1-9 院内ではお静かに
「あ~ねむっ!」
「ね、まさか朝六時に叩き起こされるなんて思わなかったよ」
僕と華暖は仲良く目の下にクマを作っていた。昨日レイカに電話を掛けたのは午前三時半頃だから、三時間も眠っていないはずだ。
「しょうがないよ、検温の時間が決まってるんだから」
「こんなことなら、無理して泊まるんじゃなかったぁ」
「華暖、それ色々と台無し……」
昨日ベッド脇で交わされたひとときが、朝靄となって消えていく。
現在、朝食を終えて午前八時。
「こんなに早く起こされたのなんて、夏休みのラジオ体操以来かも~?」
「健康的でいいじゃないか」
「クマ作ってる顔でそんなこと言われても、説得力ないっての」
華暖はそう言って肩をまっすぐに伸ばし、大あくびをしてみせる。肩に引っ張られてシャツが伸び、ヘソが丸見えになっていた。
早起きは三文の徳。それにしても花のJKが朝っぱらから大あくびとは。
しかも昨夜、僕に告白(?)なんてしておきながら、次の日には失態ともいえる振る舞いを堂々と……まぁいいんだけど。
よく言ってしまえばそれだけ心を開いてくれているということだ。だらしなさを勝手に好意へ解釈する僕も大概だけど……
昨日の今日で気まずくなったり、態度がまるっと変わらない、いや変わらないように努力してくれている。僕が華暖に対して返せるものはなにもないというのに。
そう考えると、少し申し訳ない気持ちににさえなる。だから僕もいつもと変わらない行動で返すのが、せめてもの礼儀だ。
「そういえばもう十時になるけど、学校はどうするの?」
僕はこれから脳の精密検査を行うので、もう一日ばかり入院だ。
「今日はもう帰って寝る。一日くらい、どってことないっしょ」
言いながらまた大あくびをする。
「本当、ごめんね」
「その謝んのナシ、もうそれは昨日で終わりだよ。トッシ~に謝られると、アタシはもっと謝んなきゃいけなくなるじゃん」
「そうだね、ごめ……うん」
「まったく、そうやってヘコヘコしてなければ、もっといいオトコなんだけどねぇ~」
「ははは……」
「とりあえず今日はもう帰るわ、睡眠不足でノーミソ全然回らないしね」
「うん、こんな時間まで付き合ってくれてありがとう」
「付き合ってくれればチャラにしちゃうけどぉ?」
そういってニヤニヤしながら、顔を近づけてくる。
「それは、その……ゴメン」
「チェッ、ノリが悪いでやんの! 謝んのナシって言ったでしょ~?」
「それとこれを繋げるのは強引過ぎるでしょ」
華暖が顔を引いて、僕は内心ほっとする。
でも、そんなに顔を近づけるのだけはやめてくれ。
だって彼女の照れが混じった表情とか、泣きはらしたのを隠した時の顔を、思い出してしまうから。そして、その表情に引力を感じてしまうことが、情けなくもあったから。
「でも、元気になってくれてよかった」
「……うん」
あの時、事故に遭う寸前、差し伸ばす手を躊躇してしまった自分が恥ずかしい。
もし手を差し伸ばさなかったらと想像するのも恐ろしい。
けれども、それは存在しなかった未来だ。華暖はいまこうやって目の前で笑顔でいてくれる。
だからこそ今回は自分を褒めてやれた。
あの時の選択が間違っていなかったと、いまなら誇らしい気持ちにさえなれる。
「じゃ、トッシ~また……」
――その時、勢いよく病室のドアが開かれた。
「こんちわ~っ! ここはマトバさんのお部屋でしょうか~!?」
「部長。ココに書いてますて」
「おお、ホントですね! じゃ失礼します、新聞部です! お見舞いに上がりました!」
それだけ言って許可も取らず、本当に礼儀など失ったとばかりに、ズカズカと侵入する二つの影。
目のパッチリとしたちっこい女の子と、ひょろ長の頼りなさそうな男が入ってきた。
誰? 新聞部?
