第1話「騎士」――Knight

1-1.

 独立交易都市ハウスマンは街同士の集合体からできている。


 都市は一から七の街で成り、それぞれの土地に居住区や市場、公務役所が設けられ都市規制がされている。当時、開拓者であるハウスマンの許に次々と人が集まり、その規模がひとつの自治組織で管理できないまでに広がったとき、今のような都市の区分けが行われた。


 都市は沿岸部の火山帯と隣接しているが、その間隙に森林を挟んでいる。通称『ハウスマンの森』と呼ばれるこの森に最も近い位置に配されたのが、七番街である。ここは『街』という名称も名ばかりの土地――と言うのもほとんどが農地から成っているのだ。都市が発展支援として人を雇い、運営している巨大な農地だった。

 その農地を抜けた森林帯、七番街のはずれ、『ハウスマンの森』のそばに、


「鍛冶屋があったのか……このようなところに」


 意外な思いでセシリーは呟いていた。

 リサが注文の品――彼女の工房アトリエで作られた調理用の刃物――を届けるのに付き添い、その後彼女に連れられてセシリーは七番街の奥地に来ていた。ここにリサが助手として働く工房アトリエ『リーザ』があるらしい。


 セシリーの目の前には白色の森が広がっていた。正式な名称を持たず、都市設計当初から便宜上『ハウスマンの森』と呼ばれている森だ。太い幹の木々が立ちふさがるように視界を横切り、その根元には絡みつくように草木が生い茂っている。そしてそれらすべてが濃く重くを被っていた。


 セシリーは視線を森から上空に向ける――空の色が真っ二つに割れていた。眩暈めまいがするほど青く澄み渡る空が、森を境に灰色に染められている。灰だ。この森の向こうに鎮座する火山の吐き出す火山灰が、森を覆い、そして上空を埋め尽くしている。そのため「灰被りの森」とも呼ばれている。にもかかわらず森は枯れることなく存在し、火山灰は森を越えて七番街の農地を襲ったりはしない。奇妙な調和――今でこそその仕組みは解明されているが、三番街に住むセシリーには未だに見慣れない光景だった。


 森の真上、灰のとばりの向こうにうっすらと火山帯の稜線が見える。視線を戻すと森にほど近く、一軒の家が建っていた。

 古めかしい板張りの家屋だ。表面が雨風に黒ずみ、森から地面を伝う白い蔦が何本も壁面に這っていた。一歩間違えば廃屋に見えなくもない佇まいで、それも普段は人が訪れないだろう立地である。そうと知らなければとても人が住んでいるようには思えない。

 しかしここが目的の場所なのは確からしかった。


「ささ、どうぞどうぞ」リサが意気揚々とセシリーの手を引いた。「ルーク、お客様をお連れしましたよー」

 心の準備もできないうちに、リサは玄関の扉を開けてずかずかと入っていく。セシリーは恐る恐る入り口から頭を覗かせた。


 ……うん?


