第3話 突然の婚約破棄(2)

 視線の先で寡黙ながら優しい雰囲気を出す――白いひげを蓄えた騎士団長、ヴィルヘルム・アイブリンガー様。

 私の言葉に、父上は驚いたように目を見開きました。


「ヴィ、ヴィルヘルム・アイブリンガー殿、だと……?」


「はい」


「キャロル……お前、あの方が幾つなのか……分かって言っているのか?」


 父上の確認に、私はうなずきます。

 そんなこと、百も承知です。元よりヴィルヘルム様はお祖父様の知己で、私も幼い頃から可愛がって頂きました。

 御年が六十二歳であることも、分かっています。

 今私が十六歳であるため、年齢差は四十六歳ですね。


もちろんです、父上。その上で申し上げております」


「……私よりも遥かに年上で、おさまと同い年だぞ。公爵令嬢が嫁入りするのに、そんな年齢差などありえん」


 父上はそう、渋面を作ります。しかし、その視線で軽く、歓談しているヴィルヘルム様を見ました。

 そして、小さく嘆息しました。


「私は、あまり賛成のできる内容ではないが……」


「しかし父上、私にはもう縁談が来ることはないでしょう。殿下にあれだけ言われ、直接に婚約を破棄された以上、良縁など望めません。学園にもこれから通うことなどできないでしょうし……」


 それが、私にとって唯一の悔いです。できれば、学園は卒業しておきたかったです。まだまだ勉強したいこともありましたのに。

 ですけれど、レイフォード殿下の態度から察するに、俺と……ええと名前何でしたっけ? 忘れました。俺とナントカの前に姿を現すなと言っただろう、とでも責められそうで、とてもこれから通うことなど出来そうにありません。


 現状として最も得策なのは、すぐに学園を自主退学することでしょうか。そして、私を娶っても問題のない家との早急な婚姻といったところでしょう。

 ヴィルヘルム様はその点では、良い条件だと思うのですが。


「しかし何故、キャロルがヴィルヘルム騎士団長と……」


 しかしそこで、父上ははっ、と目を見開きました。

 そして、まるで全てを理解したかのように、私を見ます。何か急にインスピレーションでも働いたのでしょうか。


「……なるほどな、キャロル。そういうことか」


「はぁ」


「さすがは我が娘、と褒めたいところだ。ヴィルヘルム殿に嫁入りするなどと申し出た瞬間は、正気を疑うところだったぞ」


 くくっ、と妙に悪役じみた笑みを父上が浮かべます。こういった顔がよく似合うというのも、いささか問題があるかと思います。

 しかしどうやら、父上は私とヴィルヘルム様の婚姻に、前向きになってくれたようです。全く私にその意図はつかめませんが。

 父上の話を素直に聞くなら、私は正気を疑われていたようですし。


「父上」


「安心しろ、キャロル。お前とヴィルヘルム殿の婚姻は、間違いなく私が結ばせよう。何、そのための手札はある」


「……分かりました」


 父上は盛大に何か勘違いしているようですが、私にとっては都合の良い状態で進んでいますので、良しとしましょう。

 どうやら私が純粋にヴィルヘルム様をお慕いしているとは考えていないようですが、なんだか父上の誤解を解いたところで意味はなさそうですし。


「ではキャロル、お前は先に屋敷へ戻れ。後のことは、この父に任せよ」


「分かりました、父上」


 任せよと言われたのだから、盛大に任せてしまいましょう。

 というより、下手に私が口を挟むと、余計なことを言いそうですし。できればこのまま、穏便に父上の思惑通りに進んでくれるのが一番ですね。その思惑が何なのか私には分かりませんけど。


