4-9 カウンター


 僕らは無言で生徒会室へと足を運んでいた。

 こんなに静かに優佳と肩を並べるのは、初めてのことだった。


 いや、優佳とは長い付き合いだ。もしかすると初めてではないかもしれない。

 それでも僕が「沈黙している」ことを少しばかり気まずいと思いながら、優佳の隣にいることは初めてではないかと思う。


 その理由は問い質すまでもなく、先日の帰り道。

 あの時に僕は想いのままを口にして、優佳に大きな勘違いをさせてしまった。


 そして大きな勘違いをさせたままに会話を進めた結果、なんの覚悟もなく聞いてはいけないことを聞いてしまった。


 ……優佳の想いの片鱗を。


 あれから、優佳とは別々に帰路に着いていた。

 それでも生徒会室内で気まずさみたいなものは特にない。


 けれど二人きりになることだけは、できるだけ避けよう――お互いの間にそんな暗黙の了解ができていた。それは一種のテレパシーみたいなものだ。


 だから優佳から僕に話しかけてきたことは、意外だった。

 誰よりも空気の読める優佳が、曖昧な状態のままに踏み込んできたことが。


 いや、だからこそ……なのか?


 生徒会室へ向かう三階から四階への階段。

 少しずつ遠くなっていく、部活や帰り支度に急ぐ生徒たちの声。


 少しずつ肌寒さを感じるようになった校内。窓ガラス越しに入り込む白い陽光が、必要以上に暑く感じられる。陽光は廊下を奥まで照らし、光を浴びた薄いホコリが空中で微かに輝いている。


 そんな日の入り前の落ち着いた時間。

 優佳と二人きりになるのは、たった三日ぶり。


 それでも僕には話したいこと、聞いてほしいことはいっぱいあった。優佳の声も聴きたかった。僕の耳に優しい、安心できる、鈴が鳴るような可愛らしい声を。



「自分で言うのもなんだけど、合同企画うまくいってると思う」


 優佳には聞いて欲しい。その気持ちが勝ち、沈黙を自ら破った。


「……うん。知ってる、すごいじゃないサトシ」


 薄っすら笑みを浮かべ、いつもより落ち着いた声で頷いてくれた。


「過去の資料がすごいしっかりしてたから、それが良かった」


「うん、去年も先輩たちとそれだけを手掛かりにしたもん。サトシのやったこと、正解だよ」


「これで僕も役立たずの汚名は返上できたかな」


 僕は胸を反らしながら、場を少し茶化したくて得意げな顔をして見せる。


 それに優佳はその茶化しには応えず……真正面から応える。


「うん、サトシはしっかり仕事ができてる。しっかり生徒会のために……ううん、わたしを支えてくれてる」


 優佳は生徒会室の扉の前で立ち止まって、僕の顔を見上げながら柔らかに微笑む。


 それを見てなんとなく気恥ずかしくなった僕は「お、おう」なんて応えながら、生徒会室に逃げるように入っていく。


「ねぇ、サトシ」


 そういって生徒会室に入るなり、優佳は後ろ手に扉の鍵を閉めた。


「優佳?」


 鍵を閉めた優佳の意図が分からず、僕は首を傾げる。

 優佳は目を細めて笑みを浮かべたまま、手を僅かに震えさせていた。


「わたしね、サトシのことが好きなの」


「……」


 唐突に口にされたその言葉。

 耳に入ってきても、すぐさま理解できなかった。


 好きという単語は理解できる。

 でも、わざわざ言い直す理由のある”好き”を、僕が本当に理解できているかは……


「こないだの、やり直しがしたいの」


 優佳は笑みを崩さず、小刻みに震えていた。


「わたしはね、みんなと一緒になにかをするのが好きなの。それは遊びでも、勉強でも、会議でもなんでもいい、みんなで協力して一つのことをするのが好きなの」


 合間に一つ一つ、小さく呼吸を挟みながら。


「それは昔からずうっと変わってない。子供の頃、レイカやサトシと一緒にいる頃から」


 灯りの点いていない教室に、葉擦れのような小さな声が響く。


「でもね、ずっと考えてたの。二人は付き合ってくれてるだけで、本当は楽しくないのに、わたしが縛っちゃってるんじゃないかって。他の楽しいことを奪ってしまってないかって」


