3.それが唯一絶対の真実でなくてはならない③

 王伊は昼過ぎに目を覚ました。

 部屋を出てその辺にいた女官に他の二人の王子の所在を聞くと、広兼はもう既にどこかへ出かけてしまっていて、鳥代は執務室にいるらしい。

「おはよう」

「おう」

 王伊が扉を開けると、鳥代は封筒に封をしているところだった。目の下に隈ができている。あまり寝ていないのかもしれない。

「何してるの?」

「ちょうど恋文ラブレターを書き終わったところだ」

 王伊は苦笑した。

「余裕だね。王妃が王女を殺そうとしたことをどうやって証明するか、考えなくていいの?」

「先に気になるものを全部終わらせないと、そっちにかかりきりになれないからな。今は広兼がいろいろ調べてるよ」

「ふうん」

 王伊は近くにあった比較的綺麗な机の上に尻を乗せた。執務室には中庭に面した窓があるが、それが開け放たれることは滅多になかった。書類が飛ぶからだ。

「僕、絶対に広兼はその早苗さんについて調べまわってると思うけど」

 王伊は昨日その話を聞いていた。あの広兼が、恋をしているという話である。

 耳を疑った。

 まさか、と笑ってしまう。広兼が恋に落ちる日が来るなんて。

「人生っていろいろなことが起きるんだね」

 王伊はしみじみと言った。

「まぁ、早苗の方から調べてて何かわかるかもしれないな。何せ早苗はあの森に入れたんだから」

 鳥代はあくびをかみ殺した。冷めた珈琲を飲む。

「《赤い森》? 僕行ったことないんだけど、本当に入れないの? あそこ」

「入れないというか、入ったと思ったらいつの間にか外に出てるんだよ。あの森が通れれば俺達の国の行き来もしやすくなるし、何度か調査団も派遣されたんだ。でもどこから入っても駄目。行方不明者が出てから調査は打ち切られてそのまま」

「ふうん」

 王伊は窓の外を見ている。

 春に咲く白い花は、もうすぐ満開だ。いつもであれば三人で集まって花見でもするのだが、今回はそれどころではないだろう。

 広兼は恋をしているし、鳥代は命を狙われている北の王女さまの保護をしなくてはならない。

「ところで聞きたかったんだけど」

 王伊は鳥代に視線を戻した。

「あん?」

「珀御前とは頻繁に会ってたわけ?」

 北の王女と。

 広兼が言っていた。

『俺達はもう十年以上あの女に会ってないけど、お前はそうじゃないでしょ?』

 彼らが一同に会したあの時以来、彼女は国を出ていないはずなのだ。会おうと思ったら、こちらからあの国を訪ねなくてはならないだろう。

 鳥代は手に持った封筒を見ながら答えた。王伊の位置からではその宛先は見えない。ただ火急であることを知らせる第一王子の印が押してあった。

「うーん、まぁ、一年に二回くらいな」

「ほんとに?」

 王伊は目を丸くした。

「なんで」

 隣国とはいえ、決して近い距離ではない。まして鳥代はこの国の第一王子だし、あちらも箱入りの第一王女だ。そう簡単に会ったりできる立場ではないはずだった。

 鳥代は息をついて書類を置いた。

 また一口珈琲を飲み、頬杖をついて王伊を見る。

 彼は面倒そうに言った。

「年に二回恋人に会いに行こうとするのはそんなに変なことか?」

 王伊は一瞬言われた意味を理解できなかった。

「嘘」

「嘘をついてどうする」

「え、だって、いつから?」

「いつからかなんて覚えてないけど、少なくとも七年以上前からだな」

「嘘」

「だから嘘をついてどうする」

 王伊は頭を抱えた。

「でも君、かなり遊んでるじゃないか」

「人聞きの悪いことを言うな。実際遊びだしたのはここ二年だ。あの馬鹿女にもう来るなと言われたからな」

 言われて考えてみれば、確かに鳥代の女遊びが激しくなったのは二年ほど前からだった。それまでも女性に優しいところは変わらなかったが、今のように様々な女性の間を渡り歩くようなことはなかったのだ。

「振られたの?」

「ぐさっとくることを言うね」

 鳥代はまたため息をついた。

「くそ。あの馬鹿女。何考えてるんだ」

 背もたれに体重を預けて天上を仰ぐ。

 東の王子にしては、珍しい様子だった。

「信じられない。君が恋わずらいをしているように見える」

「馬鹿にするなよ。俺はもうあんな女どうでもいいんだ」

「そうは見えないけど」

 王伊は苦笑した。

 それはきっと鳥代だってわかっているだろう。

 どうでもいいならため息なんてつかないのだ。

「女性は怖いね。男の人生を狂わせる」

 王伊は机から下りて、窓に向かう。

 白い花は、今にもはちきれそうな蕾となって咲く日を待っている。甘い匂いが香ってきそうだった。春なのだ。

「それは広兼に言ってやれ。早苗嬢のおかげで、あいつの人生一変したから」

「一目惚れなんか本当にあるんだ」

「お前も一目惚れじゃなかったか?」

「違うよ。夢で見る前から、僕は彼女を好きだったもの」

 赤い髪。

「何百年か前は?」

「うーん。どうだろう。あまりストーリーだった夢は見ないんだ。夢で見た事しか思い出せないし」

「それは思い出すって言うのか?」

「言うんだよ。そういう感覚があるもん。夢を見た後思うんだ。ああ、そうだったなって」

 透き通る声。

 甘やかな笑顔。

 王伊はたまらず顔を歪めて笑った。

「焦るね」

「何が?」

「待ってるだけなんて」

「今までだってそうじゃないか」

「違うよ。全然違う。なんだか怖いんだ」

「夢を見ないのか?」

「駄目なんだ。最近、眠れない」

「睡眠薬やろうか」

「そんなんじゃあ夢を見れない」

 ガン!

 と彼は壁を叩いた。

 鳥代は驚かなかった。

 王伊は苛立っていた。

 焦燥感で、胸が焼けそうになる。

 今。

 こうしている間にも。

 彼女を永遠に失っているのかもしれない。

「もし彼女を失ったら、生きてる意味なんかない」

 鳥代は遠くを見るように目を細めた。

『生きている意味?』

 そう言って笑ったあの女の顔を思い出す。

 存在する理由。

 残酷な問題提起だ。

 そんなものを明確に理解している人間なんて、一人もいやしない。

 いやしないのだ。

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