「ややや!? あなたがそうですね? 昨夜、愛する女性を身を挺して守ったオトコの中のオトコ、マトバサトシさんで間違いないですか?」
「そうよ。アンタ、話が分かるわね」
華暖がえらく真面目な顔で頷いた。
「いや、ちょっと待……」
「やっぱりそうでしたか~! お二方、昨日は災難でしたね。それでまず早速ですが当時の状況を……」
「あの夜はぁ~いつものようにお互いの愛を語りながら歩いててぇ、トッシ~は私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれてて……」
「あ~そこ、ねつ造しない。一回黙って!」
「トッシ~のほうこそ黙ってて。新聞になれば外堀が埋まるっしょ?」
「そんなこと言われて、僕が黙ると思います!?」
「あ~もうトッシ~はちっさいオトコねぇ、どうせユ~カさんにも逃げられたんだからさぁ、早めにアタシに乗り換えちゃお?」
「華暖、本当に僕と付き合いたいと思ってる!? 付き合いたいと思ってた上で、僕にそんなひどいこと言ってます!?」
横でひょろ長の男が手を上げて言う。
「ぶ、部長。とりあえず自己紹介カラ始めないと、取材もなんもないのかなと」
「な~るほど! さすがオオエドくん、人とは着眼点が違いますね!」
いや常識だろ。そして文字通り激しく同意した女の子がしゃべり出す。
「申し遅れました。ワタシ、夕霞東高校の新聞部長を務める明智 妙子(あけち たえこ)と申します!」
「で、ボクは副部長やっとります、大江戸です」
「はぁ」
よくわからないけど、とりあえず返事をしておく。
「それで昨日起きたマトバさんの救出劇、これをぜひとも記事にさせて頂きたく、お願いに上がった次第であります!」
「き、昨日の今日でスンマセンね。こういうのって鮮度が大切なんですわ。不躾なのは分かっとりますが、何卒お願いしたく思います」
そういって大江戸君は、百九十センチはありそうな体を屈めて頭を下げる。
「いや頭は下げなくてもいいけど、……って、まだ学校にも連絡してないのに、どうして知ってるの?」
そうだよ、この話はまだ学校に連絡しておらず、これから連絡しようかどうかというところだった。
「チッチッチィ~この新聞部長、明智妙子をなめてもらっては困りますよ~!?
この市内であればワタシの人脈により、三時間以内にスクープ情報が入ってくるのです!」
「誰から聞いたの?」
「ズバリ! 去年に学園祭のOBとして来た看護師のタケダさんです!」
「患者の個人情報漏えい」
「え?」
「……華暖、外科医長にいまのことを伝えてくれる?」
「りょ~か~い」
「あ~あ~あ~~!? なんでもするのでそれだけは勘弁してください~!?」
「部長……情報提供者の情報は喋っちゃいけないって、何度も言ってるじゃないですか」
「えええい! 黙りなさい、オオエド君! あ、あの、やっぱり取材はなかったことにしてもいいので、情報提供者の件だけはどうか……」
そういって膝を負り、全力土下座を見せる新聞部長。
……かわいそうになってきたな、色々な意味で。
「わかった、わかりました。今回は不問にしておきます」
「本当ですかっ、ありがと~ございますっ!」
顔を上げた後、そのまま感謝の土下座に切り替わる。
「そしたらまず写真を取らせてもらっていいですか!?」
「取材の許可をしたわけじゃないんですけど」
側に置いたリュックから得意げに取り出したのは、体躯には似合わないほどゴッツイ一眼レフカメラだった。
「この三七○○万画素のカメラで、毛穴の奥までバッチリ撮ってあげます!」
「うわぁ、なんてモデル意欲を削ぐ謳い文句」
部長は余計な一言で協力する気持ちを失くす天才だ。もしくはそうやって相手に油断させて、取材するというテクニックなのだろうか?