 では――と、夜会を途中退出しようとしたそのとき。


「ま、待てっ! キャロル!」


 後ろから、必死そうにそう私を止める声がしました。

 私を「キャロル」とファーストネームで呼び捨てにする相手は、そういません。具体的には、家族と婚約者――いえ、元婚約者ですね。

 レイフォード殿下のみです。

 そして、家族でこの夜会に参加しているのは父上と私だけです。自然、その声の主が誰なのかは分かります。


「……何か娘に御用でしょうか、殿下」


 しかし、そんな風に私を止めた殿下の前に、父上がふさがります。

 つい先程、「二度と俺とナントカの前に現れるな!」と言ったばかりではないですか。どうして自分から来ているのですか。


「くっ……アンブラウス公爵、俺は急いでいる。キャロルを……」


「親の目の前で、娘との婚約を一方的に破棄しておいてどの口が言うのですかな」


「ぐっ……!」


 何故か、殿下がそう父上と口論をしています。正直、何故こんな風にやって来たのか、全く分かりません。

 どうやら私に用事があるみたいですけど。


「すまぬな、ギリアム。余が命じたのだ」


 ですが、そこで更にその後ろから、重厚な声音が響きました。

 恐らく父上と同じくらいの年齢だと思われます。しかし父上よりも遥かに威厳が存在する男性です。登場にろうばいするのは殿下のみならず、周囲の貴族も同じです。本来、同じ舞台になど立たず、玉座で夜会を見守るだけの存在が、そこにいるのですから。

 もっとも、父上は全く動じていませんでしたが。

 それは――王。

 フレアキスタ王国における最高権力者であり、レイフォード殿下の父です。

 国王――ガリウス・エル・フレアキスタ様。


「これは陛下、ごあいさつもせず失礼を」


「よい。先程、この事のてんまつは見させてもらった。全く……ただ一人しかおらぬ王子であるがゆえに、少々甘やかし過ぎたのかもしれぬ。ギリアムよ、すまぬ」


「謝罪は結構です。既に終わったことですので。それに、謝罪する者も謝罪する相手も違うと思われますが」


 国王を相手にしているというのに、父上におびえが全く見られません。

 というか、むしろ国王より偉そうな雰囲気出してます父上。


「……レイフォード」


「だが父上! キャロルは、間違いなくメアリーを……!」


「その証拠がどこにある。今日の夜会で階段から突き落とされそうになったなど、誰もがうそだと分かるような虚言をそう簡単に信じるな。貴様はどう見ても、女の色香に狂った馬鹿に過ぎぬ」


「そんな! 父上!」


「まずはキャロル嬢に謝罪せよ。話はそれからだ」


 ぐっ、とレイフォード殿下が歯をみ締めます。

 私としては、先程の会話だけでもう沢山なのですが。謝罪であれ、殿下の言葉を聞きたくない、というのが本音です。

 しかもこの顔。

 どう考えても、納得していません。ただ国王陛下にそう言われたから、仕方なく謝罪しなければならない苦悩でしかないですね。

 そんな謝罪、受けたところで意味などありません。


「では父上、私は戻ります」


「ああ、キャロル。気をつけて戻れ」


「はい」


「ちょ、ちょっ、待てキャロル!」


 うるさいですね、さっきから。

 キャロルキャロルと、まるでまだ婚約者であるかのように、呼び捨てで振舞わないで欲しいです。ずうずうしいにも程があるでしょう。

 いっそ、完全に拒絶しましょうか――そう、少しだけ考えた、その時。


「レイフォード様! レイフォード様が謝る必要なんてありませんわ!」


 まるで怒り心頭、とばかりに私に向けて指を差す――。

 ……ええと、誰でしたっけ?

 名前は分かりませんけれど、レイフォード殿下がご執心である少女が、そこにいました。


「メアリー! 来るなと言っただろう!」


 ああ、そういえばそんな名前でしたっけ。確か男爵令嬢だとか父上が言っていた気がします。

 本来、男爵令嬢ならば国王が主催であるこの夜会に参加することはないですね。招待状も男爵位くらいでは届かないでしょうし。ということは、恐らくレイフォード殿下が無理やり連れてきたのでしょう。

 それを一人で置いて、来るなと言うなんてどれだけ考えが足りないのでしょう。


「レイフォード様! でも!」


「今、俺は大事な話をしているんだ! 下手にこじれて、君との未来を断たれるわけにはいかない! すまないが、邪魔をしないでくれ!」


「で、でも、レイフォード様……!」


 何か勝手に、なかむつまじい雰囲気が広がっています。これを私にどう受け取れと言うのでしょうか。

 勝手に誤解して、勝手に婚約を破棄して、勝手に去っていった殿下の大事な話とは、一体どんな話なのでしょうね。それが「すまなかったキャロル」くらいでは、さすがに私も父上も許しはしませんが。


