0.そもそもすべてが始まった②
「
彼女達が早苗を灰かぶりという愛称で呼ぶようになったのは、暖炉の掃除をしていて珍しいその金色の髪さえも灰だらけになった早苗を指差して大笑いした時からだ。
お似合いね、と二人の義姉は笑った。
二人は早苗の父の再婚相手の連れ子であった。再婚相手が家を出て行った時に彼は二人を引き取り、自分の娘と同じように育てた。
義姉達は癇癪もちで我慢がきかず、早苗の父親が死ぬと家に仕えていた使用人は全員やめてしまった。するとあらゆる家事を義妹におしつけ、自分達は着飾って頻繁に社交界に出かけるようになった。
その時から早苗の着る服は綺麗なドレスからメイド服になったのだ。
ある日、彼らの屋敷に東の国の王宮で開かれる舞踏会の招待状が届いた。
王宮! 二人の義姉は舞い上がった。
亡き早苗の父は一代で成り上がった商人で、金はあっても社交界での地位は決して高くはない。招待される社交場も田舎に引きこもった貴族がひっそりと開くパーティばかりだ。王族が主催するパーティとは格が違う。
彼女達はその一世一代のチャンスに向けて、準備を怠るわけにはいかなかった。新作のドレスがあると聞けば取り寄せ、髪を艶やかにする方法があると聞けばすぐ試した。
「
鶏がらのような身体とつり上がった目をした上の義姉が言った。
「もぎたてじゃないと意味がないようなのよ」
豚のように鈍重そうな身体と細い目をした下の義姉が言った。
彼女達が手にしているのは今王都で流行の婦人雑誌で、今月のテーマは『舞踏会に向けて最後の美容法』とあった。
木杷は広葉樹で、赤い実をつける。ビタミンが豊富だ。
早苗は花がほころぶように柔らかく笑って答えた。
「わかったわ、お義姉様」
早苗が義姉達の我侭に否と言ったことなど一度もない。義姉達は満足そうに微笑み、お願いねと言った。
西の森、つまり《赤い森》は東、西、南の三国の中央に位置する不可侵の森だ。舗装された道はなく、早苗達のように森の側で育ってきた人間でなければ入ろうなどと思いもしないような場所だった。
早苗は次の日の早朝に起きて、家事をすべてすませてから出かけた。
森の入り口の方にはまだ木の実を採りに来た村人達が作った道とも言えない道があるが、木杷は森の奥の低地に生える樹である。早苗は道がなくなってからも、さらに奥に進まなくてはならなかった。
鳥の鳴き声がする。
春の森は、ざわざわと揺らめいていた。あらゆるものが動き出す季節だからだ。
生まれ出でる季節。
始まりの象徴だ。
樹の幹から出た小さな芽。
冬の間動物達が隠れていた穴の跡。
まだ少しだけ冷たい空気。
早苗は下生えを踏んだ。
鬱蒼と茂った木々のざわめきはしかし、春を寿ぐ音楽のように聞こえる。
伸びる枝を避けて、導かれるように奥へ行く。
早苗は春が好きだった。
森の中をしばらく歩いた先で、彼女は奇妙な物体を見つけた。
うつぶせに倒れているので、一見してすぐに判断はつかなかったが、ぼろぼろの衣服から伸びている白いものは確かに人間の手足に見える。
彼女はその人間らしき物体に近づいて、優しく助け起こした。
軽い。
長い黒髪がさらりと揺れる。
早苗は驚いて目を見開いた。
それは絵から抜け出てきたかのように、美しい女性だった。
あら。
と彼女は声を上げた。
◆ ◆ ◆
「
言ったのは第三王子の
「どこに行くんだっけ?」
これは第五王子の
「東だろ。なんでも
第二王子
「ほう。なぜそれに広兼まで行くんだ」
第一王子である
「舞踏会だよ。春の」
第六王子の広兼が訂正した。
