2.この世で一番美しいのは誰?⑤

 屋敷に戻ると王伊は既に食事をすませていて、客間で優雅に本を読んでいた。

「何か木蓮トーリアの町から火急の手紙が届いてたよ」と王伊が言うと、鳥代は大きなため息をついて、王伊に一部始終を話した。

 王伊はあからさまに眉宇をひそめた。

「それを君はすぐ信じたの?」

「北の王妃の噂はお前も聞いているだろう」

 鳥代は肘掛けのついた椅子に浅く座ってもたれかかり、脚を組んでいる。王伊はだらしない様子の東の第一王子を、呆れた様子で見下ろした。

「気に入らない女官を鞭打ちにしたとか、王妃を侮辱した貴族から領地を没収したとか、そういう噂? 王女殺しとは次元が違うよ」

「あの女がそんな嘘をつく理由がない」

「そんなの知らないよ。大体僕らには関係ないじゃないか」

 王伊は面倒そうに手を振った。

 大体の場合において、この西の王子が一番酷薄だった。愛情が偏っているのだ。大切か、どうでもいいか、そのどっちかしかない。

「北の王女が木蓮トーリアに滞在している限り、それじゃすまされねぇだろ」

 言ったのは広兼だった。

 彼は先ほどから不機嫌そうに寝椅子に寝っころがっている。

 起きたら鳥代の屋敷だったのがショックだったらしい。

 広兼が再び早苗に無礼を働くことを懸念した鳥代は、広兼を起こさないまま馬車で屋敷に戻ることにしたのだ。馬車の馬を自分達の愛馬に?ぎ替えると、御者は恐れ入って馬に鞭を振るわなかったので帰るのには倍の時間がかかってしまった。

 おかげで空腹も手伝って、彼は倍機嫌が悪かった。

「鳥代は領主だぜ? 領地で起こったことはこいつの責任だ。珀蓮がこいつの領地に入り込んだ時点で、関わるのは避けられない状態になってるんだよ」

「そうだよ」

 王伊が広兼を振り向いた。

「そもそも、どうして珀御前が木蓮トーリアにいるの? よりにもよって、東の国の中でも北の国からは一番遠い町だよ。王妃に殺されそうになったのを逃げてきたんだとしても、どうして途中にある東の王宮を無視したんだろう」

「鳥代を頼ってきたんじゃねぇの」

 東の国の第一王子は代々成人してから即位するまでこの西の果ての領地を守るのが仕事であった。だから鳥代が王宮にいないのは当然予想できただろうし、滅多に外に出ない北の王女が数少ない知り合いである鳥代を頼ってここまで来たというのは頷ける話ではあった。

「ただ女一人でここまで来られるかねー。しかもあの王女だし」

 広兼は「よっ」という掛け声と共に腹筋に力を入れて身を起こした。寝椅子の上で片膝を立てて、背もたれに肘を乗せる。

「あの顔の女が東の国を横断していて噂にならない方がおかしいし、何よりあの女にそんな何日もかかる旅がまともにできたかどうか怪しいね」

 十を超えてからは一度も国を出たことがない王女様は、世界といえば自分の住む後宮の中だけだったはずだ。そんな女が、しかもあれだけの美貌を持った女が、何のトラブルもなく一国を横断できたとは考えにくい。

「どういうこと?」

 王伊は顔をしかめた。

 広兼は、意地悪そうに顔を歪めて鳥代を見ている。

「さぁーどういうことだろうな。まぁ可能性としては? この鳥馬鹿が国から逃げるのを手引きしたとか」

「馬鹿言え」

 鳥代はため息をついて言った。

「なんで俺が」

「俺が知らないとでも思ってんの? 俺達はもう十年以上珀御前に会ってないけど、お前はそうじゃないでしょ?」

「え、そうなの?」

 王伊は目を丸くした。

 王伊と広兼は幼い頃のただ一度だけしか珀蓮に会ったことがなかった。だからその時の悪い印象しか持っていない。

 幼い北の王女は落ち着きのない王子達に対する軽蔑を隠すことをしなかったし、彼らが話しかけてきても徹底的に無視、あるいは「馬鹿じゃないの」という言葉を吐き捨てることしかしなかった。

 思い出すだけでもムカムカする。

「……」

 鳥代は身体を起こさないまま眉間に皺をよせて広兼を睨みつけた。

「何? その目。なんで知ってるんだコイツって目? ああ、困るね。俺の情報網をなめられちゃあね。俺を誰だと思ってるの?」

 広兼は口の端を上げて笑った。

 三国の特色は、その国紋トーラが示している。

 南の国は糸巻きと馬を紋章に持つ賢者の国だ。馬は賢者の遣いで、糸巻きはその知識の継承を表している。南の国の王子達は皆自分達だけの情報源を持っている。第六王子といえども広兼もその例外ではなく、王伊も鳥代も、そのことはよく承知していた。

