第15話
「何これ!? どうすればいいの!?」
目の前に広がる光景は、由美の認識力を遥かに超えていた。
床に倒れている男、そして工場の中心にある謎の物体。アーチはすでにその物体に取り込まれ、どこにいるのかも分からない状況だ。
「ど、どうしよう。とにかく警察?」
しかしこの現状をどう説明すればいいのかが分からない。ありのままに話せばまず間違いなくいたずら電話だと判断されるだろう。
そこで由美は、アーチが何かをしたことで物体が現れたことを思い出した。
「そ、そうだラインさんに電話すれば」
それはとっさの判断だった。しかし最善の判断でもあった。
由美は電話帳からラインの番号を呼び出し、すぐに通話ボタンを押した。
◇
「今日はヤバい。マジでヤバい」
巧実は自分の部屋で頭を抱えていた。
学校での事件のみならず、家に帰るまでにも数々のいたずらが降り注いできた。
鳥の糞に始まり、子供のタックル、自販機が反応しない、犬に吠えられる、酔っ払いから尻を触られるなどなど、陰湿極まりないいたずらが降り注いだ。どれも怪我をするレベルではないが、心に来るものばかりなので、精神的疲労は凄いことになっている。
そのたびに甲斐甲斐しく、ラインが世話を焼いてくれたのが救いだろう。
鳥の糞は、ハンカチが汚れるのも構わず拭いてくれたし、子供のタックルは優しく子供を注意して取り成した。自販機は魔法でお金が戻って来たし、犬に吠えられた時は、逆にラインが怯えて腕にしがみついてきたおかげで、役得だった。酔っ払いが触ってきたときは、凄まじい蹴りが炸裂していた。
最後のは、微妙にラインも狙われていた可能性があるだけに、ラインも本気で怒りを露わにしていた。
そのラインは、現在入浴中だ。父はまだ、暴漢事件の犯人が捕まっていないため、帰ってくるのは深夜になると言っていた。
「勉強しないとな」
ラインやアーチのおかげでハプニングには良く巻き込まれるが、かといって私生活をおろそかにするつもりは無い。
巧実はベッドから立ち上がり、机に向かう。適当に取り出した本を勉強しようと、手を伸ばした所で、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。しかもそれはかなり荒々しくだ。
何事かと扉の方を向く。それと同時に激しく扉が開かれる。
そこには、バスタオル一枚で体を隠したラインの姿があった。
「ちょっ、ラインなんて恰好してんだ!?」
「それどころじゃないのよ! ちょっと電話変わって! 由美からだから!」
ラインは自分の携帯を耳に当てていた。それを巧実に向かって放り投げる。
何とかそれを受け取りながら、事情を聞こうとラインを見るが、ラインはすでに部屋の前から姿を消し、階段を駆け下りていく。
おそらく服を着るのだろうと当たりをつけ、巧実は仕方がなく電話に出ることにした。
「もしもし、巧実だけどどうした?」
「あ、巧実君!? アーチさんが大変なの!?」
電話の向こうから聞こえる由美の声は、非常に焦っていた。そしてその後ろからは激しい音が聞こえてくる。
それは機械が動くような、擦れるような、そんな音だった。
由美の様子にただ事ではないことを悟った巧実は、すぐに聞く体勢を取る。
「どうした? アーチに何があった?」
「よく分からないの! 突然魔法陣みたいなのが光ったと思ったら、隠れてた男の人がアーチさんに襲いかかって」
「なに!? アーチは無事か!?」
由美の話に、さすがの巧実も声を荒げる。
「男の人は何とか対処したの。そしたら次はへんな化け物が現れてアーチさんを飲み込んじゃった!」
「化け物? いや、由美今どこにいるんだ」
由美の言葉から、アーチが魔法で何かしたのは明らかだ。ならば詳しい説明を聞くよりも、先にその場所に向かった方が良いだろうと判断した。
「え、えっと日宮工業地区だと思うんだけど」
「工業地区? なんでそんなところに……」
工業地区は巧実の家からかなりの距離がある。走っていくにしても三十分程度はかかってしまうだろう。
「待ってろ! 俺達もそっちに行くから」
「う、うん」
携帯を置き、出かけるために服を着替える。着替え終わったところで、ラインが戻ってきた。髪の毛はまだしっとりと濡れており、服は初めて会った時の魔女服を着ている。
「ライン、由美とアーチは工業地区だ」
「工業地区ってどこよそれ!」
この町に来てまだ一週間しかたっていないラインには、工業地区の場所が分からなかった。それも当然だ。日宮市は、住宅街、オフィス街、工業地区の三区画に分かれた作りになっており、工場勤めでもしていなければ工業地区に足を運ぶことなど無い。まして学生ともなれば、オフィス街へ行くのも珍しい事なのだ。
