姫君達の晩餐 食前酒は赤い森で/山咲黒
ビーズログ文庫
0.そもそもすべてが始まった①
それもこれも自分がこんなにも美しく生まれついてしまったからいけないのだ。
麗しい白雪姫。
確かに。
自分は美しい。
それは客観的に見ても明らかな事実なので、彼女は今更それを否定しようとは思わなかった。けれど美しいからという理由だけでこんな仕打ちを受けるのであれば、それは公然と抗議せねばなるまい。彼女が美しいのは彼女のせいではないのだ。
彼女は今森にいた。
春である。
広葉樹に囲まれた森は、冬が終わり、春の到来を喜ぶ雰囲気に満ちている。花の蕾が今にも破裂しそうに身を膨らませ、柔らかい風に木々が揺れる。漂う花の甘い香りに誘われて、冬眠していた動物達も目を覚ます。
穏やかなその雰囲気とは裏腹に、しかし彼女の心はすさんでいた。
三日間。
この森をさまよっているのだから無理もないかもしれない。
黒檀の黒髪はここ数日洗っていないのでその艶やかさを失っているし、白い肌には切り傷がある。お気に入りだった藤色の部屋着はあちこちにかぎ裂きができ、土で汚れていた。
念のために明記しておくが、彼女は、北の国の王女である。
その美しさゆえに蝶よ花よと育てられた。王宮の奥深くで、白雪姫と呼ばれ、本よりも重いものなど持ったことがなかった。
それなのに今手には先ほど木によじ登って得た木の実を握っている。木によじ登る? 数日前の彼女であったら一笑してこう言っただろう。猿がすることだわ。想像するだに腹が立った。
だから。
彼女は反対したのだ。
どこの。
馬の骨とも知れない女を妻とするなんて。
父王が再婚相手に連れてきた女は、最初から気に入らなかった。
妖艶で、それでいてひどくプライドが高い女。自分の部屋を怪しいインテリアで埋めて、そこに籠ったりしていた。頭がおかしいのではないのかとさえ思った。鏡に向かって話しかけているところを見た時などはなんて痛い女だろうと思ったものだった。
珀蓮はぎりりと奥歯をかみ締める。
彼女が今、北の王宮ではなく遠く離れたこの《赤い森》にいるのは、その、継母のせいだった。
彼女は無理やり追い出されたのだ。王宮から。
理由は呆れるほどに明解だった。
珀蓮が、美しすぎるから、である。
馬鹿かと言ってやりたい。
許されるわけがないだろう。
そんな、くだらない理由で、この、自分に、猿のような真似をさせるなんて。
ぐしゃり。
彼女は怒りのあまり手に持っていた木の実を握りつぶした。
怒りが身体を焦がすようだ。
炎が己のうちにあった屈託をすべて焼き、灰にし、新しい身体を手にした気持ちにさえなった。
この屈辱に比べれば。
他はすべて些事だ。
あの女。
「生まれてきたことを後悔させてさしあげてよ」
彼女は微笑んだ。
どんな姿になっても、彼女の美しさはあせない。それはまるで女神の微笑みだった。
女神は哄笑した。
そして次の瞬間、ぱたりとその場に倒れた。
意識を失ったのだ。
空腹のあまり。
女神は餓死寸前だった。
◆ ◆ ◆
「冗談でしょう?」
そこは東の国の王妃のお茶会で、王妃の側には彼女と親しいご婦人方が顔を並べている。いずれ劣らぬ美女ばかりで、夫の頭が上がらない恐妻揃いだ。
母である王妃が中心となって開くそのサロンに招待された時、東の国の第一王子である鳥代は少なからず悪い予感を覚えたが、少しでも顔を出さなければ後々まで文句を言われるのはわかっている。
だから彼は紅茶を一杯飲む間だけという条件付きで、この場に参加しているのだ。
そこでとんでもないことを言い渡された。
「冗談だなんて、殿下」
「私の娘も参加させていただく予定ですのよ。覚えていらっしゃるかしら? 以前ご紹介したと思うのだけれど」
「まぁ。抜け駆けは駄目よ。それを言うなら私の姪っ子だって」
口々に言い始めたご婦人方を、王妃が軽く手を上げて制した。王妃は、そのままその手を口にあて、上品に微笑んだ。
「もう決まったことなのよ、鳥代」
王妃の声は鈴の音のようだ。
可愛らしいのに、意外なほどに響く。
鳥代は口の端をひきつらせた。
「次の舞踏会で、お前には花嫁を見つけてもらいます。もういつまでも遊んでいていい年ではないのよ。わかっているでしょう?」
「しかし、ですね」
なんだって?
花嫁探し?
悪い冗談だ。
鳥代が抗議の言葉を紡ごうと口を開けた時、王妃の夜闇のように黒い双眸がすっと細められた。
「以前噂になった北の国境近くの子爵のご令嬢とはどうなったの?」
鳥代はぎくりとした。
「この間は、
彼は思わず目を逸らした。
「私が紹介したはずの
鳥代は口を真一文字に引き結んで俯いた。冷や汗がだらだらと流れてくる。ご婦人方の視線が痛い。
なぜだ! と鳥代は心の中で叫んだ。
なぜ第一王子の女性関係をこの王妃は熟知しているのだろう。
なんだかもう恐ろしくて顔が上げられなかった。
絶望的だ。
間違いない。この人は本気なのだ。
王妃はにっこりと微笑み、とても三人の子持ちとは思えない軽やかさで言った。
「嫁の顔を見るのを、楽しみにしていますよ」
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