第2話 突然の婚約破棄(1)

 厳かな王宮。

 その中央に存在する大広間にて、数多あまたの貴族たちが集い、語らっていた。

 フレアキスタ王国第一王子レイフォード・エル・フレアキスタの生誕を祝う夜会が、現在開かれている。少なくとも国内に存在する貴族は全員が参加をしており、互いの領地における特産品や、他国における情勢などの情報交換、それに美姫に関してのうわさばなしなど、様々な語らいが行われている。


 夜会の主催者であるフレアキスタ国王、ガリウス・エル・フレアキスタは、全体をへいげいするように玉座に座し、楽しむ彼らを見ながら酒を傾けていた。

 ガリウスにとってただ一人しかいない自分の息子である、王子の誕生日だ。

 もちろん、貴族社会における顔をつなぐためだけに参加している者が大半であるが、それでも王子の誕生日にこれだけの人数が集まってくれる、というのはうれしいものだ。それだけ、この国における王という立場の重さを思い知らされる。


「……ふむ」


 時折傾ける酒は、それほど強くない。

 本当ならば心ゆくまで飲みたいものだが、ガリウスが酒にまれるわけにはいかないのだ。王として、相応の姿を貴族に見せつける必要がある。ここで、酒におぼれるような弱い姿を見せるわけにはいかない。


 そんなガリウスが、目の端にとらえたのは、少女だった。

 年齢は十六だが、もう二つ三つは幼く見える少女である。長い銀色の髪を後ろに流し、背中まで覆っている。可愛らしさもそこにありながら、しかし成長してゆく女性としての美しさもあった。

 れんな水色のドレスに身を包み、恐らく父親を訪ねて来たのであろう貴族へ、笑顔を向けて話をしている。


 その少女こそガリウスの知っている、唯一の息子レイフォードの婚約者。

 キャロル・アンブラウスである。

 王族に次ぐ、と言われる大貴族であるアンブラウス公爵家の令嬢であり、唯一の息女である。九歳の頃からレイフォードと婚約しているため、ガリウスとも何度となく会っている。


 というのも、レイフォードは将来的に、この国の王位に就く者だ。

 だからこそ、その婚約者であるキャロルにも、正妃として相応しい教育を行わなければならなかった。


 幼い少女に酷なことを、とは思うが、それも王族の一員となるべき者の責務である。ゆえにガリウスが知る限り、学園に通う時間以外のほとんどは王宮へ出仕し、ガリウスの妻である現在の王妃から教育を受けていたはずだ。