「そもそも新聞記事に一眼レフの解像度って必要なの?」
「あったりまえですよ! もちろん本来の新聞の役目として紙媒体に印刷はしますが、いまの新聞部はウェブ公開がメインの活動ですから!」
「そういえばそのページ、アタシも見たことあるかも?」
言われてみれば、僕も見たことがあるかもしれない。
高校に入る前、志望校を探している時に公式ページより新聞部のページが先に出てきたような気がする。
その時刊行されていたのは、部活動や校内のちょっとしたウワサ、校長の教師を目指した理由とか、各先生のテストに出る問題傾向とかが書かれてて結構面白かった。
「いまでは直接スマホで記事が見れますし、面白かった記事にも”いいね”がしてもらえるんで、ウェブでの活動がメインなんです!」
「へえ、話だけ聞くと少し面白そうだ」
「ですよね!? マトバさんとカグラさんも入部しますか!?」
「「いや、大丈夫……」」
あまりのテンションの高さにちょっと引いてしまう。
でも、確かにやっていることは面白そうだ。
と……そこで僕は一つ思いつく。
「部長さん、取材の件は全面的に協力します」
「本当ですか!?」
「だけど、一つ僕のお願いを聞いてもらえますか?」
「ええ、なんでも!」
そう、僕が一番しなければならないこと。
ケガなんてしないに越したことはなかったけど、それでもこれを生かして前に進めるのならば、全力で利用してやろう。
---
「なるほど、彼女さんの捜索ですか」
「ダメかな?」
「いえ、でも本当に大きく捜索するのであれば、警察に頼るのが一番ではないかと……」
「うん、それも最悪は考えてる。でも自分から出て行ったのは間違いないし、事件性は薄いと思うんだ」
「それはそうですが、だけどもし見つかったとして」
「……うん。知りたくなかったこと、知る必要がなかったことを知ってしまうだけかもしれない」
「それでも、構わないと?」
「優佳にはその理由を僕に伝える義務がある。僕にだってそれを聞く権利くらいはあるはずなんだ」
そうだ、僕は優佳に会わなければいけない。
なにか理由があったとしたのなら、僕に話してくれなかったのは許せない。
こうやって口にしながら自覚していく。
僕はやっぱり今回のことに怒っているのだ。
「わかりました、それでは掲示物等や目に見える捜索ではなく、あくまで情報筋に”縁藤優佳”が現れていないかという方法で、方面にあたってみます」
「ありがとう、本当に助かる」
「気にしないでください。新聞部っていうのはコネで仕事をしているんです。これくらいお安い御用ですよ」
部長はこともなげにそう言った。
なるほど、この人は”部長”だ。今更ながらそう思う。
第一印象はお世辞にも最悪だったけど、強力な助っ人がついてくれた。
先日までの僕は一人でなにもできず、手を伸ばしても雲をつかむような無力感があった。
それがどうだろう。一人ではなにも得られなかったのに、いまや華暖、それに新聞部の協力を得ることが出来た。
なにより一人じゃないことの安心感。
協力してもらえることの心強さ、それをいま僕はひしひしと感じていた。
「トッシ~、仲間増えて、良かったじゃん」
そう言いつつ、心なしか華暖のテンションは低かった。僕が少し怪訝な顔をしていたのか、華暖は言い訳を始めた。
「……ゴメン、ちょっとヤなこと考えてた。そうだよね、協力者、いっぱいいたほうがいいのは当たり前だよね」
そういって困ったような笑顔を見せた。
「さて、じゃあ交渉成立ということで。さっそくですが写真オッケーですか?」
「ああ。僕は全然構わないけど」
「じゃカグラさんもスタンバイお願いします」
「え、華暖の写真も撮るの?」
「あったりまえじゃないですか! なんのために今回取材に来たと思ってるんです!?」
「え、だって僕が事故った記事を書くんでしょ?」
「なにを言ってるんですか、最初から言ってるじゃないですか! メインは”愛するオンナを身を挺して守った彼氏”の記事ですよ!」
