Case.01-06


「あーあ、ずぶ濡れだ」


 学校指定の鞄が防水加工をしてあったために、教科書たちが難を逃れられたことだけが救いだったのではないだろうか。

 ただそれも長時間濡らしているのは気が引ける。

 出来るだけ早く帰れるようにしよう。


 僕は今来た道をもう一度歩きなおす。

 普段ならこんなことしないのに。


 水たまりで足を濡らしながら僕は、ついさっきの話を思い出していた。





「恋愛相談、いいかな」


 佐々木さんと視線が重なる。

 今日見せてくれていた笑顔が、そこに入る余地なんて少しもない。

 じっと、僕を見据えている。


「私の恋を、成就させてなんて、言わない」


 そうだろう。

 今の君の表情は、希望を見出そうとしている顔なんかじゃ絶対ない。

 諦めるなんて言葉じゃ足りないような、そんな表情だ。


「じゃあ、どんな相談をするの?」


 僕は問いかける。

 瞬き一つだって、今の彼女には失礼だ。


「失恋した私だけど、そんな私だけど。今だけは、こんな私を――」




             ――――慰めてくれませんか。




 その時、彼女は笑っていて。

 でもどこか不格好で。

 思わず優しくしてあげそうで。

 その小さな頭を撫でてしまいそうで。


 でも僕は、その手をぐっと押さえた。


「ごめん、佐々木さん。それは、出来ないよ」


 男子として、一人の人として、目の前でこんな表情を浮かべる女の子を放っておくことなんて出来ない。

 でも、今は違うんだ。

 今は、僕じゃないんだ。

 それは、彼女の友達でもなく、彼女の家族でもなく、ただのクラスメイトでも誰でもない。


 今、彼女を慰められるのは、今西 亮。

 彼女が好きだといった、恐ろしいほど愚かな一人の相談人だけだ。


「待ってて」


 出来れば、雨にぬれないところで。

 僕は、そう言い終えないうちに走り出した。


 こんな良い人を泣かせた、クソ野郎のもとに。

 愚かで馬鹿な、相談人のもとに。






「何しに、来たの」


「…………」


 佐々木さんと今西くんは、川の橋の下で雨を逃れつつ、向かい合っていた。

 僕はその影に隠れて、二人の様子を窺っている。

 佐々木さんの問いに、今西くんは黙って俯く。


「どうして、ここに来たの?」


 さっきと同じような質問。

 でもちょっとだけ違う質問。


「佐々木が、ここにいるから」


 だからさっきとは違う答えが出てくる。

 今西くんは、佐々木さんの問いに今度はそう返した。


「……っ」


 佐々木さんは、拳を握りしめて震えている。


「……そうやって、期待させないでよ」


 か細い声で、そう呟かれる。

 橋の下では、それすらも拾い上げて響かせる。

 少し離れた僕のところにも、その声がしっかりと聞こえてきた。

 まず間違いなく、今西くんにも聞こえているだろう。


「…………」


 でも、言葉が見つからないのか、黙ったままだ。

 それも仕方ないのかもしれない。


 僕に恋愛相談をしたとはいえ、まさかその当日にこんな場面に直面するなんて、誰が想像できただろうか。

 ただ今だけは、出来るなら頑張ってほしいとも思う。


「ねえ、亮くん」


「なん、だ?」


「もし、私が幼なじみじゃなかったら、もうちょっと希望を持てたのかな」


「…………」


「そうしたら、私も、莉子って呼んでもらえたのかな」


「……っ」


 僕たちは彼女の零れ落ちてくる独白を聞き続ける。

 そして僕にはそれしか出来ない。

 でも、君は違うだろ?

 今西くん。



 今西くんはいつもどおり、彼女の名前を呼ぶ。

 その一瞬に彼女の表情が暗くなる。


「これまで、ごめん」


 それに続く謝罪の言葉。

 それがさっきのことについてなのか、それともそれ以上の何かなのかは、僕が知る由がない。

 ただ、今西くんだからこその、今西くんの言葉だったのは確かだった。


「俺、恋愛相談しててさ」


「うん」


 今西くんは呟く。

 佐々木さんは、どうやら気付いていたようだけれど。


「その相手と付き合いたくて」


「そ、っか」


 緊張する今西くんとは裏腹に反応が薄い佐々木さん。

 仕方ない。

 もう希望なんて、無いって思ってるんだから。


「俺は、お前と昔からずっと一緒だった」


「……?」


 突然話題が変わったことに不思議そうな顔を浮かべている佐々木さん。

 それでも今西くんの話は続く。


「幼稚園から一緒で、家も隣だったし、家族ぐるみで仲が良くってさ」




 幼稚園のころなんて、最初はずっと同じ男子だと思ってたくらいで、それくらいに距離が近かったんだ。

 小学校にあがってから、周りの男子にからかわれたりして、それでもずっと友達だって思ってたから、やっぱり一緒にいたし、からかわれても恥ずかしくなかった。


 でも、中学にあがったころから、周りの男子の目が、莉子に向くようになって、なんだか少し嫌だったんだと思う。

 高校では、莉子が告白されてるのを、初めて見た。

 中学からそうやって告白されてるってのは知ってたけど、その時に初めて見たんだ。


 その時『盗られたくない』って思った。

 別に俺の彼女でもなんでもないのは、分かってたけど、それでもそう思わずにはいられなかった。


 そして気付いたんだ。

 俺はお前が

 今西 亮は、佐々木 莉子が――


              ――――大好きなんだって。

 

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