巧実や由美は生まれ育った町だからこそ知っているが、他から来た人ではまずわからないだろう。
「じゃあ俺が案内する」
「でも危険よ? アーチの魔法は失敗してる可能性があるわ」
「けど俺しか場所は分からねぇだろ」
「そうだけど……」
「大丈夫だ。俺は由美を確保したらすぐに逃げる。ラインも由美がいたら満足に魔法使えないだろ?」
「……分かったわ。じゃあ案内して」
「おう」
言うや否や、部屋から飛び出そうとする巧実を、ラインが止めた。
「待って、工業地区まで距離ってどれぐらいあるの?」
「ここからだと走って三十分ぐらいだ」
「ならこっちの方が早いわね」
ラインは一度マントをバサッと広げ体を覆い隠すと、すぐさまそのマントを掃った。するとその手には、一本の箒が握られていた。
「これで行くわよ」
「これでって、箒でか?」
「そう、二人乗りぐらいなら問題ないわ」
ラインがベランダへ出て手すりに足を引っ掛ける。そして巧実に手を伸ばした。
「さあ、行くわよ」
「お、おう」
今更箒で飛ぶのが怖いなんて言えない状況で、巧実はラインの手を取る。
すると、まるで重力がなくなったかのようにフワリと体が浮かび上がった。
「すげぇ」
巧実が感動する中、ラインは水平に浮かんだ箒に腰掛ける。そして巧実の手を引いて、自分の後ろへと持ってきた。
「しっかり捕まってなさい。かなり飛ばすから」
「お、おう」
ラインの腰に抱き着き、しっかりとホールドする。服越しに、湯上りのラインの温かさが伝わってきて、頬が熱くなるのを巧実は感じた。
「行くわよ!」
ラインの合図で、箒が突然飛び出す。それはまるで銃弾のように真っ直ぐ空へと駆け上がった。
その風圧に巧実は目を閉じる。
しばらくすると、風圧が収まってきた。巧実がゆっくりと目を開けば、眼下には無数の星の光が輝いている。
しかしそれは星では無い。
「どう、綺麗でしょ?」
「ああ、綺麗だ」
満点の星空と見まごうばかりの町の明かり。感動のあまりラインを掴んでいた腕が緩くなっていることに気付いたラインは、巧実へと注意を飛ばす。
「巧実、手が緩んでる。落ちたら怪我じゃ済まされないわよ」
「おっと、すまん」
無数の明かりの絨毯の上を、ラインと巧実は工業地区に向かって箒を飛ばすのだった。
◇
走って三十分かかる距離も、箒で一直線に飛べば一瞬だ。時間にして、十分もかからないうちにラインたちは工業地区に入る。
空から見る工業地区は、夜と言うこともありほとんど光が付いていない。稀に事務所から漏れ出る光がある程度だ。
そんな中、街頭の明かりを目印に奥へと進んでいくと、その場所はあった。
激しい音と、あふれ出る緑色の光。それはまさしく魔法が使われた後だ。
「見つけた」
「あそこか。確かにヤバそうだ」
廃工場の破れたトタン屋根からは、中の様子が少しだけ窺えた。
それを見た巧実は、まるで魔界だと思う。
いたる場所から緑色の光が溢れ、その中心には見たことも無い物体がうねうねと動いている。
ラインは入口に回りながら箒を地面に近づける。すると、入口の物陰に由美を見つけた。
「ラインあそこ」
「ええ、降りるわよ」
一気に高度を落とし、そのまま着地する。
ラインから手を離した途端、巧実に重力が戻り、バランスを崩して尻もちをついてしまた。それを見てラインがプッと吹き出す。
「何やってるのよ」
「こんな感覚になったのは初めてなんだ。仕方がないだろう」
ラインから差し出さる手を取りながら、立ち上がる。そしてすぐに意識を切り替え、由美の元へと駆け付ける。
「由美!」「由美ちゃん!」
由美は目の前の光景から目が離せないと言った様子で、巧実たちが空から来たことに気が付いていなかった。そのせいで突然背後から声を掛けられて驚きの声を上げる。
「ひゃい!? あ、巧実君、ラインちゃん!」
「状況はどうなってるの?」
「よく分からないよ。突然アーチさんが襲われたと思ったら、襲った男の後ろで爆発が起きて、男の人が吹き飛んで、あの変な怪物が現れて」
由美の視線の先には、形容しにくい化け物の姿があった。そしてアーチがその化け物の幹に顔と片腕だけを出して飲み込まれている。アーチは気を失っているのか、目をつむっていた。それを見て、ラインの顔が青くなる。
「ちょっ、なんであいつがこんなところにいるのよ」
「知ってるのか?」
「魔界の生物って言ったら分かるかしら?」
つまりこの世界の生き物ではないと言うことだ。
「マジか。魔界とか存在するのかよ。魔女ってのは、どこまでファンタジーなんだ?」
「魔女って時点で一般人から見たらとことんファンタジーでしょ、今更よ。それより問題はあいつ。かなり厄介な生物なのよね」
