4-15 約束


「って、やっぱりエーコちゃん、私がコクったこと知ってたのね?」


「それは……はい、ごめんなさい優佳さん」


 運動部も既に下校を済ませた頃、生徒会の女子二人はいつもより遅い時間に校門を後にした。


「それは、別にいいんだけど! サトシってば本当に口が軽いんだから!」


 優佳は両腕を腰にあてながら頬を膨らませていたが、ふと視線を落とす。


「……あ~私ってイヤな女だなぁ。サトシがそうやって相談できる相手がいることに、ちょっと嫉妬しちゃってる」


 優佳は額に手を当て、自分の中に生まれた感情に心を痛める。

 それは嫉妬に苦しんでいるというよりは、自分の感情をコントロールできないことに、少しばかり悔しさと不甲斐無さを感じているようだった。


「えと……なんかすみません。でも優佳さんは立派な人ですよ、嫉妬なんて誰でもしてしまうものです!」


 それを嫉妬した相手に励まされるっていうのも何だったけど、別に映子が悪いわけではない。むしろそれが映子で良かった、可愛い後輩でよかったなとさえ思える。


 映子はおもむろに優佳の腕にきゅっと抱き着いて頬ずりした。


「優佳さんの恋は実って欲しいですけど、でも! 私だって優佳さんが大好きだから纏場なんかに渡しませんよ!」


「も~エーコちゃんは可愛いなぁ。わたしもサトシなんてやめてエーコちゃんにしちゃおうかな~?」


「はい、是非そうしてくださいっ」


 そう言って目を合わせ、お互いニコッと笑いあう。

 まるで仲睦まじい本物の姉妹のようだった。


「優佳さん、優佳さん」


「ふふ、なぁに?」


「呼んでみただけ、です」


 映子は先の生徒会室で一通り泣き腫らした後「会長のこと、これから優佳さんって呼んでいいですか」とお願いした。


 それからはずっと優佳にべったりだった。


 それは日頃、人に甘えることのできなかった映子が、優佳が安心できる存在だと認め、その解放から来る感情の爆発だった。


 足取りは軽く、空に浮かぶ星もいつもより輝いて見えた。


 諭史とはまだ仲直りしていない。

 でも映子は自分から頭を下げれば、さすがにあの男が許さない、なんて言い出すとは思えなかった。


「でも、そっか~サトシに悩み事、か」


「はい、多分ですけど。それで私はみっともなくも纏場に怒ってしまいました」


 映子は優佳に改まり、ぺこり優佳に頭を下げる。

 その頭を優佳は撫で、諭史の悩みってなんだろうなと頭を巡らせる。


 考え出せばキリがない。

 文化祭の事、火災の事、レイカの事、進学の事、それと……告白への返事とか。


 そればかりではない。


 今回の映子の事がそうだったように、優佳に見えない範囲でも諭史は独自の交友関係や、文化祭としての仕事・各クラスの相談を受け持つ仕事を持っている。


 第一に諭史の事を知りたい、悩みがあれば話してほしい! と思ってしまうのはいつもの事だが、自分がそうしたい! と思った感情を前に出し過ぎることは危ないことだ。


 それこそ今回の映子の件だってそうだった。

 彼女は諭史と友達であることを免罪符に、諭史に深入りしようとして自身も相手をも傷つけてしまった。


 優佳はそこまで盲目的に行動することはない。

 これまでの様々な経験を経て、それが危ないことだと理解している。


 生徒会長という位置に立てているのも、そういった自分の感情をコントロールし、周囲から和をまとめるのにふさわしい人物だと評価されたからだった。

(そういう意味では優佳の能力を把握し、生徒会長の地位を譲った二階堂も相当に分別がついているとも言える)


 だから自分が嫉妬心を抱いたとしても、それを正当化しようとは思わない。

 ……ただ諭史本人にはそれをぶつけ、嫉妬させないような振る舞いを求めはするのだが。


「優佳さんはなにか心当たり、あります?」


「そうね……わたしのことで思い悩んでくれたらうれしい、って思うけど」


「……」


「でもね、それはサトシの問題だから」


「気にはならないんですか?」


「もちろん気になるわよ? すご~く気になる。でもね、相談が必要なことだったら誰かに相談するだろうって思ってるし、それがわたしだとダメなのかもしれない」


 優佳は自分が年上面し過ぎてないか気になり、矢継ぎ早に口を開きたい気持ちを少し抑える。


「だからね、わたしはサトシが悩んでても知らない振りをする。それに多少の問題ならサトシ自身で解決出来るって、そう思うから」


 映子はその言葉を聞き、あまりの……に、ぽかんと呆けてしまう。


「……信頼してるんですね」


「どうかな?」


 少し気持ちが前に出過ぎたことに気恥ずかしくなり、優佳は首をすくめてを早歩きになる。


 優佳は諭史に必要以上に割って入るつもりはない。


 もちろんある程度のレベルで諭史が悩んでいるのであれば、多少強引にでも割って入るべきであろうが、基本は相談されなければ遠くで待つスタンスを貫くつもりである。


 問題は自分で解決――したい。

 諭史がそう考える人間であることは優佳自身が一番知っている、と自負しているのだから。


「あのね、私からも一つ聞いていい?」


「はい、なんでも!」


「エーコちゃんは、サトシのこと好きだったりする?」


「……いえ」


「ほんとに?」


「………………はい。ちょっと真面目に考えましたけど、やっぱりないですね」


 映子は笑みを作って優佳に目を合わせ、真剣さが隠しきれていない優佳の瞳に、自分をしっかり映し出させる。


 その気持ちに、嘘がないのを証明するために。


「……うん、そっか、ありがと」


 優佳は映子が目を見据え返した意味を正確に理解して、己の嫉妬心を恥じて礼を言った。


「わたしね、エーコちゃんのこと結構信頼しているの。嫉妬なんかもしちゃったけど、もしサトシがエーコちゃんと付き合いたいって言ったら許しちゃうと思う」


「そんな気持ち悪……あ、いえ会長の趣味が悪いって言いたいわけじゃ、あの、その……」


「あはは、いいのいいの」


 優佳は安心から自然と笑みが零れた。


「それでね、もし、でいいんだけど」


「……はい?」


 優佳は「もし」なんて前置きをしつつ軽い調子で言葉を続けるが、先ほどから優佳が真剣だという事は映子にも分かっていた。


「もし、わたしがサトシの助けになれない時……助けが必要な時、ほんの少しでいいの。サトシを助けてあげて」


「はい」


 映子は迷うことなく頷いた。


 当然、優佳がなぜこんなことを口にするのかという疑問は湧き上がるが、それを差し引いても尊敬できる先輩のお願いは、全部叶えてやりたい。心からそう思うのだった。


「とりあえず、明日は纏場のところに行ってきます」


「うん」


「自分勝手なことを言ったことを謝ってきます」


「がんばって」


 優佳が微笑みながら言うと、映子も連られて笑う。

 映子はだいぶ気楽な気持ちになった。


 みんな悩みを抱えて生きている。

 そんな当たり前のことに今更だが気づき、足取りはさらに軽くなる。


 早く明日になったらいいな、そう思いながら二人は歩を進めるのだった。



 ――だがその後、映子が諭史と和解することはなかった。

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