 ずいぶん暗いな、というのが第一印象だった。灰被りの森を背景にしているためだろうか、日中にもかかわらず家の中はひどく薄暗く、内装の輪郭が捉えにくい。だから、


「客? 今日はそんな気分じゃないんだが」


 ふと視界の外から発せられた声にセシリーは驚いて声をあげそうになった。

 慌てて振り返った先に、青年はいた。

 鎧戸の開かれた窓辺で椅子に座っていた。何か読んでいた途中らしく手には文章の綴られた紙片がある。その腰に先ほどの剣はなかった。


「ルーク、紹介いたします。こちら騎士さんのセシリー・キャンベルさんです。キャンベルさん、こちらウチの親方のルーク。私はお茶入れてきますんでごゆっくりどうぞです」


 え。セシリーが何か言う前にリサはテキパキと紹介を済ませ、部屋の奥に行ってしまった。取り残されたセシリーは無言で青年――ルークと視線を交わす。沈黙。気まずい。

 仰々しいほどに大きく咳払いをし、セシリーは手を差し出した。


「独立交易都市公務員三番街自衛騎士団所属、セシリー・キャンベルと申す。先ほどは世話になった。礼を言う」


「……ルーク・エインズワースだ」


 ルークはこちらが差し出した手を一瞥したが、それだけだった。席を立つ気配も無い。


「む?」


 差し出した手を軽く上下に揺らしてみる。しかし。


「そういう堅苦しい挨拶は苦手なんだ。悪いな」


「……」


 セシリーは少し考えてから、おもむろにルークに歩み寄った。


「!? な、なん……っ?」


 驚いたように身を引くルークの右手を無理矢理取り、ぶんぶんと縦に力強く振った。


「よろしく」


 言うそばから手を振り払われたが、セシリーはあまり気にしなかった。


「人間関係は挨拶から始まる。私の父の教えだ。疎かにしてはいけない」


 どうやら今の行動は彼の理解の外にあったらしく、何か不気味なものでも見るような目をしている。セシリーは肩をすくめた。無礼な男である。緊張して損をした。


「何なんだお前……」


 取り合わずセシリーは部屋を見回した。

 さほど広くない。特に置物もなく簡単な調度品があるだけ。職人の家にしてはずいぶんとサッパリしているな――と思いきや、セシリーは手持ち無沙汰に室内を見回してようやくに気付いた。


「お前、本当に客なのか。まさかさっきの話の続きとか言わないだろうな」


「それはもういいんだ。それよりもここは鍛冶屋と聞いた。注文がしたい」


 へえ、そうか。嘆息交じりに呟き、ルークは手元の紙片を卓の上に放ってこちらに向き直った。無愛想ではあるが思った以上に口は回るらしく、すらすらと説明してきた。


「注文は何だ? 多分リサから聞いているだろうが、ウチはかまなたくわはさみみたいな生活用の刃物から農具、燭台なんてのも受け付けてる。金物ならたいていはいけるな。ああ、

でもアクセサリーとかは勘弁してくれ。あくまで実用品限定だ。しかし騎士のあんたがなんでウチみたいな鍛冶屋に――」


「それと同じのを、私に作ってほしい」


 ルークの目の色が変わるのを、セシリーは見逃さなかった。

 それ、とセシリーが指差したのは壁に留め金で固定された、ひと振りの剣だった。

 片刃の、緩やかな反りのある剣である。柄拵つかごしらえは無く、なかごの剥き出しになった剣身。峰は黒い光沢を放ち、刃は銀色に輝いていた。


 不思議な存在感を放っている。薄暗い部屋の中でもわかるほど確かな艶があり、特にセシリーの気を魅いたのは表面を波打つように走る美しい刃文だった。あのような模様を帯びた剣は彼女の知る中でも見たことが無い。額に納められているわけでも無く無造作に飾られていたのだが、何故かひどく魅かれた。

 ひと目見ただけで気付いていた。あのときは残像でしか捉えることはできなかったが、これはつい先刻街中で見たルークの剣と同種の物だ。ルークの放った斬撃と目の前にある剣のシルエットがセシリーの中でかっちりと重なる。鉄を斬るイメージが脳内で明確に再現できる。これだ。


「この剣と同じ業物わざものを、私に打ってくれないか」


 ルークはひどく難しい顔をしていた。じっと何かを推し量るようにこちらを見つめ、やがて口を開いた。「悪いが――」


「そういえば折れちゃいましたもんね。キャンベルさんの剣」


 話を聞いていたらしい。部屋の奥から、お盆を持ったリサが言いながら出てきた。どうぞ、と彼女はセシリーにお盆の上に載っていた茶を差し出す。


「セシリーで構わない。……これは?」


「森で採った葉を煮出したものです。『霊体』が豊富で身体もぽかぽかしますよ」


「森とはあの灰被りの? 飲料に適したものまで採れるのか。――ありがとう」


 茶はあまり馴染みの無い濃厚な舌触りで、不思議と落ち着く味わいだった。コクがあって美味しい。ほぅ、と息をつくこちらをリサがニコニコと見ていて、セシリーもにこりと微笑み返した。主人と違って助手の彼女は良い人柄をしている。