 ただの少女ならば、不満の一つも出るだろう。

 だが、キャロルは何の不満も言い出すことなく、甘んじて教育を受け続けてきた。少なくとも、婚約してから現在まで六年間は。


 元々、キャロルとレイフォードの婚約は、アンブラウス公爵家の当主と、王妃が勝手に決めたことだ。

 だというのに、キャロルは何一つ反発することなく受け入れ、そして何一つ不満を漏らすことなく勉強し続けたのだ。望んだ婚約というわけでもないのに。

 そんなキャロルを見ていると、物悲しくなってきてしまう。

 せめて、この夜会は楽しんでくれるといい――そう思いながら、ガリウスは酒を傾けた。


「……む?」


 そんな中で、キャロルに近付く二つの影に、気がついた。

 キャロルと同じ年齢でありながら、その頭二つ分は高い背丈と、男にしては長めの金髪。そして、その姿は王族としての正装だ。


 ガリウスの息子――第一王子レイフォード・エル・フレアキスタ。


 そんなレイフォードが、何故か隣に真紅のドレスを着た女性を連れて、キャロルに近付いていた。


 レイフォードの婚約者はキャロルであるはずだ。どう考えても、あのような派手なドレスを着る女性ではない。

 そして、この夜会においてレイフォードが隣にはべらせるべきは、正式な婚約者であるキャロルなのだ。

 だというのに、別の女をその隣に置き、あまつさえ腰に手を回している。

 ガリウスは嫌な予感がして、立ち上がった。


 貴族たちの話し声で、騒然としている大広間。

 そこに、よく通る声が一つ――響いた。


「キャロル! 俺は貴様との婚約を今日をもって解消する! 二度と俺の前に姿を見せるな!」


 騒然としていた大広間が、しん、と一気に静まる。

 ただそこに、ガリウスの落としたグラスの、割れる音だけが響いた。


       ◇◇◇


「キャロル! 俺は貴様との婚約を今日をもって解消する! 二度と俺の前に姿を見せるな!」


 そう、目の前で私ではない女を抱いて告げたのは、まさに婚約者であったレイフォード殿下。


 あくまで婚約者であり、婚姻を交わしているわけではないため、学園ではなるべくレイフォード殿下に近付いていませんでした。これは貴族として、『初夜までは貞淑であれ』という訓示を守ってのことです。それに加えて勉強や礼儀作法などを覚えることで必死でしたために、学園でレイフォード殿下とお言葉を交わすことなどほとんどありませんでした。

 ですので、今殿下が抱いている女が、誰かすら分かりません。


「……殿下、あの」


「言い訳など聞かん! しつに狂った女の言い訳など聞き苦しい!」


おつしやっている意味が……よく、分からないのですが」


 あと、場所を考えてください。

 ここは王宮であり、今日は夜会です。私も公爵令嬢として一応招待状が来ていたために父と共に出席し、知り合いと歓談している途中だったのですが。

 それを、こんな風に唐突に婚約破棄を告げられるとは思いませんでした。


「黙れ! 貴様がメアリーにした非道の数々、俺は知っている! そんな心の汚いやからを、俺の婚約者になどしておけるかっ!」


「……私が、何を?」


「貴様、この期に及んでぬけぬけと……!」


 ちっ、とレイフォード殿下が舌打ちをします。

 一体、何をそこまで怒らせてしまったのか、全く記憶にありません。メアリーという名前もこの場で聞いたばかりで、一体誰なのか分かりませんし。多分殿下の様子から、その腕に抱いている令嬢のことなのでしょうけど。


 全く見覚えはありません。

 随分とれいな女性です。

 ぱっちりとした目に、桜色の小さな唇です。どことなく垂れている目尻はあいきようを感じさせますね。私とあまり変わらない身長なのですが、色々出るところは出ています。ばいんばいんです。うらやましいです。


 重ねて言います。

 全く見覚えはありません。


「メアリーが俺に近付いている、と嫉妬に狂い、行った嫌がらせの数々を俺は聞いている! 特に今日、夜会前にメアリーを突き落とそうとしただと!? 俺が王子でなければ、その首が飛んでいると思え!」


「……は?」


「いいか、俺と貴様の婚約は今日をもって解消だ! 二度と俺とメアリーの前に現れるな!」


 話が通じません。

 一体私が何を言えば、この人の誤解は解けるのでしょうか。こんな社交の場で、一方的に婚約を破棄される私の立場を考えて欲しいです。

 ですけど。

 そのままレイフォード殿下は、隣の女性を抱いたままで私から離れてゆきました。


「……」


「……キャロル」


「………………はっ。失礼いたしました、父上。あまりの衝撃に少々我を忘れておりました」


 ぼうぜんと殿下の背中を見つめていた私に声をかけたのは、父、ギリアム・アンブラウス。アンブラウス公爵家の当主です。


 今日の夜会はホストが国王陛下であったため、パートナーを父にお願いしていたのです。本来ならば婚約者であるレイフォード殿下にパートナーを務めてもらうのが当然なのですが、このように目の前で婚約破棄されてしまっては、もう私にパートナーが出来ることなどないでしょう。


