2.この世で一番美しいのは誰?④

 女は黒いマントに黒いフードを被っていた。

 今現在女がいるのは城の地下にある秘密の部屋で、髑髏とか古臭い本とかフラスコとか怪しげな液体とかが所狭しと置いてある。魔法には雰囲気が大切だ、というのが彼女の信条だった。

 彼女の鏡は、そんな雑多で怪しい室内の正面の壁に恭しく飾られていた。それは、百年ほど前に彼女が研究の末作り上げた魔法の鏡だった。

 世界中の鏡を通してあらゆるものを見て、真実を答える鏡だ。何度かその答えにむかついて割ってしまったりもしたので、今のこれは三代目の魔法の鏡だった。

 楕円形をしていて、その周囲を飾るのは銀細工だ。月を象徴する銀は、魔力を高める材料だった。一般的には手に入りにくいが、今の彼女の身分でそれを手に入れるのは難しくない。なにせ一国の妃なのだ。

 彼女はその鏡の前に立っていた。

 美しい女だ。整った目鼻立ちに、唇は蠱惑的に赤い。その豊満な身体がマントの上からでもわかる。ただ問題なのはそのファッションセンスだけであろう。

 ここしばらく、彼女は鏡に同じ質問を行い、そしてそのたびその答えに満足していた。

 自分に自信が満ちるとはこのことだ。

 鏡の答えを聞くたびに、彼女は自分に敵う者はもはやこの世界にはいないのだという確信を深めた。

 この世にはもう、自分が願って叶わないことなどない。

 そうして彼女はその日も、いつもと同じように鏡の前に立った。

 彼女の魔法は、言葉にある。

『鏡よ鏡』

 そう言うと、水面を誰かが撫ぜたように、鏡の中が揺れた。それまでそこに映っていた画がわからなくなる。これから鏡が映すのは真実だ。

『この世で一番美しいのは、誰?』

 昨日まで、鏡にこの質問をするとそれはまるで何事もなかったかのようにその揺れを止め、揺れる前と同じように目の前の女を映した。それが答えだったからだ。世界で一番美しいのは、紛れもなく彼女だった。

 けれど今、フードの女は眉宇をひそめた。

 鏡の様子がおかしい。

 まだ、揺れ続けている。

 この感じには覚えがあった。

 女は、全身に鳥肌が立つのを感じた。

 まさか。

 揺れは数秒続き、やがて一つの画を結ぼうとしていた。揺れが収まるにつれて、そこに映っている人物の顔が露わになる。

 艶やかな黒髪、白い肌。フードの女よりもずっと若く、清廉な美しさを持っている。月が満ちた夜の湖のような、雪の日の張り詰めた空気のような。その美しさは、フードの女にはありえなかった。こんなにも、白く、眩しい。畏怖さえ、抱いてしまうような。

 しかし女はぎりと奥歯をかみ締めた。

 射るように鏡に映った女性を睨む。

「ゴキブリみたいにしぶといのね」

 彼女は唸るように言った。

 せっかく、排除できたと思ったのに。

 まだ生きているなんて。

 やっぱり生ぬるかったのだ。あの森に置き去りにするだけなんて。あの森には獰猛な獣はいない。餓死するのを期待していたが、図太いこの鏡の中の女は、きっとその辺の草を食べて生き延びたのだ。

 それでもこんなにも美しい。

 女はその時、あることに気付いた。

 鏡にしがみ付くようにしてそれが映す画をまじまじと見る。

 見覚えがあった。

 この鏡の中の女のいる場所に。

 それがどこか気付いた時、女は笑いを漏らした。

 なんて偶然だろう。

 これは。

「いいわ。今度こそあたしの手で殺してあげる」

 女はそう言うと、手近にあったすり切れた本を鏡に投げつけた。すると鏡はあっけなく砕け散り、その破片はもはや黒髪の女性ではなく、怪しげな室内の様子を映していた。

「雪はすぐに溶けてなくなってしまうものなのよ。白雪姫」

 彼女は言って、マントを翻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る