 ……レイカのことだ。他の楽しいことを知って、僕たちから離れて行った、妹。


「だから少しサトシからも距離を置こうって思ったの。わたしが楽しいからってみんな楽しいとは限らない。わたしの好きなこと、押し付けちゃってるかもしれないから」


 それは、とても悲しい気付きだ。これまでの楽しいことがすべて色褪せ、無意味なものになってしまうんじゃないかという、恐怖。


 僕たちは少しずつ大人になっていく、いつまでも無邪気ではいられない。

 無邪気で居続けることが、誰かを傷つけてしまうかもしれないから。


「でもサトシは生徒会に入ってきた」


 優佳が視線を真っ直ぐに向ける。


「サトシ、全然場違いだった。学校のことも生徒会のことも全然知らなかったし、仕事っていう言葉も全然似合わなかった」


「悪かったね……」


 そういって僕たちは笑う。


「それでもサトシは少しずつ生徒会に溶け込んできた。エーコちゃんとも仲良くなってくれたし、二階堂君にも仕事を任されるほどにはね」


「二階堂のは、ちょっと違う気がするけどね」


 まあ……でも、結果悪くない形に落ち着いた。落ち着かせることができた。


「任された仕事をしっかりやって、わたしの隣に並んでくれた」


「まだ全然だよ、他のメンバーのやってることに比べたら僕なんて……」


「それでもっ!」


 強い風が吹き、校舎脇の防砂林が枝を大きく揺らす。


「わたしは、サトシに救われてるっ!」


 優佳は言葉を詰まらせながらも、続く言葉を感情任せに吐き出す。


「わたしなんかと一緒にいたいって言ってくれたっ! わたしなんかを支えたいって! それが、それがわたしにとってどんなに嬉しかったかっ!」


 声が大きくなることを抑えられず、自分の口にすることの意味に、大きさに、僅かな震えを伴って。


「ずっと怖かった、サトシもわたしの側から離れて行っちゃうんじゃないかって。

レイカだってわたしから離れていった、もう誰かが理由もなく側にいてくれるなんて思えなかった。……でもサトシは私の同じところに来たいって言ってくれた、守りたいって言ってくれた、ずっと一緒にいたいって言ってくれた!」


 先日の集会のことを思い出す。

 あのスピーチは、僕にとってあまり嬉しいものではなかった。


 優佳が人前で堂々としているところを見ると、やっぱり遠い存在なんだって思わされてしまうから。


「そしてサトシは少しずつ変わっていった、わたしの夢を手伝ってくれた。それがとても嬉しかった」


 優佳の声は未だに震えている。

 それを告げることで、なにかが変わってしまうかもしれないから。


「だからあの時、勘違いだったとしても、わたし、嬉しくてどうにかなりそうだった。あの瞬間から、気持ちが暴れまわってるの。伝えたかった言葉があって、それを伝えられていないことが我慢出来ないの。言えなかった言葉をちゃんと口にしたい、自分の言葉でちゃんと伝えたかった!」


 優佳は震えを抑えきれないように、自分の体を両腕で抱いていた。


 ……その震えを、止めてあげたいとは思う。

 けれど果たして、僕がそんなことをしていいのだろうか。


 いまの僕はそれに足る人間なのか。

 それをしてしまうことで、大きく壊れてしまうものがあるんじゃないだろうか。


「でも……優佳、さ」


「うん?」


「ここ最近、僕のこと避けてたじゃないか……?」


 自分のことを棚に上げて、そんな拗ねたようなことを言ってしまう。


「あ、あれは……」


 そういうと優佳は少し恥ずかしそうに、眼袋をくるくると指で押さえる。


「その、最近そういうことがあって、あまり眠れなくって……ほら、だからね?

