聖剣の刀鍛冶〈ブラックスミス〉/三浦勇雄
MF文庫J編集部
「プロローグ」――Prologue
0-1.
親方はこちらが手渡した剣を見るなり難色を示した。
「お前さんも無茶を言う。こいつを打ち直すなんてな」
鍛冶場である。
薄暗く手狭な、それでいて古い匂いがする
鍛冶場は熱い。炉の中では炭が燃え、さらに別の片隅では弟子たちが溶かした鉄を
彼女が対面している親方は白髪と皺の目立つ、初老の男性だ。炭に汚れた作業着をまとい、紙巻の煙草をくゆらせている。彼は彼女から渡された剣を目で見、指で触れ、簡単に品定めするがやはり諦めたように嘆息してしまった。
「ずいぶんと古い――戦後に作られた、大陸の基本型の剣だな。傷が多いし、打ち直すにしてももう素材が限界を越えている。どう見ても寿命だ」
それは意匠にこだわりのない、シンプルな両刃の剣である。刀身は鈍い輝きを放ち、刃はところどころが欠けていた。一見して使い古されたひと振り。親方の言う通り切っ先の方に、欠けたような細い筋が横切っていた。
「どうしても……無理だろうか。訓練中にヒビが入ってしまって」
絞り出すような声で問うが、親方はあっさりと首を横に振った。
「無理だね。この剣をどうしても再利用したいって言うのなら、一度完全に溶かして作り直すしかない。それじゃ駄目なんだろう?」
彼女は頷く。
「そういうことなら諦めてくれ。そもそもウチは剣の打ち直しは受け付けてねえんだ」
彼は鋳型台の方を振り返る。数十本分の剣身の型に流し込まれた鉄が、もうもうと蒸気を発していた。
「ウチは鋳型専門の鍛冶屋でね。決められた型の剣を注文された分だけ作って卸す、そういう
剣を一本一本鍛錬する
彼女は腕を組んで「むぅ……」と唸った。
困った。
「この際新しい剣に乗り換えたらどうだい。見たところこの剣、使い込まれているがそれほど優れた剣というわけでもない。剣の性能だけ見れば後ろ髪引かれるものでもないと思うが」
親方の言うことももっともだが、かと言って素直に頷きがたい。激しく後ろ髪引かれる。これは彼女にとって特別な剣なのだ。
――せめてこの剣に代われるような物があれば。
この剣のように、自分にとって特別足り得る剣が見つかればいいのだが――。
「お前さん、自衛騎士団の団員なんだろう?」
こちらの格好を見たのだろう、親方が言った。
彼女が着ているのは黒のインナーに肩当て、胸当て、ブーツ、ペンダント。全体に軽装ではあるが、独立交易都市公務員である自衛騎士団、その団員に課せられた、規定の制服を概ね遵守した格好だ。
「騎士団と言えば独立交易都市の公務職。それなりに懐も暖かいだろうから値の張る剣だって買えるんじゃないかね。それこそ来月には市もあるからそこで探すのも悪くない。噂じゃ『魔剣』も出るらしいぞ」
「親方、申し訳ないがあなたの認識は間違っている」
やんわりと告げ、彼女は訂正した。
「勘違いされがちだが、この独立交易都市の抱える自衛騎士団は一般の騎士団と性質が違う。国に仕える騎士は貴族の出自が多いが、我が都市の自衛騎士団は市民からの公募で成っている。加えて公務職といっても給料はピンからキリ、一団員の私には
「へぇ。騎士団と言えど都市の一市民に変わりは無いというわけかい」
「そういうことだ」
「……にしては、お前さんはちょっと違うな」
親方は顎を撫でながら首を横に傾ける。
「市民と言うわりに物腰に品がある」
彼女はふっと笑った。
「我がキャンベル家は元貴族だからな。その名残りだ」
それはさておき、肝心の得物をどうしたものか。
そのとき
「おねえさん、自衛騎士団の人なんですよね」
「そうだが」
「なんか外で浮浪者が暴れてるらしいッスよ。ちょっとした騒ぎになってる」
彼女は眉をひそめ、親方を振り返った。彼は心得たように剣を返してくれた。
「お前さん、今日は休暇なんだろう?」
「理由にならないな。……失礼する。機会があればまた会おう」
剣帯に吊るしていた鞘に剣を納め、踵を返す。小走りに
肩越しに振り返ると、親方が紙巻煙草を吹かしていた。