「話の途中だったな。ええと……何だったか」


「剣が折れちゃいました」


「そう、それだ。剣が折れちゃいましたなのだ」と頷き、「至急代わりの剣が必要になった。できればこの工房

《アトリエ》にそれを頼みたい。もしも見本となるような物があるのならばぜひ拝見したいのだが」


「悪いが帰ってくれ」


「……何?」


 リサ、とルークは少女を振り返った。その声にただならぬものを感じたのか、リサは肩を狭めて小さくなってしまった。

 ルークは詰問するように、静かに、けれど強い口調で言った。


「何故この女に説明しなかった」


「……すみません」


「理由を聞いているんだ」


「…………ルークはもっと、いろんな人と接した方が、いいと、思うんです」


 ルークの右目が見開き、形相が怒りに歪んだ。しかしすぐにそれを収めたかと思うとそっぽを向いてしまった。リサはぼそぼそと「ごめんなさい」と呟いている。

 置いてけぼりのセシリーは状況がわからず困惑するばかりだった。


「なんだ。どうしたんだ。何故彼女を叱る?」


「説明が遅れて悪かったな」嘆息し、ルークは言った。「俺たちはあんたの注文には応えてやれない。ウチは剣の注文を受け付けていないんだ」


 セシリーは目を丸くした。


「ではそこに飾られている剣はなんなのだ。ただの飾りではないのだろう?」


「そいつは親父の形見でな。親父の代で剣の鍛錬は廃業した」


「でもあなたが市内で帯びていた剣はあなたが作った物なのだろう? リサから聞いたぞ」


 改めて睨むルークに、リサはうつむいてじりじりと後ずさった。

 セシリーは構わず前に出た。


「素晴らしい技術じゃないか。何故それほどの腕を持ちながら無名でいる? 何故剣の依頼を受けない?」


「……とにかく受け付けていないんだ。別の店を当たってくれ。そもそもお前も騎士のはしくれなら代剣の一本や二本、あるはずだ」


 確かに自宅に戻れば数は少ないが代剣はある……が。


「ルーク、あなたも自負しているはずだ。自分の剣が都市にあるどんな剣よりも優れていると。私もそう思う。私はそれを見てしまった、知ってしまったんだ。きっともう他の剣では満足できない。どうしても聞き届けてもらえないだろうか?」


「俺は俺のためだけに『刀』を打つ」


 有無を言わせぬ声音に、セシリーは息を飲んだ。刀、という耳慣れぬ語彙にも引っかかった。話の流れから言って剣の一種だろうか?

 いつしかルークの右目は窓の外に――灰被りの森の方角へと向けられていた。


「昔にそう決めた。だから悪いが……帰ってくれ」


 何処か詫びるような空気があった。「何故」と理由を追及するのには憚られる壁を感じ、

セシリーは続く言葉を言いあぐねた。引き合わせた責任を感じているのか、リサも申し訳なさそうに頭を垂れている。


 沈黙が訪れた。

 セシリーはどうしたものかと立ち尽くす。

 本人に言った通り、セシリーは彼の剣に魅せられてしまった。今さら他の剣を選ぶなど本意ではない。あの剣がいい。あの剣でなくては駄目なのだ。ならばどうする?

 考えた末、やがてセシリーは決意した。


 ――ならば本気になろう。


 本気の言葉を、この男にぶつけよう。

 剣の注文を受けない、というその理由はわからない。どのような事情があるかは知りようもない。ならば本気の言葉でぶつかるしかない。己を曝け出すようで気は乗らないが、

そうでなくてはこの頑固な性格には届かない。


「実は」


 ルークとリサが同時にこちらを振り返った。


「こうして偉そうに立ってはいるが、私はつい一ヶ月前、騎士になったばかりなんだ」

 いきなり何を?という空気は感じたがふたりともこちらの言葉を遮ったりはしない。それをありがたく感じながら先を続けた。


「私の父は自衛騎士団の団員だったが、二ヶ月前に病で亡くなった。葬儀関係を終わらせてすぐ、私は父の後を継いで騎士団に入団した。我がキャンベル家の稼ぎ手がいなくなってしまったのもそうだが、何より現当主として私は騎士にならなければいけなかった」


