3-5 歪んだ決意


「はぁっ……諭史」


 ベッドに横たわるレイカに深く体重をかける。


「あ! 諭史、そこっ……」


 レイカは、ひどく汗をかいていた。


 当然だ。


 体の一部分を刺激されたら、誰だって熱を持つ。


「諭史、そこ、シツこいっ……」


「いや、だってここがいいんだろっ?」


「そう、だけど、っ」


 レイカが自然と出てしまう声を抑えようと、手で口を覆う。けれどその手も震えてしまって、それすらもおぼつかない。その反応に僕は満足し、逃れようとする体を押さえつけるよう、さらに力を込める。


「あっ、だから諭史、そこだけ……」


「レイカ、上のほうが弱いよね。でもこっちはどうかな、っ!」


「あっ……うそっ、いやぁ……」


 多方向から刺激され、自分だけでは知り得ない感覚にレイカは戸惑っている。

 そしてその行為を横から眺める一つの影があった。


 ――ヒヨコだ。


 巨大なヒヨコ抱き枕が、恨めしそうな仏頂面で僕たちの行為を見つめている。


 いつもレイカがご執心な彼(?)は人間にしかできない行為を、恨めしそうに、もしくは軽蔑するように眺めていた。


 僕はレイカを奪い返したことを見せびらかすように、そしてレイカのあげる声に自分の支配欲を満たさんと、じっくりと時間をかけてレイカの肌を蹂躙していった。


 ……と、いい加減本当にシツこいので、この辺にするとして。


「あ~! 諭史、最高! 次は肩と首回りお願い!!」


「あのね、別にいいんだけどさ。もう握力が麻痺してきて、こっちが筋肉痛になりそうなんだけど」


 一通り背中のマッサージを終えたレイカは、満足そうに次のリクエストを要求する。


 その恰好は家族にだって見せたくない。タンクトップでうつ伏せになったレイカに、僕は馬乗りになっているのだから。


 レイカは時折、僕にこうやってマッサージを頼むことがあった。


 力仕事もあればデスクワークもあるらしく、なにをやってるのか本気で聞いたことがあったが「派遣だから、なんかいろいろ」と釈然としない答えだった。


 レイカはあぐらをかいて僕に背中を見せる。肩を揉めとのお達しだ。


 僕は躊躇なくレイカの肩に力を入れる。最初の内は、タンクトップに浮かび上がるブラのシルエットに複雑な気持ちを抱いたが、いまではブラ自体つけてないことがあっても、なにも思わなくなっていた。


