第11話
家に帰ってきて扉に鍵を刺す。巧実の家では、父親の帰宅は大抵の場合が巧実たちの帰宅後になる。そのため巧実は鍵を常日頃から持ち歩き、帰ってきたら鍵を上げるのが習慣となっていた。
そして今日も同じように鍵をひねる。しかし、今日はその鍵が開いていた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「鍵が開いてる。親父が帰ってきてるのか?」
「お父さんが帰ってきてるの? 珍しいわね。いつもは八時超えるのに」
扉を開け、リビングに入る。
「ただいま」「ただいまー」
「巧実もお姉さまもお帰り」
『なっ!?』
ソファーに座っていたのは、巧実の父ではなく、アーチだ。
そのアーチはソファーに深く腰掛け、ティーカップで優雅に紅茶を飲んでいた。
「アーチ!」
ラインは、咄嗟に巧実の前に出てステッキを構える。
「どうしたのお姉さま?」
アーチは紅茶を一口含み、怒りを露わにする姉に対して見上げるように尋ねる。
「さっきの魔法はなに!? 下手すれば巧実が死んでたわよ!」
「死ぬわけないじゃない。あの魔法は躱すところまで含まれた魔法なのよ? それに万が一のことも考えてちゃんと私もあの場所にいたし」
心外とばかりにラインを睨みつける。
「バカ言わないで! そんな二つの効果を持たせた高度な魔法を、あなたが仕える訳ないでしょ!」
「私が何のために巧実さんと会うのを遅らせたと思ってるの? 確かに私は魔法が苦手よ。けれど時間をかければできないことじゃないわ。お姉さまはいきなり彼に突撃したみたいだけど、私は計画的に全てを準備した上で彼に接触したのよ。猪突猛進なお姉さまと一緒にしないでくれる?」
「くっ」
自分の計画が完全に失敗している状態で、猪突猛進型と言われ、何も言い返せないライン。逆にアーチは自信満々と言った様子だ。そしてアーチは巧実に向き直る。
「なんだか身の安全について心配しているみたいだけど、それは安心して。私もお姉さまと同じで、巧実さんにも身の回りの人物にも怪我をさせるつもりは無いわ。まあ、お姉さまほど安全策は取らないから、多少危険な気分には浸ってもらうことになるけどね」
「つまり、俺は気にせず私生活を過ごせばいいと?」
「私生活を過ごせるほど平穏ならね。魔女二人から試験対象者に選ばれた時点で、平穏とは程遠いと思っていいと思うけど。現に今も巧さんの家には美少女二人がいるんだもの」
その言葉に、巧実は返す言葉が見つからなかった。
自分のことを美少女と言い切るアーチにも一言言いたかったが、現に美少女なのだからどうしようもない。
「ね、言い返せないでしょ。これが現実」
「ならお前も家に住むのか?」
「悩んでるのよね。巧実さんの近くにいられるのは魅力的だけど、お姉さまの妨害がどうなるか分からないもの。私って魔法が苦手だから、妨害で暴走でもしちゃったら大変だし」
「帰りなさいよ! 帰りなさいよ!」
巧実の後ろからラインがブーイングを飛ばす。
「って言ってるみたいだから私は泊まらないわ。美女に添い寝してもらえなくて残念ね」
「あんな朝はもうこりごりだ」
朝っぱらから今朝のように騒がしくては実も理性も持たないと、巧実は肩を竦める。
それを見てアーチはクスリと笑い、立ち上がった。それに巧実の後ろでラインが身構えるのを感じる。
「じゃあ今日は帰るわね。あ、そうだ携帯の番号教えとくわ」
アーチはポケットから携帯を取り出しながら巧実に近づく。
「お姉さまが何かミスやらかした時は私に言ってね」
「ミスなんてするはずないでしょ!」
姉がブーイングを飛ばす中、巧実はアーチと携帯を番号とアドレスを交換する。
そこで由美のことを思い出した。
「そうだ、アーチ。お前由美と会ってくれないか?」
「由美って昨日見た三つ編みの子?」
