3-2 鋭い友達


「ねぇねぇ鈴木君、あれやっぱりなんかあったよねぇ」


「はい。あれはちょっと分かりやす過ぎますね、店長」


「なんというかカグラちゃん、乙女してるねぇ」


「いつもは鬼って感じですけど、うわ~なんかいいな、こういうの」


「……そういう君はいつまで眺めてるの。もうタイムカード切ったでしょ」


 そんなヤジウマ二人に見つめられているのは、割烹着姿を身にまとった佳河華暖。


 二人の視線に気づくことなくチラチラと……ではなく、ガン見されているのだが、当の本人も同じように一人の姿をガン見している。


 その視線の先にいるのは、まだ登場してないもう一人の存在なのだが……


「今日、二人が揃ってからずっとこんな感じですね」


「う~ん、平日の中日だからよかったけれども、これが週末の繁盛してる時だったら、ぞっとしないねぇ」


「そもそも週末だったら、正直こんな佳河ちゃんにきっと気付きすらしませんでしたよ」


「そうだねぇ、というか君もさっさと持ち場に入ってくれる?」


「冷たいですよ、店長~一緒にもうちょっと佳河ちゃんの数少ない萌え仕草に、キュンキュンしましょうよ~」


「君にいつまでたっても彼女が出来ない理由が、垣間見えた気がしたよ」


---


 華暖に気を遣われていた肩もようやく完治。だからようやく厨房とホール両方を同時にこなすという、通常営業に入ることできた。


 平日にそんな立ち回りが必要かというと、実はそんなことはない。だけど華暖がいつもより上の空で、ミスが多くなってしまいそうで、誰かがフォローする必要アリと、そう判断したからだ。


