Case.06-08


「はぁ……はぁ……っ」


 辺りは暗闇に包まれていて、唯一頼りになるのはまばらに立つ街灯だけ。

 そんな中で、僕は辰巳先生を追いかけていた。

 正確に言うと、『薫さんを追いかけている辰巳先生』を追いかけているところだ。


 辰巳先生は日ごろ運動なんてしないはずなのに、どうしてか足が速く、見失わないようにするだけでも精一杯だ。

 僕は何とか震える足に鞭を打ち、暗闇の中を走り続ける。

 辰巳先生が薫さんを見つけるまで、走り続けた。


 ◆   ◆


「……どうして、来たの」


「……それは」


 辰巳先生は、どうにか薫さんを見つけ出した。

 でも二人で向かい合った時に何を言えばいいのか分からないようで、何も言わない。

 そもそも辰巳先生を薫さんの下に向かわせたのは僕だ。

 自分の意思があったにしろなかったにしろ、最終的な判断をさせたのは僕。

 だから僕は二人の下に近付いた。


「こんばんわ」


「……こん、ばんわ?」


 突然声をかけてきた僕に、驚く薫さん。

 まさか僕が声をかけてくるとは思っていなかったのだろう、辰巳先生も戸惑いを隠せていない。


「僕は辰巳先生の教え子で、種島 好です」


「種島、くん……?」


「はい。辰巳先生から恋愛相談を受けてました」


「なっ!?」


 僕の言葉に辰巳先生が驚いた声を上げる。

 それでも僕は言葉を止めない。


「辰巳先生は、一生徒でしかない僕に頼ってしまうほど、薫さんとの関係が壊れてしまうのを危惧していました」


「……」


 薫さんは何も言わない。

 ただ黙って僕の言葉の続きを待つ。


「本当は今日だって二人で結婚記念日を楽しむ予定だったんです。でも直前になって辰巳先生に急な仕事が入って、それで間に合わせることが出来ませんでした」


「…………」


「辰巳先生はあなたのことが好きですよ。薫さんはもう辰巳先生のこと好きじゃありませんか?」


「……好きじゃ、ない」


 少しの間の後に紡がれる薫さんの言葉。

 それを聞いて辰巳先生の肩が少しだけ揺れる。

 でも表情はまるで諦めきったような苦笑いのままだ。


「本当にそうですか? 辰巳先生は今でもあなたのことを世界一大好きだと言っていましたよ」


「う、嘘。そんなことありえない」


 僕の言葉に薫さんは首を振って信じてくれようとしない。

 そりゃあそうだ。

 僕だって逆の立場だったら信じるなんて無理だと思う。

 を言ってしまった自覚があるなら、尚更だ。

 だから僕は薫さんに信じてもらうための鍵を、出すことにした。


「これが何か分かりますか?」


 僕は後ろに置いていた袋を薫さんの前に置く。

 これは、長い間ずっと押入れの中に隠されていた記念日のプレゼントが入っている袋だ。


「これは、これまで無駄になってきた記念日のプレゼントたちですよ」


「っ!」


 僕の言葉に驚き、袋を凝視する薫さん。

 しかし袋の中にある、可愛く装飾された箱たちを見れば、僕の言っていることが本当だと信じてもらえるはずだ。


「……じ、じゃあどうして、渡してくれなかったの?」


「そ、それは……」


 薫さんの一言に、僕は言葉を詰まらせる。

 実はそれは僕自身も気になっていた。

 記念日を過ぎてしまったら過ぎてしまったで、次の日にでも渡せば、薫さんの機嫌を損なうのも少しは和らいでいたのではないだろうか。


「……それは、記念日のためのプレゼントだったんだ」


「……辰巳先生」


 突然口を挟んできた辰巳先生に僕は目を向ける。

 でもさすがにそれは言葉足らずではないだろうか。

 つまりこの渡せなかったプレゼントたちは記念日を過ぎてしまった時点で『有効期限』が切れてしまっていたのだろう。

 何とも妙に真面目な辰巳先生らしい。


「薫さん」


 相変わらず袋を見つめている薫さんを呼び掛ける。

 これから僕がするのは最後の確認。


「まだ先生のこと嫌いですか?」


「…………」


「まだ先生のこと、好きじゃないって言いますか?」


「…………」


「まだを言うつもりですか?」


「……そんなこと、ない」


 薫さんは僕の言葉に首を振る。

 そりゃあそうだ。

 そもそも薫さんにとって辰巳先生は、辰巳先生にとって薫さんがかけがえのない存在であるのと同じように、大事で唯一無二の存在だったんだ。


 だからこその、デートの時の好感度。

 だからこその、記念日の凝った料理。

 嫌いなんて言ったのは、薫さんなりの意思表示だったのかもしれない。

 全ては辰巳先生の気を少しでも引くため。


「…………」


 薫さんは無言のまま、袋に手を伸ばす。

 そして何やら一つの箱を取り出した。

 それは偶然か必然か、今回の記念日のために辰巳先生が用意していたプレゼントだ。


「僕はもう、いらないみたいですね」


 今回の恋愛相談、僕の出番はこれで終了だ。

 あとは主役二人だけでいい。

 僕は僕が出来ることを、二人は二人にしか出来ないことを。




「薫」


 辰巳先生が、大切な人の名前を呼ぶ。

 そのままゆっくり薫さんに近付くと、その手に握られる箱をそっと手に取る。


「これからもきっと、君に辛い思いや寂しい思いをさせると思う」


「……うん」


「でも好きだ。君のことが世界で一番好きだ。心の底から、愛してる」


「……うん」」


「だからもう一回、俺の残りの人生を貰ってください」


 辰巳先生は膝を地面につけながら、プレゼントの箱を開ける。

 対する薫さんの答えは、


「……はい」


 ずっと前から決まっていた。

 きっと薫さんはもう二度と辰巳先生のことを離さない。

 きっと辰巳先生はもう二度と薫さんのことを離さない。


 薫さんはプレゼントを受け取る。

 少しだけ有効期限の切れた贈り物リングと、有効期限なんてないもう一つの贈り物。


 今回の恋愛相談の終わりを告げる合図に、僕が好感度なんてわざわざ見るまでもない。

 それは紛れもなく僕が望んだ、二人が望んだ、幸せの始まりハッピーエンドだった。


「……ふぅ」


 二人の甘酸っぱさに僕は夜空を見上げる。

 そこには大きな満月が、ちっぽけな僕たちを照らしている。

 僕はその時、一片も欠けることのない二人の本当の愛を見たような気がした。

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