第5話 突然の婚約破棄(4)

 ヴィルヘルム様に恋をして以来、私は恋物語をよく読むようになりました。


 お話も様々で、どれも幸せな結末を描くその物語は、読んでいて幸せになるものばかりでした。特に主人公の淑女がされているように、優しく抱きしめて下さったり優しいキスをして下さったり、そういったことをヴィルヘルム様にされる、と考えると一人ベッドでばたばたしてしまいます。


 父上からはよく、「恋物語を読むなんて、キャロルは随分おませだな」とからかわれますが、私はそれにほおを膨らませます。私はもう九歳になりました。立派な淑女なのです。


 ですが、恋物語に一つだけ不満があります。

 どれも、主人公の淑女と結ばれるのは、細身の貴公子である王子様なのです。

 どれほど探しても、四十六年上のだん様と結ばれるお話はありませんでした。出入りの貸本屋に聞いてみても、そんな物語はないと言われました。

 出来ればそんな物語を読んで、自分の境遇に重ねたい、と思っていたのですが、残念です。


 恋は、必ず成就する。

 そう信じてやまなかった私は、きっと愚かだったのでしょう。


 ――そんな、ある日。

 私にとって、世界を変えてしまうようなお話が、届いたのです。


 私は、父上と共に王宮へ登城しておりました。

 ただ父上に連れて来られただけで、私はそれがどのような内容なのかは分かりませんでした。ですが、大事な話なのだ、ということだけは伺っています。

 そして、その最奥――玉座の間の隣にある、応接室のような小さな部屋で、まず迎えてくれたのは女性でした。


「あらあら、アンブラウス公爵。ようこそ」


「お招きに応じ、参りました」


 この女性は、私も参加させていただいた夜会で見たことがあります。この国の王妃様です。

 いつまでも若々しく、お美しい方だと思っていました。


 その後ろにいらっしゃるのは、今日もせいかんなお顔立ちをしたヴィルヘルム様です。恐らく、王妃様の護衛としてそこにおられるのでしょう。

 ごあいさつをしたかったのですが、王妃様の前で勝手な行動をしてはいけません。

 なんとか衝動を抑えて、王妃様の後ろに目を向けると。

 そこには、一人の少年が椅子に座っていました。


「キャロル、ご挨拶なさい」


 少年の第一印象は、「うわ、偉そう」の一言でしょうか。今にも舌打ちしそうなほど不機嫌な顔に、こちらをにらんでくる眼差し。全体的には美形であるのでしょうけど、あまりお友達になりたい方ではないな、というのが本音です。

 私とそれほど年齢は変わらないでしょうに、私より随分と子供に思えます。


「はじめまして、キャロル・アンブラウスと申します」


 ですが、父上にご挨拶をするように言われたため、スカートの端をちょんと摘み上げて、そう自己紹介をしました。

 そんな私の挨拶に、しかし目の前の少年はふん、と顔を背けました。

 何かいけなかったのでしょうか。


「レイフォード、そのような態度はよくありませんよ」


「……母上」


 不満そうに、そう言って私を見てくる少年。それだけで、この少年の正体が分かりました。

 私とて貴族の娘。さすがに、国王陛下の一人息子の話は聞いています。名前はレイフォード殿下。これまで一度もお会いしたことがなかったのですが、まさかこのような場でお会いするとは思いませんでした。

 しかし、私と目を合わせず仏頂面なのは、何故なのでしょうか。


「……レイフォード・エル・フレアキスタだ」


「お初にお目にかかります、殿下」


「……ふん」


 はて。

 私は何か嫌われるようなことをしたのでしょうか。全く身に覚えはありませんが、私と殿下が関わることなどこれからないでしょうし、まぁいいでしょう。

 そこで、ぽん、と私の肩に父上の手が置かれました。


「喜べ、キャロル」


「はい?」


「レイフォード殿下とキャロルは、婚約をするのだ。アンブラウス公爵家と王家の結びつきは、これでより強くなるだろう」


 ……え?

 思わぬ父上の言葉に、私は思わず言葉を失いました。

 私が、殿下の、婚約者?