「女の騎士は初めて見る。記念に名前を聞かせてくれないか」
「……独立交易都市公務員三番街自衛騎士団所属」
彼女は頬を緩め、名乗りを上げた。
「セシリー・キャンベルだ」
店々が軒を連ねていた。
左右を商店が対面するように壁となり一本の長い道を作っている。彼女の訪ねていた
独立交易都市ハウスマン。三番街。中央大通り。『物』の商店街。
賑わう商店街――しかし今ばかりは人の流れは停滞し、人々は足を止めていた。いつもの喧騒は話し声の集合ではなくざわめきに変わり、人だかりができている。
「なんだ? 何かあったのか?」「見えない。何だ」「誰か暴れてないか」
市民の会話を断片的に拾ったとき、人だかりの奥から女性の悲鳴が響き渡った。続くのは男の怒声、どよめき。
遠く人の壁の上に、振り上げられた
「いけない」
石畳の道を、セシリーのブーツが蹴り叩いて走った。
肉付きのいい長身が飛ぶように疾駆する。癖のない、真っ直ぐな髪が肩の上で撥ねる。
彼女の赤い瞳は前方を睨み据え、引き結ばれた唇は力強い。
退きなさい、と吼えると立ちすくんでいた市民が慌てて道を開けた――さざなみのように道が生まれていく。都市の騎士団に女性は珍しく、くわえて胸当てが少々豊かな胸を強調しているため好奇に満ちた視線を集めたが、セシリーはその注目を振り切り一直線に走り抜けた。
「自衛騎士団の者だ!」
セシリーは群集の中から飛び出す。足を止めた人々が輪を作った空間――そこで、ひとりの男が手斧を振り回して暴れていた。
「貴様、何をして」
言いかけてセシリーは鼻の曲がるような異臭に眉をしかめた。
男が身に付けているのはボロボロに着古され端々のほつれたコートに薄汚れた履物。蓬髪、髭面、裸足。一見して浮浪者とわかる格好で、異臭の正体は酒の臭いと体臭らしかった。顔立ちの皺の量からかなり年を食っていることがわかる。
男は呂律の回らない口調で何事かを叫び、右手に握った手斧と空の左手を闇雲に振り回してこちらを牽制した。群集がどよめいて後ずさる中、セシリーだけがはっと息を飲む。
――指が無い。
男の左手は抉られたように小指、薬指、中指の三本が欠けていた。これは――
天を突く男の咆哮にセシリーは意識を引き戻された。男が大粒の涙をこぼしながらこちらに躍りかかってきたのだ。咄嗟に腰の剣を抜き、振り下ろされた手斧を受け止めた。腕を伝う痺れを、唇を噛んでこらえる。
ぎりぎりと不快な摩擦音を立てて互いの剣と手斧とが押し合う。浮浪者はずいぶんと老けているように見えたがその腕力は予想を大きく上回り、セシリーの剣は徐々に押され始めた。負けまいとして男の眼差しを睨み返し――
怯んだ。
男は眼を血走らせ、野生の獣のように低く唸り声をあげていた。唾液はだらしなく喉元を伝い、荒々しい鼻息がセシリーの頬にかかる。
そして充血した双眸からは滂沱と涙が流れていた。
「何故だ……何故俺が、俺ばかりが迫害される……何故俺は救われない……」
人間離れした形相だった。
鼻息が、視線が、涙が、異臭が。
男のあらゆるものがセシリーの戦意を削ぐ。
「な、なに……?」
なんだこの男は。
震えは身体の芯から湧き上がった。嫌悪感と未知への恐怖感がセシリーの力を鈍らせ、
そしてはた迷惑なことに今の今まで失念していたことを思い出させてくれた。
――初めての、実戦。
「何故だァアアア」
競り合いに痺れを切らし、男は手斧を引いて乱暴に何度も叩きつけてきた。刃物を扱うそれではなく鎚を振り下ろすような、「斬る」ではなく「壊す」といった挙動だ。強引に相手を破壊しようとする、垂れ流しの殺意と暴力。
男の猛攻に、セシリーは急激に気後れしていった。男の視線に射抜かれただけで力が抜ける、筋肉が強張る、下半身がすくむ。訓練で培い身につけたはずの剣術の型や足の運びが思い出せず、受け身のまま剣で手斧を受け止めることしかできない。衝突の度に火花が散り、振動がますますセシリーの下半身を地面に縫い付けた。
「く、ぅ」
――情けないぞセシリー・キャンベル!
