0.そもそもすべてが始まった③
そうすることで可能な限り面倒事から遠ざかっていたかったのだ。彼には兄が一人いるが、その兄は彼を警戒している。兄が側室から生まれ、弟である自分が正妃から生まれてしまったがために、第一王子として彼が所持している王位継承権を奪われるのではないかと危惧しているのだ。
もちろん王伊にそのつもりはない。
国王になるなど面倒なだけだ。
だからこそ彼は自分が王位を狙ってなどいないと暗黙の主張をするために、たびたび王城を空けた。
今回東の国で開催される舞踏会に出席するというのも、格好の口実だった。これを機に向こうに数日滞在すればいい。面倒な継承問題から少しでも離れられるのならそれだけでも行く価値はあった。
王伊は。
ただ一人が手に入ればそれで満足だった。
彼には幼い頃から想っている女性がいた。
名前はわからない。
どこの誰なのかもわからない。
今現在、生きているのかさえもわからない。
けれど覚えている。夢に見るのだ。何度も。
赤い髪。
透き通る声。
甘い笑顔。
ここ最近、ひどくそわそわとしていた。
重要な何かが今現在進行し始めていると、そういう予感があった。
それが具体的になんなのかはわからなかったが。
うずく。
彼は揺れる馬車の中で目を瞑っていた。
おそらくあと半日ほどで東の国に着くだろう。
今年の舞踏会は、彼の友人である東の第一王子の花嫁探しも兼ねているという。多くの女性が集まるから、もしかしたら彼が探し続けた赤い髪もあるかもしれない。
そう期待する一方で、それはないだろうと否定する気持ちもあった。
もっと。
きっと運命的だ。
自分と、彼女の再会は。
赤い髪。
透き通る声。
甘い笑顔。
目を瞑るだけで鮮明に思い出せる。
せめて名前を思い出せたなら、その名を何度でも呟くのに、と。
王伊はため息をついた。
◆ ◆ ◆
彼女には約束をした人がいた。
生まれてすぐ悪い魔女に呪いをかけられ、十八になったら永遠の眠りにつく運命を負っていた。それは容易には破れない魔法で、その代わり彼女は生まれ変わって会おうと恋人と約束した。
十八になり。
眠りに落ち。
彼女が眠る塔はそれを守る茨に囲まれ。
彼女に近しい者は皆死に。
そして彼女は一人になった。
けれど彼女は眠り続けた。
彼女が眠っている間に、王国は滅びた。彼女の眠る塔は森の中に閉ざされ、その周りに三つの国ができた。
魔女さえも彼女のことを忘れ、森に住む鳥や獣以外は三国の誰も彼女の存在さえ知らなかった。
ただ彼女の物語だけが眠り姫という童話となって、国の子供達の子守唄となった。
彼女は夢を見ていた。
ずっと在りし日の夢を見ていた。
生まれ変わって迎えに行く。
彼はそう言った。
君の名を呼ぶから。
彼以外、誰も呼ぶことのないこの名を。
だから待ってて。
待ってて。
◆ ◆ ◆
さて。
あるところに白雪姫と呼ばれる女がいた。彼女は雪のように白い肌と黒檀のように輝く黒髪を持って生まれた。そして白雪姫と呼ばれ皆に愛され、美しく成長して美しい娘になった。けれど彼女の継母である王妃は彼女のその美しさを妬み、ついには彼女を城から追い出してしまった。
あるところに
あるところに眠り姫と呼ばれる女がいた。二百年ほど前、ある王国の王女として生まれた彼女は当時仲間はずれにされていた魔女の逆恨みをうけて、悪い魔法をかけられてしまった。その魔法通り、彼女はやがて魔法の眠りについた。彼女を守るのは彼女が眠る塔に張り巡らされた茨のみで、長い年月の中で彼女に近しかった王も王妃も召使い達も皆死んでしまった。二百年という時間が、彼女を森の中に一人取り残してしまったのだった。
あるところに三つの王国があった。
アザミの花と笛の紋章をいただいた東の国には、女好きな第一王子がいらっしゃった。
糸巻きと馬の紋章をいただいた南の国には、自分に正直な末の王子がいらっしゃった。
小麦と剣の紋章をいただいた西の国には、ロマンチストな第二王子がいらっしゃった。
あるところに《赤い森》と呼ばれる森があった。
それは東と西と南の三国に囲まれ、どの国の領土にも属さない不可侵の森だった。
その森で。
そもそもすべてが始まった。
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