 鳥代はもう一度ため息をつくと、緩慢な仕草で身体を起こして椅子を動かし、二人の王子に向き合うようにして座りなおした。両手を組んで、膝の上に置く。

「北の王妃は、魔女なんだ」

 彼は言った。この上なく真剣な顔で、真摯な声で。

「どういう意味? すごい美人ってこと?」

 王伊が顔をしかめて聞き返した。

 珀蓮が畏怖されるのはその美しさゆえだ。あまりに美しいということは魔を連想させる。人ではないもの。人ではありえない存在。

 鳥代は辛抱強く首を振った。

「違う。本当に、魔女なんだ。魔法を使う。年齢もおそらく、二百は超えているだろう」

「二百」

 まさか。

 と王伊は声を上げた。

 彼だって、北の王妃は見たことがある。

 北の王国の若き後妻は美しい女だった。

 年齢だって、三十を超えているかいないか、といったところだ。

「魔女に角や尻尾が生えているとでも思ってるのか? 魔女だって外見は人間と変わらない」

「じゃあなんでわかるの?」

 人と変わらないのなら。

 それが魔女だと。

「わかる」

 東の王子はきっぱりと言った。

 東の国の国紋トーラは、魔を払うアザミの花と魔を操る笛だ。黒髪黒眼を持つ破魔の一族。

 それははっきりと、血によって継承される。

 本能で感知する。

 魔を含むものと、そうでないものと。

 彼らは言う。

 それは、塩と砂糖のように、似ていて全く異なるものなのだと。

「うちも一回あの王妃については調べたことがあるぜ」

 賢者の王子が言った。目を細めてぺろりと唇を舐める。

「北の王妃は一応北の奥地の集落の出身ってことになってるけど、うちが調べた時にはその集落はもうなくなってた。閉鎖的な村で、近くの町の人間もその集落についてはほとんど知らない。ましてや王妃が昔そこに住んでいたかどうかなんて証明できる人間は誰もいなかった」

 鳥代が軽く目を見開いた。

「調べた? どうしてお前のところが」

「北の王妃に関しちゃあまりいい噂が流れてなかっただろ。王が薬で操られてるって噂だってあった。黙って見てるわけにゃいかねぇだろ。まぁ今のところ、決定的なことが何もないから静観してるけど」

 言ってから、広兼は肩をすくめた。

「まぁ、薬でってのは嘘かもしれねぇな。実際政務に影響があったわけじゃない。確かにあの王妃は美人だし、北の王が一目惚れしたっていうのも可能性としてないわけじゃない」

「珀蓮もそれは魔法じゃないと言っていた」

 鳥代が続けた。

「もし王が魔法で心を操られているのだとしたら、珀蓮は王妃を殺してでも王を正気に戻そうとしただろうな。でもそうじゃない。だからあの女は、今まで黙っていたんだ」

 そうだ。

 あの矜持の高い北の王女ならきっとそうするだろう。

 父王が操られているのを、黙って見ているような女ではない。

 きっと誰よりも、王族としての誇りを持っている。国を守り、民を導く立場に生まれた者として、気高くあろうと思っている。

 あの、光加減で色を変える双眸で。

 まっすぐに前を見据える。

 美しい白雪姫。

「ただ王妃が黙っていなかった。あれの美しさに嫉妬して、珀蓮を殺そうとした」

「待て。魔女には制限があるはずだ。魔女は人を殺せない」

「そうだ。だから珀蓮を森に飛ばした。不可侵の《赤い森》だ。あそこに迷い込んだら誰も出られない。あの森には魔女が住んでるって噂もあっただろう? 可能性の話だが、北の王妃はその魔女かもしれない」

「じゃあどうしてあの女は森から出られたんだ」

「さぁ」

「さぁ?」

 広兼は不満気に声を上げた。

「なんだそりゃ。いつの間にか森から出てたとでも言うつもりか」

 王伊は既に近くのソファに腰掛け、会話に参加することを放棄している。彼にとっては魔女が人を殺せないという制限も初耳だったが、いちいち反応していては話が進まなそうだったので自粛したのだ。彼はソファに立てかけておいた布に包まれた剣を撫でた。大きさは王伊の身長の半分ほど。大振りで、無骨な武器だ。

 西の国紋は小麦と剣。かの国の王族はもともと軍人の家系だった。昔から、考えるのは広兼や鳥代の役目で、王伊は先陣を切って突っ込んでいく役だった。彼は冷えた紅茶を手に取って飲む。

