第6話 突然の婚約破棄(5)

「ヴィルヘルム・アイブリンガー様。キャロルを、お嫁にしてくださいませ」


「……は?」


「……は?」


 陛下とヴィルヘルム様が、そろってお口を開けていらっしゃいます。

 そんなに私は、おかしなことを言ったでしょうか。


 まぁ、確かに四十六歳も年上の男性をお慕いしているというのは、自分を除いて聞いたことがありませんし、少々変わっているのかもしれません。

 ですけど、この気持ちにうそはつけません。私はヴィルヘルム様をお慕いしておりますし、殿下との婚約がなくなった以上、私に遠慮はもうありませんもの。


「キャ、キャロル嬢……な、何を言っているのだ?」


 しかし、ヴィルヘルム様が言ったのは、そんな、私の頭を疑うような一言でした。割と直接的に申し上げたはずなのですが、伝わらなかったのでしょうか。

 まだどきどきしています。これ以上私に愛の言葉を紡げというのは、さすがにヴィルヘルム様でも酷なことです。

 ですが、ヴィルヘルム様がそれをお求めならば、キャロルは応えますわ。


「ヴィルヘルム様、お慕いしております。幼い頃より、ずっと恋焦がれておりました。どうか、キャロルにヴィルヘルム様のごちようあいをくださいませ。キャロルは不束者ですが、ヴィルヘルム様の妻として相応ふさわしい淑女になってみせます」


「ちょ、ちょっと、待ってくれキャロル嬢!」


 ヴィルヘルム様は何故か、周囲をきょろきょろとうかがって、それから私を止めました。一体何をそんなに焦っているのでしょうか。

 そして、何故か盛大に頭を抱えています。


「ヴィルヘルム様、どうかキャロル、とお呼びください」


「い、いや、それは……」


「でしたら、ハニーでも構いません」


「それはもっと駄目だ!」


 はて、何が駄目なのでしょうか。

 首をかしげてみます。私はヴィルヘルム様をお慕いしていますし、殿下との婚約もなくなりました。そしてヴィルヘルム様は御年六十二歳というご高齢ではありますが、現在まで浮いたうわさの一つもない独身の方です。

 何の問題もありません。


「あの……」


 まさか。

 その可能性が脳裏をよぎって、思わず私は足が震えました。鼓動が悪い意味で跳ねて、汗が流れます。出来ることならば、そんなことは考えたくないです。


 まさか。

 ヴィルヘルム様は――。


「ヴィルヘルム様は……キャロルが、お嫌いでしょうか?」


「うっ……!」


「キャロルは、ヴィルヘルム様をお慕いしております。ヴィルヘルム様は……キャロルが、お嫌いですか?」


「き、嫌いという、わけでは……」


 ぱぁっ、と不安でつぶれそうだった心に、光が走りました。

 もしかすると、私のことをお嫌いなのかと思ってしまいました。幼い頃に良くしてくださったのも、お祖父様のご友人というだけで、本当は嫌われていたのかと思いました。ですが、決してヴィルヘルム様は、私のことがお嫌いというわけではないようです。


「では、ヴィルヘルム様は、キャロルのことがお好きですか?」


「い、いや、それは……その」


「お嫌いでないなら、お側に置いてくださいませ。私は、それだけで幸せです。ヴィルヘルム様の妻として相応しくないと言われるならば、相応しいと言われるよう努力いたします」


 ヴィルヘルム様と共に過ごすことができるならば、それ以上の幸せはありません。王妃になる者として受けた教育ですが、ヴィルヘルム様をお支えすることもできるでしょう。

 それでも足りないと言われるなら、もっと頑張ります。ヴィルヘルム様と一緒にいられるならば、何も苦はありません。


「ヴィルヘルム」


「……は、陛下」


「キャロル嬢はどうやら……その、貴公と結婚したい、ようだが」


「ですが……」


 何故か、ヴィルヘルム様が大きくためいきかれました。

 もしかして、子供の我がままと困らせてしまったのでしょうか。さすがに、いきなりお嫁にしてください、という言葉は早すぎたかもしれません。

 でも、ずっと胸に秘めていた想いを、伝えずにいられなかったのです。


「ギリアム殿」


「私はキャロルの意志を尊重します。キャロルはどうやら、本気であなたのことを慕っているらしい」


「……いや、しかし」


 ですが、とか、しかし、とか、なんだかヴィルヘルム様の歯切れが悪いです。

 父上も認めてくださっています。それなのに、ヴィルヘルム様だけがなんだか困っておられます。

 父上が認めたということは、公爵家が認めた、ということです。つまり私の家族が認めたということになります。婚姻は家と家のつながりと申しますが、私の家はもう認めているのです。

 そして私はヴィルヘルム様をお慕いしており、ヴィルヘルム様も私のことがお嫌いでない。

 どこにも問題はないでしょう。


「その……キャロル嬢」


「はい」


 でもヴィルヘルム様は、私のことをまだ子供扱いします。

 少しだけねてもいいでしょうか。


わしはデュークリッドを……キャロル嬢の祖父を、よく知っている」


「はい、存じております」


「その、キャロル嬢が悪いというわけではない。ただ……儂にとって、キャロル嬢は孫のような存在で……家族のようなものだ。それを突然、婚姻などというのは……」


「ヴィルヘルム様」


 そうだ、いつまでもヴィルヘルム様が子供扱いするので、ちょっとだけ意趣返しをしてみましょう。

 恐らく、ヴィルヘルム様がこちらに来るまでお話をされていたのは、他の騎士団の方でしょう。その方たちが、心配そうにこちらを見ています。恐らくあの位置では、声までは聞こえないでしょうし。


「少しだけ、屈んでいただけますか?」


「……む?」


ぐしに木の葉がついておりますわ。取って差し上げます」


「む、そうか……?」


 私の言葉に、ヴィルヘルム様が屈みます。私の手が届くように、と小さく小さく。

 それが、私にとって丁度良い位置です。

 ちゅ、とそのおひげの生えたほおに、小さく口付け。


「――っ!?」


「木の葉は嘘です。ヴィルヘルム様」


 顔が赤くなっているヴィルヘルム様に向かってうふふ、と微笑ほほえみます。

 きっと私も、顔が真っ赤になっているでしょう。恥ずかしいです。このような衆人環視の中で口付けをするなんて、はしたないことをしてしまいました。

 まだ、どきどきしています。

 初めての口付けは、お髭が少し痛かったです。

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