化け物を見上げるラインの表情にも、焦りが見える。
「あれ生きものなのかよ。確かにうねうねしてるけど」
巧実から見た化け物の印象は、枝が触手になっているでっかい木だ。まるで十八歳未満がやってはいけないゲームに出てきそうな。
と、そこまで考えて、ふとラインに会った日に言った言葉を思い出す。
「これは魔法痴女ライン、ワンチャンあるぞ」
「ちょっ!? ふざけた妄想しないでくれる! 縁起でもない。私今からあれをどうにかしないといけないのよ!?」
巧実がボソッとつぶやいた言葉が聞こえてしまったラインは、頬を真っ赤にしながら抗議する。そんなどこか余裕のある二人の会話を聞いていた由美が、我慢の限界に来たのか声を上げる。
「二人とも何ふざけた話ししてるのよ! 今アーチちゃんが危ないんだよ? 魔女とか魔界とかそう言う事言ってる場合じゃないんだって! 何とか警察に連絡しないと!」
由美の意見は、魔女の存在を知らない一般人から見れば、至極真っ当な意見だ。しかし、この場はすでに魔法が発動している魔女の世界。その世界に置いて、由美の意見はどこまでも無意味だった。
「巧実。由美ちゃん頼んだわね」
「おう、由美。説明は後でするから、とにかく俺達は逃げるぞ」
「ちょっと巧実君!?」
言うや否や、巧実は由美の手を引いて工場から離れる。
「ライン、怪我すんなよ」
「任せなさい。私を誰だと思ってるのよ」
暗闇に走っていく巧実と由美の姿を見送って、ラインは工場の中へ視線を戻す。
「怪我すんなよか。こいつ相手にはちょっと厳しいかもしれないわね」
アーチが呼び出した魔物。それは魔女達の間でもかなり厄介とされる魔物だ。
通常、ラインたち魔女が魔界から呼び出す魔物は、躾けやすい小動物型か、知識を持って会話が出来る悪魔型だ。しかし今ラインの目の前にいる魔物はそのどちらでもない。
知識を持たず、ただ本能で動く魔物。名前をウッドプレディエータというその魔物は、周囲に存在する魔力を食べて生きている魔物だ。魔界にいる場合は、世界そのものに魔力が充満しているため特に害のある魔物ではなく、ただの木と同じような存在だが、こちらの世界に呼び出されると、その存在は無害から有害。むしろ災害へとクラスチェンジする。
ラインたちの世界に魔力と言うものは少ない。そのためウッドプレディエータは魔力を欲する習性から、魔力を持った物を体内に取り込もうとするのだ。
そしてこの世界において、最も魔力を持った存在、それがラインたち魔女なのである。
「厄介な物を呼び出したわね。本当にどうしようかしら」
ウッドプレディエータと距離を取りながら、対策を考える。基本的に召喚されたものは、召喚の際に与えられた魔力を使い切ると、こちらの世界にいることが出来ずに強制的に元の世界に返される。そのため長距離から攻撃を仕掛けながらウッドプレディエータの魔力が尽きるのを待つしかないのだ。しかし今回の場合は、すでにアーチが取り込まれてしまっていた。それは魔力の元を手に入れた状態であるため、今までの攻略法は役に立たない。
魔力の元であるアーチを助け出せれば話は早いのだが、それをするには無数の触手をかいくぐりながら、ウッドプレディエータの体をこじ開けアーチを引っ張り出す必要がある。それは余りにもリスクが大きすぎた。
「一人でってのが、そもそもおかしいのよね」
ウッドプレディエータに対抗するには、最低でも三人の魔女が必要と言われていた。搖動、攻撃、救出の三組に分けてそれぞれで動くのだ。そうすれば安全マージンを確保しつつウッドプレディエータを倒すことが出来る。しかし――
「まあ、無い物ねだりしてもしょうがないわよね」
今この場にいるのはライン一人だ。すべて一人で対処しなければならない。
「いいわ、やってやろうじゃないの」
さすがにこの非常事態ともなれば、応援を呼ぶことも出来る。しかし、それでは遅すぎるのだ。ウッドプレディエータはこちらの世界に居続けるためにアーチから魔力を搾取し続ける。それはそのまま命を削られているのと同じ状態だ。
アーチが如何に若く魔力を生み出す力が強いと言っても、限界はある。そしてその限界は応援が来るよりも先になることは目に見えていた。
つまり、なるべく早く助けないと、アーチが死んでしまうのだ。
喧嘩しているとはいえ、家族は家族。失いたくないと思うのは普通の事だろう。
だからこそラインは、頑張ろうと思えた。
「とりあえず、一撃離脱で行ってみましょうか」
脳内で作戦を考え、ラインは工場の入口から姿を消した。
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