1.あるところに一人の魔女がいました①
「諸君。由々しき事態だ」
目の前の卓を大げさに叩き、東の国の第一王子はのたもうた。
ここは王都から馬車で二日と半分ほどの距離にある、《赤い森》に隣り合った小さな領地だ。東の国の第一王子は成人するとこの地で領主を務める習わしだった。ここはその領主の屋敷の、領主のための執務室である。
今この屋敷の主人は、ある重要な会議に使うからと人払いをし、きたる舞踏会のために東の国に入国した西と南の友人をこの部屋に集めていた。
けれども彼の友人である二人の王子は各々くつろぎきった格好で本を読んだりあやとりをしたりしていて、この部屋の主の発言には興味が薄そうだった。
「なんで? 国の内外から女性が集まってくるんでしょ? その中からとびきりの美女を見つけ出して奥さんにすれば?」
ふかふかの一人掛けソファに座り、銀縁の眼鏡をかけて本を読む西の第二王子、王伊が適当そうに言った。
彼の側には布に包まれた細長いものが立てかけてある。中身は王伊愛用の大剣で、彼はいつも、肌身離さずそれを持ち歩いている。
「お前は王になるんだし、結婚してからいい女が見つかれば後宮に入れればいいじゃねぇか」
南の第六王子は、寝椅子にだらしなく寝っころがりながら器用に紐を操っていた。あやとりをしながら頭の中で盤遊戯をするのが最近の彼のお気に入りの遊びだ。肌が浅黒く、少し目つきが悪いのは何もあやりとをしているからではなく、生まれつきだった。
「いいわけあるか!」
東の王子、鳥代は叫んだ。
彼はその真っ黒な双眸を潤ませ、わなわなと身を震わせた。顔色が悪い。
「うちの父を見てみろ。少しでも他の女に色目を使おうものなら後宮から追い出され数日間口もきいてもらえない。一国の王がだぞ。側室なんて口にしただけで殺されるんじゃないかと怯えてる。あんなの地獄だ。ありえん。絶対ごめんだ」
数日前に母である王妃に花嫁探しの件を言い渡されてから、鳥代は執務が全く手につかなかった。
どうにかして。
なんとしてでも。
回避しなくてはいけない非常事態だ。
「お前の親父、可哀想だな」
南の王子の広兼があやとりの手を止めずに同情のまなざしを投げた。
南の国には王妃も含めて妃が五人いる。それも皆仲がいいのだ。状況が天と地ほども違う。
鳥代はなおも言った。
「あの人の性格なら、俺にも絶対父と同じものを求めてくる。王妃以外に目を向けようものならチクチクチクチクと嫌みたらしい言い方で責めてくるに決まってるんだ。女は王の愛だけを頼りに輿入れしてくるのよ。それをないがしろにするつもり? 一人の女を幸せにできない人間が国を支えられるだなんて思わないことね。とかなんとかあー! いやだ!」
鳥代は頭を抱えてしゃがみ込んだ。はっきり言って情けない姿だ。領民にはとてもではないが見せられない。
王伊は仕方なさそうにため息をつくと、本を閉じてそれを隣の小さなテーブルに置いた。肘掛けに寄りかかり、頭を抱える鳥代を覗き込むようにする。
「はいはい。わかったから。やめてよ一国の王子がそんな情けない格好するの」
自分が興味を持たないことには指一本動かそうとしないはずの西の王子のその言葉に、鳥代はぱっと顔を上げて輝かせた。
「王伊!」
「考えるのは広兼だけどね」
王伊は寝椅子に寝たままの南の王子を見た。彼はあやとりを続けている。
広兼は三人の中で一番頭の回転が速かった。子供の頃からどんな悪戯でも、最初に思いつくのはこの大家族の末っ子だったのだ。
「要は」
広兼は言った。目線はあやとりのまま。
「お前の母親を納得させられればいいんだろ?」
花嫁探しを言っているのは王妃だけだ。王は静観態勢にあり、どちらかというと鳥代に同情的な雰囲気さえあった。
「そうだな」
鳥代は頷いた。だがその王妃の説得こそが難関なのだ。
「なら簡単じゃねぇか。ある理由があって結婚が難しいような女を連れて行く。そんで自分は彼女を心から愛していて、彼女以外の女性とは結婚したくないんですって言えばいい」
広兼はニヤリと笑って鳥代を見た。
「東の王妃ならそれを聞いて他の女との結婚を無理強いしようとはしないだろうな。『女は王の愛だけを頼りに輿入れ』するんだろ? 王の愛が最初から別の女に向いているんなら、王妃は最初から不幸になると決まってる」
王伊は片目を細めて頬杖をついた。
「でもそれだとその連れて行った人と結婚させられちゃうんじゃない?」
「だから、『ある理由があって結婚は難しい』のが条件だ」
「たとえば?」
「身分」
「ああ」
王伊は納得したように言った。
「ロマンチックだね」
「身分が低くて、文句のつけようのない美人がいい。鳥代が惚れたっていうのに信憑性が出る美人だ」
嘘だと見破られればそれで終わりだ。
結婚は逃れられない。
「で?」
王伊は鳥代を見た。
「いるの? そんな美人」
「北の王女くらい美人なら文句のつけようもねぇだろうな」
広兼は鼻を鳴らして笑った。
「性格わりぃけど」
「ああ、珀御前?」
珀御前とは彼らが子供の頃につけたあだ名だ。北の王女の。
