0-2.

 青年だった。


 年の頃は十代後半といったところ。煤汚れた薄手の作業着に、短髪。動揺する周囲を余所に、口元に軽薄な笑みを浮かべていた。


 セシリーは彼の腰元に目をやり眉間に皺を寄せた。


 ――なんだあの剣は。


 青年は黒拵えの鞘を腰に提げていた。

 妙に細く長いシルエット。ゆるやかな反りを描くそれはあまり見たことのない形状をしていた。


「あんた、『悪魔契約』の経験者だな。戦争の生き残りか」


 低いがはっきりとした声。青年の指摘に浮浪者は慌てて左手を右腋に挟んで隠した。

「指の欠けた左手』を。

 そうか、とセシリーは気付いた。

 肉体の部分障害は過去の『悪魔契約』の経験を証明する事例が多い。『悪魔契約』とは現在は大陸法で禁忌とされた契約信仰のひとつであり、故に――


「大方それをネタにからかわれて堪忍袋の緒が切れた、ってところか」


 周囲の市民に気まずい空気が漂ったことが青年の推測を裏付けていた。浮浪者は思い出したように「何故……救われない……何故……何故」と繰り言を呟き始め、うつむいて肩を落とした。

 青年がこちらを振り返った。黒く、底の見えない眼差し。黒々とした左目を奇妙に見開き、右目を薄く細めている。セシリーは一瞬息を呑むが、すぐに気を取り直して呼吸を整えた。


「助かった。あなたの協力に感謝す――」


「リサ」


 ハイ、という返事がセシリーの後ろでし、ぱたぱたと少女が青年に駆け寄っていった。

青年は自分ではなくこの少女を振り返ったのだと気付いてセシリーは頬を赤くした。


 少女の歳は十二、三くらいだろうか。青年の肩にようやく届こうかという背丈。ブロンドの頭髪を頭の後ろでひとつに束ね、青い大きな瞳で青年を見上げる。青年と同じように煤に汚れた作業着を着ていた。その小さな身体にはいささか大き過ぎるリュックを背負い、腰回りのベルトにも幾つも小袋を提げ、体格に不相応な重量の付属物を身に付けていた。


「怪我はありませんか?」


「ねえよ。お前も見てただろ」


「そうですね。ルークは強いですもんね。…………あのっ」


 無邪気に頷いてから、少女はセシリーに恐る恐る話しかけてきた。くりくりと大きな瞳だ。


「な、何かな」


「この人どうなるんですか?」


 この人、と少女が示したのは、例の浮浪者だ。彼は地面にうずくまり相変わらず何事か呟き続けている。


「……無論、拘束するつもりだが」


「見逃してもらえませんでしょうか」


「何だって?」


「確かにこの人も暴れちゃったのは悪いことですけれど、でもその前にこの人をいじめた人たちがいることも確かです」


「君の言いたいことはわかるが……再犯の恐れがある。見逃すわけにはいかない」


「仕事熱心なのは結構だが」青年が割り込んだ。「もう行っちまったぞ」


「え?」


 いつの間にか浮浪者の姿が消えていた。慌てて見回すと、群衆をかき分けて逃げ出す背中が遠目に見えた。

 商店街の通りは事件の終息を察してすでにいつもの賑わいを取り戻しており、浮浪者の男はまたたく間にその中に溶け込んでしまう。


「待っ――」


 追おうとして、不意に腰が砕けた。「うひゃぁっ」という間の抜けた悲鳴をあげてセシリーは尻からすっ転んだ。無様な悲鳴をあげたこと、実は腰が抜けていたことの二重の意味でセシリーは顔を真っ赤にした。

 浮浪者はもう完全に人波の中に消えてしまっていた。

 笑い声に顔を上げると、青年が意地の悪い顔で笑っていた。


「大した騎士殿だな、ええ?」


「う、うるさい! 黙れ!」


 怒鳴るが、立てない。青年は笑うばかりで手も貸してくれない。先ほどは助けてくれたのだからいい人なのだと思っていたが、まったくそれは勘違いだったらしい。笑う青年を「笑っちゃ駄目ですよっ」とたしなめている少女はいい子だがこの状況では逆効果だ。

 今頃騒ぎを聞きつけ、別の騎士団の団員がやって来た。遅すぎる。セシリーは不機嫌に浮浪者のことを伝え、自分の代わりに後を追ってもらった。


「あの、大丈夫ですか?」


 少女が心配そうに言ってきた。


「あ、ああ。いや手は貸してくれなくてもいい。すまないな」


 恥ずかしいことにしばらく立てそうに無い。なんとか膝立ちを維持するので精一杯だったので回復するのを待つことにした。

 手持ち無沙汰に青年と少女を見やる。


「配達任せたからな。寄り道するなよ」


「ハイ了解です、任されました!」


 少女が笑顔で応え、ふたりは別れてそれぞれ人込みの中に消えてしまった。

 ぼうっと見送ったセシリーは、喧騒の中でひとり取り残された。


「…………あ」


 すっかり忘れていた。右手にずっと握ったままだった剣。改めて確認するまでも無くその剣身は中心辺りから皮肉なほどきれいに折れて無くなっている。


 ――折れてしまった。


 寿命だとは聞かされていたが、その数分後に本当に折れてしまうとは。大事な剣だったのに……気持ちが急激に落ち込んでいく。

 代わりの剣を用意しなければいけない。今日は非番だが明日には遠征もある。どうしたものだろうか。折れた剣を鞘に収めて考え込んでいると――それが目に入った。


「……これは」


 先ほどの浮浪者が持っていた手斧が、無造作に地面に投げ捨てられていたのだ。

 セシリーは吸い寄せられるようにそれを手に取りあらためる。斧の刃が中央に至るまで鮮やかに切り裂かれていた。非常に滑らかな斬り口だ――これを成したのが剣だという事実が信じられない。