このように多くの人が見ている前で無様な――。ほとんど自分への怒りをはずみにセシリーは剣を大きく振り被った。冷静さを欠き、腕の力だけで振り下ろす。柄の握りも不確かで素人同然の斬撃だった。
脳天に振り下ろされるそれを、男は手斧の刃で受けた。
耳障りな衝突音が響き渡った。
「え」
奇妙な手応え。何が起こったのかすぐにはわからなかった。
凍りつくセシリーは背後で何かが突き刺さる音を聞く。肩越しに見やればそこには――折れた剣の先が地面に刺さっていた。
振り切られたセシリーの剣は、半ばから先が無くなっていたのだ。
――私の剣が。
キャンベル家の剣が……っ。
硬直は決定的な隙を生む。セシリーの身体に男の影が重なりはっと顔を上げるが遅い。
脳天に迫る刃物。空気を裂いて手斧の凶刃が額のやや上に落下してくる。セシリーは為す術も無くその落下を見つめ――
ふと『彼』の存在に気付いた。
え、というかすれた声がセシリーの喉から零れ落ちる。いつの間にそこにいたのだろう、『彼』は対峙するセシリーと浮浪者のすぐ横に忽然と出現していた。セシリーは視界の端にその姿を捉え、そして吸い寄せられるように『彼』の動きを目撃する。
流れるような抜剣。
「彼』の右手は腰の剣に触れ、そして柄を握り込む。わずかに沈む上体。次いで抜き放たれた剣は滑るように空
間を薙ぎ、鞘走りにより生まれた火花が宙に散る。閃光のような一撃。
「彼』の剣は浮浪者の手斧がセシリーの額を割るより早くその間隙にもぐり込んだ。彼女の鼻先を通過した剣は手斧と接触し、その手斧の刃を斬り裂いていく。無論斧は鉄でできているはずなのだが――まるで木板でも断ち切るように剣の刃は鉄斧の身に滑り込み、そしてその半ばで停止した。
剣圧で持ち上がったセシリーの前髪が、柔らかく額に落ちる。同時にセシリーは肌が粟立つのを感じていた。
「…………あ、ぅ」
間一髪。
手斧は彼女の額に触れるか触れないかの位置で静止していた。射抜くように『彼』の剣が横から貫き、斧を空中で食い止めたのだ。
セシリーはもちろんのこと浮浪者もまた半端に斧を振り下ろした体勢で動きを止めている。酔いも吹き飛んでしまったように幾度も
セシリーも、今起こった現象に我が目を疑うばかりだ。
「なん、だ?」
剣が、鉄を斬った……っ?
尋常でない速度の抜きと斬撃。それらを辛うじて目で追えたのは奇跡に近い。セシリーは場違いにそう思う。
すっ、と剣が斧から引き抜かれた。そのときようやく凍結していた時間は動き出し、浮浪者の男は後ずさって距離を取った。酔いと興奮で紅色に染まっていた顔面は今や蒼白に変色している。男は完全に正気を取り戻し、その目に理性が窺えた。
かちり。
剣を鞘に収める音に、セシリーも浮浪者も遠巻きに見ていた市民も――この場に居合わせた全員が一点に視線を注いだ。『彼』にだ。
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