「聞いていた通り、素晴らしい娘さんね。ギリアム、ヴィルヘルム」


「お褒めいただき、光栄です。この年でもう随分とませておりまして、いつも恋物語を読んでは頬を赤らめているのですよ」


「キャロル嬢の気立ての良さは保証しましょう。まだ幼いというのに、ちゃんと礼儀作法を分かっております。殿下の婚約者には適任かと」


「やっぱり女の子は育つのが早いのね。レイフォードってば、キャロルちゃんと同い年なのに、まだまだ子供で困るのよ」


「ははは、男子はそうでしょうな。うちの息子も、やんちゃで困ります。将来的にはアンブラウス家を背負ってもらわねばならないというのに」


「いや、子を持つというのは良いものですね。私のような独り者には、随分とうらやましい話だ」


「あなたが縁談を全部断っているからじゃないの、ヴィルヘルム。早く結婚しなさい、って私も陛下も言っているのに」


 私が言葉を失っているうちに、父上と王妃様、そしていとしのヴィルヘルム様は随分と盛り上がってそう話していました。


 私がお慕いしているのは、ヴィルヘルム様にほかなりません。決して、レイフォード殿下をお慕いしているわけではありません。

 それに加えて、最初から嫌われているみたいに、このような態度。

 何故、私が殿下と婚約をしなければならないのでしょうか。

 それも、ヴィルヘルム様の目の前で。


「ほら、レイフォード。将来、キャロルちゃんはあなたのお嫁さんになるのよ」


「……母上、俺は」


「あなたとキャロルちゃんが結婚することで、王国はより深くまとまるのよ。あなたも次代の王として、その責任は分かるでしょう」


「……はい」


 むすっ、と明らかに不満そうな表情で、しかしうなずく殿下。

 王家と公爵家の婚約――それを、公爵家である私の方から断るというのは、失礼にあたるでしょう。出来れば、殿下の方から断って欲しいです。

 ですが、どうやら不満はあれど、殿下は納得しているようでした。

 殿下――王子様。

 恋物語で、様々な少女たちが結ばれる、理想の相手。

 そんな相手と婚約できるのだから、私は幸せ者だと喜ばなければならないのでしょう。


「キャロル」


「……はい」


「お前は未来の王妃として、レイフォード殿下をお支えするのだ。王国はよりばんじやくになるだろう。正式な婚約の儀は後日行うとして、今日はご挨拶だけでもしておきなさい」


「……はい」


 どれほど現実逃避をしても、現実は容赦なく私を追い詰めてきます。

 理解はしています。

 元々、覚悟していたことなのです。

 私はアンブラウス公爵家の令嬢、キャロル・アンブラウス。その婚姻に、私の自由などあるはずがありません。

 ヴィルヘルム様をどれほどお慕いしていても、この想いがかなうことなどはない、ということは分かっていました。

 ですが。


「レイフォード殿下」


 ヴィルヘルム様。


つつかものですが、よろしくお願いいたします」


 できることならば、お慕いしているあなたに。

 このように、他人のものとなる私を、見られたくはありませんでした。


 私、キャロル・アンブラウス九歳。

 この世界に、神さまなんていないのだと知りました。


       ◇◇◇


 レイフォード殿下との婚約が決定し、後日正式に婚約の儀を行ってから、私の生活は一変しました。

 まずは十歳になると共に、王立学園へ入学。それと同時に将来的に王妃となるにあたって、様々な勉強を強要されたのです。

 具体的には、学園での成績は常に上位を保ちます。その上で、王妃様より直々に王妃教育を受けます。その内容は礼節やマナー、作法に始まり、法律や貴族領の把握、果ては医学や薬学などの学問についても学ばなければなりませんでした。


 平時ならばともかく、戦時などにおいては王が直々に戦場へ出ることも多く、その間、王が行うべきことは王妃が代行しなければならないのです。そのため、王が行うべきこと全てを覚えるように言われました。あまりにも無茶です。それに加えて、あらゆる学問は互いに通じている、みたいなことを言われましたので、関係なさそうな知識まで覚えなければなりませんでした。

 ですが、それを嘆いては将来的に殿下を支えることはできません。私の恋心はヴィルヘルム様にささげていますが、恋が実らぬ以上、妻として支えるべき人物を支えられるよう、努力すべきでしょう。


 レイフォード殿下は私に冷たかったですが、それでも婚約者であることは変わりません。なので、私は一生懸命勉強をし、王妃として恥ずかしくない振る舞いができるように頑張りました。

 まぁ、全部無駄になってしまったのですけどね。

 結局婚約は破棄され、これから私の代わりに王妃として教育を受けるのは、メアリー嬢なのでしょう。私は六年かけて、どうにか必要なことを覚えました。それをこれからメアリー嬢が一から行うというのには、あわれみすら感じます。

 男爵令嬢とのことですので、これまであまり貴族として振舞っていなかったのでしょうし。王妃様は普段はお優しい方ですけど、勉強に関しては厳しいのです。

 そういうわけで。

 私はようやく、自由になれたのです。

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