 鳥代が言った。

「早苗嬢が珀蓮を森から連れ出したらしい」

 広兼は眉間に皺をよせた。

「あのひとが?」

「あの森が不可侵の森だっていうのは迷信じゃない。磁場が狂ってるのか魔法がかかってるのかわからんが、そんなに簡単に出入りができる森じゃないっていうのは確かなんだ。早苗嬢は嘘をつくような女性ではないし、彼女が森から珀蓮を助け出せたのが何を意味するのかは今のところわからない。けれど、だ」

 鳥代の目にはっきりと映った、珀蓮の白い脚についていた傷。

 森であの女はさまよったと言う。

 それは真実、死にかけたという意味だ。

 鳥代は組んだ両手に力を込めた。

「珀蓮の話はつじつまが合う。あの女が嘘をつく理由はない。そして王妃に殺されかけた王女がうちの領地にいて俺に助けを求めている以上、俺はそれを無視することはできない」

「敵は魔女ってこと?」

 王伊が口を開いた。鳥代は西の王子を見た。

「そうだ」

「へぇ。それは面白そうだね。ただの王妃を相手にするよりずっと」

 口の端を上げて微笑んだ王伊の眼光が鋭くなる。これが軍人の一族たるゆえんだ。

 謀略を嫌う彼は、ただその剣を振るえる場所を求めている。

「どうするつもり?」

「今度の舞踏会のために北の王妃が入国する。そこで王妃が珀蓮を殺しかけたことを証明して、王妃の座から引きずり下ろす」

『本当なら殺しても飽き足らないところだけれど』

 珀蓮は言った。

 にっこりと微笑みながら。

『生き恥をさらす方が、あの手の女には屈辱的なはずよ』

「彼女は」

 広兼が声を上げた。

「彼女はもう、この件には関係ないだろう」

「彼女?」

 王伊にはそれがなんのことかわからなかったが、鳥代には広兼の言う『彼女』が誰かすぐわかった。

 これも後で王伊に話さなければならないだろう。彼らにとっては、王女殺しに匹敵する大事件だ。

 あの南の王子が、恋をしたなどと。

「いや、珀蓮が早苗嬢の所に滞在している」

「なんで」

 なぜそんな面倒な女を連れ帰らなかったのかと、早苗を危険にさらすようなことをするのかと、広兼は鳥代を睨み付けた。

「嫁入り前の一国の王女が王子ばかりの屋敷に泊まって変な噂がたったら困るんだと」

「はぁ? 馬鹿じゃねぇのか。そんなこと言ってる場合じゃねぇだろう。普通に考えれば、破魔のお前の側が一番安全だ」

 珀蓮が森から逃れたことを知った魔女が再び珀蓮を殺しに来る可能性だってあるのだ。

「珀蓮は破魔だなんだっていうのはただの伝説だと思ってる。まぁ、俺だって実際にその能力を行使したことはおろか見たことだってないんだ。強くは言えないだろう」

「言えよ。てゆうか、確実に、こっちの方が安全だろう」

 女性しかいないあの田舎の屋敷よりも、三人の王子がいるこの屋敷の方がどう考えたって安全だ。魔女だって、三人もの王族の前では手が出しづらいに違いないのだ。

 広兼の言うことはもっともだった。通常であれば鳥代もそう考え、珀蓮を縛り上げてでもこの丘の上の屋敷に連れ帰っていただろう。

 けれどそれは、珀蓮が何も武器を持っていなかった場合だ。

 彼女に自衛が望めない場合だった。

「なぁ」

 鳥代はため息をついた。

「この時代、一箇所に、魔女が二人も集まる確率はどのくらいだ?」

 そもそも魔女や魔法というのは、今のこの現代ではお伽話や伝説に近い。その理由は簡単で、魔女の数が減っているからだ。

 この大陸すべてを視野に入れても、確認されている魔女は五本の指に満たない。そのほとんどが消息を絶っているのが現状である。

 だから魔女はずっと、小さい子供の持つ絵本の中だけに生きていた。

『わたくしはね、鳥代。復讐をせずにはおれないのよ』

 そう言って、珀蓮はスカートのポケットに手を入れた。そして取り出したのは、手鏡だった。銀色の小さな手鏡だ。

 彼女は微笑んだ。

 これは、魔法の鏡なのよ。

 薔薇の香り。

 半透明の、魔女。

 そうだ。あれは魔女だった。

『自分の身は自分で守るわ。だからあなたは、あの魔女に復讐する舞台を整えてくれるだけでよくってよ』

 ああ。

 なんだか、激しく面倒なことになりそうだった。

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