「あ゛~~~イきかえるぅ゛~~~!」


 肩を揉まれたレイカがダミ声をあげる。

 僕はそんなおっさん化した幼馴染にため息をつく。


「おぉ? 諭史、ため息なんてついてどうしたの?」


「いや、なんでもないよ。なんかいまのレイカを見てると、悩みごとなんてないんだろうなあって思ってね」


 僕は少しおどけた口調で、ご機嫌のレイカを少し落としてやる。


「なにそれ、聞き捨てならないね~まるで私に悩みなんか、ないみたいじゃないか~?」


「実際、そうだろ~!?」


 レイカの文句に気のない返事で応える。

 本気で返したところで、明るい話にはならないのはわかってるから。


「なによ、しつれ~しちゃうわぁ~~? あんたも私と大して変わんないだろ?」


「僕はレイカと違って、考えてることだって、悩むことだってありますよ、っ!」


 そう言って、レイカの肩を親指でギュッと押し込む。


「あでっ!?」


 レイカは一瞬仰け反った後、涙目になりながら非難めいた視線でにらむ。


「いったあ~、アザになったらどうすんのさ…!」


「レイカなら大丈夫。体力馬鹿の治癒力なら、アザになっても明日には治ってるって!」


 僕は勝手なことを言って笑いながら、レイカの肩をバンバン叩く。レイカは「こら、やめろって」と言いながら反撃とばかりに、僕の脇腹に手を忍び込ませてくすぐり出した。


「ちょ、やめてよ、レイカ! はは、ははははっ!」


 僕はその手から逃れようとベッドの上で暴れまわる。けれどレイカはニヤニヤと笑いながら、もう片方の手で体を押さえつけ、逃れようとする僕をベッドに押し潰す。


 そうやって僕はしばらくレイカの指に笑い転がされた後、気付いたら仰向けにされ、レイカに押し倒されるような格好になっていた。


 急に静かになる雑踏、聞こえだす心音。


「諭、史……」


 薄く頬を染めたレイカの息が、僕の鼻腔をくすぐる。ベッドで暴れたせいか額には汗が浮かび、シャンプーの香りと混ざり合って、むせ返るような生の匂いを漂わす。


 レイカの肩口から僕の首元に枝垂れるポニーテールの毛先。

 真正面には重力に従って、より強調させられた胸元が眼前に広がる。


 レイカはなにも言わず、こちらを見つめていた。

 痩せ我慢をしているような、追い詰められているような、切羽詰まった表情で。


 ……僕はなにも言わず、レイカの額に浮かぶ汗を、指で拭う。


 するとレイカは胸を押さえ、視線を逸らす。その仕草に、心臓を握り潰されたような苦しさを覚える。


 レイカの唇は艶やかに濡れていた。少し前に自分の唇を、唾液で濡らしていたのだろう。


 ……僕と触れた時に、乾いていると思われないように。



「しない……?」


 囁くような、レイカの声。

 その意味するところは……考えるまでもない。


 少しずつ増えていた、レイカのスキンシップ。

 それは心の寂しさからなのか、引きずり込むための手段だったのか。


 昔は手を軽く繋ぐことはあれ、ベタベタするようなことはなかった。


 レイカが孤独な生活をしてきた反動なのかはわからない。だけど僕たちは寂しいから体を近づければいい、では済まない年齢になってしまった。


 心も体も近くなり、その延長にある行為。

 それが、いま目の前に叩きつけられている。


 ……でも、心の距離は、近くなったのか?