「い、いいから、ちょっと俺の後ろにいてくれ!」


「……レイフォード」


「父上! も、もう少し待ってください!」


 ぐぐぐっ、としゆうが人を殺せるのならば死ぬのではないか、とさえ思える、苦悩の表情をしています。恐らく王子という立場により生まれた、安っぽい自尊心がそこにあるのでしょう。

 ですが、そんな羞恥に耐えながら、レイフォード殿下は頭を下げました。

 私に。


「……す、すまなかった、キャロル」


「……」


 全く感情がこもってませんね。

 正直、もう殿下には何の感情も抱いておりませんし、さっさと帰りたいというのが本音です。


 実際、頭を下げたのは一瞬で、その後は怒り狂ったかのような形相で私を見てきます。こんな態度で、本当に謝罪をしたつもりなのでしょうか。

 殿下とはあまりお話をしたことがありませんでしたが、これほどに頭がお花畑だとは思っていませんでした。


「……申し訳ありませんが、殿下」


「な、なんだ」


「その言葉は、一体何に対しての謝罪なのでしょうか?」


「……そ、それは」


 殿下が言いよどんでいます。それもそうでしょう。殿下は多分、自分がしたことの何が悪いのか分かっていません。

 勿論、私としてはいとしのヴィルヘルム様と結ばれる機会が出来たことに感謝する一件ですけれど、それはあくまで私の内面だけです。これが私でなければ、自死してもおかしくないくらいですよ。

 そんなことすら分からないのでしょうか。


「俺は……俺は、メアリーのことを、愛しているんだ」


「はぁ」


 だから何なのでしょう。

 私にメアリー嬢のことをそう言われても困ります。


「メアリーと一緒にいると、心が安らぐ。メアリーと一緒でなければ、何一つ満足できないんだ」


「そうですか」


 いえ、本題に入って欲しいのですが。

 私に対しての謝罪ではなかったのでしょうか。


「メアリーでなければ、一緒にいたくない……そう思える相手に、初めて出会ったんだ」


「レイフォード様……」


 殿下の言葉に、そう言ってほおを染めているのは後ろにいるメアリー嬢です。断じて私ではありません。

 私は、なるべく感情を殺した目で見つめるだけです。

 だからどうした、と言わないだけ良いのではないでしょうか。


「キャロル……俺は、メアリーと一緒にいたい。だから……婚約を解消する意志は、変わらない。その代わりに、俺はメアリーを婚約者にすることを、誓う」


「レイフォード!」


「父上に何を言われようとも、俺の意志は変わらない! 俺はメアリーと共に歩んでいくと、そう決めた!」


「こ、このっ……馬鹿息子がっ!」


 これは一体何なのでしょう。

 謝罪なのではなかったのでしょうか。むしろ、ただ殿下がメアリー嬢がいかに素晴らしい女性なのかを語ったうえで、婚約を宣言しただけです。そこに、私の存在は何一つ関係ありません。