 元々身体の弱かった母は床に伏しがちになり、その世話役として前々から使用人をひとり抱えている。セシリーが感傷に浸っている時間も余裕も無かった。


「キャンベル家の名前を聞いたことがあるか?」


「……無いな」


「キャンベル家は元貴族なんだ。代理契約戦争ヴァルバニルの暗黒時代……その当時独立交易都市の基礎を打ち立てたハウスマン、その戦友にして片腕の役を果たしたのがキャンベル――私の祖父だ。祖父はハウスマンと同様、疲弊する大陸を憂い、貴族という身分を捨てて都市の独立と発展に尽力した誇りある人なのだ。以来、私たちキャンベル家の人間は代々自衛騎士団の一員として都市を守ることに尽くしてきた」


 そのことを知る者は極少数だがな、とセシリーは苦笑した。


「もちろん私は自衛騎士団に入団したことを誇りに思っている。慌ただしくはあったが、

そのことに憂いは無い。……ただ、すべてが急過ぎた」


 父の死も、自衛騎士団への入団も、そして今日の出来事も。


「あんなたったひとりの暴漢相手でも、私にとっては生まれて初めての実戦だった」


 ぎゅっと目を閉じるとあのときの浮浪者の形相が瞼の裏によみがえる。号泣し、涎を垂らし、目を血走らせて――本気でこちらを壊しに来た。


「脚が震えた。何もできなかった」


 想像以上だった。

 想像以上に自分は未熟だった。


「だから――どころがほしいんだ」


 リサ、ルークを順々に見回す。セシリーは手に持っていた茶を飲み干してその容器をリサに返すと、「失礼」と断って腰の剣を引き抜いた。半ばから折れた剣。


「これはキャンベル家が代々差してきた剣だ。元々良質とは言い難いものだったし、長い間使われてきたからとうに寿命を迎えていた。それでも私にとっては大事な剣で、祖父の、父の形見で、だからこの剣で戦っていこう――そういうつもりだった。でも」


 それが、今日、折れた。


「私は折れない剣がほしい」


 椅子に腰掛けるルークを真っ直ぐに見つめる。彼は何を言うでもなく静かな眼差しを返していた。左目は冷たく輝き、右目は穏やかにこちらを見据えている。

 セシリーは退かない。


「今日はっきりとわかった。。何より心が。……剣の良し悪しで己の未熟さを補おうというつもりはないんだ。ただ私を支えてくれる拠り所がほしい。誇りを守り、都市を守る――私の半身のような……相棒になってくれる剣がほしいんだ」


 折れない心、折れない剣――。


 得物えものに自分の精神を重ね合わせるなど、前時代の古い考え方だと思う。鋳型いがた製法により剣の大量生産が当たり前とされたこの大陸で、一本一本の剣に意味を見出す人間など騎士団の中にもいない。しかし、今日。

 訓練でキャンベル家の剣にヒビが入り、都市の鍛冶屋で見てもらうともう限界だと言われ、浮浪者と初めての実戦をし、セシリーの心は折れ、剣も折れた。


 そしてルークと、ルークの剣と出会った。

 セシリーはそこに意味を見出す。


「私はあなたにそのような剣を打ってもらいたい」


 私のための、私だけの剣を。

 折れない心を。

 そこまで話し、セシリーはやっと息をついた。少し頬が赤い。喋り過ぎたようにも思うが、決して恥じる内容ではない。大切なことなのだ。


「一応、その、断っておきますが」黙っていたリサが恐る恐る切り出した。「折れない剣は、存在しません……よ?」


 セシリーの視線に腰を引きつつも、彼女は続ける。


「どんなに頑丈に作られたものでもいつかは折れます。使い続ければ素材は疲労し限界を迎えるし、人や動物を傷つける刃物は血糊で錆びます。戦い方によっては打ち立てでも呆気無く……。ルークの鍛錬したは確かにそこら辺のナマクラには負けませんけど、それだって身の部分を横から叩かれちゃったりしたらあっさり――」


