2.この世で一番美しいのは誰?①
『恋を知ったら変わるよ』
ああ。そう言ったのは二番目の兄だった。二番目の兄は馬鹿のくせに、耳に残る言葉ばかりを残すのだ。
◆ ◆ ◆
波打つ黄金の髪。空の色の双眸。穏やかな雰囲気が、周囲を自然と柔らかくする。
彼女が身につけているのは黒色の簡素なメイド服で、下働きの者が着るようなものだ。けれど広兼はそんなことはどうでもよかった。
彼は自分と彼女の間に立つ障害を押しのけ、そしてその場に跪いた。「おい」と押しのけられた鳥代が抗議の声を上げたが聞こえない。
自分が何をしているのかが理解できない。
けれど衝動が湧き上がってくる。
電撃的だ。
信じられない。
一体、こんなことがあるのだろうか。
彼は彼女の手を取った。
その柔らかさに、身体が震えた。
彼女を見上げる。
まっすぐに。
声が震える。
ほとんど無意識で、言葉を紡ぐ。
「俺の子供を産んでくれ」
一目惚れだった。
◆ ◆ ◆
その衝撃から一番最初に立ち直ったのは金髪の娘だった。
彼女は困ったように笑って言った。
「あの、申し訳ないのですが、いくらご命令とあっても初対面の方と子供を作ることはできません」
きっぱりとした彼女のその言葉に、鳥代が我に返った。彼は跪いた広兼の首根っこを掴むと無理やり後ろになげうった。
「失礼いたしました。連れの馬鹿がご無礼を」
鳥代はにっこりと微笑を作ると、後ろに投げた馬鹿を隠すようにして再び娘の前に立った。
「あれは見なかったことにしてください。ええ、ご安心を。あれのことは完膚なきまでに破砕、焼却した挙句、遠い海の底に沈めておきますから。ああ、もちろん差し支えなければその御手にも我が国の医学を総結集した滅菌消毒を施しますが」
「まぁ」
と彼女は口を隠して笑った。
「とんでもございません。そんなことをすれば、困る方が大勢いらっしゃいますでしょう」
全く怒った様子のない彼女に、鳥代はほっと胸を撫でおろした。
彼女は、金色の髪を後ろで一つに束ねていた。どこまでも広がる空のような青い目は柔らかく細められ、春の花のような雰囲気が彼女を包んでいる。
彼女は黒いスカートにエプロンと、メイドのような格好をしていた。けれど鳥代は改めて丁寧に頭を下げた。
「あの、早苗嬢。覚えていらっしゃいますか? 一度、前にお会いしたことが、が!」
鳥代は突然首が絞まって最後まで言えなかった。
背後から襟を引っ張られたからだ。彼の首を絞めたのは広兼だった。広兼は友人を無理やり引っ張って玄関ポーチから離れ早苗から距離をとると、彼女に背を向けて鳥代の襟を掴みあげた。
「計画を変更しろ」
彼は低く言った。つり上がった目が怖い。
鳥代は顔を赤くして、涙目で軽く咳をして抗議した。
「う、げほ。お前殺す気か」
「彼女がお前の婚約者のふりをするのは中止だ。却下する」
「は? なんで? とゆうかお前さっきの冗談として最悪。センスなさすぎ」
「冗談じゃねぇ。いいか。俺は、今、自制心を総動員している」
「は?」
「俺は今、彼女をかっさらって国に連れて帰って部屋に閉じ込めて押し倒してしまいたいのを俺の理性と自制心と矜持を総動員して我慢している」
「え?」
「さらにお前が彼女に婚約者のふりをしてもらおうと頼もうとしているとか考えただけでお前への紛れもない殺意が湧き上がるのをまぁお前との小さな友情を必死に思い起こして自制している」
「ええ?」
「後者は今にも瓦解しそうだ。死にたくなければ計画を変更すると言え」
広兼はぐっと拳を握り締めた。
鳥代は青ざめて慌てた。
「え、嘘。マジで。何それ。え、ちょ、待って」
「それは拒否か。拒否だと思っていいんだな」
「いや、ちょ、ま」
「あの……」
「うあ!」
広兼はびっくりして飛び上がった。
早苗はいつの間にか、彼らのすぐ後ろまで来ていた。顔が近い。彼女は笑った。
「あの、鳥代様と……もしかしたら、南の国の、王子殿下ではございませんか?」
広兼はほとんど条件反射で彼女の手を取っていた。
「広兼と呼んでくれ」
鳥代は広兼を殴った。
「お前の手の早さに俺はびっくりだよ!」
彼は友人の頭を押さえこんで小声で怒鳴りつけた。
「あの」
早苗は言った。
「鳥代様。もしよろしければ、こちらにお呼びしましょうか?」
「は?」
鳥代は彼女の言っている意味がわからなかった。呼ぶ? 誰を?
「ああ、でも彼女もまだ万全ではありませんから、よろしければ中にお入りになってください」
早苗はにこにこと笑っている。
「こんなに早くいらっしゃるなんて思っておりませんでしたわ。文書もつい先ほど、
「あの、早苗嬢」
「はい?」
早苗は首を傾げた。その仕草を見て広兼がまたがばりと動き出しそうになったので、鳥代はもう一度広兼を殴って今度は昏倒させた。王族として人の急所は心得ている。
「彼女とは?」
彼のその問いに、早苗は当然のように答えた。
鳥代をその青い目でまっすぐに見て。
「北の王女殿下のことですよ」
北の王女の名は、珀蓮という。
鳥代はなぜ、と思った。
なぜお前がここにいるのだと。
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