 茶番を見せられているような感じですね。もしくは安っぽい歌劇でしょうか。

 父上をちらりと横目で見やると、こちらも似たような表情をしていました。最早、殿下に対してあきれ以外の何も浮かんできませんね。


「父上! 俺はメアリーのことを愛しているんだ!」


「貴様は分かっておらぬのか! 今、王家がアンブラウス公爵家と結びつくことの意味が! その程度のことも分からず、今まで何を学んでおったのだっ!」


「俺は政略の道具じゃない! 愛する人は自分で選びたいんだ!」


「王族たる者が、そのようなまいごとを口に……!」


 ぎりっ、と国王陛下が歯を噛み締めます。

 それ以上怒鳴っては、血圧が上がるのではないでしょうか。

 そこへ――。


「陛下、冷静になって下さい」


 そんな低いけれど、どこか威圧感のある声音が、投げられました。

 どきりと、心臓が跳ねます。跳ねると共に、まるで破裂するのではないか、と思えるほどに跳び回ります。

 もしも心臓が口につながっているならば、そのまま飛び出すのではないか、とさえ思えます。


 それは幼い頃に、何度も聞いたお声。

 私が成長するにつれ、次第に聞かなくなったお声。

 二年前にお祖父様が亡くなって以来、全く聞こえなくなったお声。

 ヴィルヘルム様――。


「……む、ヴィルヘルム、か」


「ここは夜会の場です。おやげんの場ではありません。次の王位を継ぐレイフォード殿下と陛下がそのように仲違いをしていれば、周囲の臣下にいらぬ心労を与えましょう」


「……すまぬな。余も、頭に血が上っていたようだ」


 はぁ、と国王陛下が大きなためいききます。

 ですけれど、私にとってそれ以上に重要なのは、目の前にいるヴィルヘルム様です。

 同年代に比べても小さな私とは比べ物にならないほど、大きなお体をされています。それも、腕など、手首でさえ私のふとももよりも太いのではないでしょうか。

 白髪が大半を占める髪を後ろに流し、全体的に薄いグレーを表現しておられます。そして口元を覆うひげは白く、同じく白いあごひげも揃えられています。彫りの深い顔立ちには幾つものしわが走り、そして同じだけの傷跡が残っています。

 これが、フレアキスタ最強の将軍であり騎士団長――ヴィルヘルム・アイブリンガー様。

 思わず、見とれてしまいます。


「レイフォード」


「……父上」


「下がれ。は、追って伝える。余は、貴様の仕出かしたことの後始末をせねばならぬのだ」


「しかし、父上!」


「下がれと言っている!」


 そう強く国王陛下が命令し、ようやく殿下が下がってくれました。もちろん、その手にメアリー嬢を連れて、ですけど。

 結局殿下は何をしに来たのでしょうか。

 ですが、これでようやく落ち着いて話が出来ますね。


「ギリアムよ」


「最早確認する必要もないと思われますが、キャロルの婚約は殿下より破棄されたと考えてよろしいのですな」


「……ああ、構わぬ。だが」


「今回の件は、殿下とキャロルの婚約があってのこと。私はともかく、キャロルは殿下を許しますまい。このような夜会の場で、これほどの屈辱を味わった。アンブラウス公爵家を敵に回したこと、殿下に後悔していただきましょうか」


「ぐっ……キャロル嬢よ」


 国王陛下は苦虫をつぶしたかのように表情をゆがませて、私を見てきました。

 私にはアンブラウス公爵家を敵に回すことで、王家にとって何の問題が発生するのか分かりません。そのあたりは、私が知らなくても良いことでしょう。

 ですが、国王陛下の必死な眼差しには、なんとなく応えたくなります。


「はい、陛下」


「愚息が……本当に、申し訳ない。今回のことは、十分な処分を下す。そして……キャロル嬢に相応ふさわしい縁談を、余の名をもってまとめよう。その程度で許せと言うのも虫が良い話だが……」


「陛下」


 思わぬ言葉に、私はつい国王陛下の言葉を妨げてしまいました。

 平時であれば、処罰すら問われる行為でしょう。いくら焦っていたからといって、ついミスを犯してしまいました。


 ですが――これは、好機です。


「む……何だ、キャロル嬢」


「私は、別に怒っておりません。ただ、これからの未来をしていただけですわ。殿下に捨てられた女、などと評判が回れば、私に対しての縁談など来ないと思いましたから。ですけれど、陛下の名をもって、私の縁談をご用意いただけると……そう、言っていただけましたか?」


「あ、ああ。それが愚息の行動に対しての罪滅ぼしとなるならば、どのような縁談でも用意させよう」


「では」


 心の底から、願っていました。

 幼い頃からずっと、慕っていました。

 殿下は真実の愛に走りました。ならば、私も真実の愛に走っていいでしょう。


 すっ、と一歩踏み出し、そっとスカートを持ち上げて礼を示す。

 そしてその精強な腕を取り――言いました。


「ヴィルヘルム・アイブリンガー様。キャロルを、お嫁にしてくださいませ」


 どきどきと、鼓動が跳ねます。

 紅潮して、頬が熱くなります。

 ついに、想いを伝えてしまいました――!


「……は?」

「……は?」


 でも。

 そんな私の一世一代の愛の告白に返されたのは、意味が分からない、と口を開いた陛下とヴィルヘルム様の短い一語だけでした。

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