そこは南の国の王宮の食堂で、長いテーブルを、五人の王子と一人の王子妃、国王、王妃とそして四人の側室が囲んでいる。第四王子が不在なのは、今現在出奔中であるからだ。出奔といえば聞こえはいいが、要は家出である。三年前の話だ。
「
微笑んだのは第五妃。つまり国王の四人目の側室である。まだ子供はないが、国王のこの妃の数と息子の数を考えれば、まだまだ望みはあると言えよう。
「私達も後から行くわ」
王妃がそう言って微笑んだ。南の国から今年の舞踏会に参加するのは第六王子である広兼と、王妃と第五妃の三人である。
「いいなぁ。私も行きたかったわ」
ため息をついたのは第三妃。第五王子広忠の母親である。
「来年は私と三妃殿下で行きましょうね」
柔らかく笑ったのは広信と広兼の母親である第四妃だ。
舞踏会のような社交の場が苦手な第二妃だけが、黙々と目の前の朝食を口に運んでいる。
「花嫁探しってなんですの?」
夫にこっそりと聞いたのは、第三王子妃である。六人の王子の中で、第三王子だけが既婚者だった。
「なんでも今回はそういう趣向らしいが……本当のところはどうなんだ? 広兼」
適齢期の姫君が一人もいない南の国では、東の国の王子の花嫁探しは、蚊帳の外のお話だった。詳しいことは誰も知らないのだ。
「鳥馬鹿の女好きに国王がうんざりしたんじゃないの」
末の息子のこの台詞に、国王が豪快に笑った。
「まさか。鳥代殿下はあそこの王そっくりだ。うんざりしたとしたら妃殿下の方だろう。あの方は、夫と息子の女癖の悪さには日々辟易しているはずだからな」
国王のその言葉に、五人の妃が笑う。
「五人も妻がいる父さんが言えることじゃないと思うけど」
広忠が苦笑して言った。全くその通りだと広兼は同意した。
東の王はなんだかんだ言って一人も側室を持っていない。普通、王ともなれば複数の妻を持つものだけど、そうしないのだから南の王よりも誠実かもしれない。
「あら。陛下はいいのよ」
まず王妃がにっこりと笑った。
「そうね。陛下はいいのよね」
第四妃も微笑む。他の妃達も「そうよね」と次々に同意を示し、あまつさえ第三王子妃までもがそうですよねと頷いた。これに顔色を変えたのは愛妻家の第三王子だ。
「ちょっと待て。なんで君まで同意する。まさか。陛下目当てで僕と……」
「まぁそんな。広智様のことも大好きですわ。特にお顔が」
小さく首を傾げて第三王子妃が笑う。「ああ」と広信が言った。
「そういや智君は一番父上様に似てるもんな」
「こら信。話をややこしくするな」
広義にたしなめられ、広信は肩をすくめた。
「嘘だ!」
広智は衝撃を受けた様子でがたんと椅子から立ち上がった。目には涙さえ浮かべている。
第三王子の次の行動をその場にいた全員が正確に予想できた。王妃はテーブルが揺れた時のために王と自分のグラスをそっとおさえた。
「嘘だぁあああ!」
そしてその予想通り、第三王子はガタン! と椅子をけっ倒してテーブルを揺らし、食堂から飛び出していってしまった。後に涙の輝きを残して。
「はっはっは。広智は忙しいなぁ」
王が豪快に笑うと、妃達も続いて笑った。
「広智様はとてもかわいらしいですわ」
第三王子妃は楽しそうに言う。
広兼はため息をついた。
南の国では、可能な限り皆で食卓を囲むのが習慣である。仲はいいのかもしれないが、時々うるさい。
彼は、静かな東の国に思いをはせた。あそこでなら誰にも邪魔をされずにゆっくりできるだろう。南の第六王子は、それだけが楽しみだった。
彼は手を上げて給仕を呼ぶと、さっきの衝撃でグラスが倒れ、台なしになった朝食をさげさせた。
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