「リサ」


 呼び声にリサはぴたりと言葉を止めた。


「この女が言いたいのはそういうことじゃない。わかってるはずだ」


 リサは驚いたようにルークを振り返る。珍しいものでも見たかのようにその目は激しくまばたいていた。そんな視線に「ンだよ」とふてくされたように吐き捨て、ルークはこちらを見やった。


「それだけか? 言いたいことは」


「いや、ここまではまだ私のワガママに過ぎない」


 セシリーは首を横に振り、己の豊かな胸の上に手を置いた。


「だから私を見てほしい」


「あ?」


「え?」


 ルークとリサが聞き返す。妙な反応にセシリーは自分の発した言葉を反芻し、頬を赤くした。下手をすれば愛の告白とも受け取られかねないセリフだった。


「い、いや! そういう意味ではなくて!」


「大胆ですねセシリーさん」


「だから違う! このような無愛想な男など眼中に無いっ」


「……ずいぶんだな」


「あ、明日っ、我が三番街自衛騎士団は外地に遠征に繰り出す!」


 セシリーは真っ赤になりながら早口にまくし立てた。


「目的は独立交易都市と帝国の国境で旅客を襲う盗賊一派の討伐、三番街騎士団は傭兵を雇い一派の潜伏地の捜索と、可能ならば捕獲を行う、もちろんこの私も遠征隊の面子メンツに選ばれているっ――」


 ぜはっ、ぜはっ、と荒々しく息をつく。


「で?」


「……その傭兵のひとりとして、ルーク・エインズワース、あなたを雇いたい」


「はぁ?」


「そこで私を見定めてもらえないか」


 そういう意味か――。ようやく合点がてんが入ったらしくルークが呟いた。リサだけが「え? え?」と困惑していた。


「遠征に同行し、あなたが鍛錬の腕を振るうに足るか私を評価してもらいたい。ルーク、

あなたは剣術の腕も立つから、もちろん傭兵としての報酬も支払う。……どうだろうか?」


 ルークが剣の注文を受けない理由。それはわからない。この際わからないままでも構わない。ただ、一度でいいから機会がほしいのだ。

 注文を受けない理由、それを越えてでも剣を打ってやりたい、そう思えるに足る人物か。セシリーは自分を見定めてもらいたいのだ。

 ルークは腕を組んで考え込んでいたが、やがてセシリーの要求を飲んだ。


「ほ、本当ですかっ?」


 よほど稀有なことなのか、セシリーよりもリサの反応の方が大きかった。驚く助手を見やり、ルークはセシリーの前で初めて笑った。


「なかなか面白そうじゃないか」



 独立交易都市の市民は沿岸部の火山帯方面を『内地』と呼ぶ習慣がある。火山帯における鉱山業や『霊体』の恩恵に感謝の意を示し、いつしかその慣わしが生まれた。その慣習から転じて大陸側を『外地』と呼ぶ。

 その外地側、都市の第三正門を出ると、人の手の加えられていない広大な大地が広がっている。この土地を馬足にして五日間の距離を行ったところに帝国の関所が門を構えている。


 彼らは大地を大きく横切る形で関所までのならされた公道を闊歩していた。馬車二台分の幅の道を、自衛騎士団の団員を先頭にして傭兵たちが従軍する形だ。野営のための荷物を馬に括りつけて引いている。

 時刻は朝方。白い空が青く変色していくころ、一行は斑雲まだらぐもの下を行く。


「しかし」


 歩きながら一同を見回し、セシリーはぽつりと感慨を漏らした。自分で呼びつけておいてアレなのだが、


「浮いているな……」


 騎士団は五人程度、傭兵はその倍ほどの人数だった。帝国や軍国から流れてきた屈強な傭兵――禿頭とくとうの男や丸太と見違えるかのような太い筋肉の持ち主などいずれも一見して経験や訓練を積んできたであろう人物たちだ――の中で、やはりルークやリサの姿は浮いた存在だった。