 現にいま僕が厨房で作ったお食事を、直接ホールに持って行ったとしても、華暖はなにも言わずにぼけーっと見ていた。


 ……ホール担当、仕事をしてくれ。

 僕は一つ溜息をついて、これまで触れなかった視線を視線で返す。


 すると急にお盆を胸に掻き抱いて、目をきょろきょろさせる華暖。逃げ場を失った華暖は、ついさっき変えたばかりのダスターをまた交換し始めた。


 明らかな、動揺。


 華暖に電話で告白されてから、ずっとこんな感じだった。学校でも大人しくしているし、バイトではわざとらしくシフトがズラされていたし……


 けど、視線はいつもこちらに浴びせられていた。最初の内はちょっと気まずいな……ってくらいであったが、最近はいよいよこの現状を打破しなければ、と思い始めていた。


 だって華暖にはこう言われたんだ。


『明日からもなるだけ普通にすっからさ……いっつもみたいなトッシ~で、いてよ?』


 僕だって振って、いや振らせてしまった手前、どう華暖に接すればって色々考えたが、あれきり華暖のほうが露骨に態度が変わってしまった。


 けど、もうそんな毎日は嫌だ。華暖にこれまでと同じ……は無理かもしれないけど、以前のような関係に戻りたかった。


 意を決し、三回目のダスター交換に入った華暖に声をかける。


「華暖」


「ひゃ、ひゃい!」


 はい、私はいま慌てています。

 ……と言わんばかりの、分かりやすい動揺を乗せて返事をする。


「最近、ぼーっとしてない? 体調悪いの? 大丈夫?」


「な、なにも問題ないわよ、の、の~ぷろぶれむっ!」


 なんだ、このぎこちない返しは……


 こういう時こそ、からかうような軽口が出てきて、場を和ませられるスキルがあればいいんだろうなと思う。


 和ませる、和ませる……


 ――ムッツリスケベとはマジメっぽいのに、実はそんなことばかり考えている人の総称。


 先日、華暖にムッツリと言われたことを思い出し、意趣返ししてやろうとする心が、むくむくと湧き上がってきた。


 これを打破するには、日常的に会話に混ぜていくしかない。

 渾身の下ネタを放って「や~ん、トッシ~のエッチィ~」と言わせてやるんだ。


 どこからか「やめておけよ……」って声が聞こえる気もするが、僕の意志は堅い。


「も、問題なんて言われても説得力ないって」


 早速ドモってしまった。


「ホントだって。熱もないし、その……」


 華暖は目を合わせるのも恥ずかしいと、顔を真っ赤にして俯く。


 けど、僕はそんな華暖の様子にも気付けない。なぜか下ネタを言わなければいけない、という義務感に圧迫され脳が回らない。


「じゃ、じゃあ、アレか? えっと、そ、その、今日はアノヒか?」


 無理に言ってしまい、声が上擦る。


「え? トッシ~、あの日って……」


「えっとだから、アノヒって言ったら、女の子が、月に一回来るアレで……アノヒだから体調悪いのかな、って、その……」


 ――ヤジハチは、氷河期を迎えた。


 いつからかこちらを見ていた店長と鈴木さんは、ドン引きした表情でこちらを見つめ、絶句した華暖は、汚物を見つめるような目つきをしていた。 


 オマケに僕は自分の下ネタを解説するという、この世の終わりみたいなことをしている。


 ――もう、死ぬしかない。


「トッシ~さぁ……」


 華暖の両眼には”軽・蔑”という文字が浮かんでいる。

 終わった――ムッツリと言われていただけの、あの頃に戻りたい。


「……ぷっ」


「え?」


 華暖は堪えていた笑いを漏らす。


「なに言ってんの? トッシ~、究極のバカ? ムッツリが今更下ネタ言ったとこで、ど~しよ~もないっての」


 華暖は「今日一番だわ」って手を叩いて笑う。


「アハハ、本当にバカじゃないの? フツーに引くって! 生きてて恥ずかしくない?」


「恥ずかしいよ……わかってるから……言わないで」


 そう言って頭を抱えてしゃがみ込むと、華暖はまたハジけるように笑いだす。

 慣れないことは、するもんじゃない……


---


 華暖はひとしきり笑い、僕が自他ともに認める”歩くムッツリ”であることを再確認した頃。


「へへ、なんかこうやって顔を改めて合わせっと照れんね」


 仕事を終えた僕らはいつものように……いや二週間ぶりに、合席でまかないを食べながら、華暖と久しぶりの会話をする。


「いや、僕としてはもう罪悪感というか、感謝というか、いややっぱり申し訳ない気持ちというか……」


「いいの。アタシが勝手に爆発して、暴走して、我慢できなくて。で、着地もしっかり分かった上でのことだから、いいの」


 そういう華暖はまだ気恥ずかしさが残るのか、視線が合いそうになると明後日の方角に逃げてしまう。


 その仕草や、忙しなく動く指先だとか、少し赤くなった耳を見ていると、あの華暖が僕なんかに”照れ”を感じていることに、なんだかこっちも恥ずかしくなってきた。


 そしてあの時に電話口で聞いた恥じらった声。忘れたくても忘れられないだろうあの声は、いま目の前にいる華暖が言った言葉なんだ。


 現実のようで、現実感に乏しい、不思議な感覚。


「……ね、華暖」


「なに?」


「もし華暖が気まずかったらさ、その時はちゃんと言ってくれ。僕は華暖に対して、頭上がらないことしてる。だから本当に無理な時は辞めるつもりでいるから」


「や、それだけは絶対にダメ!」


 華暖がびしっと両手でバッテンを作る。


「自分がヘルプで連れてきた男なのに、振られたから辞めさせるなんてダサい女にはなりたくない。それだったらみじめな思いをしても、アタシは意地でもバイトを続けてやるから」