アーチが首を傾げながら尋ねる。それに巧実は一つ頷いた。
「そう。何かお前と話しがしたいんだってさ」
「私とねぇ。まあいいわ。じゃあ由美って子にアドレスと番号渡しちゃっていいわよ。そしたら会ってあげるわ」
「サンキューな」
これで一つ荷が下りたとホッとしながら、巧実は夕飯を何にしようか考え始める。そしてふとアーチに聞いた。
「アーチってさ、何か好きな食べ物ある?」
「好きな食べ物? ずいぶん唐突に聞くわね」
「晩飯どうしようかと思ってな」
「私はから揚げが好きよ」
「なら今晩はから揚げにするか」
「なんでアーチの好きな物にするのよ!」
巧実の晩御飯の決定方法に、ラインが異議を申し立てる。
「何となくだ。献立って考えるの面倒くさいんだぞ」
しかしそれを、巧実はすげなくあしらった。
「から揚げにするの? なら私も食べてみたいわ」
「了解。どうせ親父も今日は遅いだろうしな」
「そうやって餌付けしてお姉さまを陥落させたのね」
アーチがクスクスと笑いながらラインを見る。
「心外だな。こいつは俺の揉みテクに落とされただけだ」
「揉みテクって何よ! て言うかそんなのに落とされてなんか無いわよ!」
「あら、やっぱりお姉さまはもう巧実に純潔を捧げてしまったのね。魔女の純潔は重要なのに」
「そうなのか?」
アーチの言葉に巧実が首を傾げる。魔女の純潔。あまり聞いたことの無い言葉の気もする。時々処女じゃなければ魔法が仕えないなんて設定の物語もあるが、魔女の話を聞いている限りそう言うことでもなさそうだしと考える。
「絶対数の少ない魔女のさらに処女よ? プレミアがつくもの。高く売れるわ」
「そう言うことかよ……」
地味に生々しいアーチの発言に、巧実は微妙にがっかりしながら、夕食の準備をするために台所へ向かった。
◇
食卓を三人で囲む。それぞれの前には、揚げたてのから揚げが盛られていた。
「美味しそうね」
「ありあわせの調味料で作っただけだけどな」
「巧実ならそれでも美味しく作れるから不思議よね」
「お姉さまは料理が全くできないものね」
アーチの言葉にラインがウッと唸る。
「アーチだって、そんなに上手くは無いでしょ?」
ラインの言葉にアーチは鼻で笑う。
「お姉さまが魔法に浸っている間に、私は立派な花嫁修業も積んでたもの。普通の料理ぐらいなら作れるわよ」
「そ……そんな……」
「ふふ、私は魔法がダメだったものね。おかげでお母さんがみっちり教え込んでくれたわ。今度巧実さんにもごちそうしてあげるわね」
「そりゃ楽しみにしておこうかね」
「私も少しは練習しようかしら」
ラインが少し悔しそうにそんなことを呟く。アーチは、少し自慢げに胸を張り、姉に向けて笑みを浮かべる。
「お姉さまは、まず包丁の持ち方から勉強したほうがいいんじゃないかしら?」
「それぐらい分かるわよ! いいえ、そんなことするより、魔法で切っちゃった方が早いじゃない! そうよ、私には魔法の才能があるんだもの!」
確かにラインならば、食材を宙に浮かせて魔法で切ることも簡単だろう。しかし、アーチは呆れたように首を横に振る。
「じゃあお姉さまはそうやって食材を切っておいてちょうだい。私はその間に、巧実さんと一緒に料理を作るから」
「なっ!?」
「ふふ、巧実さん手伝ってくれますか?」
「まあ、それぐらいなら」
特に被害もないからと、巧実は快く受け入れる。
「わ、私も料理勉強するわ! 魔法使わなくても作れるようになってみせるわよ!」
「はいはい、頑張ってね、お姉さま」
「お前ら、喧嘩はその辺にしとけ。せっかく作ったんだ。冷めないうちに食べるぞ」
完全にアーチの手玉に取られているところを見て、本当に魔法以外はアーチのほうが優秀なんだなと思いつつ、二人にほどほどにするように釘を刺す。
「はーい」
「巧実さんの料理楽しみです」
