3.それが唯一絶対の真実でなくてはならない⑤

 伊央は医者である父親に頼まれ、この時期来ている行商人から、この辺りでは手に入らない薬草を買いに来たところだった。

 すると顔見知りのおばさんに呼び止められて、なんだか目つきの悪い男を紹介された。伊央はこの男を、どこかで早苗を見初めた金持ちのどら息子だと思っていた。着ている服は高そうだし、仕草も粗野じゃない。

 突然現れ、早苗の『未来の夫』であると嘯く怪しげな男に対して、伊央は最初無視という対処法を取ることに決めた。けれど彼が果物屋を離れてもついてきて道中早苗を賛美する言葉を並べ立て、あまつさえ伊央が買った大量の薬草を「持ってやるよ」と言って籠ごと強引に奪い取ると、彼は観念したようにため息をついた。

「家に帰るまでだからな」と伊央は釘をさした。

 片手に薬草の入った籠を抱えた、広兼と名乗ったその男は、「十分だ」と頷いた。

「何が知りたいんだよ」

「彼女についてなら全部」

 伊央は鼻で笑った。

「言っておくけど、あんたが初めてじゃないんだぜ?」

 広兼は片眉を上げた。伊央は前を向いて歩きながら、教え諭すように言った。

「早苗に惚れて、一番仲のいい俺に早苗について聞きに来たのはあんたが初めてじゃないってこと。前までは結構あったんだ。早苗の義姉達がどっかのパーティに行くたびに早苗を小間使いとして連れ歩いてたからな。それでそのパーティに出席してた金持ちが早苗を見初めて、この町まで追っかけてくることが何回かあった。さすがに義姉共の方も今は学習して、パーティに行く時は早苗を置いていくようにしたみたいだから、最近はなかったけど」

 伊央は顔を歪めて笑った。

「俺も一回その金持ちに付いて早苗の家に行ったことあんだけど、そん時のあの義姉共の顔と言ったら。何回思い出しても笑えるぜ。自分達を訪ねて来てくれたと思った男が、実は小間使いとして同行していた早苗の方が目当てだったんだからな。もちろん、その恋が成就したことは一回もなし。あの義姉共がいる限り、早苗に近付くのは無理だね」

「さっきの果物屋の女主人は、悪いお嬢様達じゃないって言ってたけど?」

「そんなの全部早苗の嘘だよ」

 伊央は眉間に皺をよせる。

 自然と声に棘が出る。

「早苗が町でそう言ってるんだ。義姉達が会社の仕事をしてくれるから、せめて自分は家の仕事を頑張らなくちゃいけない。義姉達はとてもいい人で、素直で素敵な人だ。ばっかじゃねぇのって、俺は思うね」

 商店街はあまり混んでいない。日暮れ前になったらもっと人が出てくるのだろう。

 広兼は籠にのった薬草を落とさないように注意しながら、憤慨する伊央の少し後ろを歩いた。

「でも早苗は嘘じゃないのよって笑うんだ。嘘じゃないか。あの義姉共が会社の仕事なんかしてるわけないだろ? パーティパーティ。そればっかりじゃないか。早苗の方がおじさんの本当の娘なのに、あんな服を着せてメイドの代わりにしてる」

「そして彼女はそれを不幸だと思ってる?」

 伊央はその時広兼がちらりと考えたことを敏感に感じ取って足を止めた。

 振り向いて、釘をさすようにびしりと人差し指を広兼につきつける。彼はまるで自分を早苗を守る唯一の騎士だとでも思っているようだった。

「早苗を攫おうなんて思っても無駄だぜ。早苗は、あの馬鹿な義姉共が何より大事なんだ。どんな馬鹿女でも、早苗にとっては唯一の家族なんだよ」

 伊央は悔しそうに言った。

 当然だ。

 大切な存在をないがしろにされて、それで喜ぶ人間などいないのに、彼女はそれでいいのだと言う。

 守らせてももらえない騎士なら、存在する意味がない。いらないと言われるのと同じだ。だからこの幼い少年は、大切なはずの女性に怒りを覚えている。

 それでも少年は、その怒りを抑え、彼女の意思を優先していた。大人だな、と広兼は思った。

 彼ならば、我慢などできない。

 無理やり攫って閉じ込めてしまえばいい。

 でもわかっている。

 それでは真実彼女は手に入らない。

 家族はきっと彼女がたった一つ持っているものだ。

 それを守るために、あのひとはきっとどんなことでもするだろう。

 あの。

 微笑で。

 青い双眸。

 広兼は身震いをする。

 一瞬だったのだ。

 ただ、彼女をこの目に入れただけであったのに。

 突き落とされた。

 射抜かれた。

 一度死んだ。

 生まれ変わったのだ。

 もう前の自分には戻れない。

 手に入れたいという欲望。

 そして手に入らなかったらという恐怖。

 ほとんど衝動的に彼女の前に膝を折った瞬間から絶望的に理解していた。

 彼女は、王子に求婚されて唯々諾々と従うような、お姫様ではないのだ。

 けれどそれでも手に入れたかった。

 緻密に。慎重に。歩みを進めねばなるまい。

 どこにも逃げ場がないほどに周囲を固めて、確実に手に入れなくてはいけない。

 逃すことなどありえないのだ。

「伊央」

 広兼は口の端を上げて笑った。

 その場にしゃがんで、少年の目線に合わせる。

「一つ教えといてやるよ」

 彼はにやりと笑った。

「この世で絶対、何があっても信じてもいいのは、愛した女の言葉だけだ」

「なんだよそれ」

 広兼は伊央の頭を撫でた。

 伊央は不愉快そうに広兼の手をどけた。

「俺の二番目の兄の言葉だ」

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