 あの青年の剣は、鉄を斬ったのだ。

 今さら、ぶるっと震えが来た。


 ――


 あの剣がほしい。セシリーは不意に湧き上がった衝動のまま立ち上がった。まだ足元はふらついていたが歩けないほどではない。群衆を見回し、青年が向かったと思われる方角に歩き出す。独立交易都市三番街、『物』の商店街は都市の中でも三本指に入るような賑わいを見せる場所である。当然のことながら青年の姿はすでに見えない。


「くそっ」


 毒づき、それでも諦めずに見回す。乱暴に人波を掻き分け眉をしかめられても、セシリーは闇雲に歩いた。すると、


「ん?」


 青年ではなく少女の方を見つけた。

 彼女は商店街の隅っこで立ち止まり、道行く人々をぼうっと眺めていた。あまりにぼうっとしているせいか口の端から少しだけヨダレが垂れている。

 少女の視線は母親に手を引かれる別の女の子に向いていた。上半身がぴったりとした毛のカートルを着た、白い髪覆いを被った女の子だ。その子を見つめていた少女は、自分の煤汚れた作業着を見下ろし――ちょっと切なそうにため息をついた。


「かわいい服……いいなぁ」


「もしもし。よろしいか」


「ひっ」煤の詰まったような声を出し、「し、してないですよっ? 寄り道なんてしてないですいえ嘘です寄り道してましたごめんなさい!――って」


 少女はびくんと背筋を伸ばし、振り返り様に早口でまくし立てたが、セシリーに気付いて「あ」と声をあげた。


「先ほどの……」


「突然すまない。私は独立交易都市公務員三番街自衛騎士団所属、セシリー・キャンベルという者だ。よろしく」


「あ、これはご丁寧にどーも。私はリサと申します」


 リサは行儀良くお辞儀をし、「それで何用でしょうか?」と首を傾けた。


「君が先ほど一緒にいた青年。彼――いや彼が帯びていた剣のことについて聞きたい」


「? ルークの剣ですか?」


 青年の名前はルークと言うのか。


「彼はあの剣を一体何処で手に入れたのだろうか。あれほどの業物わざものだ、相当名のある工房アトリエの物に違いない。そうだろう?」


 大きな瞳をしばたたいていたリサは、やがて合点がいったように微笑んだ。


「あれはルークが自分で鍛錬したものですよ」


「……なんだって?」


 今度はセシリーが目を瞬かせる番だった。


「私とルークは鍛冶屋を営んでおります。私は助手みたいなものですけど」


「鍛冶屋を……それは何処にあるのだろうか」


「七番街のはずれ、『ハウスマンの森』近くで工房アトリエを開いています。今日はこちらにご注文の包丁をお届けにやってまいりました。ルークは先に帰っちゃいましたけど」


「七番街に? 聞いたことがない……」


「時代遅れの古臭い鍛冶屋ですから。マイナーですし知らなくて当然ですよ。主人も無愛想ですしね。……あの、今言ったことはルークには内緒にしてくださいね?」


 慌てて唇に人差し指を当てるリサに、セシリーは口元を綻ばせる。単純に目の前の少女に対して好感を持った。だから、


「教えてもらえないだろうか」単純に知りたいと思った。「君たちの工房アトリエの名前を」


 するとリサは平らな胸を張り、快活に答えた――。


「『リーザ』と言います!」



 悪夢のような争い――『代理契約戦争ヴァルバニル』を終えて四十四年。


 大陸は安定期を迎えていた。

「悪魔契約』は禁呪とされ、人外の獣は人里を避けるように生息し、戦争の教訓から軍国、帝国、群衆列国は棲み分けを行っていがみ合いを無くし、すべての奇跡は『霊体』と『祈祷契約』で理論付けられ、日々の生活に応用される。


 そんな時代。



 大陸の隅にある独立交易都市ハウスマン。

 沿岸部の火山帯を囲むように都市が展開し、大陸のあらゆる国家から独立した交易都市。罪無き人々から搾取し、住む場所を奪う不毛な戦争からの脱却を叫んだ先哲、ハウスマンが一から開拓を始めた。極めて特殊な土地の性質上、様々な物資の交易拠点となり、都市は今なお発展の途上にある。


 この独立交易都市を、人はかの先哲に敬意を表し『ハウスマン』と呼んだ。



 物語はこの都市の、とある一軒の鍛冶屋から始まる――。

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