「くぁ……」


 ルークは眠そうな顔で欠伸あくびを漏らす。彼は先日着ていた作業着にブーツを履き、左手に黒い手袋、左肩に腰ほどの丈の外套を羽織っていた。腰のベルトには工具の入った袋を提げ、左に例の剣を差している。


「ルーク。もっとしゃんとしてください。他の傭兵さんがじろじろ見てますよ」


 どうでもいい、と返す彼にリサは「もー」と口を尖らせた。彼女もやはり同様の作業着を着、腰には手鎚や工具袋を提げていた。

 どう見てもふたりは傭兵でも何でもなく、他の面々から奇異な目で見られていた。


「なぁ、盗賊団ってのはどれくらいの規模の組織なんだ。俺らと同じくらいの人数なのか? 相手は」


 セシリーのもとにやって来たルークが、気安く訊ねた。そういえば説明していなかったんだと思い返す。


「逃げ延びた者の証言では二十人弱だが、もっといるかもしれない。帝国と独立交易都市の区間を行き来する商隊がよく狙われている。つまりこの公道を通る者を狙って追い剥ぎまがいの行為を働いているということだ。今回の遠征は公道沿いの巡回及び盗賊一派の拠点捜索が目的だ」


 とは言ったものの範囲が広すぎる。恐らく数回に分けての調査になる。今日はその一回目の行軍だ。

 都市ではこういった討伐や治安警備のため自衛騎士団を出動させることが多い。とはいえ市内警備を怠るわけにはいかないので、こうして傭兵を雇い人員の補填を行うのである。


「それと相手は盗賊だけではない。噂によるとこの一派は人外の獣を飼い馴らしているとのことだ」


「人外を飼う?」ルークは眉間に皺を寄せた。「そんなことができるのか」


「人外』とは人ならざる存在のこと。人に害なす獣を広く指して言うが、そうでない対象もしばしば人外と称される。その種類は多岐に渡り、ただの野犬から触手獣、食人植物にいたるまで広義の意味を含む。人型でありながら人にはない器官を持ち得るもの――翼人や半獣人などもこれに類する。

 人間と人外は互いに意思疎通を図るのは不可能だと言われている。それを飼うというのはどういう事情か――。


 セシリーは「わからない」と首を横に振った。


「とにかく接触してみないことにはな。襲われた者が興奮して幻覚を見ただけとも言い切れない。彼らは無数の獣傷を負っていたと聞く。信憑性は高い。一応は気をつけてくれ」


 へえ、とルークは軽く応えた。


「しかしそういう情報は依頼する前に伝えておくものじゃないのか?」


「う……すまない」


「大丈夫ですよ! ルークは強いですから相手が誰だろうと関係ないですよっ」


 お前は黙ってろ、とルークがリサの頭を小突いた。ハイ、とリサは両手で自分の口を封じた。何処と無くほのぼのとした空気を振りまくふたりだったが、セシリーは周囲のぴりぴりとした視線を感じて気が気ではなかった。


「それは代剣か?」


 ふとルークがセシリーの腰の剣に気付いて言った。彼女の腰にはキャンベル家の剣と同種の長剣が提げられていた。


「家の倉庫から引っ張り出してきてな。手入れはされていないからあまり良い代物ではないが、即日に用意できるのはこれくらいだった。仕方あるまい」


「じゃあそいつは?」


 ルークが指したのは、彼女が腰の裏に吊り提げていたキャンベル家の剣だった。

 剣と言っても折れた剣身は抜かれ、柄だけだ。それに細いチェーンを巻きつけ剣帯に提げていたのだ。それに触れてセシリーは微笑んだ。


「お守り代わりだ」


 態度にこそ出さないが、実際セシリーは緊張していた。これから遭遇するかもしれない盗賊たちに対し、自分は上手くやれるだろうか。浮浪者を相手にしたときのように臆せずに立ち合えるだろうか。昨夜から不安が頭にこびりついて離れない。