「……相変わらず強い女のコだよ、華暖は」


 僕はビシッと言い切られ、感嘆のため息をつく。


「それとも、トッシ~は辞めたい、の?」


 おず、と華暖は逆に伏し目がちな表情で問いかける。


「まさか、僕が一番必要とされるのはここくらいだからね。自分から進んで失いたいと思う場所ではないよ」


「でも前に辞めてく時はさ、あんなに引き止めてもダメだったじゃん?」


 やや拗ねた口調で華暖が言う。


「前とは状況が違うよ」


「でも落ち着いたら、辞めるんだよね? 受験勉強しなきゃいけないんだし」


「……もしかしたら、しばらく続けることになるかもしれない」


「そうなの?」


 小さいの会話の中に、いままでとの大きな違いが紛れ込む。

 付き合いの長い華暖は、それに当然気づく。


「そっか」


「うん」


 見逃して……くれたってことかな。


「そういえば、さ」


「ん?」


「あの後、レ~カとどうなったの?」


 ……いや遠回しに聞いてきた。話の核心を。


「五月十日がレイカの誕生日だったんだ。あの日にプレゼント渡して、お互いに謝って仲直りしたよ」


 真っ赤な嘘、レイカと仲直りはできなかった。


「へぇ、なにあげたの?」


「そんなの秘密だよ」


「なによケチー、アタシはトッシ~に誕生日プレゼントあげたじゃない」


「その不満は僕が華暖へ誕生日プレゼントを渡さなかった時に聞く。去年だってちゃんとあげたし、それに今年僕がもらったのは缶コーヒーだったじゃないか」


「なにトッシ~、プレゼントの価値を価格で決める派? 男のクセにみみっちいところあるのね」


「……ああ言えば、こう言う」


「ゴメン、ゴメン~。わかった、これ以上は聞かない」


「だったら最初からそうしてよ」


「でもさ」


 華暖は少し真面目な顔をし、箸を置いた。


「一人で抱え込みすぎちゃ、ダメだかんね」


「……え」


「トッシ~、目にクマできてる」


 言われて目の下を軽く触る、が当然触っただけじゃわからない。


「これは……ちょっと深夜番組を、見ててね」


「そう? トッシ~がクマなんてつけてるの見るの、初めてだったからさ?」


「……」


「一言だけ、言わせて」


「……なに?」


「それ以上、深入りすんの、やめときな?」


 それだけ言うと華暖は食器を片し、更衣室に向かって行った。


 僕はぽつんと残され……その言葉の意味を考えていた。


 なんだよ、華暖。


 本当は全部わかってるんじゃないか?


 君はどれだけ僕のことを見ているっていうんだ……?


---


「じゃぁ店長、トッシ~。おっつ~」


「は~い、カグラちゃんおつかれ~」


 店長が片手を上げて返す。


 その日、華暖は用事があるとのことで先に帰っていった、なんでも合コンがあるらしい。


 僕はそれを聞いて、少し安心した。


 合コンに行って安心するというのもおかしな話だけど、だってそれは事故が起きるあの日より前に戻ったということだ。


 いつもの風景が再び戻ってきた。

 僕は華暖の気持ちに応えることはできない。


 それだったら僕のことを忘れて、以前の華暖にいち早く戻ってくれた方がいい。僕なんかに振り回されることのない華暖になってくれたほうが、よっぽどいい。


「……サトシ君も色々青春してるよねぇ」


 僕は休憩室にある店長のデスク横に、丸椅子で腰かけていた。


「なに言ってるんですか、対して中身のない人生ですよ」


「はは、それはひどいな。君の中身がなかったら僕達社員のプライドはボロボロだ」


 店長はパソコンに目を向けたまま、乾いた笑いをこぼす。


「サトシ君、行き過ぎた謙遜は逆に相手を傷つけることだってあるよ。無論、君みたいに頭のいい子だったらわかるだろうけどね」


 ちょっと芝居がかった口調で店長が言う。


「君はとてもよくやってくれている。だけどその能力を自分で見誤ると、時に痛い目を見兼ねない。言ってることの意味がわかるかい?」


「……はい、注意します」


「おっけー、そしたら面接、と言っても今更話すことなんて特にない、か」


 ここでのバイトはあくまで華暖にお願いされて、あくまでヘルプとして一時的に働く予定だった。


 それがいま、僕がここにいる理由の全てだったはずだ。なので当然、その当時の約束がそのままであれば遠からず、僕はこのバイト先を去ることになっている。


 そして僕がここを辞めるということは、以前と同じ理由で『受験勉強に専念する』という理由になるはずだった。


 だから先ほど僕が華暖に返した言葉には、違和感を感じて当然なんだ。だってヤジハチでしばらく仕事を続けるということは、『受験勉強に専念する』ということとは両立しない。



 店長はやや間を置いて――


「で、サトシ君。さっきの話だが」


「はい」


「正社員になりたい、って話。本当に上に通させてもらって大丈夫かな?」


「大丈夫です」


 僕はいまの生活を、継続していくことを考え始めていた。

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