しいから。
――そこで優佳はすう、と一息吸い。
「そして、サトシも、わたしにとって大切な人」
気が付くと治療を終え、真剣なまなざしで僕を見上げていた。
「どんなに変わっちゃっても、サトシはいつだってわたしを心配してくれた」
「……特に優佳はドジっ娘だからね」
「わたしの方が年上なのに、いつも上から目線で」
「身長差、あるしね」
「ケンカした時も、わたしワガママだからいつだってサトシに先に謝らせちゃってるの。ちゃんと悪いと思ってるんだからね?」
「はは……それよりさ、優佳」
「ねぇ、サトシ」
「……」
「わたし、やっぱりサトシが大好き」
優佳は……二度目の告白をした。
「さっきわたしのこと、心配だったって言ってくれて、抱きしめてくれた。胸が、きゅうっとして、とっても嬉しかった」
優佳が熱に浮かされたような目で、僕を見上げる。
「サトシは、どんな想いで、わたしを……抱きしめてくれたの?」
その視線を受けて僕は、優佳の瞳に釘付けになってしまう。
こんなに可愛い人に僕は好きって言われたのか。今更ながらそんなことを思う。
優佳の視線を浴びていると、心臓は甘い味を感じるための器官になる。
その甘い味は僕の胸のをぐるぐると周り、次第に体に回り切って全身を軽くした。
顔はほうっておけば勝手にニヤけそうになってしまう。
勢いに任せてキスなんかしちゃってもいいのかな、でも調子に乗りすぎじゃないか、と思考が勝手に浮ついた方向へぐるんぐるんと回り出す。
ふと、呼吸をしていないことに気付いて大きく息を吸うと、優佳もぴくっと体を震わせ、同じく息を吸うことを思い出して胸が上下する。
二人で見つめ合ったまま深呼吸をシンクロさせ、優佳は口元が緩ませ、僕もまたそれに釣られる。
なんて楽しくて、嬉しくて、甘い空間。
誰かと気持ちを通わせることがこんなにも気持ちいいなんて。
僕なんかの目を追い続けて、外さないでいてくれるその存在が、愛しい。
右手が宙に浮く。
優佳の体を抱き寄せようと右手が宙を彷徨う。
だから。
だから、僕は。
――顔を合わせたくなかったんだ、何度も鳴るチャイムを無視したんだ。
優佳が明日にしようって、諦めてくれることを祈ってたんだ。
明日になってくれれば全部、綺麗にあきらめられたのに。
「優佳、ごめん……ちょっと傷が痛む。今日はもう寝かせてくれないか」
「……うん、わかった。今日はごめんね」
――優佳も僕が発言する意図に、気付いたようだった。
きっとあまりいい表情は、できていなかっただろうから。
優佳はそそくさと気持ちを切り替えてに薬箱を片付け、甲斐甲斐しくも箪笥から僕のシャツと寝間着を用意してくれた。着替えたシャツは熱を持った傷口にひんやりとしていた、まるでいま感じている心の温度差のように。
「サトシ、それじゃまた明日、ね」
「……うん、おやすみ優佳」
優佳は振り向き様に薄く笑うと、寂しそうな背中を見せて去っていった。
合鍵でカチャリと鍵を閉められると、逆に僕が締め出されたと被害妄想に陥りそうになる。
追い出したのは、僕の方だってのに。
「くっそぉ……」
僕はベッドにうつ伏せになって拳をベッドにたたきつける。
自分で決めたことなのに。
だから優佳に会いたくなかったのに。
いまは優佳に逢いたくて、縋りたくてしょうがなかった。
やりきれなくて、涙を流して、自分を慰めるほか、出来なかった。
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