農協おくりびと (45)農家の朝飯 

いまでは見かけなくなったが、昔の農家には当たり前のように土間があった。

土間の利点はたくさんある。汚れた土足のまま家の中へ入れる。

雨の日は濡れてしまった農機具を、家の中へ入れて手入れすることができた。

使い勝手もよい。土間の突き当りには、煮炊きするためのかまどがあった。


 農作業を終えた衣服のまま、食事の準備をはじめることができた。

土間なら火や水をたくさん使っても、床が腐る心配はない。

農作業が忙しい時期。土間での食事を終えると、すぐまた仕事へ飛び出していった。

それほどまで繁忙期に入った農家は、時間に追われて忙しい。


 祐三の家には、土間にセカンドテーブルが置いてある。

4脚の椅子が置かれている。

使う人の居ない2つの椅子には、うっすらとうすいホコリが積もっている。

居るとばかり思っていた奥さんの姿も、家の中に見当たらない。


 「奥さんの姿が、見えないようですが・・・」


 「今日は、若い者たちと遠出をすると言ったら、じゃ私は娘のところへと、

 たっぷりの野菜を持って、夜が明ける前から出かけて行った。

 家で昼寝をしてるより、娘と買い物でもするほうがよほど楽しんだろう。

 安心しろ。別にカミさんに逃げられたわけじゃない」


 大したものはないが腹いっぱい食えと、祐三がテーブルを指さす。

採りたての野菜が、調理してある。

紫色のナスに、ピリ辛風の味がついている。

大量の納豆に、真っ白の長芋と、鮮やかな緑のオクラが刻みこまれている。

真っ赤なトマトに、白い塩が振られている。

「見るからに野菜たっぷりの、健康的な朝食ですねぇ・・・」と松島が笑う。


 「若いころは、働くために、朝からがっつりと肉ばかり食ったもんだ。

 だが歳をとると、だんだんそれも重くなる。

 若いもんには物足らんだろうが、俺たちは野菜さえあればそれで充分だ」


 いやこれだけ有れば、俺も充分です、と3つ目の椅子を松島が引き寄せる。

しばらく使っていないのだろう。

背にも座る部分にも、細かいほこりが舞い落ちている。


 「ところでお前。さっきの質問だが、なんで急に田舎へ戻ってきた。

 ○×商事と言えば、一部上場の有名企業だ。

 このあたりの稼ぎとは、比べ物にならんほど給料もいいはずだ。

 それを棒に振って、儲からん農業なんかに戻って来るとは、お前もお人よし過ぎる。

 帰ってきた理由は、いったい何だ。

 対人関係のもつれか、女か、それとも仕事上でしくじったか?」


 「女です」


 「女?。女に振られたくらいで、一部上場の企業を辞めたのか、お前は?」


 「同期に負けたんです。

 大学時代から付き合ってきた彼女を、同期の同僚にとられました。

 いや彼女の方から、同僚の男に乗り換えていったんです。

 あいつのほうが男前だし、口も上手だった。

 社交が上手だから、こっちの男の方が出世すると乗り換えたんだと思います。

 会社にとどまれば、同僚と昔の女からさげすんだ目で見られます。

 そう考えたら、急に会社勤めが嫌いになりました」


 「単純な男だな、お前も。それでやめちまったのか、サラリーマンを。

 その程度で会社を辞めていたら、日本中に会社がいくつあっても間に合わん。

 しのぎを削るサラリーマンの生き方に、体質があわなかったということか」


 「それも有ります。でも、別のショックもあるんです。

 実は俺。これで3打席、無安打になるんです、恋愛に関して・・・」


 「なに。恋愛が3打席、無安打?・・・

 ということは3度とも、女のほうから振られたということか。

 なんとも情けない奴だな、お前と言う奴は。

 そのうえ4打席目に仏門に入った女を選ぶとは、つくづく女を見る目が無い奴だな。

 このままじゃ4打席目も空振りの3振に終わることは、火を見るよりも

 明らかだな・・・」


 「やっぱり、そう思いますか大先輩も。

 実は、今回もチャンスは無いのかなぁと、思っているんです、俺・・・」


 (相手が絶好球を投げてくれれば、ヒットを打てる可能性はあるが、

相手が世俗から離れた尼さんでは、まず無理だろう)

4打席目もノーヒットになれば、そうとう落ち込むだろうな、こいつは。

何とかしてやりたいが、相手が尼僧では運が悪すぎる・・・

祐三が松島の姿を見つめながら、ふぅ~と、心の底から重い溜息を吐く。


(46)へつづく

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農協おくりびと 41話から45話 落合順平 @vkd58788

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