そうすると目元にちょっと出来ちゃうものがあって……顔を合わせ辛いっていうか……」


「ああ……」


 どうやらあまり顔を合わせなかったのは、クマが出来てるのを見られたくなかったらしい。


「そんなの気にしないのに」


「バカ、わたしが気にするの。だって相手は気になる男の子なんだもん」


 そう言って袖で目元を少しを擦り始める。

 瞳の中からは、せめて怯えだけは零さないように。


「だからサトシ。わたしはあなたのことが好きです。昔からずっと、いまは……もっと」


 静かな教室の中で、ぽろっと愚痴でも零すかのように、自然に告白……された。


 その言葉は胸にすうっと染み入るように、受け入れることができた。相手の気持ちがわかってしまう僕たちだからこそ、そこに驚きのようなショックは起こらない。


 過ごしてきた時が、走馬灯のように蘇ってくる。

 その思い起こされる光景の中で、優佳いつでも笑っていた。


 そして僕も同じように笑い返していただろう。

 だから、もうほとんど、決まっていた。


 ……僕が、優佳を好きだ、って。



 でも本当に、いいのだろうか。

 だってまだ心の中に気になる存在がいる、それを誤魔化すことはできない。


 自分を騙すことはできても、優佳は騙すことはできない。

 ……それを察してか、僕の口を塞ぐように優佳が言葉を重ねる。


「でも……サトシは、きっと少し違うんだよね」


 通じ合っている僕らは、通じ合うがあまりに、見透かされてしまう。


「だって、サトシもわたしとおんなじだったら、こないだの帰り道で、この話は終わってたはずなんだもん」


 優佳は少し持ち前の落ち着きを取り戻し、少し拗ねたような、先生が生徒を諭すような口ぶりをする。


「でもね、このことだけは、誰にも譲るつもり、ないの」


 教室のドアを背中に向けていた優佳が、後ろ手に閉めていた鍵をガチャッと開錠する。優佳はそのまま僕の方に歩いてきて……横を通り過ぎ、窓を開く。


 開いた窓からは冷たい外気が教室に入りこみ、放課後の喧騒と共に現実が帰ってくる。室内に籠った暖かい空気は、澄んだ空気に洗われて日常へと溶けて行った。


「だからね、サトシ」


 そう言って振り返った優佳の横顔には――


「文化祭が終わるまでには答えを用意しておいてね? ……お姉ちゃん、せっかちだからさ」


 昔から変わらない、けれどいつもより少し大人びた、幼馴染の笑顔があった。


---


 二階堂は動揺を隠せなかった。


 進捗確認すらするつもりはなかった、纏場を陥れるために許可した合同企画。だが予想外に進行自体になんら問題もなく、それぞれのクラスも友好的でトラブルも起きていない。


 今後の進行についても、ヤツの読みにくくて汚い字でしっかりと指示がされており、全クラスで一番最初に企画準備が終わるのは自明の理だ。


 そしてなにより腹立たしいのが、纏場が文化祭準備のトップだと考えられていることだ。


 両クラスとも口にするのは生徒会への感謝と、纏場への親身な協力に対するお礼、そしてなによりヤツを信頼しきっていることがありありと見て取れた。


 ……それが意味することはなにか。


 このまま問題なくヤツが文化祭を成功させたのであれば、おそらく来年の生徒会長候補は紛れもなく、纏場諭史になるであろうことだ。


 ――ふざけるな。

 それは心から沸き上がってくる、自然な感情だった。


 別に生徒会長に仕立て上げたい後輩がいるわけでもないし、こいつなら任せられるという人員に目星をつけているわけではない。


 だが、纏場が生徒会長になることだけは阻止したかった。昨年、初めて縁藤優佳に会い、彼女が自分よりはるかに格上で尊敬に値する人物だと確信した。


 一年の時に彼女のする発言が自然と会議の中心となり、当時の生徒会長の心を動かし、副会長を納得させ、俺の憧れる姿となった。


 一時期、それに対抗心を燃やして、彼女より率先して動き、積極的に会議で意見し、与えられた指示については誰よりも先に実行した。


 先生方は俺を一番頼りにしてくれたし、一年生の中では朝礼で発言することも一番多くなった。その積み重ねが功を奏し、信頼を勝ち取って、ついには生徒会長の最有力候補とまで噂されるようになった。


 ……だが、それでも俺は心から納得することは出来なかった。彼女――縁藤優佳を差し置いて、自分自身が生徒会長になるのは明らかに人員配置ミスであると。


 だから自分から縁藤優佳を推薦した。

 周りからは驚かれ、考え直せと言われたが気にも留めずに彼女を推薦した。


 そして彼女は生徒会長になり、先日の朝礼で全校生徒の信頼を集めるに至った。


 それは俺自身にとっても一つの救いだった。自分のしたことが間違いではなかったと、彼女が生徒会長に立つべき生徒であることだと認識されたという事。


 それは進学してから生徒会長になりたいという願望――夢だったことを、かなぐり捨ててまで彼女を推し出したに対する一つの救いとなった。


 俺の選択は間違ってなかった。


 誰にそう評価されることがなくとも、俺にとってはそれは一つの救いであり、身を切って夢を諦めたことに対する、僅かな満足感となって自分自身を前向きにすることが出来たのだった。


 ――だけどヤツはなんだ?


 頭の回転は悪い、字は汚い、礼儀もなっていない。

 そんなポッと出のヤツになにが出来るというのか。


 事実、今回の成功は過去の資料を丸写しで行動しただけだ。

 決してヤツの機転が利いていたわけではない。


 生徒会長、いわゆるトップとはそういう場において、臨機応変に対応出来る能力が求められるのだ。反論に対しても明確な打開策を導き出せたり、場を上手く納得させられる力が必要不可欠なんだ。


 ヤツは事前の準備を固め、自分に能力がないことを露呈しないよう誘導しただけである。それ自体が一つの賢さなのは認めるが、決してスマートではない。


 それは裏方向きの対応である。

 感情を抜きにしても生徒会長に推し上げるなど想像したくない。



 ――いくらか考え事をしながら歩を進めていた俺は、いつの間にか生徒会室を目前にするところまで戻ってきていた。


 中で誰かが話しているようだ。結構な声でしゃべっているようで、人通りの少ない別館でそれはとても大きく聞こえた。


 生徒会メンバーには特段声が大きい人はいないため、なんとなしにドアの近くで側耳を立ててしまう。


 ……そこで聞いてしまった。


 自分の足元が、ガラガラと崩れて落ちていくような感覚。


 胸を打つ、どうしようもない絶望。

 世界が自分のことを切り捨てて回っているような、裏切られたような気持ち。


 歯牙にもかけていなかった後輩が、自分の全てを奪い、創り上げてきた環境を荒らし、俺を必要としない世界へと作り替えていく。


 ――俺の人生に、参加するんじゃない。


 そうして二階堂傑は、負の感情に呑み込まれて行く。

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