「んじゃ」
『いただきます!』
アーチが最初にから揚げに齧りついた。そしてそのままアーチの動きが止まる。
「どうした? 合わなかったか?」
巧実は少し心配になる。今までごちそうしたことなどほとんどなく、ラインも自分の料理を美味しいと言って食べていたため、アーチの味覚に合うかどうかは深く考えていなかったのだ。
しかし、当のアーチは齧りついた状態から、一口にから揚げを放り込む。そして頬をパンパンにしながらもきゅもきゅと咀嚼する。その表情はとろけそうなほどに笑顔だった。
そしてゴクンと飲み込むと、巧実の手を取り、自分の胸の前に持ってくる。
「巧実さん」
「な、なんだ?」
アーチの今にも本当に光り出しそうなほどキラキラした瞳に、若干の恐怖を覚えながら答える。
「結婚して!」
「あんたは何言ってるのよ!」
アーチがかなり本気で行った結婚要求を、ラインが横から頭を叩いて止める。
「お姉さま! 巧実さんは絶対に確保するべき人材よ!」
「ふざけないで! 巧実は私のシェフよ!」
「シェフじゃねぇよ。それに結婚もしないからな! つかお前ら飯食え。取りあげるぞ!」
巧実の言葉にハッとした二人は、そのままモクモクとから揚げを食べ続けて行った。
◇
食事を終え一息ついた後、アーチはまるで友人の家から帰るように、また明日と言って家を出て行った。それと入れ違いに帰ってきた父は、まるでお出迎えのように集まっていた巧実とラインを見て驚く。
「なんだお前ら。土産は無いぞ?」
微妙にキョドって言う父に、二人は苦笑した。
「晩飯どうする? すぐに出来るけど」
自分たちの料理を作る際に、父親の分は下ごしらえだけ済ませ、後は揚げるだけの状態になっている。
「あー、先に風呂だな。今日はいろんなところを走りまわされて埃まみれだ」
「何かあったのか?」
「例の暴漢だよ。犯人は近くの監視カメラから突き止めたんだが、まだ逃亡しててな」
「まだ逃げてたのか」
「一応お前らも気をつけろよ。刃物持って歩いてんだ。人質に取られたら大変だからな」
「そうだな、俺なら問答無用で逮捕しに来るだろうしな」
「よく分かってるじゃないか」
父親はニヤッと笑って息子の呆れた顔を見る。そしてきょとんとしているラインの方を向き直って、肩をポンポンと叩いた。
「ラインは大丈夫だぞ。息子の命と引き換えにでも無傷で助けるからな」
「そこは自分の命賭けろよ……」
魔女達の生け贄張りに平然と息子を差し出そうとする父に、ため息を付きながら巧実は風呂を沸かすため風呂場に向かった。
その間に、父はラインと共にリビングで話しに興じる。
「ラインは学校で上手くやれているのか?」
「ええ、皆面白くていい人たちばっかりよ」
「そりゃよかった。短い期間だが、大切な思い出を作ってくれよ。青春の一瞬は一生の思い出になる。俺もそうだった。母さんとの出会いは高校だったしな」
「そうだったの?」
ラインは、巧実から母親の話しをほとんど聞いたことが無かった。話しても精々が表面上の、それこそ近所の人なら知っていそうな情報程度だ。それは何となく話すタイミングが無かったと言うよりも、むしろあえて避けているような気がした。だから巧実から話すまでは聞かないでおこうとしてた。しかし、父親が話してくれるなら聞いておこうと思ったのだ。
「母さんは強い人だったな。俺は高校時代、不良で荒れてたんだけどな。母さんに叩きのめされて目が覚めたんだよ。それで一念発起して警察目指して、必死に母さん口説いて、警察学校に入学が決まって初めて母さんが付き合ってくれたんだ」
「凄いお母さんだったんですね」
「おう、自慢の母さんだ」
父はまるで、子供が母親を自慢するように妻のことを話していく。しかし父親も母が死んだ理由だけは話そうとしなかった。
「親父、風呂入ったぞ」