 それでもやるしかないから。ルークには自分を認めさせなければならないから。せめてもの心の支えにと身に付けた。キャンベル家の歴史を渡ったこの剣に小さな御利益を求めて。

 私をお守りください、父上――。祈るように柄を握るこちらを、ルークが黙って見ていた。はっとしてセシリーは頬を染めた。


「こ、子ども臭いと言うなら勝手にしろ」


「そんなことは言わない。これでも俺は鍛冶屋のはしくれだ」ルークは肩をすくめ、「剣を大事にする奴は嫌いじゃない」


「ルーク! このようなところでそんなことを言われては困る……」


「お前の脳はどうやって俺の言葉を変換した」


 動揺のせいか変なことを口走ってしまう。セシリーは誤魔化すように「そういえば」と視線を下に落とした。彼女の肩の下をリサの頭がひょこひょこ動いていた。

 リサはルークの助手と言っていたが――実際はどのような関係なのだろうか。家族? 妹? にしてはまったく似ていない。親戚……?


「リサはいくつなのだ?」


「歳ですか? 多分三歳くらいです」


「え」


 硬直するセシリーを尻目に、リサは「あ、鳥さんだー」と鳥の集まる原っぱの方へ行ってしまった。


「鳥さん鳥さーん」


 ……からかわれた、のだろうか?

 歩きながら距離をおいて眺めていると、リサはベルトに提げていた小袋から何やら取り出した。保存食か何かだろうか、彼女はそれを小さく千切って鳥たちに与え始めた。すると良いカモを見つけたと言わんばかりに小鳥たちが何処からとも無く群がり始め、リサは鳥の群れに包囲され押し潰されてしまった。ぎゃーという悲鳴が平和な草原に木霊する。


 何やってんだか、とセシリーの横でルークがため息をついた。


「どうしてリサを連れて来た? 危険な遠征だぞ」


「あれでも役に立つ」


 本当だろうか。今も鳥たちにくちばしで頭を突かれているが。


「リサとは一体どういう関係なのだ?」


「ただの住み込みの助手だ。それ以上でもそれ以下でもない」


「……まさかとは思うがルーク・エインズワース。そういう趣味なのか」


「お前とは一度真剣に話し合わなきゃいけないようだな」


 望むところである。


「親族ではないのだろう?」


「ああ」頷き、それから言いにくそうに付け足した。「……拾ったんだ」


「拾った? 何処で」


「お前には関係ない」


「……まあそうなのだが。いや待て、この機会にひとつだけ物申しておこう」


 宣言し、セシリーは人差し指をルークの鼻先に突きつけた。


「な、なんだよ」


「住み込みの助手と言ったな。では彼女にしかるべき給与を与えているのか?」

 本気で何を言われているかわからなかったらしく、ルークは激しくまばたいた。


「どういう意味だ?」


「見たところリサも年頃の女の子だ。なのに着ているものといったらかわいげのない作業着ばかり。彼女に容姿を気遣う余裕をちゃんと与えているのか? 時間の面でも金銭の面でもだ」


「……何言ってんだお前?」


 ルークは戸惑うばかりのようだが、セシリーはしっかりと見ている。昨日、市内で街行く人々を眺めてはため息をついていた少女を。


「もう少し彼女のことを気遣ってやれ。いいな?」


「なんでお前にそんなこと」


「い・い・な!?」


 この点に関しては同性として譲れない。有無を言わせぬ口調に、ルークは不機嫌な顔をしつつも「考えておく」と小さく言った。心許こころもとない返事だがとりあえず良しとしてセシリーは頷いた。が。

