りゆうなど

藤村 綾

りゆうなど

「お邪魔しま〜す」

 初めて彼の家に入った。互いに一人暮らしなのに、いつも会うのは、ホテルだった。あたしたちは、まだなにも知らない。なにも知らないのに、身体だけはよく知っている。身体から始まってしまった恋愛。洋服を着て喋っている方のが恥ずかしいよ。などと彼ははにかみながら口にした。やだぁ。なにそれ。あたしはとぼけてみたけれど、あたしも本音はそうだった。洋服を着て、対峙に座り喋っているほうのがとても恥ずかしかったのだ。裸のまま抱き合って、キスを交わし、どちらかともなく上になり、下になり、薄明かりの中、真っ白い洗いたてのシーツの上で繰り広げられる行為はあたしたちをとても素直にした。

「わ、結構綺麗にしているんだね」

 彼の私生活を垣間見た気がした。

 奥さんと離婚して3年。奥さんは子供を連れて出ていったそうだ。なので余計に家にこさせたくなかったのかもしれない。けれど、3年の月日は短いようで長い気がした。全く生活感がなかった。まるで最初から男やもめの一人暮らしのような気がした。

「そこに座って」

 目で合図をされたソファーに腰を下ろす。

「駅まで送っていかないといけないから、ノンアル買ってきた」

 彼は言いながら、冷蔵庫に向かい、ノンアルコールビールを取り出した。

 ビールのプルタブをあけ、喉を鳴らしながらごくごくと飲んでいる。

「ノンアルじゃあさ、もの足りないね。ごめんなさいね」

 あたしが急に来たものだから、ビールをノンアルに変えたらしかった。

「土曜日ね、帰ってから寝ちゃったの、どうした?あれから。また飲んだの?」

 視線をテレビに向けたまま、彼は口だけ動かし、

「俺も。夕方からさ、寝ちゃたんだよ」

「わ、同じじゃんね」

 ふと、横を向くと、彼の顔がすぐ横にあった。

 土曜日に初めてデートらしい、デートをした。出会って結構経つけれど(前の会社の営業だった)はっきりゆってセフレみたいな感じだったのに、いつの間にか、あたしの方の感情に変化がみられ、付き合うことになったのだ。

 彼は軽口で「いいよ」とさらっとゆった。彼女もいないし。いいよ。と。

「シャワー借りてもいい?」

 彼が全く身体にアルコールを含んでない状態であうのは、滅多にないことだ。

 大概酔っているからだ。

 話が途切れてしまう。彼もまた何か話さないといけない使命感みたいなものがあるらしくって、頭をぽりぽりと掻きだした。なので、シャワーを借りていい?と、訊いたことは正解だった。

「ああ、うん、すぐそこのドアの右に曲がったところ」

「あ、うん」

 あたしはすくっと立ち上がり、シャワーに向かった。何度も彼と抱き合っているのに、場所が違うだけで、ひどく緊張をしていた。洗面台の上に瓶底メガネが置いてあり、メガネを掛けてみた。え!? あたしも目が悪いけれど、彼はもっと悪かったんだな。と、新しい発見をした。コンタクトレンズの容器が置いてある。彼はコンタクトだったんだ。と、またあたらめて彼にまつわる新しい情報を得た。あたしたちは何も知らない。

 シャワーから出たら、彼が裸になって、万年床化した布団に横になっていた。

 あたしはそうっと、彼の横に滑り込むよう布団に入った。

「この前あってからまだ4日しかたってないよ」

 ふふ。あたしは彼の横顔に問いかけ肩をすくめる。そして続けた。

「なんかね。本当はね、毎日でもあいたいの。なんでかな。セックスがしたいからあいたいのか、好きだからあいたいのか、自分でもよくわからないの。ねえ、なんでかな」

 あたしは執拗なほどしつこく詰め寄った。なんで、なんで。まるで、駄々っ子の子供のように甘えた声音で問う。彼はあたしを子供にする魔法を持っている。 

 彼の前だとまるで子供になってしまう。好きなのだろうか。本当に。身体が? 

