2.この世で一番美しいのは誰?③

 一度も家事をしたことのない細長い指が紅茶のカップを持ち、上品にそれを薔薇色の唇に運ぶ。彼女の仕草は一つ一つが完成された芸術のようだった。早苗が淹れてくれた紅茶をひどく時間をかけてゆっくり飲むと、珀蓮は目の前に座る東の第一王子ににっこりと笑いかけた。

「変わっておられませんね、鳥代殿下」

「そちらこそ、北の姫君」

 背筋を伸ばしてソファに座り、両手を組んで膝の上に置いた精悍な東の第一王子は、同じように笑って答えた。

「変わってらっしゃらない。全く」

「あら、昔より美しくなった、くらいおっしゃるかと思ったのに」

 北の王女は口元を隠して微笑む。

 東の王子も歯を見せて笑って、言い放った。

「調子に乗るなよ、馬鹿女」

「まぁ、相変わらず下品ね変態男」

「誰が変態だ。人聞きの悪いことを言うな」

「わたくしがあなたの召喚を要請した文書が届いたから来たわけでもないのでしょう。今日は何をしにこちらにいらしたの? 女しかいないこの屋敷に」

「そういうあんたこそなんでこんな所にいるんだ」

 鳥代は深くため息をつくと、紅茶を一口飲んだ。「おや」と、少し驚いたように目を見開いて早苗ににっこりと笑いかける。「美味しいですね」

 早苗は少し困ったように笑った。

「あの、私、席を外した方がよろしいかしら?」

「いえ、構わないわ。ここにいてちょうだい」

 珀蓮は鳥代を睨み付けている。

「鳥代」

 彼女は鳥代を呼び捨てた。

「わたくしに協力なさい」

「あのな」

 鳥代はため息をついた。

「言っておくが、俺とあんたは二年間会ってないんだ。まずはその挨拶が先じゃないか?」

 鳥代は不愉快そうにそう言ったが、珀蓮は無視した。

 彼の怒りなど珀蓮にとっては些事だった。今彼女が置かれている状況に比べれば、すべての屈託は無視されてしかるべきものだ。

 取引を成立させ茨姫の宿った鏡を早苗から譲り受けた珀蓮は、メイド服に着替えた早苗に対して東の王子をここに呼ぶよう言いつけた。

 この屋敷が東の国の領地内にあると教えたのは早苗だ。

 運命だとしか思えなかった。

 東の王子。

 外の世界を知らない北の王女の、数少ない知人である。

 鳥代が、彼女に協力をしない道理などない。珀蓮はそう思っていた。

 珀蓮は一言一句を区切って言った。

「わたくしはね、継母に、殺されかけたのよ」

 鳥代は紅茶をまた一口飲んでから顔をしかめた。

「あんた、自分が何を言っているのかわかってる?」

「わかっていてよ。十分すぎるほどにね。あの女は、わたくしを殺そうとしたの」

「待てよ。あんたそれを俺に言うっていうのは、外交問題だって、本当にわかってるの? 俺は東の国の王子なんだぞ。あんたの継母は北の王妃だ」

「それが関係あって?」

 珀蓮はにっこりと微笑んで脚を組んだ。

 珀蓮の趣味とはおよそ異なる淡い黄色のドレスの裾からそのすらりとした脚が覗いた。鳥代は眉宇をひそめた。珀蓮の白くか細い脚に小枝をひっかけたような切り傷ができている。もうかさぶたになっているが、陶器のような彼女の肌に、その傷は決定的な損傷のように見えた。

「いい? わたくしを殺そうとあの女は愚かにも画策したようだけれども、愚図すぎて満足にわたくしを殺すこともできなかったの。おかげで、このわたくしが、三日間も、自分の足で、森の中を歩くはめになったのよ。ドレスは破れるし、傷もできたわ。木の実を採るために猿のような真似もさせられたの。この、わたくしに、そんなことをさせて、それで許されると思う?」

 彼女は微笑んでいる。

 答えは決まっている。

 そんなもの。

 彼女は、自分を侮辱されて、それで許しておけるような矜持の持ち主ではないのだ。

 この時点で鳥代は理解していた。

 彼女は、怒っているのだ。

 それも、この上なく。やばいくらいに。

 怒っている。

「嘘じゃないだろうな」

 鳥代は眉間の皺を深くしていた。紅茶もテーブルの上に置いている。

「つくならもっと面白い嘘をついてさしあげてよ。そうね。森の妖精に攫われたの、なんていかがかしら?」

 珀蓮は馬鹿にしたように笑った。

 嘘ではない。鳥代は最初から知っていた。

 珀蓮は、こんな嘘をつくような女ではない。

 彼は自信をもってそう言えた。

 そういう女ではないのだ。

 王妃が。

 王女を殺す。

 それがどんなことか。

 下手をすれば内乱にさえなるだろう。

 鳥代は早苗に目を走らせた。

 早苗は自分を見た東の王子に微笑みかけた。

 鳥代は呆れた。

「早苗嬢は既に知っているのか」

「はい。珀蓮に聞きました」

 鳥代は珀蓮を睨んだ。

「あんた、軽率すぎやしないか」

「手段は選ばないわ」

 珀蓮はもう笑いを止めていた。

 炎が立ち上るように見える。彼女の暗褐色の双眸が揺らめいている。

「わたくしはね、鳥代。復讐をせずにはおれないのよ」

 そう言う声が、ひどく美しく聞こえた。

 珀蓮はスカートのポケットに手を入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る