誰もが知っている。今は亡き北の国の王妃は、魔女に頼んだのだ。黒檀のように黒い髪と雪のように白い肌と血のように赤い唇を持った姫君が欲しいと。
そうして生まれた姫君は誰もが目を見張る美しさを持っていた。
美しい白雪姫。
吟遊詩人はそう謡う。
「あの歌大げさだよね。そんなに綺麗な子でもなかったと思うけど」
「うわ。でた。お前ほんっと目が悪いね」
さらりと王伊が言った言葉に広兼が顔をしかめた。
広兼は北の王女にあまりいい感情を持っていないが、かつて会った彼女が稀に見る美少女であったことは否定しない。妖精のようだった。父王に導かれ、口を真横に引き結び、少年達の目の前に現れた彼女は。
その、口を開く一瞬前までは。
しかし王伊はにっこりと笑って言った。
「だって僕の彼女の方が美人だもの」
「その夢の話はもういいデスから」
南の王子はため息をついて紐から離した片手をひらひらと振った。
さすがに王伊は気分を害したようだ。
「ちょっと。その言い方はないんじゃないの?」
「だって夢だろ?」
「何度も見るんだ」
「でも夢だ」
「彼女は実在してる」
「へぇ?」
広兼は笑った。
「いる」
声を上げたのは鳥代だった。彼は立ち上がった。
「いる。いるぞ。身分が低くて結婚に障害のある美人」
身も蓋もない言い方である。
「あ、何今ずっと考えてたんだ。諦めて絶望してるんだと思った」
「俺も」
「完璧だ。うん。彼女なら条件次第で協力してくれる。やった。やったぞ!」
鳥代は歓喜の声を上げた。
「どんな美人?」
広兼が身体を起こして聞いた。
鳥代は自信たっぷりに答えた。
「控えめで、柔和。笑顔が最高に愛らしい」
「身分は?」
「商家の娘」
「なるほど。そこそこに障害だね」
王伊が頷く。
「それだけじゃない。彼女には西大陸の血が流れてる。髪は輝かしい金で、目は空のような青だ」
西大陸は海のずっと向こうにある巨大な大陸だ。科学が発達していて、西大陸人は皆色素が薄いのが特徴だった。
東の国は、三国の中でも最も血を重んじている。王族が皆黒い髪に黒い眼を持っているのがその証だ。そこに異国の血を混ぜるのは禁忌に近い。
「へぇ。完璧じゃねぇか」
広兼は片眉を上げた。
西大陸との混血の子供はたまに見かける。かの大陸は各地で戦争が絶えず、それを嫌悪して流れてくる人間がいるからだ。ただ東大陸の血の方が濃く出るのが大方で、金髪碧眼は珍しいと言える。
「顔立ちは東よりだな。それに色が違うのがまた神秘的なんだ。普段は化粧っ気がないからわからないけど、着飾ったらかなりの美人になる逸材だ。いつか口説こう口説こうと取っておいたんだが、いや、よかった。早速約束を取り付けよう」
「へぇー。『美女はすべて俺のもの』を座右の銘にする鳥代殿下が、なんですぐ口説かなかったの?」
王伊が楽しそうに聞いた。
「ちょっと変わった女性なんだ」
鳥代はいそいそと執務机に回って便箋を取り出す。彼はいつでも恋人に文をしたためられるように、机の中には常に香りつきの便箋を入れているのだ。
「普段は下女の格好をしている」
「は? 下女?」
「そう。父親が死んでから、彼女の姉が、姉って言っても義理の姉なんだが、この姉が家業を継いでいる。で、その姉のあまりの横暴ぶりに屋敷中の使用人がやめてしまって、彼女が家事の一切を担っているらしい」
「うわ、何それ。本当?」
「どうかな。ただ彼女自身はそれを苦にした様子はないみたいでな。ちょっと、他の女性とは違う感じがするんで、まぁ、万全の態勢を整えて口説く必要があるな、と」
「なんだ。既に振られたんだ」
歯切れの悪い言い方をする友人に、王伊が笑う。
鳥代はむっとした。
「まだ振られてないぞ」
「でも一回万全の態勢を整えないで口説いたんでしょ?」
「振られてない。……相手にされなかっただけだ」
「駄目じゃない。そんなで協力してくれるわけ? それとも騙すの?」
「人聞きの悪いことを言うな。安心しろ。条件次第で彼女なら協力してくれる。これは商取引だからな」
広兼がああ、と納得した声を上げた。
「なるほど、商家の娘か」
東の王子は大きく頷いた。
「合理的なんだ」
「面倒くさそ」
広兼は言って再び寝椅子に寝っころがった。あやとりを再開する。全く興味を失ってしまったようだ。
「何も考えてないような脳みその軽い女性がお前の好みか?」
鳥代が笑った。この友人の性格はわかっている。
物心ついた頃から夢で見る女性に焦がれてきた王伊と、世界中の女性は自分のものだと豪語する鳥代とは違うのだ。
「一晩の相手ならそれで十分だろ。妙な欲が出てくると女はうざいんだ」
「うわー。広兼最悪だね」
呆れた様子で王伊が言った。
「まぁ見てろよ」
鳥代は肩をすくめる。そして悪戯っぽく目を細めた。
「お前も恋を知ったら変わるさ」
恋?
広兼は鼻で笑った。そういえば昔そんなことを言った男がいたなと思い出す。
そして心の底から嘲笑して言った。
「ばっかじゃねぇの」
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