 キャンベル団員、という声に振り返ると別の団員がいらついた様子でこちらを見ていた。


「少し私語が過ぎる。緊張感が足りないぞ」


「あ……申し訳ありません」


 緊張していないわけでなかったが、確かにそう取られても仕方ない。セシリーは表情を引き締めた。隣でルークが意地の悪い笑みを浮かべていたので、きっと睨んでやる。


「セシリーさーん」


 リサが手を振り、何やらこちらを呼んでいた。注意されたばかりで行軍から外れるのは気が引けたが、しつこく呼んでくるので駆け足に彼女の許に寄った。

 リサの前には幾羽もの鳥が群がっていた。その配列に奇妙な調和を感じてセシリーは足を止めた。


「リサ……?」


「セシリーさん。この遠征は目的地が決まってるんですか?」


「え。あ、ああ、とりあえずこの先の被害のあった現場に向かっている。その周辺を探索する予定だ。盗賊一派の拠点は見つけられないかもしれないが彼らの痕跡くらいは、と思っている」


「でも盗賊さんの隠れ家っぽいもの、わかっちゃいましたよ」


「え?」


 思いも寄らぬ言葉に、セシリーはまばたく。

 リサは屈んだまま大地の向こう――なだらかな丘の奥を指差した。


「公道からははずれてしまいますが、この先に大人の徒歩で一刻ばかりの距離に森があります。丘を越えればすぐにわかります。その森の中にたくさんの人間さんが居を構えているらしいです。多分盗賊さんたちだと思います」


「思います、って……どうやってそんなことを」


「この子たちが教えてくれました」


 この子たち、とリサが示したのは――恐らく群がっていた鳥たちのことだろう。セシリーが見下ろすと彼らは人間にはとうていわからないような無垢な顔を一斉に傾けた。


 ――鳥が教えてくれた……?


 いつの間に後ろにいたのか、ルークが小指で耳をほじくりながら言った。


「リサは動物と話ができるんだよ。便利だろ」


「べ、便利不便利という問題なのか!?」


 知れば知るほどその人となりがわからなくなるという経験は初めてである。

 とにかく行軍を一旦止め、話し合いを行った。

 リサのもたらした情報に信憑性はなく団員たちも半信半疑だったが、元々当も無い捜索であったことと立地的にも盗賊一派の拠点として考えるには一理あったこと、これらを理由に探索先を変更することになった。一同は公道をはずれ、名も無き森を目指す。


 団員のひとりが腰に提げていた石を手に取った。掌に収まるようなサイズの、円盤型の石。中心に穴が空いていてそこに紐を通す形で携帯できるようになっている。

 リサが興味を示し、セシリーに訊ねてきた。


「あれ、ひょっとして玉鋼ですか。何をするんですか?」


「祈祷契約で方角を調べるんだ」


 契約信仰と総称される簡易儀式には二種類ある。現在は大陸法で禁呪とされている『悪魔契約』と――そして大陸で最も広く用いられている『祈祷契約』である。

「祈祷契約』とは空気中の『霊体』と砂鉄の加工物である『玉鋼』を反応させることで様々な奇跡を起こす術式だ。火をおこし、風を生み、水を清め、大地を切削する――こういった奇跡の現象が人々の生活の端々で活かされていた。文献に残る超常現象もこの祈祷契約により引き起こされたのだと証明され、現在の工業技術にも流用されている。


 契約の触媒である『玉鋼』はタタラ製法により不純物を取り除かれた鋼であり、その純度によって価値が左右される。

「霊体』は空気中に含有される不可視の粒子のことを差して言う。独立交易都市の最も顕著な特殊性は土地の性質にあり、それは大陸の中でも特に霊体濃度の高い地方であるということ。沿岸部に接する火山帯周辺が最も濃く、玉鋼との反応性も高い。祈祷契約を用いるのに非常に適している。


 霊体、玉鋼、祈祷契約。これらが現大陸の生活基盤であった。

 団員が取り出したのは方角を知るための低純度の玉鋼だ。紐で提げた円盤を掲げ、男はぼそぼそと大陸で推奨されている呪いの言葉――祈祷文言もんごんを呟く。円盤は紐を捻じりながらゆっくりと回転を始め、その角度を確認しながら一同は進み始めた。

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