3.それが唯一絶対の真実でなくてはならない④
《赤い森》には魔女が住んでいて、その魔女は、森の奥に大切なものを隠している。金や宝石、珍しい薬草や、美しい少女。
魔女は大切なものを盗まれるのを怖れ、森の奥に人が入らないように魔法をかけた。
だから《赤い森》の奥には入れないし、入ってはいけないのだ。
これが
「うーん。そりゃ魔女がほんとにいるって信じてる人もいるし、そうでない人もいるだろうね。でもこの町のほとんどの人間は、原因はなんにせよ、あの森が簡単に入ってはいけない森だってことをわかってるだろうさ。昔は行方不明者を何人も出したって話だしね。王宮から来た調査隊の人だって森に入って出てこられなくなった人もいたんだ」
「なるほどね」
広兼は
けれど果物屋の恰幅のいい女主人は、この気前のいい客に対して、嬉々としていろいろ話してくれた。
「そういえば、その《赤い森》の魔女は、町中にも屋敷を持っていたって話があるよ」
広兼は右手に持った林檎を見ていた顔を上げた。
「へぇ? 面白いねそれ。実在すんの?」
「町の外れの屋敷さ。今はヤエ商会の女社長が住んでる」
女主人はどこか自慢げに言った。
「ヤエ商会っていうのは知ってるかい?」
「名前だけはね」
広兼は控えめに答えた。
「この商店街の商品をしきってるのもヤエ商会さ。ただ」
女主人は声を潜めた。
「二年前に社長だった旦那様が亡くなってから上のお嬢様が跡を継ぎなさったんだが、あまり商才がないみたいでね。最近入ってくる商品もあまりよくないんだ」
そう言ってちらりと自分の売っている果物を見た。
なるほど。
広兼は苦笑した。こんなに口の滑りがいいのもおそらく、あまり質のよくない商品を買わせた罪悪感からだろう。
「けどね、悪いお嬢様達じゃないんだよ。特に末のお嬢様なんかはね、これが気さくで、よくうちにも買い物に来るんだ。ほらやっぱり商売がうまくいってないから、使用人は全員解雇したみたいで、あの屋敷の家事はその末のお嬢様が全部やってるらしいよ。母親は二年前に失踪しちまっててね。いやそりゃもうとびきりの美女だったから他に男ができたんだと思うんだよ。それだけでも可哀想なのに、その後すぐ父親が亡くなってさ。ひどいもんだよ。それからは上の二人の姉が商売を頑張って、末の娘がそれを支えて。泣けてくるじゃないか」
早苗の継母が失踪したのは鳥代から聞いていた。
二年前。広兼は目を細めた。
「その上のお嬢様達に会ったことはある?」
「いや忙しい方達みたいでね。よく朝方や夕方に馬車が出たり入ったりするのは見るけど……。でもその末の、早苗ちゃんっていうんだけど、いや、可愛い子なんだよ。最初は敬語を使ってたんだが、本人がいいって言うもんだからね。その子が、義姉達が頑張ってるから私も頑張らなくちゃいけないって言うんだよ。けなげじゃないか。商品が悪くなるのは困るけど、早苗ちゃんが謝ってくれてね。きっとまたいい商品を入れられるようにするからって。そう言われちゃ、こっちも頑張らなきゃって思うじゃないか」
商品の回りがよくないのに、この商店街があまり暗くないのはそういうわけか、と広兼は思った。
早苗が。
あの、柔らかく微笑むあのひとが。
この商店街を元気付けているのだ。
いつか元に戻すから、どうかそれまで頑張ってくれと。
だから彼らはヤエ商会から離れない。
女主人は明るく笑っている。
「ああ、そういえば魔女の話だったね。年取った人間っていうのはすぐ話が脱線しちまうんだ。この年になったらね、物忘れも激しくなるんだよ。困っちまう。ああ、そう、まぁ、その早苗ちゃんの住んでる屋敷がね、《赤い森》の魔女が住んでたって言われてるんだ。大昔の話だがね」
「でも今はヤエ商会の所有なんだろ?」
「さあ。でももともとは失踪した母親のもののはずだよ」
広兼は片眉を上げた。
「なんだって?」
女主人は声を潜めて続けた。
「実は、旦那様は再婚なんだよ」
それは広兼も知っていることだった。
「上の姉二人もその失踪した母親の連れ子でね。つまり早苗ちゃんとは血が?がってないんだよ。もともと都の方に住んでた旦那様が田舎に引っ越したいってんでこの辺りに家を探していて、その美女と出会ったらしいんだよね。で、一目惚れして結婚したわけだ」
「その母親はずっとその屋敷に住んでたわけ?」
「いや、どうだろね。住んではいなかったんじゃないかな。ありゃたぶん他に家を持ってるんだよ。今も新しい男とそっちの家で暮らしてるんだと思うよ」
女主人は不愉快そうに言った。
広兼は林檎をまた一口齧った。
二年前に失踪した継母。
《赤い森》の魔女の屋敷。
魔女が宿る手鏡。
早苗を拒絶しない森。
導き出される結論は一つだ。
考えるまでもなかった。
「ふうん」
広兼は言った。
その時女主人が声を上げた。
「あ、ちょうどいい子が来たね」
そう言って、広兼の背後に向けて手を振る。
「伊央!」
彼女の声で、店の前を通り過ぎようとしていた少年が振り返った。右手に大きな籠を持っている。彼は一瞬怪訝そうな顔をしてから店先に寄ってきた。
「なんだよ」
少年はぶっきらぼうに言った。
「お兄さん。この子は伊央って言ってね、この町唯一の医者の次男坊さ。早苗ちゃんとも仲がよくて、あの屋敷にもしょっちゅう行ってる。きっといい話を知ってるよ」
「やぁ」
広兼はなるべく優しげな笑顔を作って少年を見下ろした。
少年は広兼を睨み返した。気が強そうな少年だった。小柄だが体つきはしっかりとしている。おそらく子供の中でもリーダー的な存在だろう。
「あんた誰?」
「ちょっと調べ物をしてるんだ。話を聞かせてもらえるか?」
「早苗について調べてるわけ?」
警戒している。
なるほど、「早苗」と言った時の呼び方が気安かった。仲がよいのは本当だろう。
広兼は嬉しくなった。
これは是非とも話を聞かなくてはならない。
彼女の話を。
「林檎でも食べるか?」
広兼は積んである林檎を一つ取って少年に差し出した。ここにある林檎一箱分は彼の物だ。
しかし少年は顔をしかめて言った。
「いらねぇ。味薄いし」
「伊央!」
女主人は小さく怒鳴った。
「あんた早苗のなんだよ」
少年は女主人を無視して広兼を睨んでいる。
広兼は口の端を上げてにやりと笑うと身を屈め、少年にだけ聞こえるように小さな声で言った。
「未来の夫だ」
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