 僕らの間には……過程しかなかった。

 そこに立ち上がっているはずの、なにかを見つけられなかった。


 過程の果てに、もしくは過程の前提になるものを、見つけられなかった。


 ――衝動に身を任せてしまえ。


 心の声が聞こえる。


 けれど、僕はまだそれを、客観視できていた。



「ダメ、だ」


 なんとか、そう言った。

 部屋の外に、雑踏が戻ってくる。


 レイカの顔から、次第に熱が消えていく。


「………………ヘタレ」


 ぴちゃっ、と水音。


「なっ!」


 レイカは信じられないことに……僕の顔に唾を吐きかけていた。


「うわっ、きったな!」


「も~! あ~~~~!!」


 レイカは大声を上げ、傍らに鎮座していたヒヨコにルパンダイブを決め込んだ。


「なにすんだよ!」


 枕元に転がっていたティッシュで顔を拭く。


「なにすんだよ~じゃないよ! なんかしろよ~ってことだよ!」


「なんかってなんだよ!」


「なんかって、ナニだよ!」


「わ、最低……レイカ、女のコでしょ!?」


「諭史こそ男だろ!? 女に下ネタの一つでも吐いてみろよ!」


「そんなこと出来るか! だって僕はムッツリスケベなんだから!」


「はあ!? なにわけわからないこと言ってんの?」


「ムッツリスケベが、下ネタなんて吐いたら余計に格好付かないんだよ!」


「そんなことで逆ギレされても知らないし! 据え膳食わねば、って聞いたことないの!?」


「あるに決まってるだろ!」


「じゃあアンタは男じゃない! いや、私が男だって認めない!」


「勝手にしろよ! レイカなんて僕がいなければ、一人で生きていけないウサギちゃんのくせに」


「ああそうだよ! だから私はこうして恥を忍んで、真っ向から立ち向かったんじゃないか!」


「……え?」


「無理やりイチャイチャに持ち込んで、そのまま雪崩れ込み○ックスしちゃおうと思ったんだよ!」


「な、なんだよその冬をテーマにしたみたいなコミックスは!!」


「○は空欄じゃない! 諭史は当事者だからちゃんと○ックスって聞こえてるだろ!?」


「何回も連呼するな! ってかなんで2-6では伏字じゃなかったのに、いまは伏字なんだよ!」


「知らんわ! 神様に聞け!」


「大体、伏字でも伏字じゃなくても、レイカは下品な言葉が多すぎる! もっと慎みを持て!」


「なんで私がそんな諭史の押し付けを聞いてあげなきゃいけないの? 私の言葉遣いにまで指図される覚えないわ!」


「僕がこれからもレイカと過ごしていきたいからに決まってんだろ!」


「えっ……?」


「だから僕はレイカが下品な言葉を使うのが許せない! そうだ大和撫子みたいになれ! ムッツリスケベには慎ましい女のコとの方が相性がいい!」


「なに言ってんの、気持ち悪い。いまさら私がスカートとか履いて、花を愛でる女なんかになれるわけないだろうが!」


「いいや! なれったらなれよ! 俺が好きだった頃のレイカは、そんな感じのおしとやかな女の子だった!」


「現実を見ろよ! アネキとのイチャイチャを見せつけられて、擦れた結果がいまの私なんだよ!」


「擦れた? いまのレイカ程度でなにが擦れてるだよ! なにかにつけてベタベタ触ってきて、いまのほうがよっぽど寂しがり屋じゃないか?」


「こンの野郎……!」


「あ、怒った? 怒ったレイカちゃんもカワィィ~!」


「黙れこのイ○ポ野郎! 大体、諭史だってなァ!!!」


 …………


 ……


---


 一時間くらい経過しただろうか。


 僕とレイカは一通り相手を罵倒しつくした後、手足を投げ出して寝ころんでいた。


「諭史さ~」


「なに?」


「あんたと、ここまで口喧嘩したことあったっけ?」


「……わっかんない」


 ぶっきらぼうに答える。


 けれど悪意はない。


 言いたいことは、言いつくした。


 いまは清々しさすら感じている。


「……諭史さ~」


「あん?」


「相手に思ってること伝えるのって、けっこう気持ちいいな」


「……ああ」


 この二ヶ月で溜まったものを本人に向かって吐き出した。

 お互い頭に血が上ってるのをいいことに。


 不満を言うのだって、罵倒するのだって、結局は自分の中に貯め込んだものを吐き出したいだけ。


 でも、それを言われた本人が最後まで聞いてくれる。

 その言われたことを認めないまでも、相手が受け止めてくれる。


 一番初歩的なコミュニケーション。でもレイカとはそれすらもずっと、すっ飛ばしてきたんだ。


 そう考えると、レイカとの口汚い罵り合いも意味があったのかもしれない。お互いがこれからも一緒に過ごしていく前提で、不満に思っていることを言い合った。


 お互いの好きなところと嫌いなところを知り、それでも仕方ないけどやっていこうって、そう思えるんだったら、それは……仲直りしたのと同じことじゃないかって、そう思えた。


「諭史」


「ん?」


 寝転がったまま、レイカは言う。


「私さ、いまよりもっと働こうと思う」


「……レイカ、それは」


「ううん、聞いて」


 一呼吸おいて、天井に向かって明るい声を出す。


「私、諭史が大学に行くまでの生活費、稼ぐ。家賃のためって言って諭史はバイトしてるけど、それも私がなんとかする」


 僕もレイカの方は見ず、天井から落ちてくる言葉を重力のままに受け止める。


「諭史がやりたいことをやってくれるのが私は嬉しい……んだと思う」


 その独白は天井から落ちてくるせいか、純粋に僕へ重くのしかかった。


「私はさ、もう自分の人生にやりたいことはないんだ」


「レイカ……」


「見つからない、いや見つけるのに向いてないんだと思う」


 その重圧は僕を縛り付ける重さではあったけど。


「だから誰かのために頑張りたい」


 その重さは二人で抱え込めば、担ぎ上げられる重さ、なのかもしれない。


「そうしたら自分のために頑張れなかった私でも、頑張れるかもしれない」


 僕たちは人間だ、重力のないところでは生きていけない。


「だからさ、諭史」


 だからこの適度に重さを感じる関係こそが。


「私の生きる理由に、なってほしい」


 一番の理想、なのかもしれなかった。



 僕はその時になってようやくレイカの方を見る。


 レイカは既に体を起こしていた。


 その目には、決意の力に満ち溢れている。


 僕はそのレイカの真摯さ……そして愚直さに、絶句するしかなかった。


「言いたいことは、わかった」


 けれど僕はレイカの考えを、その場で肯定することはできず、その提案を受け”止める”ことしかできなかった。


 レイカはそれを聞いて目を瞑ると「わかった」と言い、しばらくの無言を貫いた後、僕は「おやすみ」と言ってリビングを後にした。


---


 部屋に戻った僕は、先ほどのやり取りを反芻する。


「プロポーズにも取れる、というかそのものだよな」


 そう思うと、口元に笑みが自然と浮かんでしまう。誰かから好意を向けられるのは、やっぱり嬉しい。


「ってか、僕どんだけヒモ体質なんだよ……」


 それと同時に自分の情けなさに悄然とする。自分もお金を稼ぐ算段を立てていたのに、相手に先をこされてしまう情けなさ。


 僕って国宝物のヒモなのか……?

 そんなくだらないことを考えるが、気持ちは一向に晴れなかった。


 レイカの言葉を思い出す。

 普段の自堕落なレイカと違い、力強い意志を持つ人間の目だった。


 未来を見据える人の目は、あんなにもきれいで美しい。レイカが今後もあの目をして生きていけるのなら、確かに僕はレイカのヒモ……主夫になる決心さえつくのかもしれない。


 だからこそ僕は、また先が見えなくなってしまった。

 レイカは一番大事なところに気づかなかった。


 きっと必死に考えたのだろう。

 僕に言う機会を見計らってたんだろう。


 レイカの、渾身の、告白だったのだろう。

 あの時の目を見た瞬間、心を鷲掴みにされるようだった。


 だからこそ、僕は水を差すことはできなかった。


 その問題だらけの提案に。

 ……レイカは覚えているだろうか、僕の大学に行く理由を。


 それをレイカが支えるということは、どういうことか、わかっているんだろうか。


 その夢には、大きな欠陥が、ある。


 その夜もレイカの夜泣きは……収まらなかった。

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