「え……?」
そういえばなんか話を流れるままで進めてきたけど、これって華暖が彼女だっていう前提進んでるんだよな……
「まぁ実際付き合ってても、付き合ってなくても構いません。面白ければなんでもいいんですよ」
「ちょっと待って! それはおかしくない!? 真実を伝えるジャーナリズム精神に則って、真実のみを報道しようよ!?」
そう言う僕の左肩に手をのせて、大江戸君が言う。
「纏場サン」
「大江戸君! キミの部長が暴走してるよ、止めてやってくれ!!」
部長はもう手が付けられないくらい暴走している。
けど僕は大江戸君の目を見て、悟った。
最初はこの二人が凸凹なコンビだと思っていたが、それは仮初の姿。
大江戸君は部長の暴走を止める、冷静な補佐役としてついているのだ。
だから僕は大江戸君に助けを求める。
彼は当然のように頷いて、この世の全てを許したような神々しい笑顔で……
「世の中には、必要な嘘もあるんデスよ」
「新聞部にまともな人間はいないのか!?」
「で、でも聞いてください、ウチに記事にしてもらえば女の子の評判はうなぎ登り。モテモテですよ」
「……ほんと?」
「はい、サッカー部のアイカワがキャプテンになったのも、柔道部のブサイクな主将に彼女が出来たのも、ウチの部がその人の特集記事を書いたからですよ」
「その通り~! ズバリ、新聞部で一面を飾ることが出来れば、マトバさんが社交界デビューは約束されたも同然!」
社交界デビューがなにを意味するか不明だが、部長は部の影響力に自信ありげだった。
「そ、そうなんだ」
「ふ~ん、トッシ~も女にモテたいとか思うんだ」
「あ、それは、その……」
なんか若干、というかものすごく不機嫌な声で、昨日から看病してくれた女のコが、隣で冷ややかな目を向けていた。
「あんまり女に興味ない感じ出してるクセに、告られた返事とか保留にしちゃうクセに、モテたいとか思っちゃうんだぁ~?」
「いや保留にしたのは僕の選択じゃ……」
「うっさい!」
「は、はい!!」
「うわ~見てください、大江戸君。あれが尻に敷かれる彼氏というやつですよ」
「ザ・ヘタレてるオトコって感じですね」
「っておい部長、シャッター切るな! カット、カット!」
「ほら大江戸君、修羅場ですよ!」
「部長、ココは動画で取りましょう、ビデオカメラ出してください」
「動画!? 動画は勘弁して!」
「さてさて~トッシ~には罰ゲームを受けてもらおっか~?」
そうして、華暖は手をワキワキしながら僕のほうに近づいてくる。
「え? え? なんで? 罰ゲーム受ける意味わかんないけど!?」
「問答無用~!」
点滴に繋がれている僕は、ベッドの上から逃れることができない。
「大江戸君、シャッターチャンスです!」
「だ、誰か助けて!?」
――その時、ドアがピシャンと音を立てて、このやかましすぎる病室に新たな人物の登場を告げる。
「諭史!」
そこに立っているのは数日前、僕の胸倉を掴んだ激情家。
そして一般的にはぎらついた瞳で他人を威嚇する一匹狼。
けれど昨夜の電話では僕を案じて涙声になった幼馴染。
今日もタンクトップにジーンズなんてラフな格好で、自分のプロポーションを雑に主張する、縁藤家の次女がそこには立っていた。
「諭史、よかった。あんたが死んじゃったらどうしようって……」
きゅっと目を細め、昨日の夜から堪えたままの不安と涙が溢れ……
むちゅ。
っと、唇に柔らかい感触が訪れる……
部長と大江戸君は顔を真っ赤にしながら興奮した表情を。
目元から水分が急速に失われた、汚物を見るようなレイカの目。
そして眼前に広がる見たこともないくらい、目を閉じた金髪の女の子。
その唇の感触が離れ、華暖の「やっちゃった☆」って言葉が届くと。
レイカの平手が僕の頬に、半年早い紅葉が彩りを見せるのであった……
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