 セックスがいいから。なんで。なんで。まるでわからない。

 彼とのセックスを仕事中、パソコンを打ちながら思い出すと子宮から熱いものがこみ上げてくるのがわかる。ムラっとするという単語。男性しか使用しない単語なのに。あたしにはその単語があてはまってしまっている。

 彼はどうしてあたしを抱くのだろうか。わからない。

 彼はぼんやりと目を細め天井を見上げている。スーゥと息を吸い込み、吐きながら、あたしをそうっと抱き寄せた。

「りゆうなんてないよ。あいたいからあう。それだけでいいんじゃないの?」

 ん?

 彼があたしの胸に顔を埋めてきた。ああ、始まる。あたしの子宮がジュンとし、下半身が熱くなった。彼はとてもセックスが猛っている。獰猛にあたしを抱きしめる。セックス中の彼はセックスをしていない彼とは別人に思えるほどだ。 

 あたしは、ひどく淫靡な声をあげ、ひどい顔でなき叫ぶよう、よがり、喘いだ。 

 彼があたしの足を持ち上げ、自分の肩におく。いきり勃つものが、あたしの子宮めがけ突進してくる。なんともいいがたい快感の嵐はおさまることなく、何度も、何度も身体が戦慄しあたしは歓喜の涙を流した。

 好きだからこんなにも愛おしくって感じてしまうのだろうか。頭の中で渦を巻く思考とは別に、身体は素直に快楽に従順しあわいからは、びちゃびちゃという淫音が鳴りあたしの羞恥を掻き立てる。時折小さく耳元で囁くよう聞える彼の「きも、ち、い」の4文字の単語が余計にあたしの体内を勃起させた。身体が彼に囚われてゆく。彼の全てが欲しい。男のくせにいやに華奢な背中をしてる。すべすべのその背中に手を回しきつく抱きしめたあと、汗でびっしょりの彼の髪の毛を掻き上げる。

 目が慣れてきたのか、その顔がぼんやりとあたしの顔の前に浮かびあがる。

 悦を帯びた男の、性を丸出しにした男の顔は、仕事をしている顔、外で酒を飲んでいる顔、どんな顔よりも色男に見える。あたしの頬を両手で押さえ唇を塞ぐ。舌と舌を絡めあうキスは挿入と似ていると思う。

 息が荒くなり、彼は、あ、と、ささやかな声をあげ、あたしの中に白い液体を流し込んだ。生暖かい液体はそのまま、拭うことも忘れあたしは、汗まみれの彼に必死に抱きついた。

 スーとしている鼻筋。整った顔だと今更ながら思う。悦を吐き出すたびに好きになってゆく気がしてならない。子宮が熱を帯びている。即物的なものが抜け落ちたあとの寂寥感はあまり好きではない。秋の海原に似ているな。頭の中でぼんやりと考える。

「ビール飲んでないから、がんばったわ。俺」

「なにそれは」

 ぷっ。

 あたしたちは、顔を見合わせ、額と額をひっつけ失笑した。

 身体を知るから、好きになる。身体から好きになった。けれど、やっぱり素直に彼自身のこともきちんと好きなんだなと自覚をする。きっと。うん。そう。

「あたしのこと好きなの?」


 聞こうかと思ったけれど、やめておいた。

 あたしはもう人を好きになれないと思っていた。人を好きになることが怖かったのだ。彼も同じことを言っていた。

 好きな感情など生きていくうえで全く皆無なことなのかも知れないけれど、実はその逆もしかりで、人を好きになる感情こそが生きていくうえで一番生きている実感を与えてくれることなのかもしれない。

「ねぇ、今何時?終電間に合う?」

 あ、あたしは裸のまま立ち上がりスマホに手を伸ばす。

 あ、また、あ、と声を上げた。

 ん?なに?

 うん、あたしは、自分の股を押さえ、出てきた。と、俯きながらゆった。

「はい」

 彼があたしにティッシュをよこす。

「まだ、大丈夫みたい時間」

「そっか」

 

 あたしたちは、気がついていないことがある。恥ずかしくって今更名前を呼べないのだ。

「ねぇ」

「ん?」


 今度は名前、呼んでみよう。心の中で思いつつ、あたしはまだしっとり汗で濡れている彼の胸に抱きついた。心臓の音。波の音に似ている。

 好きな感情が波のように押しよせてくるのが嬉しくもあり、怖いのもあり、そんな感情がいったりきたりし、あやふやな思考にあたしは目を伏せる。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

りゆうなど 藤村 綾 @aya1228

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る