 誤解とはいえ、王族との婚約関係を結んでおいて、それを破棄された。他の貴族から見て、それは問題のある女、と言われてもおかしくありませんね。

 あんたんたる未来に、思わず頭痛がしてきました。


「どういうことだ、キャロル」


「……いえ、全く分かりません」


「お前がメアリー嬢……確か、ポプキンス男爵家の息女だったと思うが……あの娘に嫌がらせをした、というのは?」


「……全く心当たりがないのですが」


「今日、階段から突き落とそうとした、というのは?」


「……どうやって私が離れた人間を階段から突き落とせるのですか」


 はぁ、とげんなりしながら父上にそう伝えます。

 さすがに嫌がらせうんぬんは証拠がありませんけど、今日、階段から突き落とそうとした、というのは間違いなく私ではありません。王宮まで馬車で来て、それからずっと父上の手をとって夜会に参加していました。その間、片時も離れていません。

 そんな状態で、他人を階段から突き落とす、などというが出来るはずないでしょう。


「では、殿下の勘違いということだな」


「……そうなりますね」


「大きな声では言えんが……殿下はあれほど考え無しに物を言うのか?」


 はぁ、と父上が頭を抱えています。

 そして、その眼差しの奥深くでは冷たい怒りの炎が沸き立っていました。


「証拠もないことを事実だと言い、思い込みのままに婚約者を糾弾し、挙句に他の女を抱いたままで婚約破棄を突きつける。しかも夜会の場という衆人環視の中で……キャロル、残念だが、レイフォード殿下との婚約はもうあきらめなさい」


「別に、まぁ……」


 殿下に対して、特に愛を持っていたわけではないですし。

 むしろ、王妃になる、という重責がなくなるなら、それは嬉しいですね。

 とはいえ一応婚約者として、これから殿下を支えていくんだ、と考えていた自分が馬鹿らしくて、悲しくなってきます。


 ぼそぼそと、周囲がこちらを見ながら何やら言っています。

 まぁ、それも当然でしょうね。幼い頃から婚約しており、私と殿下の婚姻は学園の卒業を待っての決定事項でした。

 それが唐突に破談にされた、となれば話の種にもなるでしょう。


「……もしもう一度婚約をしてくれ、と言われても、断りたいです」


「私が、そんな厚顔な真似はさせんよ。全く……この縁談は、王家の方から私に言われ、仕方なく応じたんだ。それをあのように一方的に破棄し、しかもこのような場で事実無根のことを糾弾する……愚かだな。アンブラウス公爵家を敵に回したぞ、殿下は」


「父上、あまり大きな声で言っては、不敬罪になるかもしれません」


「だが……キャロルよ、私に任せておけ。きっちり、殿下には責任を取らせよう」


 父上がそう言ってくれたなら、もう安心ですね。

 さすがに長く続いた婚約を破棄されて、何も感じない、というわけではないですけど。でも、あんな風に子供のような理屈で責められては、悲しさよりもあきれの方が先に立ちます。

 あんなにも人の話を聞かない人だなんて、思っていませんでした。


「だが……キャロル、もうお前には縁談は来ないかもしれないな」


「……分かってます」


 今日この日、私は『王族に婚約破棄された令嬢』というレッテルを貼られました。もう、私に縁談など来ないでしょう。

 私をめとることによって、王族との間にあつれきが生じるかもしれませんし。そういう混乱を、貴族は望みません。


 全く……どうしてこうなったのでしょう。


 ですが、これは良い機会です。


「父上」


「ん?」


「出来れば、で結構です。無理なら構いません。どうか、お願いがあります」


 そう言って、はるか遠くにいる、あの方を見やります。夜会の席の端で、男性で集まって歓談しているグループの中心にいるお方。

 私が、幼い頃からお慕いしているお方。

 既に王子との婚約が決まってしまって、結ばれることはないと思っていました。

 ですが、こうなったのなら、私も真実の愛に生きてもいいかもしれません。


「……ヴィルヘルム・アイブリンガー様に、私との婚約を申し出てもらえませんか?」


 ずっとずっと、胸に秘めていくだけだと思っていた想い。

 これを、出来ることならば成就させたいです。

 いとしいヴィルヘルム様。

 キャロルはこれから、真実の愛に生きます。

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