「おう、じゃあ俺は風呂入ってくるな」
「うん、行ってらっしゃい。ビール用意して待ってるわね」
「未成年は飲ませんぞ?」
「もちろん私はジュースを貰うわ」
「ならよしだ」
巧実の父は、ラインの言葉に満足したのか、一つ頷くと部屋を出て行った。それと入れ違いに巧実が戻ってくる。
「相変わらず仲いいな」
「素敵なお父さんだもの」
「まあ、それは俺もそう思うよ。指導が厳しくても、それだけ正しい事を教えてくれたからな」
「警官の鏡ね」
「上がもう少ししっかりしてれば、警官も信用できるんだろうけどな」
「今度言っときましょうか? 私が魔女になったら」
「頼むわ」
すっかり忘れていた、魔女のコネクションの広さを思い出し、巧実は期待半分冗談半分にお願いしておいた。
◇
巧実たちの家を出たアーチは、夜道を一人歩く。と言っても、魔女である以上はそん所そこらの暴漢には負けない程度の力を持っているため、特に恐怖は感じていなかった。
そして巧実からもらった番号の一つ。由美の物を住所録から引き出し、タッチした。捨て置いても良かったのだが、夕食を貰ったお礼にと電話を掛けることにしたのだ。
数回のコールの後、通話がつながる。
『もしもし、由美です。どちら様ですか?』
「初めまして。ラインお姉さまの妹のアーチよ。巧実さんから、あなたが私に会いたがってるって聞いたんだけど?」
「あ! アーチさんですか! あ、きゃっ!?」
驚いた声が聞こえた後、携帯の向こう側から由美の悲鳴と共に、ガタガタと何かが崩れる音がする。
「大丈夫?」
『はい、大丈夫です。ちょっと驚いて積み重ねてた教科書を崩しちゃっただけなので』
「そう、それでどうする? 会いたいなら時間作るわよ?」
『お願します! 私は学校が終わればいつでもいいので、アーチさんの都合に合わせていただければ大丈夫です』
「そう、なら明日の放課後に会いましょう。場所は……そうね、日宮駅前の喫茶店でどうかしら?」
『はい、ぜひお願いします。学校が終わっていくとなると、五時ごろになると思いますので、それぐらいで大丈夫でしょうか?』
「ええ、もちろん大丈夫よ。じゃあまあ明日ね」
『はい、ありがとうございます。また明日』
通話を切って、ホッと息を吐く。やけに由美が興奮状態にあった気がしたが、その理由が分からないアーチは、特に気にしなかった。
そして手帳の明日の日にちの所に、約束の場所と時間を書きこんだ。
その手帳にはその約束意外にも、びっちりと予定が書かれている。それはアーチが巧実に物語を紡がせるための計画と予定表だった。
何日に、どこで、どんな魔法を掛けるのか。そこに誘導するにはどうすればいいのか。
今までの時間で、ラインと巧実の行動から性格を考え、行動パターンを何通りか考えて導き出した計画は、今の所順調と言えるペースで進んでいる。
アーチが中間発表の成績で上位に来なかったのは、この計画を考えるためにほとんど魔法を使わず、情報収集に徹していたからだ。もし今中間発表があれば、アーチの成績はラインの成績を確実に抜いていただろう。
順調に進んでいる計画表を見て、アーチは小さく笑みを作る。
「これでお姉さまに勝てる。今度は私が褒められて、お姉さまが励まされる番よ」
その瞳には強い熱意が灯っていた。
◇
夜道を一人で歩く少女。その後ろからは、黒い影が後を付けていた。
その影は、少女が立ち止まったところで、電柱の影に隠れる。そして耳澄ましていると、少女の声が聞こえてきた。
「……明日…………日宮駅……喫茶店…………」
そのこぼれて聞こえてくる言葉から、少女の行動を予測する。
そして再び少女が歩き出した時には、すでに影の姿は無くなっていた。
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